-8- 旅立ったものだけが笑顔を見せない(1)
リリスの入院している病室を訪れたアイリス。
お見舞いに持ってきたリンゴの皮をむいていると...リリスは真剣な表情で話し始めた。
「私、魔法師団続けることにしたの」
「えっ?!」
リンゴを向いていた小さなナイフがそのままアイリスの指に突っ込んで「キーン!」と音を出してそのまま止まってしまう。
ベヒーモスの因子を取り込んだアイリス体は今までの戦闘から並大抵の刃物では傷すらつけることが出来ない...
リリスが苦笑いしていると、ナイフとリンゴを置いてアワアワとしているアイリスに、彼女は魔法でリンゴとナイフを操作して器用皮をむいてみせた。
「副団長は引退するけど...魔法師団として騎士団に在中する役になるの。魔法師団と騎士団の連携強化は聞いてるでしょう?私も出来ることはするし、無理はしないつもり」
「でも...リリスまともに歩けないし...」
「事務仕事なら別に歩く必要ないし。醜い悪足搔きかもしれないけど...アイリス...私にもう一度花を持たせて」
リリスの体の状態については聞いている。
無理はさせたくない気持ちが大きいが、本人がここまで望んでいるなら止めることは出来ない。
この状態でリリスの若返りが発動してしまったら...確実に死を迎えることとなる。
いつ発動するか分からない若返りは実質的いつ死が訪れるか分からない状態と同じ。
「アイリス、私は幸せな家庭。諦めてないよ」
戸惑うアイリスに、リリスは切り終えたリンゴを差し出して口に入れる。
そしてそっと彼女の頭を撫でて伝えた。
「それに...アイリスの体も心配だし。耐性を獲得して成長する...それって無条件ではないでしょう?」
「あはは...流石にバレたのね...」
ベヒーモスの因子を取り込んだアイリスは傷受けても即座に回復し、耐性を獲得する。
無限に成長し続ける特性は正に無敵のように見えるが...
「体を回復されるのも、耐性を取得して維持するのも...途轍もなくエネルギーがいるみたい。だから...私は人より多くの食事を必要とするし、戦ったりするとすぐ消費してしまう...」
アイリスはある程度取得した耐性を放棄することでエネルギー消費を抑えている。
だが、放棄出来ない耐性も多く全力で剣を振るうとその場で倒れて2日は眠ってしまう。
「魔法師団との連携強化した時に...クリス副団長から相談されの。コンパクトでエネルギー摂取量が高い食べものは作れないかって」
「クリスが...」
「はじめは戦線での経験からの提案だと思ったけど...アイリスの特性を見てあなたのためだって気づいたの。今試作段階のもはいくつかあるし、私...まだあなたの力になれる。だから――」
リリスの表情を見て、アイリスは自分の頭を撫でている彼女の手を取って強く掴んだ。
「わかった...私はリリスの手足になるって約束したから」
「そこまでしてもらわなくても自分のことは自分で出来るから」
後日、リリス・アドミルは正式に魔法師団副団長を辞任。
魔法師団と騎士団の連携強化のため、在中職として騎士団に派遣され魔法師団から提供されるアーティファクトやアイテムの管理を任されることとなった。
※※※
数日後、新体制となった騎士団の執務室にミハイルが入ってくる。
事務仕事を主にしてくれていたミハイルだが、そのほとんどをリリスが引き受け、彼女は現場指揮に復帰。
クリスとともに団員の訓練を担当しているが、各機関との連携役として体が不自由なリリスに変わって赴くことが多い。
「団長、リリスさん。少し相談が...」
ミハイルはマントを脱いで少し困ったような表情を見せた。
事務仕事をしていた2人は手を止めてリリスに注目すると、彼女は一つの手紙を差し出す。
「一つ目は騎士団の意見箱に度々の手紙が入っていることです」
手紙の差出人は不明...そして、その内容は騎士育成学校に殺人鬼がいるという内容だった。
「いつから?」
「1週間前から3通程...内容的にいたずらとは思えないですが。騎士団の意見番にわざわざ匿名で入れることを考えると――」
厄介な事件に間違いない...そうミハイルが言うまでもなく2人は納得した。
育成学校に殺人鬼が潜んでいる...王都に甚大な被害をもたらした連続殺人犯の力の正体は多くが謎のまま。
わざと騎士団の興味を引くような言葉や単語が並べられていることから、殺人鬼自体の信憑性は薄いが...匿名で通報するぐらいの何かがあるということだ。
「騎士育成学校ね...私は学校行ったことないから分からないげと...」
「アイリスは育成学校に行かずに一般兵として入団したんですね」
「うん...あれ?でもミハイルは学校主席だって聞いたけど」
「女性では...ですね。そもそも騎士学校で女性の比率は少ないので主席といってもお飾りです」
ミハイルは少しため息をつきながら続けた。
「騎士に憧れて騎士学校に入ったのは事実です...でも――騎士学校のレベルはかなり落ちてます」
「そうなの?」
「団長と同期だったから余計に騎士学校で学んだものがお遊び程度にしかならないと気づかされました」
王都の騎士学校を出ると、駐屯している第4騎士団に入ることが多い。
貴族出身が多い第4騎士団は実力より家柄や作法を重んじる傾向にあったため、騎士学校でならう戦闘術はかなりお粗末なもの。
現に第1騎士団が駐屯してから2度開催された入団試験では合格者が誰一人出ていないという事態になっている。
「二つ目の相談は...騎士団の入団試験で合格者が0だったことで、騎士学校の責任を問われていまして...学校側からカリキュラムの改定のため、視察に来て頂けないかと強い打診がありました」
「ええ...」
アイリスはかなり嫌そうに声を漏らすが、ミハイルもその意見には同感の様子。
是非断ってくれと言わんばかりの目でアイリスを見つめている。
「ミハイル、確か新人訓練用の備品が少し足りませんでしたね?」
そんな時、リリスは資料を魔法で浮かせて彼女の前に見せた。
備品申請している項目の中で、訓練用の備品が不足しているため購入を度々申請されている。
予算申請が通るまで第1騎士団は節約の時期であり、王都を守れなかったと反発する貴族たちから予算削減を求められているため、かなり難航する予定のもの。
リリスは嬉しそうに笑いながら資料の次のページをみせた。
「過去、第4騎士団が視察した際にはかなりのおもてなしをされた様ですし、こちらはそのおもてなしの代わりに備品を頂くというのはどうでしょうか?」
「いいですね!騎士学校校長は議会の大臣にもコネがあるので、引っ張れるだけ引っ張りましょう」
リリスの提案にミハイルが珍しくやる気を見せている。
この手のタイプの話ではあまり気乗りしないことが多いミハイルだが...学校時代にかなり色々あったのだと感じざるおえない反応だ。
「視察ついでにその手紙の内容を確認でいいかな...?どうせ私が行くんでしょう...」
アイリスは嫌々ながら、書類に印鑑を押して立ち上がる。
「私の休暇...どんどん減ってるよ...」
「あ...最近はリーシャ様のところに...」
王都防衛の際に騎士団に尽力したユイを手伝うという名目で、休日はリーシャの館の庭の手入れをしているアイリス。
簡単な作業ではあるが、リーシャはアイリスの反応を見て楽しんでいることが目的のため、色々な無茶苦茶をしてくる。
頭を悩ませるアイリスに、リリスは笑顔を向ける。
その視線に気づいたアイリスがキョトンとしていると――
「お話中失礼」
小さな紙袋を手に入ったきたクリスは、3人の姿を見て微笑む。
そして、リリスに近づいて紙袋を渡した。
「リリスさん、頼まれていたものです」
「ありがとうございます。クリスさん早かったですね」
「物が物だけにみんな張り切ってしまった様ですが...通常3日あれば生産は可能だそうです」
紙袋の中身には携帯食料が入っており、通常のものが少し黄色味がある乾パンのような見た目に対して、こちらは濃いオレンジ色のレアチーズケーキのような見た目をしている。
「味は改良中ですが、アイリス専用の携帯食料です。これで戦闘で全力を出しても倒れることはないですよ」
「え?!もうできたの?!」
アイリスは驚きつつ携帯食料を手に取って匂いを嗅いで口に入れた。
ほのかに柑橘類の香りを感じるが、味自体はたんぱく。
素早く飲み見込めるようにしてあるのか、ほとんど噛まずに細かく崩れていく食感はゼリーのようにも感じる。
「あ...なんか普通の食事よりすごくいい感じする」
「へーそんなに変わるもの――」
ミハイルがアイリスが持っている残りを興味本位で口に入れようとした時、魔法でそれを奪ってリリスは苦笑いする。
「ミハイルさん...これ1つで成人男性10日分の栄養があります....簡単にいうと――めちゃくちゃ太りやすいです」
「リリスさん...ありがとう...」
「ちょっと待って私は?!」
太ることを今更気にするのかと言わんばかりの目でアイリスを見つめるミハイルはともかく。
リリスは携帯食料を手にとって説明する。
「アイリスは因子の影響でほんとなら食事も10倍近く接種しないといけなかったの。それが出来ていなかったから獲得した耐性を放棄したり、一度寝ると起きれなかったりしてたけど...これからは3食のうち1食をこれに置き換えるだけであとは普通の量の食事で力を維持できると思うよ」
「ほんと?!」
「ただし、制作経費の半分は給料から引いておくから」
「全然いいよ!これで食費に悩むこともなくなる...」
アイリスは邪龍との戦闘後、約1週間眠り続けた。
炎への耐性獲得、呪いと瘴気への耐性獲得、傷の再生、闘気の放出...それら全てを一つの戦闘で行ったしまったため、身体のリソースが枯渇。
前線の時より遥かに燃費が悪くなっているアイリスに対してリリスは専用携帯食料の開発を急いだ。
アイリスに言うときっと怒られてしまうだろうが...リリスはここ数週間大幅に睡眠時間を削っているため、化粧で目のクマを誤魔化している。
こうしてアイリスの力になれたなら...リリスは最後の悪足搔きをした甲斐があったとほほ笑む。
「よし、食べて元気でたし。問題は早めに取り掛かるよ!」
アイリスはいつも以上に元気よくマントを羽織ってミハイルと一緒に執務室を後にする。
一息ついたリリスはクリスを見つめてお礼を言う
「ありがとうございます。クリス副団長」
「いえ、それより午後からは帰って休んでください」
「ですが...」
「アイリス団長に告げ口する前に早くカバンをまとめてください。これは副団長命令ですよ」
クリス副団長の厳しい言葉に彼にはバレバレであることが分かったリリス。
彼は気遣いがよく出来る人で、感も鋭く隠し事を出来るような人ではない。
諦めたリリスはカバンを手に取って車椅子に乗り移った。
「正門まで送りますよ」
「お願いします」
リリス車椅子は魔力で動くように出来ているが、クリスは気を利かせてゆっくりと車椅子を押した。
体を動かすことは少しずつ出来ているが、どうしても立って歩くことは難しい。
兄である魔法師団団長が急いで手配してくれたこの車椅子と一緒に騎士団に配属された時――兄は少し安心したような表情を浮かべていた。
きっと...もう自分が危険に晒されないようになると思ってくれてたのだろう。
「明日は午前休暇を取ってもらいますから、ゆっくり午後から来てください」
「クリス副団長は少し強引ですね」
「そうですよ。ですので無理をしたらすぐアイリスに告げ口します」
「分かりました...大人しく従います」
クリスの言葉に笑顔で答えたリリスは、正門に到着すると魔力で車椅子を動かし始めた。
「ありがとうございます。あとはお願いしますね」
「はい。それとリリスさん」
別れ際の挨拶、クリスは身を屈めてリリスの耳元で何かささやいた。
その言葉にリリスは少し目を大きくして驚いたが、すぐに冷静な表情で答えた。
「可能性は...十分にありえます」
「そうですか...」
「クリス副団長は騎士学校のことをご存じなのですか?」
「詳しい情報はないですが...騎士学校出身の団員が噂していたことを聞いたので」
「...再編についてはまた相談させてください」
「ええ、帰り際にすみませんでした。お気を付けて」
クリスが述べた言葉は予想以上の情報...噂とは言え、告発状と内容が一致する。
今回の出来事は――6ヶ月前に起きた訓練中の死亡事故が関わっている可能性だった。