-3- 戦争の残影(3)
魔法師団の本部に立ち入ったアイリス。
魔法使いは組織に所属しないものが多いため、魔法師団は各地に点在する小中規模の研究所から個人魔法使いの管理もしている。
受付として用意されている一角はただの玄関に過ぎない...魔法師団の本部は魔術的に隠されており、その所在地を知るのは現王と魔法師団団長のみ。
第1騎士団団長であろと、番号札を取って順番を待ち、受付をしてようやく話を開始出来る。
「27番の番号札をお持ちの方」
受付の自動人形がアイリスが持っている番号を呼ぶと、まずはアイリス1人で受付へと向かう。
「ご用件を」
「第1騎士団騎士団のアイリス・メルビーです。魔法師団団長とお話がしたいのですが」
「何か身分を証明できるものはございますか」
「えっと...」
先程までリーシャと会っていたため、正装である鎧と王国の紋章が入ったマントを見せたアイリス。
王国の紋章は許された物にしか印字することが出来ないため、それを持っているだけで身分を証明することが出来る。
自動人形がアイリスの姿をじっくり観察し、しばらく止まっていると――突然後ろから武装した魔法師団の人間に杖を突きつけられた。
「動くな、こちらの質問にだけ答えろ」
「妙な動きをすると即攻撃していいことになっている」
歓迎はされないであろとう思っていたアイリスだったが、完全に犯罪者を捉える時の体制で出迎えられるとは思っていなかったアイリス。
大人しく手を上げて戦う意思がないことを示した。
「武器は一時預かる。いいな?」
「問題ないですが...運ぶ時気をつけてください」
この状況でまともに説明できるはずもなく、アイリスは無抵抗で持っていた剣を差し出す。
だが、魔法師団がその剣を受け取った瞬間――あまりの重さにそのまま剣は床に落ちそのまま深くめり込んでしまった。
「なっ?!」
尋常ではない重さを感じた魔法使いは咄嗟に手を離したため怪我はないが...これは人間が持てる重さではない。
一気に警戒した2人にアイリスは両手を上げたまま剣の鞘を見るように目配せした。
剣の鞘には王国の紋章と王国が許している最高峰の鍛冶師の1人ジーク・ヘファイストス工房の印が入っていた。
「これは魔獣ベヒーモスの牙を加工して作った剣です」
「ベヒーモスから作られた剣...無限成長の特性が未だに残っているのか?」
ベヒーモスの特性に無限成長というものがある。
その牙を加工するのに王国最高峰の鍛冶師が1年以上かかり、出来上がった剣に「大地の怒り」という名前をつけた。
最初は誰でも持てる丈夫な片手剣で、刃こぼれもあり、定期メンテナンスのためにジークの元を訪れていた。
だが――使っているうちにアイリスの闘気を吸って成長し、今ではアイリス以外持ち上げることすら出来ない重さと、どんなに乱暴に扱い長く使っても刃こぼれすらしない剣となった。
「戦う意思はありません。魔法師団団長のクリムートさんとお話がしたいです」
「...」
魔法使いの1人は警戒を解いて杖を下した。
アイリスが戦う気がないのは明白、ほんに話に来たのだと知った彼は自動人形に命令を下そうとしたその時――
「ふざけんな!」
杖を構えたまま怒りで震える魔法使いがアイリスに詰め寄る。
「お前たちは我の母を殺したんだ!!その汚い足で土足で踏み入り、その汚い手で母を侮辱した!!」
「おいやめろ、それをしたの第4騎士団で――」
「それがどうした!!それでも大樹が死んだことは変わりない!!のこのこと魔法師団の本部に来るとはいい度胸だな騎士団のサルが!!」
興奮した彼を止めることは出来ず、周りが騒めく中...アイリスはその場で深く頭を下げた。
「第4騎士団の行いについて、同じ騎士として謝罪致します。あなたの気が済むまでどんな言葉も受け止めるつもりです」
第4騎士団は貴族出身が多く、長らく王都の警備をしていたため、大きな態度をする人も多かった。
魔法師団に常にいちゃもんを付け、自分たちが楽をするため予算を削ろうとしていた。
騎士なんて全部同じ...魔法師団に所属する魔法使いは騎士を嫌悪していた。
だが――そんな騎士が今自分に向けて誠意をもって謝罪をしている。
こんな大勢の前で罵声を浴びせても、騎士団長という立場の彼女は表情一つ変えず謝罪をする。
「ふざけるな....ふざけるな...俺ほバカにするのもいい加減にしろ!!」
今まで見てきた騎士と自分が憎んでいた騎士...大勢の前でまだ若い彼女を責めている自分。
悪いのは騎士...自分は被害を受けた者だ...しかし―――これではまるで自分が悪者ではないか。
魔法使いは怒りと目の前で起こっている現状を受け入れられず魔法を使いアイリスを吹き飛ばす。
「おい!お前!!!」
近くにいたもう1人が慌てて杖に干渉し威力をある程度抑えたものの、中級魔法くらいの魔力弾がアイリスに直撃した。
奥の壁まで吹き飛ばされたアイリス...冷静になった彼は杖を落とした放心状態となってしまった。
怒っていたとは言え、中級魔法ぐらいの魔力弾を至近距離で人間に打ち込んだ。
騎士がどれだけ鍛えていようが、死んでしまってもおかしくない。
生きていたとしても致命傷...悲鳴をあげる人々、慌てて治癒師を呼ぶ人――阿鼻叫喚となった魔法師団本部だが――
「いったた...ここまでやられるなんて...」
吹き飛ばされたアイリスはめり込んだ壁から出てきて、何事もなかったように歩きはじめる。
鎧についた埃を払いつつ、自分が立っていた位置まで戻ると腰を抜かしている魔法使いに手を伸ばした。
「気は済みましたか?」
ベヒーモスを倒した英雄...アイリス・メルビー。
話には聞いていたが、化け物を倒した人もまた想像を絶する化け物であった。
※※※
「アイリス様、こちらでよろしいですか?」
魔法を食らって吹き飛んだアイリスは軽傷どころか傷一つついてなかった。
しかし、魔法師団団長に会う前にボロボロになってしまったので、ユイにお願いし、軽くアイリスの身なりを整えることに。
「ありがとうユイさん。バッチリかも!」
こんなに綺麗にしてもらったのは初めてだったアイリスは若干興奮気味で鏡の前でくるっと回る。
その姿を見てユイは安心したようにほっと胸をなでおろす。
「手出し無用と聞いていましたが...まさか魔法で吹き飛ばされるとは思っていませんでした」
「私もそうだけど...最後まで手出さないでくれてありがとう。ユイさん」
「...正直迷いました。彼が魔法を放つ直前まで」
1発2発ぐらい殴られるだろうと覚悟して入った本部だったが、魔法を放たれるとは思っていなかったアイリス。
彼の予備動作も読めていたため、回避することは難しくなかったが、あえて受けたのはアイリスなりの謝罪の気持ちであった。
そして、事前にユイに手出し無用とお願いしていなければ、魔法使いは魔法を放つより早く痛い目にあっていただろう。
「ユイさん...聞いていいか分からないけど。見えているわけではないよね?」
「はい、アイリス様は薄々お気づきかもしれませんが...ワタクシは周囲の状況を知覚出来ています。東方大陸で魔力...神通力と呼ばれるものがありまして、私の特性は雷...それによって周囲を目でみるより詳しく知ることが出来ます」
ユイの目はえぐり取られているため、物を見て知ることは出来ない。
だが、彼女は音で物事を把握しているようには見えなかった...まるで周囲全てが見えているように判別できる彼女の謎は――魔力の特性にある。
自分から発する微弱な電気で周囲の状況を把握、周りから発する微弱な電気からも把握することが出来るため、彼女が知覚出来る範囲に入った瞬間...何かを隠すことは不可能。
心や思考が読めるという次元の話ではない...人間は体を動かす際に微弱な電気信号発する。
そして、その電気信号は自分の意思で抑制することは出来ない。
彼女に知覚されてしまったら、その行動の全てを把握されてしまうのだ。
「体が実際動くより先にユイさんにバレるとか...リーシャ様が他の警備隊を拒むのも納得かな...」
「ワタクシを自由に動けるようにした方が、安全...そういう風に仰って頂けました」
不信な動きを感知して動くユイを止められる方が厄介というわけだ。
確かにユイの能力ならどんな暗殺も通じることはない...噂では普段使っているティーカップに目に見えない程の亀裂が入ったことに気づいてティーカップを交換したと聞く。
それほど彼女の知覚能力は精密かつ正確なのだろう。
「とにかく、アイリス様がご無事で何よりです」
「あーっ...ユイさんその様は止めない?その...同じ歳ぐらいだし...なんかユイさんから言われるとむず痒いというか...」
武人としてユイの強さはかなりのものだと把握しているアイリス。
地位的にはアイリスが高いかもしれないが、同じ歳ぐらいの同性と仲良くする機会の無かったアイリスにとってもユイは特別な存在。
様付けされて地位を自覚してしまうと、悲しい気持ちになってしまう。
「では、アイリス...とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「うん!私もユイって呼ぶから!!」
アイリスはユイの手を掴んで嬉しさを隠せずぶんぶんと力強く握手する。
騎士団で過ごしている中、友達と呼べるものは居なかった。
共に苦楽を共にする団員がいても、アイリスにとって同性の友達はかなり憧れる存在だった。
そしてその気持ちはユイも同じだ。
「ちょっと緊張してたけど、何とかクリムートさんと話をつけれそうだよ」
「アイリスならきっと大丈夫です」
ご機嫌でクリムート団長が待つ部屋に歩き出すアイリス。
ユイは握られた手を見ながら少し微笑んだ。
「リーシャ様...あなた様の英雄はワタクシにとっても大切な存在になりました」
※※※
クリムート団長の執務室へ向かうと、補佐をしている魔法使いが1名...そして、魔法使いのトップとしてはまだ若いとされる中年のクリムートが立っていた。
「アイリス団長、まずは先程の非礼をお詫びさせてください」
「いえ...こちらも連絡なしでいきなり訪問したので。それでお相子ってことで...」
事を大きくするつもりは無かったが、魔法を受けてしまったのは不味かったと後悔するアイリス。
だが、事はそう簡単なものではない。
「死傷者どころか怪我人が出なかったことも奇跡です...しかも...」
後ろに控えているユイを見てクリムート団長は顔色を悪くする。
この場所に彼女がいる時点で、リーシャの意思が関わっている。
同行者であるアイリスをもてなすどころか魔法で吹き飛ばした...証拠さえ揃えれば立派な王国への侮辱罪が成立する。
それでなくてもリーシャは魔法師団含め多くの魔法使いに多額の資金援助をしている。
彼女の機嫌次第では国から魔法師団に割り当てられる予算の倍では効かない程の金額が無くなることになる。
「ユイは今日たまたま魔法師団の本部に入る私を見て声をかけて、終わるまで待ってスイーツを食べに行こうって約束したよね?」
状況をこれ以上複雑にするわけにはいかない。
今後の捜査含めて王都の警備体制を安定させるには魔法師団との協力は不可欠。
アイリスは後でリーシャに怒られる覚悟でユイに視線を移して必死に合わせてくれるように願った。
「えっと...」
リーシャの指示を受けて動いている以上、アイリス団長の行為はリーシャの善意に泥を塗るようなもの。
今度はアイリスの首が飛びかねない事態だが、アイリスは正式な手順でリーシャと謁見したわけでなく、アイリスへの協力を知るものは3人しかいない。
少なくとも複数の目がある場所で魔法で団長を吹き飛ばした魔法師団よりリスクは少ないであろう。
「そうですね。ちょうど館に帰る途中でしたが、アイリス団長から至宝のスイーツを手土産に持てせて頂けると言われました」
それぐらいしないとリーシャの機嫌を損ねるという圧力をしっかり受け止め、ユイの了承を得たアイリスはクリムートに目で訴えかけた。
「分かりました...そういうことにして頂けるのでしたら魔法師団としては頭が上がりません」
「まあまあ...色々と手続き踏まなかった私が悪いので...ゴホン」
話がまとまったところで、アイリスは深く頭を下げた。
「これは第1騎士団騎士団長としての謝罪です。第4騎士団の行いは騎士として恥じるべき行為でした。謝罪だけでは済まされないものだと理解しておりますが、どうか今後の第1騎士団を見て連携を強化頂きたいです」
第1騎士団は前線維持のため長らく王都を離れており、定例会議に参加したのも数年に一度前線の報告のためだけ。
魔獣による被害も多く報告される中、ベヒーモスの動きが活発化した時点から中央大陸から流れてくる魔獣の群れから王国を守っていた。
前線に運ばれている物資のうち回復薬と火炎系のアイテムが多かったことから前線がどんな地獄になっていたのか想像することは難しくない。
そんな中、魔獣ベヒーモスの討伐によって国境付近の魔物の出現率が一気に低下し、長年前線を維持していた第1騎士団は王の計らいによって負担の少ない王都に配属された。
「第1騎士団が国にどれ程貢献したなんて...魔法使いなら誰でも分かっていたはずなんです」
前線で使用された物資のうち7割は魔法師団で作成されたもの。
騎士の体を癒し、腐敗した魔獣と人の死体を焼き払うアイテムを作成し続けていた。
ベヒーモスの接近が明確に確認された中、増えていく火炎系のアイテムの発注に皆が心を痛めていたのは事実。
「魔法師団団長として、皆の統率が出来なかった。これは私も恥じねばいけないことです。あなたがベヒーモスを討伐していなければ...今頃ここはやつの足跡になっていたでしょう」
「...団長だからといって、全部をどうにか出来るわけではない。それは私も嫌な程思い知ってます」
最年少で騎士団団長になったアイリスだったが、最初その就任を断っていた。
自分は前線で剣を振るうことに特化しており、小難しいことは何一つできない。
だが――当時団長であったクリスはアイリスにこう告げた。
「私は、私が正しいと思ったことを成しています。これは私の恩師であり...最も尊敬する人が示してくれた道。道中で足りないものはお互いに拾っていきましょう」
アイリスは笑顔でクリムートに手を差し伸べた。
第4騎士団との事件で停滞していた魔法師団との連携だったが、この日...英雄アイリスの光に照らされ大きく動き始めるのであった。
※※※
「改めて、私はクリムート・アドミル。魔法師団団長です」
「挨拶が遅くなってすみません...リリス・アドミル...副団長を務めています」
魔法師団との協力体制は後日正式に締結されてこととなった。
そして、問題となっていたアーティファクトによる連続殺人事件...魔法師団から適任として紹介されたのは副団長であるリリスであった。
「リリスは錬金術にも精通しています。いざという時現場でお役に立てるでしょう」
「ありがとうございます。リリス副団長、よろしくお願い致します」
「こ、こちらこそ...!」
リリス・アドミルは12歳前後と見える赤髪の少女...幼いながらに副団長を務めているということは...かなりの実力者であることは間違いないが――何故か違和感がある。
ミハイルからもらった資料によれば、魔法師団の団長と副団長は兄妹。
ここまで歳が離れているとも聞いたことがない。
「クリムート団長...失礼ですが、リリス副団長と兄妹と聞いておりましたが...」
「はい、リリスは私の妹で間違いないです。5つ年下です」
「えっ...と?」
混乱しているアイリスにユイがそっと近づいて耳打ちする。
「リリス副団長は古代アーティファクトの研究途中で事故にあって年々若返っているんです」
「年々って...」
彼女は今12歳程度...クリムート団長は資料で確認した時56歳...5歳年下ってことははリリス副団長の正しい年齢は51歳。
年々若返っているということは――いずれ赤子...それよりもっと若返ってしまう可能性がある。
「研究の代償が妹に回ってしまったのは悲しいですが、妹もまた覚悟の上研究を続ける魔法使い。今までの知識はきっとお役に立てると思います」
「戦闘面はからっきしなので...足を引っ張ったらごめんなさい...」
ペコリと頭を下げるリリスにアイリスは手をあげ力コブを見せた。
「お任せください!」
「頼もしいですな」
「私もあと10年歳取ってれば!」
10年若ければという言葉の逆が聞ける日が来るとは思わなかったアイリスとユイは思わず笑ってしまう。
これはリリス副団長の鉄板ジョークなのだろう。
「会議の日程は改めて連絡致します」
「はい、心待ちにしております」
アイリス団長は立ち上がってユイに目配せし執務室を後にした。
2人が帰ったあと、クリムートは一安心したようにぐったりと椅子に持たれかかった。
「器の違いを見せつけられたようだ...」
「でも...アイリス団長のおかげで、団員たちの意識改革は出来そうです」
「わざと魔法を受けてくれたのだろうな...あの英雄殿は」
「ベヒーモスを倒した英雄...どんな人かと思ったら...」
魔獣ベヒーモス残骸は半分は中央大陸へ譲渡され、半分は王国が引き取り研究が行われた。
無限成長...その特性は死してなお健在で、高度はもちろんあるゆる魔法への耐性が備わっていた。
研究すればするほど、こんな化け物と戦って勝つことを想像できない魔法使いたちにとって、アイリス団長は英雄以上に恐ろしい存在として認識されていた。
「会議の日程は早めに調整せねばな...」
「はい、それと団長...アイリス団長に魔法を放った者は自ら極刑を望んています」
「却下だな...アイリス団長がここまでしてくれたんだ。その者に言い聞かせ、罪は貢献することで償うように」
「はい...!」
魔法師団にとっても長らく問題として抱えていた騎士団との確執...
不安が晴れた今、騎士団との連携を強化して取り組まなければいけない問題がある。
「...記憶の殺人鬼」
栄光で輝く王都で影で...今日も1匹の獣が牙を見せる。