-2- 戦争の残影(2)
中央大陸の諸国連合が抱える大きな問題があった。
厄災ベヒーモス、動く山脈、大地の化身...その巨体で歩くだけで天変地異を引き起こす魔獣。
諸国連合が幾度もなく討伐を挑み、いくつもの都市と国家が犠牲になった。
ベヒーモスは恐れられるがあまり神聖なものとされ、ある国にではベヒーモスが通るのは神が決めた定めであり、抗ってはいけないとされた。
どれだけの物が壊されようが、どれだけの人が死ぬことになろうとも、魔獣の進行を止めることは出来なかった。
その歴史に終止符が打たれたのは今から5年前、国境付近でベヒーモスの進行が確認され、ベヒーモスから発せられる特殊なフェロモンで魔獣の群れも活性化。
終わりを告げる軍勢かのように、大量の魔物を引き連れてベヒーモスはリリスティア王国に向かっていた。
前線で駐屯していた第1騎士団はベヒーモスを少しでも食い止めるべく戦い続けたが――ベヒーモスの足が遅くとも、発せられるフェロモンで周囲の魔獣を全て引き寄せる。
戦場を維持することは困難で、国も第一騎士団を犠牲に周辺の村や都市の民の避難を選んだ。
とても賢明な判断であり、戦場に立っている第1騎士団含めて誰も異論は無かった。
ベヒーモスが見えるかどうかの時点で魔獣で前線が崩壊しているのに、本番どころではない。
当時、騎士団であったクリスは前線の後退と再構成のために殿部隊を編成した。
皆が志願を躊躇っている中、一人の少女が手を上げた。
当時11歳で最年少騎士団入りを果たしたアイリス...誰もが反対する中、アイリスは殿部隊に投入。
クリスたち本体が撤退するまでの時間稼ぎだと言い聞かせつつ...誰も殿部隊の無事を信じられずに居た。
「魔獣ベヒーモス...想像を絶する程の巨体に殿部隊は皆絶望したぞ」
当時を語る先輩団員に、新入りたちは息をのむ。
ベヒーモスの進行による被害は中央大陸ではもちろん、西方大陸ですら余波で苦しめられることも少なくない。
魔獣の群れ、巨体が歩くだけで全てほ更地にしてしまう厄災という言葉では足りない程の被害。
とてつもない振動と轟音が響く中、本隊は撤退予定時点まで到着した。
「信号弾を発しても殿部隊は帰って来なかった――当たり前だ。全員魔物の食われたか、ベヒーモスの足の汚れになったと思ってたさ」
「前線を立て直すため、高台から観測した時――ベヒーモスは倒れていたんだ」
巨体は大きく横向きに転倒しており、その首は体と分断されていた。
周りには大きな戦闘痕...何が起きたのか理解できずにいると――殿部隊に所属していた1人が急いで本隊に報告に来た。
「アイリス団長が倒したんだ...ベヒーモスの牙を折ってその牙で首を両断したと」
誰もが信じられない状況だったが、ベヒーモスの死体の側にいくと、フェロモンで集まっていた魔獣は散って居なくなっており、巨体の首の側で牙を持ったまま倒れている少女を見つけた。
その日、歴史とその地に消えない痕を残したアイリス・メルビーは2週間後第1騎士団団長として就任した。
「殿部隊は6割生存していた。奇跡だほんとに」
「あの時生き残ったやつらはアイリス団長を神のように崇めているけど――まあそうなるわな」
話を終えた先輩団員たちは剣を持って立ち上がる。
「よし、休憩終わり。お前たちも団長みたいに強くなりたかったらまず受け身の練習は欠かせないぞ」
「何で受け身なんですか!」
「もっと実戦的な訓練をしてください!!」
憧れからの焦りか...新人たちが急かす中、つい先日痛めに合った新人は素早く受け身の練習を開始する。
いつも「実戦がしたい」と言っていた彼が熱心に訓練する姿を見て、他の新人たちは首を傾げる。
「まあ、なんだ...身を持って知る前に真面目に練習した方がいいぞ」
先輩たちの青い顔を見て、新人たちも何かを感じて訓練を開始する。
練習場に気合の入った声が響く中――執務室ではアイリスの大きなため息が響く。
慣れない事務仕事に、大量の書類...第4騎士団がかなりサボっていた申請周りを遡って修正している。
第1騎士団が新たに使う施設、継続して申請する施設などは優先して処理しているが――中々処理は追いつかない。
「ミハイル....ちょっと休憩――」
アイリスは机に伏せたまま降参したように手を振る。
すると、ミハイルはクリスと目を合わせて微笑むと、書類を置いて手を叩いた。
「では少し報告がてらお茶にしましょう」
クリスと言葉にアイリスはよろけつつソファーに近づいてそのまま横になった。
「もう嫌だ...帰りたい...」
「来客用のソファーですよ」
呆れつつもアイリスの前にお茶を出し、ついでに好物のドーナッツを置いたミハイル。
ここ数日、書類に追われているのに逃げ出さないことには感心している。
クリスも「アイリスは逃げない」と言ったように、文句は言うが投げ出したりはしない。
アイリスとは同期のミハイルだったが、あっという間に団長になり同じ女性騎士としてプライドが許せない時もあった。
だが――アイリスは団長の器である...そんなクリスの言葉を実感できる日々がとても多くなってきている。
「先日魔法師団に協力要請の手紙を送った件ですが――返信が来ました」
「なんて...?」
「内容は確認できないですが、明らかに開けると呪いが発動するタイプの封書が届きましたよ」
「これは思ったより相当恨まれてますね...」
クリスが頭を抱えていると、アイリスは立ち上がってミハイルに手を差し出した。
「え?」
「ちょうだいその封書」
「あ...はい」
ミハイルは保管してあった封書を手渡すと、アイリスはなんの躊躇いもなく封書開け呪いをその身に受けた。
呪い効果は不明だが、慌てる2人を他所にアイリスは手紙の内容を確認して封書を机に置いた。
「ちょっと団長!!」
「すぐに医者を!」
「いいよ、痛みを与えるタイプの即効性だから。もう残ってない」
痛みを与えると聞いても眉一つ動かさなかったアイリス。
とりあえずミハイルは急いで治癒師を呼びに行ってクリスは置かれた手紙の内容を確認した。
「お断り...ですか。それにしても封書に呪いとかとてつもない恨みですね」
「何があったのか詳しく聞いて直接出向いた方がよさそうね」
アイリスは頭を抱えつつもソファーに座った。
痛みを与えられた時――一瞬だけ声が聞こえた気がした。
呪いは術者の想いが強く反映される場合があると聞くが、もしかすると聞いた声は術者の本音なのかもしれない。
「人殺しか...」
確かにいざこざはあったものの死傷者はいなかったはず。
なのに人殺しとはどういう意味なのか...事件の詳細を詳しく把握して、かつどの勢力にも加担しそうにない人がいるならその人から話を聞きたいところではあるが。
「あ、居た」
アイリスは思いついたように席から立った。
突然立ち上がったアイリスに驚いたクリスだったが――お構いなくアイリスは剣とマントを持つ。
「クリス、ちょっとリーシャ様に会ってくる」
「団長!せめて治癒師に見てもらってからにしてください!」
クリスが止める言葉も聞かずに、アイリスはそのままリーシャが住む館へ向かうのであった。
※※※
第5姫リーシャ・リリスティアが住む館は街から少し離れた場所に建てられている。
基本的に王族は王宮内に住まうが、リーシャは自分で館を購入してそこに住んでいる。
警備隊はおらず、館の外からみたところ使用人の数も多くない...警備体制は最悪、いつ暗殺されても可笑しくないと思うところだが――
「...ここじゃあない?」
アイリスは直感でリーシャがここに住んでいないことを感じた。
表向きの館...リーシャ・リリスティアはここには住んでいない...どれだけ探そうにも、あのメイドの気配がない。
鬼族である彼女の気配は人間とは少し違う...だからここに彼女が居れば館付近からも察知できるはずだ。
居そうな場所を他に知らないため、手紙を書いて謁見をお願いするしかないと諦めた時――後ろから声をかけられた。
「アイリス騎士団長様...?」
市場で買い物をしてきたのか、紙袋を持った鬼族のメイド、ユイがアイリスを見ていた。
声を掛けられるまで気配に気づけなかったアイリスは驚いて思わず一歩引いて剣に手をかけてしまった。
「ユイさん...?ご、ごめんなさい!」
ユイの姿を認知した後に地面に頭がつきそうな勢いで謝罪するアイリスを見てユイも慌てて謝罪をする。
「ご、ごめんなさい...見かけない気配だったので...近づくまで警戒してまして...ごめんなさい!」
「いえ、こちらこそ知らせもなく突然訪問してしまって!」
しばらく謝罪合戦のうち、見かねリーシャがユイの頭に軽くチョップを入れて呆れたようにアイリス団長を見つめる。
「いいから、もう人の家の前でペコペコするの止めてくれない?」
「リーシャ様...いつの間に....」
「まあ、詳しい話は家でするから」
リーシャはユイが抱えていた荷物を持って先に正門に向かう。
2人はお互い見つめて照れくさそうに笑いつつリーシャの後に続いて館へと入っていった。
※※※
アイリス団長の読み通り、館自体は仮住まい...実際館全体は偽装のために手入れしており、本住まいである場所は館の一室のドアをゲートとした別の土地に存在していた。
リーシャとユイ以外は特別な装備を身に着けないと入れない仕組みとなっており、館で働いている使用人たちすらこの事実は知らない。
「空間魔法のアーティファクトは高いでしょうに...」
「近々相場下がるわよ。技術革命が起きるからね」
「え?」
「3年程前から動いていたけど、保護する体制も独占できる体制も整ったし、数は作れないけど王国を通して普及する手はずになってる。あ、これ機密ね」
さらっと機密を話したリーシャだが、彼女にとってみればこれはもう「終わったこと」なのだろう。
荷物を置いたリーシャにユイが近づいて服などを整えている間、リーシャはいたずらっ子のように笑う。
「何しに来たか当ててみようか。当てれたら1つだけ言うことを聞きなさい」
「姫様が外したら何か貰えますか?」
「そうね――何でも用意してあげたいけど。あなた物欲とかあんまりなさそうだし...」
「冗談です...姫様から何かを貰おうなんて思ってませんよ...」
「つまらないの。で、魔法師団と第4騎士団のいざこざだけど」
最初から勝負にもなっていなかった。
リーシャはアイリスが自分を頼ってくるなら魔法師団のことだろうと分かっていたのだった。
先程の空間魔法のアーティファクトといい、リーシャは魔法技術関連に個人的資産を多く投じて支援している。
その事はクリスやミハイルの事前情報で知っていたため、魔法師団とも関わりが深いと確信していた。
でもリーシャの支援はあくまで個人資産で行っているため、王族としての立場ではない。
貴族派閥とも王族派閥にも属さない中立な貿易港の運営を実現しているリーシャ...客観的に事件の詳細を聞くなら一番適任だ。
「魔法という学問は想像を絶する時間と知識を必要とするの。魔法師団に取り込まれている多くは元々個々で研究する組織を寄せ集めたもの。魔法師団が設立されてから万象の大樹というものを構築して知識を貯蔵してる」
人間が魔法を使えるようになったのは比較的最近...それまで人間は魔法という技術を確立出来ていなかった。
それまで人間における魔法の定義は、エルフが使う精霊術。
その形態での魔法を扱えるのはごく一部の選ばれた者のみが行使できるいわば奇跡とされ、神聖しされていた。
精霊を使わず己の力で魔法を行使できるようになったが...それは精霊術への冒涜とされ、主に貴族の間で魔法は忌み嫌われるように。
魔法師団結成時も風当たりは強かったが、彼らは着実に成果を上げてきた。
過去から積み重ねた膨大な知識と、経験...それらを着実に受け継ぎ、重ね今の魔法師団の位置を確立されている。
その基盤となっているのが、魔法使いのみ扱える膨大な図書館...それが万象の大樹である。
「万象の大樹は特別な苗木を育てて作るらしいけど、大樹にも寿命がある...今の大樹は5代目、事件が起きたのは4代目の寿命間近だった頃の話よ」
魔法使いの知識と意思を込められた大樹には精霊のような存在が宿っており、彼または彼女が大樹の意思とされている。
そして、魔法師団に入ってくる人は孤児が多く...迷える彼らを温かく迎えてくれる大樹は魔法使いたちにとって母であり、父である存在だった。
寿命が近い大樹は役目を次の大樹に引き継いだのち、伐採され魔法使いたち杖となる。
第4騎士団はそれにいちゃもんをつけ、伐採された大樹は杖としての素材価値があるため、魔法師団の予算分配を減らすべきだと主張した。
「いいところの出が多い第4騎士団は、予算管理がずさんだったし...まあ要するにいちゃもんってこと」
魔法師団は大樹を素材として売ることはないと資料も提出し、正当性が証明され予算分配が変わることは無かった。
だが、それを気に入らなかった第4騎士団は大樹を伐採する日取りの前に乗り込み勝手に大樹を伐採し、手間賃を要求した。
「大樹とちゃんとお別れが出来なかった魔法師団は大激怒して第4騎士団と流血沙汰に発展したって感じ」
「...」
思ってたより根深い問題にアイリスは思わず頭を抱える。
第1騎士団は長らく国境付近で駐屯し、警備していたため他の騎士団とは交流がかなり薄い。
主に魔獣との攻防がある国境では身分など関係なく実力に見合ったものを編成し、時には傭兵の助けも借りる。
騎士とは...常に何かを守り、貫き通すもの...アイリスが追ってきた騎士はそうであり、身分で決まるものではない。
「第4騎士団の行動は理解しがたいですが...同じ騎士団として恥じねばいけませんね」
事の真相を聞き終えたアイリスは静かに席を立つ。
「魔法師団にいくつもり?」
「はい、協力に応じて貰えずとも...騎士団として謝罪はしたいです」
「それ、他の騎士団を敵に回すことになるわよ。貴族派も黙ってないし。あなたもメンツが――」
「リーシャ様...申し訳ございません。私はあまり賢い方ではないので難しいことは言えませんが」
アイリスはリーシャに深く頭を下げる。
「私は自分が正しいと思ったことを行ないます」
「...」
アイリス・メルビー...最年少で騎士団入りを果たして、最年少で騎士団長になった人物。
天性の肉体と厄災ベヒーモスを討ち取った英雄...そしてリーシャにとっても特別な意味を持つ人物。
「ユイ」
「はい...リーシャ様」
「同行してあげなさい。あなたが居れば話ぐらいは聞いてくれるでしょう。私の名前も出しなさい」
「かしこまりました」
「えっ...ど、どうして...」
アイリスが驚いていると、リーシャは嬉しそうに笑いながらアイリスの肩を掴む。
「私は嫌いなことが沢山あるの。その中でも借りっぱなしっは特に嫌だから。利子ぐらい先に返しおかないと」
リーシャはユイに目配せして席を立つ。
「私は執務があるから、晩御飯までにはユイ返してよね」
「ありがとうございます!リーシャ様!」
奥の執務室に入っていったリーシャの後ろ姿にいつまでも頭を下げるアイリス。
扉を閉じる前、リーシャはアイリスを見てこうつぶやいた。
「まったく...私の英雄様はお人よしが過ぎるわね」
※※※
王城へと戻る馬車の中、リーシャの専属メイドであるユイと二人っきりの空間...
ちゃんと話したことがないため、お互い若干の気まずさを感じていると――
「アイリス様は、先程の話を聞いて責任を感じておられますか?」
ユイの質問になんとなく目線を反らしていたアイリスは視線を向けて答える。
「第1騎士団と第4騎士団とあまり接点がないにしても...同じ王国騎士団としてあってはならないと思ってます」
「...アイリス様はお強いのですね」
「いや...まあ、最近は事務仕事ばっかりで弱くなってるかもですが」
冗談交じりで言葉を交わすと、ユイは嬉しそうに笑った。
顔が見えなくとも、彼女が嬉しそうに微笑んでいる姿が見えるような気がしたアイリス。
歳は自分と近いのだろうか?大人びた姿と、自分には決して不必要ながらも女性としては魅力を感じてしまう放漫な胸...歳が近いことはいいことだが、何故か自分の姿に嘆いてしまいそうなので、離れていることを願うアイリス。
でも...先ほどユイが問いかけたことは、本人の境遇への迷いもあるのだろう。
自分とは関係ない責任...その一番の被害者であるユイは、今回の事件でかなり心を痛めているのだろう。
「この件が無事終わったら...王都を案内してもらえませんか?まだこっち来たばかりで色々分からないですし、お礼もしたいので...その...」
「え...?」
「あーーえっーーと、まあ空いてる時とかでいい...あっでもリーシャ様のお傍を離れるわけには...あっでも今は離れているわけだし...」
あたふたと慌てているアイリスを見て、ユイは優しくその手を掴んだ。
「ワタクシで宜しけば是非。リーシャ様もアイリス様とご一緒に行きたいと仰るはずです」
「あはは...王族を連れて街を歩くのは中々大変なのですが...」
魔法師団との話し合いは不安だらけであったが、ユイが掴んでくれた手の温もりが自然とアイリスの緊張を緩和するのであった。
※※※
アイリスが出ていったあとの執務室――魔法師団の呪いの封書を見た治癒師は大きくため息をついた。
「いたずらにしては度が過ぎますね...ステージⅢ以上の痛みを発する呪いです」
「ステージⅢって...」
「おおよそ剣で腹を貫かれた時の痛み...人によって感じ方は違いますが、即効性とはいえかなりの苦痛だったでしょう」
治癒師の言葉にミハイルが驚く中、クリスはアイリスが出たドアを見て表情を硬くした。
「昔から...痛みに鈍感な子でしたが...今かなり酷くなっているみたいですね」
「クリス副団長は...アイリス団長と同じ孤児院で育ってって聞きましたが...」
同じ孤児院で育ち、先に騎士団入りしたクリス...歳の離れていたアイリスは彼を慕い、憧れ騎士団に入ってきた。
騎士団に入ってからも休暇を利用して孤児院に訪れたが、アイリスの身体能力の高さは幼くして常人の域を超えていた。
だが――それと同時に彼女が失ったものがある。
「....あの子は身体能力に秀でていました。闘気の操作も神業と言えます。ですが――」
クリスは彼女が抱えている欠陥をよく知っている。
特にベヒーモスを討伐し、その力を存分に活用できる機会が増えてから如実に表れた欠陥。
「アイリスは...体の感覚がかなり薄れていってしまっているようです」