-5- 戦争の残影(5)
王都で起こっている連続殺人事件を追うため、魔法師団副団長のリリスと共に巡回をしているアイリス。
ここ1週間、被害者の経歴を調査し、目ぼしいものをピックアップしたが...中に紛れていた記憶がとても厄介なものだった。
「歳月の石板を発見したメンバーの1人に被害者が居たとは...盲点でした」
「まあ...主要警備メンバーでなく採掘とかの警護だったから...目にしているのは確かだけど、記録上残り難いですね」
歳月の石板の効果は記憶の再現――書き込んだ記憶を何度再現できるのか、どれ程再現できるのかは定かではないが。
記憶の中の歳月の石板を取り出して無限に使える...なんてことが可能になるかもしれない。
「歳月の石板は現在王国の管理下にあります...王に進言し、持ち出しの禁止を言い渡して頂けました」
アイリスがリーシャからもらった情報を元にリリスは目ぼしいアーティファクトの一部を一定期間持ち出せないように王に進言した。
ステージⅤのアーティファクトは王と魔法師団団長の承認と議会で最終決定がないと持ち出しすることは不可能ではあるが、念には念をということになっている。
「そういえば、アイリス団長は最近はリーシャ様のところに通われていないですか?」
「はい、貿易港の定例会が近いから忙しいって言われて」
巡回時によく店の近くでユイのことを見かけることもあったが、ここ数日では姿を見かけない。
それぐらい今リーシャは忙しいのだろう...今度差し入れてでも持っていきたいと思いつつ、ユイをよく見かけるパン屋の近くで立ち止まったアイリス。
「リリス副団長、ちょっと寄り道しませんか?」
「一応仕事中なので手短にですよ」
アイリスは嬉しそうにお店に入っていき、パンを購入する。
自分より背丈も高く、力も強い...大人びたアイリスではあるが、やはり純粋な少女の姿も確かにそこにある。
リリスは店主と楽しそうに話すアイリスを見てほっと胸をなでおろした。
「私も...今頃はあのぐらいの子供が居たのかな」
叶わない夢...可能性でしかない未来でも、希望を捨てずにはいられない。
こんな体になってしまってからは子供は望めない。
兄のいう通り...早めに結婚していれば――今頃は。
「リリス副団長?」
袋を片手にパンを咥えたアイリスがいつの間にか目の前に立っていた。
リリスは少し驚きつつも、表情を作って彼女を見つめる。
「そんなに買って1人で食べれます?」
「え、リリス副団長も一緒に食べるんですよ」
それにしても量が多いため、リリスは若干引きずった笑顔を見せる。
2人は少し早めの昼休憩として、近くの公園で並んでパンを食べることにした。
「頂きまーす!」
貴族の礼儀作法を教わっているとは思えない程、アイリスは口いっぱいにパンを頬張って焼きたての美味しさを堪能する。
ケチャップが口元についたのをみて、リリスはハンカチを取り出してアイリスの口元を拭いて上げた。
「子供みたいですよ。アイリス団長」
「食事ぐらい美味しく食べたいですよ」
顔を少し赤くしつつも、パンを食べる勢いは止まらず。
最近執務室でずっと書類仕事をしていたストレスも多少なりともあるのだろうと、リリスは多めに見てあげることにした。
「そんなり勢いよく食べると詰まらせますよ。はい」
お茶を取り出してアイリスに進めると、アイリスは一気にそれを飲み干して一息つく。
ほんとに子供のようだ...そんな風にリリスが思っていると――
「リリス副団長はお母さんみたいですね」
「っ――」
お母さんみたい...幼くなってしまった自分とは最も縁遠い言葉に、リリスは思わず固まってしまう。
それは――もう自分が絶対に叶えられない夢。
幸せな家庭を作ることを夢見ていた自分を...リリスは裏切ってしまった。
人生に置いて一番の嘘をついてしまったリリスに、天は罰としてもう二度とその夢を叶えることが出来ない体を与えた。
普段...押し殺して諦めていた感情が、どうしてかアイリスの前だと膨らんできてしまう。
魔法師団の団員達は、幼い姿の自分に同情の目を向ける。
皆賢明で幼い体であるリリスをよく助けてくれるから...母性をくすぐるようなことはない。
しっかりしている反面、まだ純粋さを残して真っすぐ進もうとしている年ごろの女の子...そんなアイリスを見ていると、リリスはどうしようもなく自分の夢を諦めきれない。
「リリス副団長?!」
突然泣き出したリリスに、アイリスは慌ててオロオロとするが、リリスは自分の感情を止めることが出来なかった。
こんなことは数十年無かったのに...リリスはアイリスにしがみついてひたすら涙を流した。
そんな彼女にアイリスは少し落ち着つき、ゆっくりリリスを抱きしめる。
「大丈夫だよ...リリス副団長」
※※※
数分後、泣き止んだリリスはアイリスにお詫びをしつつ、自分のことを話し始めた。
「私...子供の姿になる前に婚約していた男性が居たんです」
婚約者は魔法師団に入ってから知り合った商店の跡取り息子。
次第に心を通わせた2人はある約束をした。
「お兄さんも私も孤児で家族というものを知りませんでした。だから...その人と結婚して幸せな家庭を作ろうって...子供は5人以上作ろうって話をしました」
「5人...」
アイリスは中々壮大な計画に驚きつつも、気を取り直して話を聞く。
幸せな家庭を作りたい...その夢のために2人は努力していたある日――リリスは発掘されたアーティファクトを調査することを命じられた。
効果は未知数...危険が伴う任務のため、団長である兄も婚約者も反対し、任務から降りるように説得された。
だが――リリスは魔法使いとしての好奇心を抑えることがでぎず、研究に参加し――思いがけず発動したアーティファクトの効果により若返ってしまった。
「当時私は27歳...そこから年々ゆっくりと若返るようになりました」
外見の変化は激しかったものの、肉体年齢が反映されるまでは時間差がある。
アーティファクトの効果は未だに判明せず、一度発動したそれ消滅してしまった。
若返るようになってから団長に今一度魔法師団を辞めて婚約者と結婚するように進められた。
だが――今まま若返ってしまっては、子供の成長を見ることなくいずれ消えてしまう。
そんな最後が幸せな家庭と言えるだろうか?
リリスは取り付かれたようにアーティファクトの研究を進めどうにかこの呪いを解こうとした。
若返らない年もあるが、規則性は見つけられず、結局どのタイミングで若返ってしまうのか分からない...そして、肉体年齢は着実に若くなっていき――ある日。
「婚約者から婚約破棄を言い渡されました...気づけば婚約者は35歳...当然です...これ以上待てないのでしょう」
時間だけが無情に過ぎてしまい...今ではもう子供を産める体でもなくなってしまったリリス。
アーティファクトの手掛かりもないまま、絶望と後悔だけが残っている。
「私はどこかで諦めて引き返すべきでした...全てを手に入れようと足掻いて...全てを失ってしまった愚かな人間です」
心から自分は愚かな人間だと思っている。
あの時...アーティファクトの研究をしていなければ。
あの時...婚約者と早く結婚していれば。
後悔だけを抱え、感情を抑えきれず関係のないアイリスに迷惑をかけている...そう思ったリリス。
だが――
「私、よく分からないですが...別にリリス副団長は間違ってないですよ」
「え...?」
「私だって今日パン屋さんであれもこれも欲しくなって全部買ってしまっいましたし...ちょっとは節約しないとなーと思っても食事のことになるとむきになってしまうんですよね」
アイリスは持っていたパンを一口で食べ飲みこむと、リリスに笑顔を向けた。
「人間、欲張ってこそですよ!難しいことは置いておいて...リリス副団長はそうしたかったんですよね?なら諦めずに進めばいいです」
「でも...アーティファクト効果は続いて...いつか私は――」
戸惑うリリスにアイリスはパンを口に詰め込んで黙らせた。
そしてゆっくり顔を近づけておでこを合わせる。
「私より何倍も頭いいんですから!絶対出来ます!私に出来ることなら手伝いますから...私もみたいです。幸せな家庭...」
「アイリス団長...」
アイリスも孤児であることはリリスも書類上ではあるが知っている。
数十年前の魔獣が原因となった伝染病で多くの人が亡くなった。
親に捨てられたもの、そもそも親の顔も分からず経緯すら不明で孤児になったもの。
アイリスは後者で、魔獣との戦闘に巻き込まれ、死体の山となった村から孤児院に入ったと聞く。
そんな彼女にとっても幸せな家庭は理想以上の意味を持つのだろう。
「それまでは私のお母さんはリリス副団長ですね」
「ふふ、こんな大きな子供がいると大変ですよ」
リリスはアイリスの頭を撫でて明るい表情を取り戻した。
諦めていたのは確かだが、諦め切れていない自分も居た。
正直どれほど可能性が残っているのか分からない...でも――もし叶うならあと少し追ってみたいと思えたリリスであった。
※※※
午後の警備区画の最後の地点にきた2人は、警備している騎士団メンバーに礼をして近辺に異変がないか聞き込みしていた。
再開発エリアとして指定されたこの地区は、多くの建物が取り壊しの最中――もし隠れるとするなら最適の場所だ。
「工事を請け負っている商業ギルドの関係者は見えますが...それ以外変わったことは特に」
「団長と一緒に前線にたってた時が嘘みたいに平和ですよ」
古参のメンバーも多く配属されているここでは、退屈...といった様子でアイリスをいじる団員達。
異常はないと思い、そのまま帰路に着こうとした時――
「リリス!」
何かの気配を感じたアイリスはリリスを抱き寄せ剣を抜刀する。
黒いマントを着た如何にも怪しい者が突然アイリスに切りかかった。
「なっ?!」
騎士団メンバーもいる中での奇襲...歪に曲がった剣を持った者は騎士団メンバーに見向きもせずアイリスだけを狙う。
「っ――」
一発目の攻撃も続く連撃もアイリスにとっては大したことではない。
問題はリリスを側に置いたまま戦うこと――相手は剣に相当慣れているのか、躊躇いなく攻撃を仕掛けてくる。
「(リリスを巻き込みたくないのがバレバレ...必要に狙ってくる)」
周辺への被害を気にしていたアイリスだったが、それどころではないと判断し、切りかかってきた敵の攻撃を甲冑で受け、そのまま地面を大きく踏み周囲の建物の大きく亀裂が入る程の衝撃を走らせた。
相手もそんな馬鹿力で体制を崩されるとは思っていなかったのか、動揺し後ろに大きく転倒。
「そっちから出てきてくれるなんて、相当自信があったの?」
剣の腕は確か...歴戦の猛者を相手しているような感覚だった。
でも...何故か実戦経験が浅いような感覚がしている。
最初の一撃で失敗したにも関わらず、手っ取り早くリリスを必要に狙うのも含めて戦闘面での判断に慣れていない様子。
だが、太刀筋は確実に人の命を断てる剣だった...技術だけ身に着けて実戦経験が伴っていないことなんてあるだろうか?
不思議に感じているアイリスに黒いマントの者は手を上げ、フードを取って素顔を晒した。
「?!」
その顔は鱗で覆われ、まるで魔獣リザードマンのような姿...王都に魔獣が入ってくるなんて有り得ない。
動揺している間、その者は剣を取って再び構えた。
「過去の残影よ...ここに」
歪な剣をにそう唱えると、周囲の景色が局所的に沼地へと変わり数体のリザードマンが現れた。
「何だこれは?!」
「魔法...?!」
「落ち着いて、2人はリリス副団長を援護して」
魔法使いであるリリスは魔法を使うための時間が必要...接近戦では力を発揮することは出来ない。
部下の2人を護衛をつけ、そのまま下がらせたアイリスは剣を握り締め目の前にいる剣士と決着をつけようとした。
しかし、剣士の体が透けてだんだんと消えていくことがみえた。
無謀な特攻だと思っていたが...そもそも本体でないからこんな無茶が出来たのかと理解したアイリス。
「礎は大地を凍えさせる極寒なる伊吹――アイス・ブラスト!」
現れたリザードマンに対処するべくリリスは沼地を凍結させ、リザードマンの動きを固定した。
沼地で素早く動く彼らは足の拘束と急激な体温低下で動きが鈍くなり、そのまま2人の兵士によって首を取られる。
「助かりましたリリス副団長」
「リザードマンにこんなあっさり勝てるなんて...」
驚く2人を他所に、逃走...そもそもこの場に来ていなかった犯人の手掛かりを掴めなかったことに悔しむアイリス。
リリスはそっと彼女に近づき、手を繋いだ。
「ありがとうございます...アイリス団長」
「いえ...ごめんなさい。取り逃がしました」
「そもそもこの場に来ていなかったので...あの顔もおそらく偽物でしょう」
「沼地とリザードマンといい...あのアーティファクトはいったい...」
「推測しか出来ませんが...リザードマンもこの地も誰かの記憶だと思います」
リリスは凍らせた沼地の中から一匹の虫を取り出してアイリスに見せた。
「西側にある湿地帯でよくみられる虫です。この近辺では生息が確認されていないので...誰かの記憶からこの場所を再現...襲ってきたリザードマンも記憶の持ち主が遭遇した魔獣でしょう」
「歳月の石板がなくても記憶を再現できるってことですか...?」
「ステージⅤのアーティファクトの研究は国の認可がないと行えないため、効果は推定でしかありません。歳月の石板はもしかすると再現した記憶を留める楔の役割なのかもしれません。先ほど倒したリザードマン...さっきの剣士のように姿が消えてます」
言葉どおり、湿地帯の範囲もだんだん狭くなっており、リザードマンの血も死体も全て汚れが水に流されていくようにゆっくりと消えている。
剣単体だと短時間の顕現だが、歳月の石板があるとその制限がなくなる。
アーティファクト効果を露見することになっても、相手はこの切り札を切ってでもアイリスに奇襲を仕掛けた。
「犯人は相当アイリス団長を警戒しているようですよ」
「期待してくれて嬉しい限りですね」
被害は取り壊し予定の建物にひびが入った程度...現場のメンバーに負傷はなく、相手は大きく手の内を晒したことになる。
それほど...大きく焦っていることが伝わる一件であり、犯人が持つ剣はリリス副団長の報告によりステージⅤのアーティファクト「歳月の灯」として認定。
事件捜査の重要性は一気に高くなり、調査に当てる人員の数も増えるのであった。