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お嬢様と「お嬢様」の恋は難しい

作者: りつりん

「皆さん、ごきげんよう」

 都内のとある女子高。

 日本各地から精鋭の中の精鋭お嬢様が集まるこの学園でひと際存在感を放つ少女が一人、校内を悠然と歩いている。

 その髪は太陽の光を反射しているはずなのに太陽よりも煌めき、その瞳はこの世の全てを寛容するように深く、その唇は男女問わず琴線を刺激するラインと発色を有している。

 完全完璧美少女。

 その表現がピタリと当てはまる少女。

 そんな彼女は周囲に笑顔を振りまきつつ歩を進める。

「きゃー、莉瑠香様よ。挨拶をしていただけるなんて夢のよう。もう死んでもいい」

「私のような卑しい豚にもご挨拶をいただけませんでしょうか?」

「ごきげんよう」

「「「「「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」」」」」

 彼女の瞬きが、彼女の声が、彼女の纏う空気が、その全てが学園の女子たちを熱狂させる。

 京本莉瑠香(きょうもとりるか)

 日本のお嬢様業界に彗星のように現れたその美のつく少女は二年生にして最高峰。

 二年生にして最上級。

 まさにお嬢様の中のお嬢様。

 なんならお嬢様の上のお嬢様。

 (じょう)お嬢様と言っても過言ではない存在だった。

 そんな彼女をお嬢様たらしめるもの、それは彼女の行動力にあった。

 彼女は親の力に頼ることなくお嬢様に自身で上り詰めたのである。

 高校入学直前に日本国内で起業した化粧品会社、アパレル会社各四社、その全てがあっという間に日本のトップへと躍り出た。

 従来のお嬢様像とは異なるお嬢様の新しい形に学園、いや日本中のお嬢様が熱狂していた。

 半年前に開設したSNSアカウントのフォロワーはあっという間に二十万お嬢様、五十万パンピーを超え、それと同時にさらに業績も飛躍的に伸びていった。

 お嬢様の支えるお嬢様。

 お嬢様による上お嬢様のための強力な経済循環は新しいトレンドとして日本のお嬢様だけでなく、多くの国民をも巻き込んでいった。

 そんな生え抜き上お嬢様を遠くから見つめる不機嫌な顔をした並お嬢様が一人。

「ふん。朝からご機嫌なことですこと」

 彼女は八頭司早苗(やとうじさなえ)。この学園の一年生である。

 彼女にとって目に映る上お嬢様は学園生活において邪魔なものでしかなかった。

「なんであの人はこの学園にいれるのかしら」

 シルクのハンカチを噛み締めながら早苗は憎らしさしかない表情を浮かべる。

 彼女がこの学園に入学したのはもちろん彼女自身がお嬢様であるということがある。

 父は日本屈指の食品企業の社長、母は関東地方において絶大な勢力をもつファミレスの副社長。

 そんな恵まれたお嬢様ベースをもつ彼女がこの学園に入学したのはある種の必然であった。

 しかしそれ以外にも理由があった。彼女の個人的な理由が。

「私に触れていいのは、私と同じ空気を吸っていいのはお兄様だけなのに……」

 彼女の怒りを一心に受けたシルクのハンカチはものの見事に引きちぎれてしまった。

 そう、彼女は自身の兄以外の異性を避けたくてこの学園に入学したのだ。

 早苗は兄を愛していた。

 もちろんそれが禁断の感情であることは重々承知の上で。

 その思いを兄に伝えることはできない。

 そう考えていたからこそ、せめて自身を律し、兄以外の男性を感じ取ることのない環境に身を置くことで兄への思いを心の中でより良きものへと、未来へと繋がる生産性のあるものへと昇華させたいと願っていたのだ。

 そう思って入学した学園。

 女子高。

 そう、女子高。

「京本莉瑠香っ!」

 早苗は二枚目のハンカチを取り出した。

 もちろんシルクである。

 まだ名はない。

 そう、早苗は莉瑠香の秘密を知っている。

 早苗しか知らない莉瑠香の秘密。

「どうして男なのにこの学園にいるのよ」

 それは莉瑠香が男であるという事実である。

 事の発端は早苗が入学式の後、気ままに校内を散策していた時に遡る。

 これからの新しい学園生活にお嬢様でありながらも人並みにウキウキしていた早苗。

 そんな彼女は隅々まで学園内を探検したいと思い、軽やかな足取りで人気の少ない場所へと足を踏み入れていた。

「んん? あの人は」

 そんな彼女の視界に映りこむは莉瑠香。

 もちろん早苗も上お嬢様である莉瑠香の存在は把握しており、今後の学園生活を考えると挨拶をしておいた方がいいだろうと思って近づこうとした矢先、莉瑠香のスカートがふいに捲れた。

 春風も罪作りである。

「はえ?」

 素っ頓狂な声が早苗の口から漏れる。

 お嬢様として素っ頓狂な声を出さないようにしてきた彼女からすれば、そんな戒めなどどうでもよくなってしまうくらいのものが視界に入り込んできてしまったのである。

 莉瑠香のスカートの下から顔を覗かせたのは、上お嬢様である莉瑠香のお股様に存在していたのは男性のシンボル。

 早苗は実物を見たのは初めてであったが、それが何なのかは理解することができた。

 できたからこその素っ頓狂である。

 そう、日本お嬢様業界を代表する上お嬢様である莉瑠香はノーパンで校内を闊歩し、あまつさえまさかの秘部露出をしてしまったのだ。

 偶然か必然か。

 それはわからないが、確実に早苗は見てしまった。

 幸い、スカートが捲れると同時に莉瑠香の視界も塞がれたため、早苗はその隙をついて木陰に身を隠すことができた。

 お嬢様らしい賢明な判断である。

 それ以来、早苗は莉瑠香が男であるという事実に悩まされ続けた。

 皆の憧れの上お嬢様が男であるという衝撃的な事実を自身の中でどう消化すべきかを。

 そしてあの衝撃的な映像に如何に記憶の中でモザイクをかけるのかを。

「思い出しただけでめまいが……。っ! まずいですわ。目があいました」

 莉瑠香と遠目に目が合った早苗は急いで身を隠す。

 しかし時すでに遅し。縮地かなという速さで莉瑠香は早苗のもとへとたどり着く。

「ごきげんよう」

 季節は夏に入りかけた六月中旬。

 既に蒸し暑さが顔を覗かせている時期にも関わらず、早苗のそばへと来た莉瑠香はその蒸しも暑さも全く感じさせない笑顔で挨拶をする。

 莉瑠香は目が会った女生徒全てに挨拶をする、というポリシーを持っていた。

 さすがである。

「ごごご、ごきげんよう」

 一方、早苗は古びた神社にある池のように濁った声で挨拶を返す。

 莉瑠香の取り巻きはそんな彼女に冷たい視線を送る。

 なんでこんな子にまで莉瑠香様がわざわざ足を運んで挨拶をするのよ。

 なんでこんな子にまで莉瑠香様がわざわざ縮地を使うのよ。

 といった嫉妬の感情を乗せた視線を。

 縮地使ってた。

 しかし早苗はそんな視線を意に介すことはなかった。

 彼女の目に映るは兄への思いを邪魔する存在のみ。

「それではまた」

 莉瑠香は挨拶だけすると取り巻きを引き連れながら校舎の中へと入っていった。

 残された早苗は拳を握りしめる。

「きっとあいつが男だって言っても誰も信じてくれない。だからこそ、決定的証拠を掴まなきゃ」

 早苗は兄に誓った。

 自分の操を自分で守ってみせる。

 兄への思いを完遂してみせる。

 だって、私は兄さまを愛してるんですもの、と。



 莉瑠香が学園内にいる間は常に誰かしらが周囲にいる。

 最も近くには生徒、遠巻きには警備する側近。

 早苗が莉瑠香の秘密の決定的証拠を学園内で確保するにはこの二つの壁をなんとかしなければならなかった。

 特に取り巻きの生徒群はもはや一つの共同体のように機能しており、莉瑠香の動きに合わせて水平方向にその形を変える。

 そして、時には垂直方向にも形を変えていた。

 必要性と必然性はわからない。

 たまに見かけるとどこが一人一人の足でどこか手なのかわからないようなフォーメーションを組んでいたりする。

 もはや人間という生物の域を逸脱した形状に思わず通り過ぎる人々も凝視してしまっていた。

 そして今まさにその形状である。

 怖い。

「あの状態で周囲の状況がわかる彼女もすごいわね」

 早苗は側近よりも離れた場所からターゲットを確認する。

 早苗は如何にして証拠を確保するか、その策を複数考えてきていた。

 まず一つ目は、『あえて形のある証拠を残さない』という作戦である。

 例えば莉瑠香が男であるという証拠写真を撮れたとしても、加工技術が進歩した現在、その写真を素直に莉瑠香のものとして信じてくれる人は多くはないだろう。

 特に彼女は上お嬢様。

 その立ち振る舞いからは一切男を感じ取ることはできない。

 そのため、証拠写真をバラまいてもバラまいた側が不利になる可能性が高い。

 それこそ匿名でばらまいたとしても、お嬢様力総動員で犯人をあぶり出すだろう。  

 学園ドラマのように皆が簡単に信じてくれる時代ではないのである。

「だからこその衆人監視の中での暴露よね」

 早苗は常に莉瑠香の周りに人がいることを逆手に取り、それらの取り巻きの前で彼女の秘密を暴けばいいと考えたのだ。

 噂には尾ひれがつく。

 それが莉瑠香という日本を代表するお嬢様ならなおのこと。

 取り巻きも様々な感情を抱いて傍にいるはず。

 純粋な憧れ。

 不純な憧れ。

 妬み。

 嫉み。

 損得勘定。

 それらの感情が、理性が、本能が、莉瑠香は男であるという決定的証拠を前にどのような振れ幅を見せるのか、早苗にも予想はつかない。

 それでも大きなうねりとなってこの学園を、そして日本を巻き込むことは様に想像できた。

 そのための彼女の起こした行動は非常にシンプルであった。

 お嬢様であるがゆえにお嬢様は想定外のトラブルに弱い。

 生え抜きお嬢様の莉瑠香は別にして取り巻きはまさに、である。

 つまり莉瑠香は常にトラブルに弱い取り巻き層をトラブルに強い側近との間に挟んでいる。

 だからこそ、彼女はその取り巻きと莉瑠香しか視認できないトラブルを起こすことにしたのだ。

 ナイース。

「漆黒のスピードスター、発射っっっっ!」

 早苗は垂直方向に展開する取り巻きの隙間を狙って、特注のモデルガンから偽物のゴキブリを内包した弾を発射した。

 そう、彼女は中三にして発症した中二病を未だに引きずっていた。

 しかもダサい。

 弾は対象に着弾すると同時に、偽物のゴキブリがべっとりと貼りつくようになっている。

 莉瑠香のスカートにゴキブリが貼りついた時、お嬢様連中はどのような反応をするのか。

 逃げるもの、気を失うもの、様々だろう。

 ただ、莉瑠香への忠誠心の強い取り巻きはそのゴキブリを何とかしようとするだろう。

 しかしそこはお嬢様。

 ゴキブリへの対処など知りもしないはず。

「思い切ってスカート脱がしちゃってね」

 もし脱がせられなかったとしても、確実に取り巻きの何人かは莉瑠香の下半身を触る。

 その時に気づくだろう。

 女子にはあり得ないその膨らみとその膨らみのもつ感じたことのない生暖かさに。

 予定通り、垂直方向取り巻きの隙間を抜けた弾は莉瑠香へと着弾した。

 同時に爆ぜる。

 隙間はおよそ十センチもなかったであろう。

 彼女はこの日のために専属のコーチをつけて鍛錬を積んできた。

 それはもう血を吐くような努力であった。

 正直、その姿勢に教える側も引いていた。

 早苗は真面目である。人に嘘をつくのが苦手である。

 だけれども、秘密は保持したい。

 そんな性格だったのでコーチには『愛する人を、そして私自身を守るためです』と伝えていた。

 コーチはただ作り笑いを彼女に向けるしかなかった。

 大人とは気遣いをする生き物である。

 そんな彼女の努力は身を結んだ。

 予想通り取り巻きたちは大慌てである。

「やったぁ、っとっとととととと」

 着弾の喜びと遅れてきた発射の反動で早苗は後ろに大きく態勢を崩してしまった。

 後ろを振り返る早苗の視界に映りこむのは学園一急な階段として悪名高い階段。

 デスステップであった。

 普段はその傾斜と足場のなさに誰も使わないし、そもそもこの階段が学園内にあることも謎なのだが、だからこそ早苗はその存在を見落としてしまっていた。

 五年ほど前に当時の校長がイキってたまには使わなきゃねと言って利用した挙句に足を踏み外し、尾てい骨をしこたま骨折したのはあまりにも有名である。

 そんな勇敢な彼女の銅像が校庭に建てられたのはまた別のお話。

「やば……」

 その存在に気づいた時には時すでに遅し。

 彼女の体は吸い込まれるように鬼傾斜へと傾いていく。

 脳内に駆け巡るは走馬灯。

 走馬灯は十二分割されており、その全てに彼女の兄の顔が映っていた。

 そう、家電量販店のテレビ売り場方式の走馬灯である。

 しかし、家電量販店に行ったことのない彼女は純粋に整然と並ぶ兄の顔に埋め尽くされる脳内で幸せを感じつつ、脳天をかち割る形で訪れるであろう死を受け入れるしかなかった。

 さようならお兄様。

 先立つ不孝をお許しください。

 早苗は固く目をつぶった。

 しかしその瞬間は永遠に訪れなかった。

 そして背中に感じる何かの存在。

 恐る恐る目を開けるとそこには

「大丈夫?」

 先ほど弾を受けたはずの莉瑠香の顔であった。

「ぎゃひっ?」

 あまりの衝撃に早苗はこれまで出したことのない声を喉から発した。

「大変。恐怖のあまり動揺していらっしゃるのね。保健室に行きましょう」

 莉瑠香は早苗の背中を支えつつ、手すりを掴んでいた。

 男であったとしてもキツイはず。

 莉瑠香の腕が震えているのが早苗はわかった。

 そしてそのままぐっと引き寄せされる早苗。

「どなたか、お手をお貸しいただけませんこと?」

 上お嬢様の呼びかけにすぐさま応じる生徒たち。

 あっという間に早苗は大勢の生徒に囲まれ、保健室までの生徒流にのまれてしまった。

 この生徒流にのまれて目的地までたどり着けなかったものはいない。

 早苗は速い流れの中なんとか後ろを振り返る。

 視界に捉えた莉瑠香は笑いながら上品さという概念を腕に込めたような笑みを称えていた。

 早苗は少しばかりの感謝と悔しさを胸に秘め、さらなる飛躍を心に誓うのであった。

 今度こそはあなたの正体を白日のもとに晒して見せますわ。

 そう固く決意をするのであった。 


☆ 


 一週間後。

 早苗はあの後、失敗要因について考えていた。

 助けられたことはいいとして、明らかに彼女のスカートには粘着性の高い物体が張り付いたはず。

 なのに、私を助けたときの彼女のスカートには何もついていなかった。

 しかし確実に着弾したことは間違いない。

 早苗はその時の光景をつぶさに思い出していた。

 そして気づく。

 着弾したスカートと早苗を助けたときのスカートが別物であることに。

 最初に履いていたスカート、いわゆる第一フェーズスカートは膝下二センチであった。

 それにも関わらず、第二フェーズスカートは膝下一・五センチしかなかったのだ。

 早苗は普段活躍することのないスキル『アルティメットメーター(長さ丸わかり)』を持っていた。

「ふふっ。まさか活躍するときが来るとはね」

 誰もいない夕暮れの教室で呟く早苗。

 その頬には喜びが満ちていた。

 そう、つまり莉瑠香は二重に履いていたスカートを騒ぎに乗じて一枚脱ぎ捨てただけなのだ。

 早苗の作戦は間違っていなかった。

 しかし、まだ莉瑠香という上お嬢様に対する理解が足りていなかっただけ。

「用意周到ね。いえ、それだけ隠し通したいという意志の表れでもある」

 早苗の目に再び闘志が蘇ってきた。

 情報は人を強くする。

 情報は人の心を押してくれる。

「そこまで隠したいというのであれば、こちらも暴きがいがあるというもの。待ってなさい。京本莉瑠香。必ずやあなたの秘密を白日の下に晒してあげるわ」

 次なる作戦へと早苗は一歩、踏み出した。



 第一作戦決行から一か月。

 早苗は次の作戦へと動き始めていた。

「ぷあっ」

 自宅の敷地内にある五十メートル八レーン仕様の第二プールの水面から顔を出す早苗。

 日課である早朝二キロ遠泳を済ませた彼女の顔は晴れやかだった。

 そう、彼女はストイックである。

 愛する兄のために肉体を鍛え上げる。

 兄の傍にいても兄に恥をかかせることのないよう、彼女は体作りに余念がない。

「今日からいよいよ第二作戦決行ですわ」

 プールサイドで早苗を見守っていた専属第一メイドから特製のスポーツドリンクを受け取りつつ、彼女は静かに闘志を燃やす。

 前の作戦実行からあえて期間を空けた。

 やはり上お嬢様はガードが堅い。

 あの作戦のあとすぐに、取り巻きはさらにその勢力を拡大し、四次元にまでその勢力を伸ばしていた。

 もはや疑似ドラえもんである。ドラえもん?

 そして側近は距離をいつも通り取りながらもその数は二倍にまで増加していた。

 前の作戦の余波が収まりかつその厳重になったガードをいかにして搔い潜るのか、そのことを思案する時間が必要だったわけだ。

 次なる作戦も非常にシンプルであった。

 彼女はシンプルなモノが好きだ。

 それゆえに無印良品という存在を知ったときは思わず声を出して喜んだ。

 ただ、それだけ。

「水泳の時間帯を狙うわよ」

 早苗はドリンクを一気に飲み干した。

 専属第一メイドは早苗の独り言の多さが心配だった。

 ちゃんと学校にお友達がいるのか心配だった。

 しかし彼女はそんな心配をおくびにも出さない。

 八頭司家のメイドは主との距離感の取り方がいいと巷では評判である。



 学園では授業の一環で七月に入ると水泳が行われる。

 もちろんお嬢様ばかりなので、プールにはコラーゲンが多分に含まれている。

 泳げば肌プルプルである。

 飲めば背徳感とともにもっと肌プルプルである。

 そんな莉瑠香は水泳の授業ももちろん出席する。

 水着が恥ずかしいという思春期の悩みは莉瑠香にとってあまりに意味をなさない。

 なぜなら莉瑠香はお嬢様の中のお嬢様。

 上お嬢様だからである。

 上お嬢様は何事も全力、そしてスマートにこなさなければならない。

 例え大事な商談中でもあっても彼女は授業を休むことはない。

 マルチタスクに長けた上お嬢様。

 莉瑠香が本当は五人いるのでは? という噂も生徒間では立つくらいだし、何なら取引先の企業の社長全てが莉瑠香は十人はいるはずと信じてやまない。いない。

 莉瑠香にその意識があるかどうかは定かではないが、その立ち振る舞いは周囲へと絶大な影響を与えていた。

 そんな莉瑠香に思いを馳せつつ、早苗はコラーゲンどっぷりのプールに浸かりながら思考を巡らせる。

 今日のプールの授業は莉瑠香のクラスの後なので水の減りが酷い。

 本来なら一メートル三十センチほど水深のあるプールの水位は今現在五十センチである。

 座らざるを得ない。

 莉瑠香が授業中のプールの水の減りは早い。

 これは公然の秘密である。

 だから誰も水が膝ほどであっても気にしない。

 むしろ未だ減り続けている。

 莉瑠香は男にも関わらず、学校指定のタイト目の水着を着ている。

 早苗は何度か確認したが股間の膨らみは見られなかった。

 おそらく何かしらの対策を講じているのだろう。

 そしてそれよりも気になるのが胸の膨らみである。

 莉瑠香はベストボディである。

 なんならベストボディジャパンに出場していないのに、ベストボディジャパンである。

 手足はすらりと長く、顔は小さく、肌は白く、お尻はキュッと締まり、そして胸はバインである。

 その通常の女子よりも大きな膨らみは水着の時により強調される。

 男である莉瑠香があの大きさの疑似胸部を維持するには相当な苦労があるだろう。

 そして何よりも大きさゆえにその存在は不安定であろう。

 水泳をする分には問題ないようだがが、きっとそれ以外の衝撃には弱いはず。

「だからこそ、そこを狙うべきよね」

 早苗は基本的にお嬢様らしく上品である。

 おっぱいなんて言葉を使うのは恥ずかしくてできないのである。使えばいいのに。

「決行は明後日ね」

 早苗はまた独り言を呟いた。

 そんな様子を見た担任は心配になる。

 入学して数か月、いまだに早苗が友達らしき人と話すところを見たことがない。

 もしかして彼女にはイマジナリーフレンドがいるのだろうか。

 担任は前に見た世にも奇妙な物語を思い出す。

 だが担任は声をかけることはしない。

 なぜなら学園の校訓の一つに『自主創造』とあるからである。

 イマジナリーフレンドがいるなら自主創造してる。

 担任は何かをはき違えている。



 そして第二作戦決行の当日。

 早苗は普段よりも二時間ほど早く自宅を出た。

 もちろん、運転手付きの高級車による送迎である。運転手に時間外手当は支給されるので安心してほしい。

 学校に着くや否や、彼女はプールへととある仕掛けを施した。

「これであの人も終わりですわ」

 早苗はその時を待った。



 数時間後。

 莉瑠香のクラスのプールの時間帯。

 相も変わらず水の減りが早い。

 クラスの九割の生徒がばれないように水を啜っている時間帯。

 莉瑠香はいつものようにクロールでそのしなやかな四肢を伸ばす。

 目は莉瑠香に、口はプールに。

 クラスにおける秘密の合言葉。

 彼女の泳ぐコースはいつも決まっていた。

 第八コース。

 プールサイド傍のレーンを彼女はいつも泳いでいた。

「お気楽なものよね。これから秘密が暴かれるとも知らずに」

 そんなターゲットの様子を早苗は自身の国語の授業を受けつつ、この日のために開発した特殊なコンタクトを着用して確認していた。

 早苗も莉瑠香同様、真面目である。

 授業をさぼるなど考えもつかない。

 そんな真面目な姿勢が周囲に評価されていることを早苗はまだ知らない。

 いや、知る必要はないのだろう。

 己と向き合うことが人生。

 周りの評価ばかりを気にしていては自分の人生を歩んでいけない。

 そう、国語担当の初老の先生は早苗の真剣な目つきを見て思う。

 将来が楽しみだ。

 そしてその時はやってきた。

 莉瑠香がプール端まで泳ぎ、ターンをした瞬間、早苗の仕掛けたトラップが発動する。

「行け、水着巻取り―の君一号」

 そう、早苗は中二病を脱したいと思いつつも素の自分のセンスがダサいことにも気づいている。

 今回のネーミングも中二病を抑え込みつつどんなに脳を捻り上げても巻取りーの君以外出てこなかった。

 そんな自分を素直に愛してほしい。

 そう、隣の席の神田さんは思っている。知らんけど。

 ターンした莉瑠香に迫ったのはプールの側壁から生えるようにして現れた二本の日本製のマジックハンド。

 そのマジックハンドは素早く伸び、そして彼女の水着の肩かけ部分へと迫った。

 水着を上半身から引きはがすために。

 スカートは二枚履きに負けた。

 しかし、これならば二枚着ていようがいまいが関係ない。

 さらには、水泳の時間帯なら取り巻きもやや距離をとりひっそりと水を啜っている。

 そしてなによりも取り巻きが遠い分、目撃者もより多くなる可能性が高い。

 完璧な作戦。

 早苗はそう信じて疑わなかった。

 その時までは。

「え?」

 早苗はすぐさま異変に気付く。

 マジックハンドは確実にターゲットを、そしてターゲットの水着を捉えている。

 なのに一向に水着が脱げる気配がない。

 それどころか、莉瑠香はさらにその勢いを増すようにして手足の動きを速めていく。

 さらに強まるマジックハンドの力。

 しかし、その日本製の屈強なハンドに掴まれながらも莉瑠香の水着は微動だにしない。

 莉瑠香の泳ぐ体の軸もぶれない。

 やはり彼女は世界を狙える。

 その泳ぎを見て体調不良の体育の先生の代わりに入った理科の先生は確信する。

「どうして?」

 そんな早苗の疑問に解が出るよりも早くマジックハンドは伸びないはずの部分まで伸び始めた。

 水が減っていることもあり、マジックハンドはその姿を徐々に露出させる。

 上がる火花。

 立ち上る煙。

 周囲が異変に気づき始めているにも関わらず、莉瑠香は上お嬢様であるがゆえの集中力でその泳ぎを緩めることはない。

 さすが、上お嬢様である。

 そしてとうとうマジックハンドは側壁から勢いよく剥がされ、宙を舞った。

 マジックハンドが設置されていた側壁の一部も勢いよく宙を舞う。

 まるで熟練の社交ダンスペアのように、はたまたアイスダンスのペアのように息の合ったそれらは小気味のいい回転をしながら、なんと早苗のいる教室へと飛んで行く。

 プールの場所はちょうど早苗のいる教室の真横にあった。

 いくらお嬢様学校とはいえ、大都会東京の都心付近で漫画みたいな敷地を確保することは難しかったのである。

 人口密集地・東京。

 お嬢様達は今日も人ごみの中で自身を強く持ち生きる。

 それはさておき、そう、特殊なコンタクトなど使わずとも視力両目ともに2.0の早苗なら十二分に横目でも莉瑠香の状況を確認できた距離である。

 早苗は作戦に溺れるきらいがあった。

「ちょ、ちょ、ちょ」

 慌ててコンタクトを外し、外を見る早苗。

 その目には仲良くいらっしゃいしているハンドと壁の一部。

 このままでは教室に、しかも早苗のいる場所にピンポイントで落ちてくる。

 早苗は恐怖のあまり動くことができない。

「危ない!」

 次の瞬間、飛んできていたハンドと壁はその方向を変え、校内のゴミ捨て場へと飛んで行った。

 何が起きたのか理解できず混乱していた早苗は、周囲の黄色い歓声によってその存在に気づいた。

「莉瑠香……」

 またしても早苗のピンチを救ったのは莉瑠香であった。

 莉瑠香は飛んで行ったハンドと壁が校舎に向かっていることを察知するとすぐさまプールから上がり、飛んで行った方向に向かって走り出したのだ。

 そして追いつくや否や得意とする飛び膝蹴り・二連撃をハンドと壁に見舞ったのである。

 さすが上お嬢様。

 膝の強さも足のバネも一流である。

 その日以来、膝を鍛えるジム、通称膝ジムが盛況となり全国に乱立するのはまだ少し先のお話。

「大丈夫?」

 莉瑠香は窓越しに早苗を心配そうに見つめる。

「あら? あなたはあの時の。また災難が身に降りかかってしまわれたのね。ん? そういえば以前木陰から私を見ていらしたのもあなたよね?」

 クスリと笑いながら、そっと莉瑠香は早苗の頬を優しく撫でる。

「っ……」

 早苗はその指を振り払うことなく甘んじて受け入れた。

 そう、早苗は道徳の授業が小学校の頃より好きであった。

 そうであるがゆえに人の好意からくる行為を無下にはできないのだ。

「そうだ。これも何かの縁ですわ。あなたお名前は?」

「八頭司早苗です」

「八頭司さん、私の家に遊びにいらっしゃらない?」

「え?」

 早苗は、断れない。



 プールでの作戦失敗から一週間後。

 早苗は悩んでいた。

「遊びにいらっしゃらない?」

 その言葉の真意を取りかねていたからだ。

 彼女、いや、彼は私のことをどう思って家に招くといったのか。

 わからなかった。

 そもそも、莉瑠香が自宅に学園の誰かを呼んだという話は聞いたことがなかった。

「いや、それよりもこの前の失敗の要因分析よ」

 早苗は頬をぴしゃりと叩き気持ちを切り替える。

 ルーティン。

 早苗の頬叩きは思考切り替えのためのルーティンである。

 高まる集中。

 高まる意欲。

 まずマジックハンドは確実に水着を捉えていたにも関わらずなぜ外れなかったのか。

 マジックハンドは最大一トンまでの力に耐えられるように設計されている。

 さすが日本製である。

 しかし莉瑠香はその力をものともせず、水着そのままに泳いだ。

 ここで早苗は莉瑠香に頬を触れられていた時のことを思い出す。

 水着は確実に水着だった。

 ボディペイントの線も考えたが、それならばそもそもあの胸を維持できない。

 ならばなんなのか?

 丁寧にその時のことを脳内で映像化し、優しく撫でるようにして観察した結果行きついた答えはまたしてもシンプルだった。

「フィギュアスケート的な?」

 そう、莉瑠香の水着は一見普通の水着なのだが、よくよく見ると肌の露出する部分には肌と同じ色の素材が縫い付けてあったのだ。

 もちろん、上お嬢様らしくその素材はすこぶるに質がいい。

 その素材の質は肌と何ら変わりなく、遠目に見ている限りは気づけないだろう。

 今回、莉瑠香が触れるほど近くに来たからこそ気づけたのである。

「さすが上お嬢様ね。自身の身バレ対策に寸分の隙もないわ。いやでも気づいたからと言ってもう意味はないわね」

 残念ながら第二作戦決行の失敗と壁の損傷により、今年のプールの授業は強制的に終了してしまったのだ。

 この情報が生かせるのは来年を待たねばならない。

 そこまで来るともう彼女の卒業は目の前。

 もはや一年待つことに意味はなかった。

「でもだからこそ家に行けるのはチャンスよね」

 早苗は前を向く。

 早苗はポジティブでいることに努めている。

 そのポジティブさはベッドメイキング担当の使用人にも伝わっていた。

 早苗のポジティブさによって毎日張りのあるベッドメイキングをしよう、そう思えた。

 早苗は早速次の作戦実行へと取り掛かった。

 莉瑠香邸への訪問は今週の土曜日。

 残りあと五日。



「ようこそ、おいでくださいましたわ」

 土曜日の昼過ぎ。

 早苗は莉瑠香邸へと着いた。

 玄関のドアが開かれると同時にあの階段のとき、そしてプールのときに感じた匂いが体中を包み込んでいった。

「こちらこそお招きいただきありがとうございます」

 早苗は兄以外の匂いに包まれたことに心が重くなりつつも、これは兄を思うために必要なことだと言い聞かせて中へと足を踏み入れた。

「奇妙な縁ですけれども、縁は縁。今日は一日楽しみましょう」

 言って、莉瑠香は早苗の手を引いた。

 その手はよく手入れをされており、そこから男を感じ取ることは全くできなかった。

 だからこそ早苗は決意を固める。

 皆を欺き、そして私の思いを踏みにじるこの男を許してはいけないと。

 二回助けられたからと言ってそれは彼に起因することであり、気に留めてはいけないと。

 固く決意をした。

 


「それでね、私の執事ったら……」

 早苗が足を踏み入れ一時間。

 アフタヌーンティーを取りながら二人は会話を楽しむ。

 莉瑠香はよほど楽しいのだろう。

 普段とは異なり、ややラフな笑い方、そして話し方をしている。

 いやむしろこちらが本質なのだろう。

 上お嬢様としての格を保つためにどれほどの苦労をしているのか。

 同じお嬢様として早苗は十二分に感じ取ることができた。

 きっとこうやって他人と気軽に話す機会が欲しかったのかもしれない。

 そう、感じた。

「って、騙されては駄目ですわ。あの方はあくまでも男。いくら上お嬢様として努力なさっていてもそれとこれとは話が別。」

 トイレを拝借した早苗は頬を叩く。

 第三作戦実行に変わりはない。

 早苗は今日何度目かわからない覚悟を決める。



「お待たせしてしまいましたわ」

 早苗はトイレから戻ると再び椅子へと座った。

 今回の作戦は第三者を巻き込むことなく実行する。

 二回の作戦に関して、自身の危険はともかく、他者へとその危険が及ぶことはやはり避けたかった。

 お嬢様として。

 いや、一人の人間として。

 第三の作戦。

 それは、早苗自身が目撃者となることであった。

 自宅に早苗を招いたということは何らかの特別なとまでは言わなくても、それなりに親しみの感情を抱いているのは間違いないと早苗は踏んでいる。

 だからこそ、今日ここで彼女の秘密を暴き、『初めて』知ったという体を取れれば莉瑠香自身を責めたて、学園をやめさせることができるかもしれない。

 そう考えてきた。

 そのために、彼女は行動を起こす。

「あの、失礼でなければ莉瑠香さんのお部屋を見せていただけませんこと?」

「私のお部屋ですか?」

「はい。最近私、模様替えをしているんですけれど、なかなか納得のいくものになりませんの。それで莉瑠香さんのお部屋を参考にさせてもらえればと……」

「そういうことでしたらもちろんですわ」

 莉瑠香はすっと立ち上がり、早苗に手を差し出す。

「さあ、こちらへ」

「……はい」

 早苗は胸が少しだけ高鳴ったのに気づいた。

 その高鳴りの正体が何のか、気づかないふりをして彼女は『彼女』の手をとった。



「素敵ですわ」

 莉瑠香の部屋は花に溢れていた。

 多種多様な花が壁に、天井に、小物に、家具にあしらわれており、それら全てが調和し空間を華やかな印象にしていた。

「おほめいただき光栄ですわ」

 莉瑠香は照れるように頬を掻いた。

「本当に素晴らしいわ」

「せっかくなのでここでお話しません?」

「もちろんですわ」

「では、執事に改めてアフタヌーンティーを用意してもらいますわね」

 言って、莉瑠香はドアへと向かい始めた。

 莉瑠香の見せた隙を好機と捉えた早苗は動き出す。

 そう、転倒を装い彼女のスカートをショーツごと引き釣りおろすのだ。

 そして男性の象徴であるモノの目撃者となる。

 まさにお嬢様らしさを捨てた捨て身の作戦。

 もう少しで手が届く。

 そしたら一気に……。

 鼓動がうるさいほどに高鳴る。

「いたっ」

 伸ばし切った早苗の手の甲に何かが当たった。

 天井を見上げた早苗の視界に映りこんできたのは、落ちてくる天井の破片。

「危ないっ!」

 莉瑠香の叫ぶ声と同時に部屋が轟音に支配される。



「ううっ。けほっけほっ」

 砂埃が占拠する視界の中、早苗はゆっくりと目を開ける。

 そこにいたのは莉瑠香。

 過去二度も見た似たような光景に彼女の心は跳ね上がる。

 なぜなら、それは今までの二回よりも距離が近いからであった。

「莉瑠香さん、血が……」

 莉瑠香の額からは血が流れ落ちる。

 崩れ落ちた天井の破片がどうやら当たってしまったようだ。

 しかし、痛みがあるはずなのに、莉瑠香は痛みをまるで感じていないかのような笑顔を早苗に向ける。

「大丈夫よ。あなたに何があっても私が守るわ」

 莉瑠香は早苗の頬を撫でる。

 その熱に堪らない優しさが込められていることを察するのは容易であった。

 もう、無理ですわ。

 早苗はようやく自身の気持ちに素直になれた。

 私この方のこと、好きになってしまってますわ。

 お兄様以上に。

 自身の心の動きについていけずに早苗の目からは大粒の涙が零れ落ちる。

 長年かけて築き上げてきた兄への愛情を無視するかのように入り込んできた目の前の『彼女』の存在に早苗はどうすることもできなかった。

「ど、どうされたの? どこか痛むの?」

 莉瑠香は心配そうに早苗を抱き起す。

「いえ、なんでもありませんわ。それよりも早くお医者様にお見せにならないと」

「え、あ、そうですわね」

「どうして笑うんですか?」

「いえ、早苗さんと私だけ、二人だけの間でなんだか不思議なことばかり起こるからおかしくって」

「特別って、べべべ別にそんなことありませんわよ」

 早苗はそっぽを向く。

 心の中で素直になってもそれが簡単に言葉になることはない。



 その後、騒ぎに気付いた使用人が押し寄せたり、結局血を流し過ぎて莉瑠香が失神したりと色々あったが、早苗が帰路に着くころにはなんとか全てが落ち着いていた。

「今日はとっても楽しかったわ。またお話しましょう」

 莉瑠香は帰り際の早苗を見送る。

 まだふらつくようで使用人が彼女を支えている。

「ええ、またぜひお話しましょう」

 そしていつの日か、その秘密を暴いてやりますわ。

 そう、早苗は心に誓う。

 どうせ好きになるなら、やはり男であることを暴いてから堂々とお付き合いしたい。

 そう思ったから。

 早苗はお嬢様ゆえにまっすぐである。

 これまでとはまた違う意図を持った信念をもって、早苗は帰路についた。

 その道中。

 車内。

 早苗は首からひっそりと下げているロケットペンダントを開いた。

 そこには幼い少年が一人、笑顔で写っていた。

「ごめんなさい、お兄様。私、別の男性に恋をしてしまったみたいです」

 そう、彼女の愛する兄は幼き頃に生き別れてしまった兄なのであった。

 生き別れてしまったがゆえに、彼女は兄を思い続けた。

 それがどれほど不毛なことかも知りながら。

 彼女は思い続けてきた。

 狂おしいほどの感情を抱きながら。

 気が付けば思いが愛に代わっていることにも気づくことができずに。

 しかしそれが今変わろうとしている。

 彼女はまだ知らない。

 その変化がどれほどの苦痛を、そして後悔を生み出してしまうのかを。

 しかし彼女なら大丈夫。

 なぜならそう、彼女はお嬢様なのだから。



「ふう、今日も守ることができたし、早苗にも大胆に近づくことができたな」

 早苗の帰宅後、莉瑠香はそっと胸ポケットから一枚の写真を取り出した。

 そこに映るはまさに今日、彼の秘密を暴こうとしていた早苗だった。

「しかし、あの子の不幸体質にも難儀させられる。まあでも、妹だから仕方ないか」

 そう、京本莉瑠香こと京本隼人は早苗の兄であった。

 幼い頃、海外旅行中に両親とはぐれ川に流されてしまった隼人は、運よく河辺に住んでいた農家を営む子なし夫婦に拾われすくすくと育っていった。

 もちろん、隼人の両親も血眼になって探したのだが、残念ながら見つけることができなかった。

 縁とは不思議なものである。

 そして十歳を迎えた日。

 ざっくりとその辺りの地域で成人となる日。

 隼人は自身が拾われた子であることを知らされる。

 隼人は育ての親への感謝は忘れることなく、しかし、生みの親に会いたいという思いからめちゃくちゃ金を稼いだ。

 もともと勉強はよくできる方ではあったが、その才が如何なく発揮された。

 育ての両親ビビってた。

 いくつもの会社を立ち上げ、財をなし、そして自身の生い立ちを徹底的に調べ上げた。

 そして十四歳を迎えた日、とうとう自身がどこで生まれ育ったのか、そして両親が誰なのかを知ることができた。

 そして故郷である日本で実の両親に再会するべく、はやる思いを抑えながら来日した隼人はとある存在に目を奪われてしまった。

「え? めっかわ。おおん」

 それは隼人の生き別れた妹、早苗であった。

 早苗は隼人と血は繋がっていない。

 早苗の両親は隼人の両親と幼い頃からの付き合いであったが、早苗が生まれてすぐ交通事故で他界してしまったのだ。

 そして、早苗は八頭司家の養子として迎えられ、隼人と本当の兄妹として育てられることとなった。

 隼人に小さき頃の早苗の記憶はあるものの、彼自身も彼女も幼かったこともありあまり鮮明ではない。

 もちろん、都合よく義兄妹であることも忘れている。

 都合とは良ければ良いほどいいものである。

 成長した『妹』はとても美しく、そして品があった。

 一目見た瞬間から隼人は早苗のことしか考えられなくなった。

 生みの親に会いたいなんてことはもうどうでもよくなった。

 むしろ今両親に会ってしまえばめっかわな妹をじっくり観察することなんてできなくなってしまう。

 そう考え、とりあえず隼人は気の済むまで妹を観察した。

 妹の自宅外での生活圏、その全てに監視カメラを設置した。

 その状況はリアルタイムで確認できるように、特注のコンタクトレンズを開発した。

 三日で。

 研究にも才があった。

 観察をし始めてすぐに妹のとある体質に気づくことになる。

「あの子、不幸が舞い込みまくってる」

 奇しくもそれが判明したのが隼人にとって何もない日だった。

 隼人はその日を「妹再発見記念日」と制定した。気持ち悪い。

 そしてすぐに調べ上げた。

 その不幸が舞い込む要因を。

 昼夜問わず、妹のプライベート無視で。

 燃え上がる使命感。

 焼け落ちる道徳的思考。

「そうか、早苗はお嬢様不幸体質だったのか」

 数週間後。

 隼人は電子顕微鏡を通してみた妹の遺伝子を見て確信する。

 そう、彼女はお嬢様不幸体質だったのだ。

 説明しよう!

 お嬢様不幸体質とは、お嬢様であるがゆえに家の方針とは別に自身の意思をもって決断をした結果として現れる不幸とそれを呼び込む体質の総称のことである。

 お嬢様は家の方針が絶対。

 なぜならお嬢様がお嬢様であるためには家の支援が必要であり、さらにお嬢様として自身の子もお嬢様にするにはやはり自身もお嬢様でいる必要があったからだ。

 お嬢様は生まれ落ちてから死ぬまでお嬢様ディスティニーからは逃れられないのだ。

 呪い、そう呼ぶのも君の自由だろう。

 そう、つまりお嬢様不幸体質とはお嬢様道から外れようとするお嬢様を引き戻すためのお嬢様神の作り出したシステムといっても過言ではない。

 実は早苗はその時すでに兄への個人的感情を理由に女子高への進学を見据えていたのだ。

 中学二年生なのにしっかりしている。

 もちろん、早苗の両親としてもお嬢様学校への進学を特に問題なく考えていた。

 そのため、早苗に舞い込む不幸は特段大きいものではなく、何もない道で躓く程度のものであった。

 しかし、隼人はそれを看過できなかった。

 もちろん隼人は彼女がどんな意思をもって自身の道を貫こうとしているのかまでは知らない。

 しかし、このまま妹が自身の意思を貫き続ければより大きな不幸を招くかもしれないことは容易に想像できた。

 その時兄として何ができるのだろう。

 悩みに悩み、仕事が疎かになり、二社ほど思わず売却してしまった頃、ようやく結論が出た。

「よし、早苗と同じ高校に行き、直接守ろう」

 果してこの結論が正しいのかは毛ほどもわからない。

 しかし、彼は使命感に燃えながら、日本での活動の基盤を築くために日本で会社を複数立ち上げ業績をあっという間に上げていった。

 さらに早苗が行くであろう女子高に通うために体を極限までシェイプアップし、メイク術を学んでいった。

 元々線が細く、中性的かつ端正な顔立ちをしていた彼はあっという間にその美貌を開花させていった。

 彼自身もその美しさのあまり、思わず自分をオカズにしてナニしたのは思春期的な秘密であろう。

 ちなみにこの時はまだ中学一年生だった早苗が進学する高校をどのようにして特定し、彼女が入学するよりも一年以上前に受験し、入学できたのかは企業秘密であるとして、晩年になっても彼の口から語られることなかった。

 そもそもそんなことを語る相手もいなかった。

 語りたかった。無念。

「早苗、俺が守ってやるからな」

 今日も兄妹の在り方をはき違えたお兄ちゃんのお嬢様的不幸体質のめっかわ妹を守る戦いは続く。

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