森へとことこ
次の日、ツバキを含むハリソン組の生徒たちは朝から森の中を歩いていた。学校の周りにうっそうと広がる森林の中で、さわさわさわという木々が揺れる音が耳に心地いい。
一番前で先導するのは、昨日と違ってポニーテールのハリソン先生である。
「皆さーん、はぐれないようについてきてくださいねー」
はあい、と生徒が口々に返事をする。
「ほうきって思ったより重いね、ツバキちゃん」
「そうだねー」
ツバキに話しかけてきたのは、水色の髪を二つ結びにしたエメラルドグリーンの瞳が印象的な女の子、エリナだ。両手で一生懸命ほうきを持つ様子はとても健気でかわいらしい。
昨日たまたま隣の席だったのがきっかけで仲良くなった。
ほうきは、学校を出発する前に全員に配られたのでツバキももちろん持っている。
父が使っているものとは違って白っぽい木でつくられたほうきはとても軽い。初心者でも扱いやすいものだとハリソン先生が説明していた。
「エリナちゃんは空を飛ぶのは初めて?」
ツバキが聞くと、ううん、とエリナが首を横に振る。
「お母さんが魔法使いだから一緒に飛んだことはあるよ。でも一人で飛ぶのは初めてだから楽しみ~」
(私と一緒だー!)
ほんわかした笑顔のエリナに癒されつつ、前の子に遅れないようについていく。そういえば、とエリナがきょろきょろとあたりを見回した。
「結構歩いたけど、いつ着くのかなあ」
「確か、先生はほうきで飛べる開けた場所に行くって言ってたっけ」
「ずいぶん遠いね~」
ツバキとエリナがそんな会話を交わしながらしばらく歩き続けると、いきなり列が止まった。
さらさらさら
穏やかに流れる水の音とともに、前のほうから着きましたよーとハリソン先生が言う声が聞こえてきた。
「やっと着いたー!」
「疲れたあ。ツバキちゃん元気だねえ……」
ぐったりした様子のエリナに苦笑いされつつ、ツバキは爽快な気分で思いっきり息を吸い込んだ。
(うーん、空気が気持ちいいー!)
ツバキたちがいるのは中央に川が流れる広い川辺だ。空は雲一つない晴天で、太陽の光が水面に反射してキラキラまぶしい。周りを木々で囲まれているもののほうきで飛ぶスペースは十分にある。
「さあ皆さん、早速ですがサポート悪魔を呼び出してください。一人で飛べるようになるまでお手伝いしてもらいます。仲を深めるチャンスですよー!」
ハリソン先生が明るい声で言う。対してツバキは、それを聞いてげんなりした。
(キルさん……かあ。なんか怖そうだなー)
何せ魔界の三大悪魔だ。スパルタ鬼教師になる可能性はかなーり高い。
(待って、そもそも手伝ってくれなかったら?俺は三大悪魔だからお前みたいな弱小見習い魔女を手伝う暇はない、とか。もしそうなったらどうしよー!)
想像してぶるりと震えるツバキの気持ちを知ってか知らずか、周りの生徒は次々と自分のサポート悪魔を呼び出していく。
「ツバキちゃん? 呼び出さないの?」
「あっうん……」
すでに呼び出しを終えたエリナに不思議そうな目で見られれば、やらないわけにはいかない。
エリナもキルが三大悪魔であることは知っているはずだが、天然な性格なのかそこまで気にする様子はない。
後日談だが、キルのことについては学校で特殊な対応がとられることになった。実質、知っているのはハリソン先生とハリソン組の生徒、学校長だけということになる。
とにかく、三大悪魔というのはいろいろ厄介な存在なのだ。
(……ええい、もうやるしかない!)
ツバキは意を決して杖を構えた。
「我が命じる……姿を現せ。」
シュウウウウウ……
「……昨日ぶりだな」
相変わらず余裕の笑みを浮かべる、ただならぬ気配を漂わせる若い男……キル・ゴッドが川辺に姿を現した。
昨日より押さえているのか、重苦しい空気や息ができなくなるほどの威圧感はない。それでもピリピリした独特の雰囲気まで隠すことはできていなかった。その証拠に、周りの生徒がちらちらとこちらを見てくる。
「きょ、今日はよろしくお願いします……」
「ふっ、そんなに緊張しなくてもいいんだが。……それにしても、ずいぶんきれいなところじゃないか」
バキバキに緊張するツバキとは裏腹にキルは物珍しそうにあたりを見回した。
(もしかして、魔界の奥地にはこういう場所はないのかな……)
ツバキはふと思った。もしそうだとしたらかわいそうかも、とキルにほんの少しだけ同情する。けれど次の一言でその感情は一瞬で吹き飛んだ。
「だが、太陽が邪魔だな。……空を厚い雲で覆えば、もっと素晴らしい暗黒の大地に変えられるというのに。魔物たちの咆哮が飛び交う非常に活気ある場所に。これだとまぶしくて仕方ない」
「え……それのどこがいいんですか……?」
そう言ってすっぽりローブのフードを被るキルが、ツバキにはどうしても理解できなかった。うん、正直にいうとドン引きである。ツバキじゃなくても普通の人間ならみんなそうだろう。とにかく、悪魔の感覚は異常以外の何物でもない。
そんなツバキたちを少し離れたところでひそかに見守っていたハリソン先生が、全員のサポート悪魔がそろったのを確認した後、自らのほうきを持って全体を見渡した。
「いいですか、いまから実践練習を行います。慣れてくると呪文を唱えなくても飛べるようになりますが、皆さんは初心者なのでこれから先生が唱える呪文を覚えてくださいね。……いきますよ」
ほうきにまたがるハリソン先生。そして、
「風よ、太古から吹きすさぶ神聖な風よ……われと契りを交わしたまえ」
スウウウウウ
「おおー!」
先生の体が少しずつ浮かび上がり、生徒の間から大きな歓声が上がった。
「やっぱり一人で飛ぶのってかっこいいー!」
他の生徒と一緒になって空中でぷかぷか浮かぶハリソン先生に憧れのまなざしを向けるツバキを、隣のキルは冷ややかに見てくる。
「……あれのどこがかっこいいんだ? 魔法使いならできて当然のことだろう。」
「水を差すような発言はしないでください! 私がかっこいいと言ったらかっこいいんです!」
まさかぴしゃりと言い返されるとは思っていなかったキルは軽く肩をすくめた。ツバキ自身もだんだんキルに対しての扱いがぞんざいになっているのを感じていた。
(キルさんって実は怖い人じゃないのかな、なーんて思っちゃったり……)
しかし、すぐにぶんぶん首を横に振る。
「だめだめ、相手はとにかくやばい三大悪魔。油断したら何をされるかわからないよね!」
「ん?何か言ったか?」
「いいえっ何も言っていません! 気のせいじゃないですか?」
ツバキは知らんぷりして答えた。もちろんキルは耳がいいのですべて聞こえている。
__俺にうそをつく人間は初めてだな。この小さき見習い魔女が。
心の中で悪態をつくものの、もちろんツバキは気づかない。キルはやれやれと見逃すことにした。
「それより、飛ぶ練習を始めたらどうだ? 周りはもう始めてるぞ」
「わ、ほんとだ!」
キルに言われてツバキが見ると、ちょうどエリナが呪文を唱えようとするところだった。
「がんばってくださいね、エリナさん!」
「ありがとうミクシィ。……風よ、太古から吹きすさぶ神聖な風よ。われと契りをかわち……あっ」
サポート悪魔に励まされながら呪文を唱えるエリナ。
しかし、噛んでしまったのかもじもじと恥ずかしそうにしている。そんなほほえましい様子を見ていたツバキだったが、さすがに練習を始めないとまずい。
「私も練習しないと!」
ほうきにまたがり、ツバキは自信満々でキルに声をかけた。
「キルさん、絶対一発で飛んで見せますから!」
「ああ……頑張れよ」
「はい!」
笑顔で返事をするツバキに、キルはなんだか変な気持ちになった。
心がくすぐられるような、今まで一度も感じたことのない気持ち。
__……厄介だ。
「?」
キルが顔をしかめるのを見てツバキはどうしたんだろう、と首をひねった。
「いや、何でもない」
「ならいいんですけど……」
歯切れの悪い返事。気になるには気になるが……
(まあいっか、具合悪いとかじゃないんだし。よーし、やるぞ!)
お昼時で容赦なく日差しが照り付ける中、ツバキは意識を集中させた。