ございませんが気になる
前回は横道に逸れた感があって恐縮しきりです。
文章のみならず日常会話でも度々出てくるのが謝罪の言葉。
「申し訳ございません(申し訳ありません)」
また、恐縮などの意で使われることの多い
「とんでもございません」
実際、当たり前のように使われているし、問題ないと認識されているのはわかっています。とっさに口にする場合、即座に意思を伝える点において、あながち間違いとはいえないし、自らもそう言ってしまうことは多々あります。
しかしながらこれらの言葉は、不可分の単語(申し訳、とんでも)と助動詞(〜ない)で構成されているため、文中で「申し訳ない」思いをしたとか「とんでもない」ことをしでかしたなどで使われる分には違和感はありません。
このように言葉本来の形を知っていれば、記述する上でより文章が説得力をもつと思います。
「申し訳なく存じます」「申し訳ないことでございます」
「申し訳のうございます」
「とんでもないことでございます」
「とんでものうございます」
このように否定の形の「ございません」より肯定の意の「ございます」、また「思う」の謙譲語である「存じます」を使う方が気持ちをきちんと伝えられると思うのです。
更に申し訳ないと詫びる気持ちがあるなら「お詫び申し上げます」ではないでしょうか。
さらに「汗顔のいたり」や「恐縮です」など上記の言葉以外を使うのもいいでしょう。当たり前に使われていて実際は安っぽい表現に陥る「ございません」付き言葉はできるだけ避けるよう心がければ、執筆者だけではなくビジネス面でも有効になるはずです(年配者や言葉にうるさい人は一定数いますので)。
私事の始末書で経験があるのは、詫びには今後の振舞いまで含めなければ意味がないと指導されたことです。
「申し訳ないことと痛切に感じております。今後充分留意し、同様のことのないよう(対策の具体例入れる)努めます」のような締めくくりでないと誠意が伝わらないというものでした。
他にも「〜ない」となる言葉はありますが、特に気になる二つの言葉を取り上げました。常用慣用されているものを否定するものではありませんが、いくらか柔らかい伝え方と心掛けていることを述べさせていただきました。
正しい言葉が絶対ではない、の一例ですが本来の形を知っていたら無視ができないくらい違和感のある言葉というものがあるのですよ、というくらいに受け取ってください。
余談になりますが、この例でいくと時代劇などで言う「かたじけない」が「かたじけございません」になってしまう?
感想のご指摘は把握している前提での主張の展開なのですが、作品の背景が現代日本であるならいいんです。よくあるものとして異世界を舞台とした、さらに中世風で高位身分の人物が放つ言葉として適切なものであるか、不自然ではない丁寧な言葉遣いはなにがあるか、くらいは考えると良さげではないのかなと読んでいて感じるのです。