水増し、嵩上げ、年越し蕎麦
時は新年を控えた年の瀬。
場所はここ、小さな町の食堂では、店員たちが大わらわ。
右に左にと忙しそうに働いていた。
その食堂は、普段、中年の女将が取り仕切っている。
しかし、この年末年始は、
女将が挨拶回りに行くということで、
若い板前の男が、その食堂を取り仕切ることになった。
「店を上手く切り盛りして、女将さんに良いところを見せないと。
そうすれば、女将さんも俺を見直してくれるかも。」
その若い板前の男は、
腕は良いのだがそそっかしい人柄で、
大役を任されて、すっかり舞い上がってしまった。
女将への淡い恋心を胸に秘め、一念発起。
いつにもまして張り切っていたが、それが仇となってしまった。
その食堂では、毎年大晦日に、
自家製の年越し蕎麦を客に出している。
その食堂はいわゆる何でも屋で、客の注文に応じて何でも作る。
アジフライから牛丼からラーメンまで、それこそ何でも。
そんなその食堂の自家製年越し蕎麦は、ちょっとした人気料理で、
毎年多くの人たちが一年の食べ納めにやってくる。
そんな人気料理を任された若い板前の男は、すっかり舞い上がって、
とんでもない失敗をしてしまった。
「何!?食材はこれしかないのか?」
「はぁ。言われた通りに揃えたんですが。」
食材を注文する数を間違えて、予定より少なくしてしまったのだった。
今から食材を用意するには時間も金も足りない。
用意できた食材の量は少なく、
これではとても予定している数の年越し蕎麦は作れない。
八方塞がり。若い板前の男は頭を抱えた。
「なんてこった。
これじゃ、女将さんに見直してもらうどころか、
返って俺の株が下がってしまう。
なんとかしなきゃ・・・、そうだ!」
これは名案か、天からの啓示か、
若い板前の男の脳内に降りてきたものは。
「食材が足りないのなら、使う量を減らせば良いんだよ!
年越し蕎麦一杯分の食材で、二杯でも三杯でも作れば良いんだ。」
なんのことはない、誤魔化しの考え方だった。
「そもそも昨今は、食材の値段も値上がりしてるんだ。
去年の年越し蕎麦と、今年の年越し蕎麦と、
同じだけの食材を使えるわけがない。
今年は今年用意できただけの食材を使ったとして、
何の問題があるっていうんだ。」
こうして、その食堂では、若い板前の男によって、
水増し嵩上げ年越し蕎麦が作られることになった。
そうしていよいよ大晦日当日。
その食堂では、若い板前の男が臨時で取り仕切る中、
開店からたくさんの客が訪れていた。
客たちが注文するのはもちろん、自家製年越し蕎麦。
評判の自家製年越し蕎麦に、客たちは舌鼓を打っているかというと、
どうもそういうわけでもないようだ。
客たちは期待の表情で年越し蕎麦をすすり、眉を潜め、首を傾げ、
疑問の言葉を口にしていた。
「・・・今年の年越し蕎麦は、何か変じゃないか?
味が変わったというか、なんというか。」
率直に言って、美味しくない。
食材を用意できず、水増し嵩上げで作られた年越し蕎麦は、
本来のその食堂の味とはかけ離れたもの。
美味しいと感じている客はほとんどいなかった。
かといって、食堂で配膳されたものを、面と向かって不味いとは言いにくい。
そんな客からの控えめな苦情に、若い板前の男は口八丁手八丁で応えた。
「あのう、この年越し蕎麦、量が少なくありませんか?
三口もすすったら、もう蕎麦が無いんですが。」
「何?量が少ないって?
そりゃあお客さん、胃袋が若い証拠ですよ。
その調子で、来年も健康にすごしてくださいよ!」
「この年越し蕎麦、ずいぶん貧相だな。
具がペラッペラのかまぼこくらいしか見当たらないよ。」
「それはきっと、具が汁の中に沈んでるんですよ。
急いで探してみてください。もう溶けちゃったかも。」
「この年越し蕎麦、出汁が全然きいてないな。味が薄すぎだよ。」
「今年の年越し蕎麦は、上品な薄味にしたんです。」
「おい、この年越し蕎麦、本当に蕎麦か?
蕎麦粉が少なすぎて、蕎麦の味がほとんどしないぞ。」
「蕎麦というのは元々、蕎麦粉100%とは限らないんですよ。
小麦粉を混ぜた方が食感などが良くなるんです。」
「この蕎麦、いくら何でも細すぎだろう。
ちょっと引っ張っただけで、すぐ切れるぞ。」
「そりゃあお客さん、縁起が良いですよ。
年越し蕎麦っていうのは、一年の災いを断ち切るって意味があるんです。
切れやすい年越し蕎麦は縁起が良い証拠です。」
「なんだこれ。
年越し蕎麦の器の内底に何か詰めてあって、上げ底になってるぞ。」
「今年の年越し蕎麦は、具に餅を入れたんですよ。
器の底にこびりついてしまったみたいですね。」
ああ言えばこう言うといった具合に、客の苦情に対して、
若い板前の男はあの手この手でしのいでいく。
忙しい年の瀬にそれ以上文句を言う気にもならず、
客たちは不承不承、金を払って食堂を出ていく。
そうして客をさばいていく間に時間は経って、昼から夜になり、
若い板前の男はほっと一息ついていた。
「あともうしばらくすれば閉店時間か。
今日は昼飯も食べずにずっと厨房に立っていて大変だったけど、
何とか乗り切れそうだな。」
営業時間も、年越し蕎麦の材料も、残りあと少し。
だが、何事も終了間際が一番あぶない。
出入り口の引き戸が雑に開けられて、数人の中年の男たちが入ってきた。
「いやー、今年も疲れた。」
「今年も年越し蕎麦を食べに来たぞ。」
「それと、女将さんの顔を見ないとな。」
現れたのは、その食堂の常連客たち。
女将や若い板前の男を悩ませる問題児たちだった。
手違いで足りない食材を使って用意した年越し蕎麦。
水増し嵩上げした自家製年越し蕎麦で、
大晦日を乗り切ろうとする若い板前の男、
あと少しで営業時間が終わるという頃になって現れたのは、
問題児である常連客たちだった。
その常連客たちは、比較的古くからその食堂に通っている。
若い板前の男も、休みの日などは一緒に酒を飲み交わす程度の仲で、
顔見知り以上には親しい関係にある。
しかし、客としては問題児だった。
その食堂に足繁く通ってくれるのは良いのだが、
女将にちょっかいを出したり、支払いを払わずに溜めていたり。
そんな問題児の常連客たちの登場に、
若い板前の男はこっそりと舌打ちしていた。
「しまった、まだあいつらが来ていなかったか。
あいつらはあちこちで飲み食いして舌が肥えてるからなぁ。
何とか誤魔化さないと。」
作り笑いを浮かべて常連客たちに頭を下げる。
「い、いらっしゃい。
今日は来るのが遅かったですね。」
「おう、今日はちょっと忙しくてな。」
「おかげで腹がペコペコだよ。年越し蕎麦を一つずつね。
あと、熱燗をもらおうか。」
「女将さんにお酌して欲しいねぇ。」
「え、えーっと。
今日は女将さん、挨拶回りに出ていて留守なんですよ。」
「そうか、それは残念。」
「それから、大変申し訳無いのですが、
年越し蕎麦の材料がもう無くなってしまって・・・」
「品切れ?そんなわけがないだろう。
ほれ、厨房に器が用意してあるじゃないか。」
「この店の厨房の事情なんて、こっちは良く知ってるんだ。
しょうもない嘘をつくなよ。」
「うっ、それは・・・。」
相手は、厨房の内部まで知り尽くしている常連客。
咄嗟の嘘は通用しなかった。
仕方がなく、若い板前の男は、
水増し嵩上げした年越し蕎麦を常連客たちに出すことにした。
すると案の定、年越し蕎麦を一口すすっただけで、
常連客たちは異常に気がついて騒ぎ出した。
「なんだこりゃ。
今年の年越し蕎麦は、どうなってるんだ?」
どうしようもなく、若い板前の男は作り笑顔で応対するしかできない。
「今年の年越し蕎麦は、いつもとはちょっと違う感じにしたんです。
それで、常連さんたちには違和感があるのかも・・・」
「違和感どころじゃないぞ。なんだこの少なさは?」
「少なく感じました?それは胃袋が若い証拠ですよ。」
「いや、そんなことはないね。
商売道具の測りを持ってきてるんだが、
この年越し蕎麦はいつものよりも軽くなってる。」
「それからこの年越し蕎麦、具が全然無いじゃないか。」
「それは、汁の中に沈んで溶けてしまったのかも・・・」
「そんなことはない。
この食堂の年越し蕎麦の具に使う食材は、うちが納品してるんだ。
すぐに溶けるようなものじゃない。
そういえば今年は、いつもよりも量が少なかったな。」
「まだあるぞ。この年越し蕎麦、出汁が薄すぎる。」
「それは、上品な薄味にしていて・・・」
「薄味にするために出汁まで減らす奴があるか。」
「それからこの年越し蕎麦、蕎麦粉が少なすぎだろう。」
「蕎麦は、100%蕎麦粉を使っているとは限らないんです。」
「それにしたって、この年越し蕎麦は蕎麦粉が少なすぎる。
最低でも蕎麦粉が30%は使ってないと。
細切りすぎて、これじゃまるでそうめんだ。」
「お前ら、年越し蕎麦の器の底をすくってみろ。
器の底に餅が詰めてあって、底上げしてあるぞ。
これじゃ量が少なくて当然だ。」
「そっ、それは、具の餅でして・・・」
「こんなに固くてカチカチの餅が具?
冗談言うな。こりゃ去年の餅の残り物だろう。」
常連客たちは、やいのやいのと大騒ぎ。
食堂にいた他の客たちも興味深そうに取り囲んで、
その食堂は喧騒に包まれた。
若い板前の男が水増し嵩上げした年越し蕎麦。
しかし常連客たちを騙すことはできず、その食堂は大騒ぎ。
言い合いは口喧嘩に、そして取っ組み合いになりかかっていた。
「この年越し蕎麦は何だよ!?」
「う、うるさいな!お前らみたいな飲兵衛にはそれで十分だ!」
「何だと。お前、客を騙すのか!?」
「何が客だ。女将さん目当てで来てる癖に。」
「女将さん目当ての客なんて、この店にごまんといるだろう。」
興奮した若い板前の男と常連客たちが取っ組み合って、
それを肴に他の客たちが酒を飲んでいる。
すると、遠くから重々しい鐘の音が、
いつの間にか日付けが変わって、年が明けるところだった。
除夜の鐘の音が頭を冷やしてくれたようで、
取っ組み合いしていた面々は大人しくなって組み手を解いた。
しかし、問題はまだ解決していないようだ。
常連客がニヤリと笑って嫌味ったらしく口を開いた。
「いつの間にかもう年明けが過ぎちまったな。
しかたがない。そろそろ帰るとするか。
もちろん、年越し蕎麦の代金も払ってやるよ。」
喧嘩の理由が解決できて、若い板前の男も一安心・・・かと思われた。
だがやはり相手は問題児たち。一筋縄ではいかなかった。
「年越し蕎麦の代金は、その年の内に払う。
つまり、今はもう年が明けているのだから、代金は今年の内に払うよ。」
「・・・なんだって?」
「聞こえなかったか?
年越し蕎麦の代金は、今年の内に払うって言ったんだ。
今は1月1日。今年はまだたっぷり残ってる。
蕎麦のように首を長くして待つんだな。」
「わっはっは、それはいい。」
問題児の常連客たちの屁理屈に、若い板前の男も屁理屈で返す。
「ああ、そうかわかったよ。
今年の分の年越し蕎麦の代金は、今年の内にってことだな。
じゃあ、去年の分の年越し蕎麦の代金はどうする?」
「なんだと?」
「お前たちがその年越し蕎麦を食べ始めたのは、日付けが変わる前の去年。
つまりお前たちは、今年の年越し蕎麦と去年の年越し蕎麦と、
二杯の年越し蕎麦を食べたんだ。
だったら、代金は年越し蕎麦二杯分だ。
しかも去年の年越し蕎麦の代金は未払いのまま、年を越してしまった。
延滞金も付けて、耳を揃えて払って貰おうか!」
「なんだと!?そんな屁理屈が通るか!」
「屁理屈はこっちの台詞だ。」
「元はと言えば、お前がイカサマ蕎麦を出したのが悪いんだろう!」
またしても言い合いが始まってしまった。
誰にも止められない、誰も止めない。
するとそこに救いの手が。
「お前たち、その辺にしておきなさい。」
食堂の出入り口の引き戸が静かに開けられ、
重箱を抱えた女将がそこに立っていたのだった。
年越し蕎麦を巡る喧嘩に、ようやく終止符が打たれようとしていた。
食堂に戻った女将は、まず若い板前の男を睨みつけた。
「あんた、あたしが留守の間に、お客さんになんてものを出してるんだい?
話は全部聞いたよ。
食材の注文を間違えたって、どうして最初から素直に言わないの。
お客さんたちには、あたしが事情を説明して謝っておいたから。
次に来てくれた時に、お前からも謝るんだよ。」
「は、はい・・・。」
若い板前の男は、想い人である女将に叱られて、しゅんとしてしまった。
それから女将は、常連客たちにも睨みをきかせた。
「それからあんたたちもだよ。
あんたたち、大分ツケが溜まってるだろう?
文句を言うんだったら、溜まってるツケを綺麗に払ってからにしな!
どっちも、他のお客さんに迷惑かけるんじゃないよ。」
問題児の常連客たちもしゅんとする。
若い板前の男も、問題児の常連客たちも、
母親に叱られた子供のようにしゅんとなってしまった。
大人しく小銭を渡して出ていこうとする常連客たち。
すると、女将はやれやれと苦笑して、その背中に声をかけた。
「ちょっと待ちな。
ツケが溜まってるにしても、迷惑をかけたのには違いない。
あたしも自分の店のことなんだから、人任せにせずに、
もっと自分でちゃんと見ておくんだった。
そのお詫びと言っては何だけど、御節料理を用意してきたんだよ。
あたしが作った御節料理を、まさか、
去年作った御節料理だから食べたくない、
なんて言わないでしょ?」
今度は女将がいたずらっ子のような表情でウインク一つ。
それを見た若い板前の男が、常連客たちが、他の客たちが、
その食堂の中にいた人たちが、わぁっとどよめき立った。
「女将さんの御節料理、食べたい!」
「俺も俺も!」
「年越し蕎麦の食材は無くても、酒はまだあるんだよな?
じゃあ、女将さんも一緒に、今夜は飲み明かそう!」
さっきまで取っ組み合いをしていた男たちが、
今はもう楽しそうに肩を組んで笑っている。
元より友人同士。
すぐに仲直りして、楽しい宴が始まった。
除夜の鐘が鳴り響く冷たい闇夜の中、
その食堂には、温かい灯りと喧騒が満ちていた。
終わり。
年末年始なので、年越し蕎麦の話を書きました。
昨今は、食べ物でも何でも値上げ値上げで、
水増し嵩上げのようなわかりにくい値上げも増えました。
もしも、年越し蕎麦もそうなってしまったら。
そんな場合を想像してみると、
なんだかひょうきんな話になってしまいました。
昨年はお世話になりました。
今年もよろしくお願いします。
お読み頂きありがとうございました。