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言えないくせに隣にいる  作者: 篁 玖月
想いが届いた、そのあとは

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6/9

神竜様はご機嫌斜め

 午後の光が、城の中庭にやわらかく差し込んでいた。

 噴水の水音だけが静かに響く中、その中心に――彼女がいた。


 ノアは神竜の姿のまま、芝の上に丸くなっている。

 パールホワイトの毛並みは陽に透けて、淡い雲が地上に降りてきたみたいだった。


 けれど、その蒼い瞳は伏せられたまま、どこか遠い。


 普段なら、僕の足音にすぐ気づくはずなのに。

 今日は、尾がゆるく揺れただけだった。


「ノア」


 呼びかけると、返事の代わりに――世界がひっくり返る。


「……え?」


 次の瞬間、首根っこをやさしく咥えられ、ふわりと宙へ。

 そのまま、彼女は僕を腹のあたりに下ろし、長い尾を回して抱き寄せた。


 逃げ道を塞ぐようでいて、締めつけはない。

 ただ、「離さない」という意思だけが、はっきり伝わってくる。


 ふわふわの毛並みが背中に触れ、すぐ近くで大きな鼓動が響く。

 近すぎる距離に、思わず息を詰めた。


「……ノア、ちょっと……」


 そう言うと、喉の奥で小さな音が鳴った。

 拗ねたようで、甘えるみたいな、不思議な声。


 力はない。

 けれど、この腕の中に留めておきたい――そんな感情だけが、まっすぐだった。


 僕は抵抗するのをやめ、そっと彼女の毛並みに手を伸ばす。

 指先が光をはじき、淡い、甘い匂いがした。


「……何か、あったの?」


 問いかけても、すぐには答えが返らない。

 噴水の水音だけが、やけに大きく耳に残る。


 やがて、長い沈黙のあと。

 竜のまぶたが、ほんの少しだけ持ち上がった。


「……レックス」


 人の声が、竜の喉から零れ落ちる。

 その掠れた響きに、胸がきゅっと痛んだ。


「もし……いつか、みんながいなくなったら……私は、どうしたらいいんでしょう」


 失う怖さは、手に入れたからこそ生まれる。

 彼女はもう、それを知ってしまっている。


 僕は身を起こし、そっと頬に手を当てた。

 高い体温が、掌にじんと伝わる。


「ノア。未来がどうなっても……今は、君と一緒にいる」


 自分でも驚くほど、言葉は自然に出た。


「終わりがあるからって、今が壊れるわけじゃない」


 蒼い瞳が、ようやく僕を映す。


「君が覚えていてくれるなら……僕は、消えない」


「……そんな理屈」


「うん。理屈だね。けど――」


 額に、そっと触れる。


「君が好きだって事実は、理屈じゃない」


 しばらく、ノアは何も言わなかった。そしてゆっくり息を吐き、身体を丸めた。

 白い翼が広がり、僕をすっぽり包み込む。


 午後の光が、羽の内側で溶けていく。

 世界が静まり、残るのは寄り添う体温だけだった。


「レックス」


「なに?」


「あなたの時間が終わっても……私は、あなたを好きだった気持ちを抱えて生きます」


 その声は、ひどく静かで。

 そして、抱く力が、ひと呼吸ぶんだけ緩んだ。


 しばらくして、ノアはゆっくりと翼を畳み、身体の力を抜いた。


「じゃあ……今は、その気持ちが残るように、思い出を増やそうか」


 僕はそっと立ち上がり、手にしたブラシを当てる。

 いつもモコの手入れに使っている、小さなブラシだ。

 

 首筋から背、翼の付け根へ――毛の流れに逆らわないよう、ゆっくりと。

 

 喉の奥から、低い唸り声が響く。

 無意識の、心地よい応答。

 その音を聞くだけで、胸の奥が少し緩んだ。


 こうしていると、さっきの沈んだ瞳が嘘みたいだった。


「全部を解決できるわけじゃない。それでも……」


 言葉を選ぶ。

 彼女は、強い。

 だからこそ、簡単な慰めは響かない。


「君が寂しくならないように、できることはしたい」


 ノアは何も言わず、風を一度大きく吸い込んだ。

 羽毛がふわりと膨らむ。


「……レックスは、やっぱり優しいですね」


「優しいだけじゃ、足りないよ」


 ぽつりと、本音が落ちた。


「僕は、君の時間を全部は一緒に歩けない。でも、歩けるところまでは……ちゃんと、隣にいたい」


 ブラシを置き、彼女の首元に手を添える。

 人のときよりずっと大きな体なのに、不思議と距離は遠く感じなかった。


「思い出を、増やそう。君が振り返ったとき、寂しさだけじゃなくて……ああ、楽しかったなって思えるくらいに」


 ノアはゆっくりと振り向いた。

 竜の蒼い瞳が、まっすぐ僕を映す。


「……それは、ずるいです」

 

「え?」


「そんなふうに言われたら……私は、もっと欲張りになります」


 尾が、そっと僕の足元に触れる。

 絡めるでもなく、離れるでもない距離。


 ノアは目を細め、羽を半分たたんだ。

 中庭の噴水が、遠くで静かに水音を立てている。


「……私、全部忘れない自信はありません。でも」


 ぽつりとこぼされた声が、風に紛れて芝に落ちる。


「レックスと過ごした時間は、きっと……長く、残ると思います」


 その言葉に、胸の奥が、じんと熱くなった。

 それだけで、今は十分だった。


 毛並みに沿って、そっと手を動かす。

 ひとつ、またひとつ、思い出が積み重なっていく。


 ノアは芝に伏せ、僕もその隣に腰を下ろした。

 白い竜の呼吸と、僕の鼓動が、同じ速さで並ぶ。


 寿命の差は、埋まらない。

 未来の答えも、まだ出ない。


 ──けれど。


 今この瞬間、彼女の羽根を撫でているこの時間だけは、確かに共有できている。


 それが、今の僕にできる、精一杯だった。

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