自分自身に生じた理解しがたい衝動
不定期更新になりすいません。あとたぶん2話か3話で完結します。
レカオシーナ伯爵夫人であるブリターラととその娘サガリナは、緊張しながら部屋に入った。
レイティア前伯爵夫人、つまり姑にあたる老婦人から呼び出しを受けたためだ。
レイティア前伯爵夫人は現在73歳。12年前に68歳で死去した前伯爵を補佐して領都シムベナの発展に奔走した内政畑の傑物であり、かつ「貴族とはかくあるべし」という古き良き貴族の道徳観を尊んでいた。
息子に代替わりしてからは引退して領都の治政に直接口は出さなかったが、その影響力は今でも計り知れない。
何しろ領都の代官や役人たちは上から順にレイティア前伯爵夫人の薫陶を受けており、「私がこの立場にいるのもレイティア前伯爵夫人様のおかげです」と口に出してはばからない長官クラスが今なお数多くいるからだ。
「領都シムベナは私の命そのものです」
レイティア前伯爵夫人は老齢ながらもピンと伸びた背筋のままティーカップを置き、ギロリとレカオシーナ伯爵夫人とサガリナを睨みつけた。
「そのシムベナで好ましからぬ流行が起きている、と聞いて驚きました。ブリターラさん。あなたは何をしているのです?」
ブリターラは背中に冷や汗をダラダラかきながらも、顔だけは涼しげに答える。
「・・・旅役者の一座が集会所で興行をしたい、と申し出がありました。演題は恋愛ものでしたが、役者はすべて女性ゆえ風紀的には問題なかろうと許可いたしました」
「私も男装の女役者が大人気、と聞いております。しかしそれだけでは説明がつきません。私は、何が起きているかを知りたいのです」
「であれば、現地を視察するのが確実で早いのではないでしょうか?」
ふむ、とレイティア前伯爵夫人は頷いた。一理ある、と思ったからだ。
そしてレカオシーナ伯爵夫人・ブリターラとその娘サガリナは『勝った』と心の中で喝采をあげた。
あくまで顔だけは涼しげなまま。
レイティア前伯爵夫人が起こした行動は早かった。
ブリターラに命じて最速でチケットを用意させ、翌日のマチネにズレヒゲ劇場に乗り込んでいった。
ちなみにそのチケットは娘のサガリナが苦労して手に入れた「一日通しチケット」を取り巻き令嬢分も合わせて強奪したもので、サガリナは泣きながら「ズレヒゲ様の絵姿を、限定絵姿だけは手に入れてください!」と母に頼んでいた。
そして終演。
レカオシーナ伯爵夫人・ブリターラは隣の席で呆然としているレイティア前伯爵夫人の様子を見て、やや心配になった。
「レイティア様?・・・お義母さま?」
レイティア前伯爵夫人はあんぐりと口を開けたまま、すでに下がり切った舞台の緞帳を凝視したまま微動だにしなかったからだ。
そして今回のズレヒゲ登場の演出もまた強烈だった。ズレヒゲは客席中を巻き込んだ花吹雪の中、歌いながら登場したからだ。
しかも花道を歩きつつ、歌に合わせながらそばにいた令嬢の髪に触れたり(即失神)、頬に触れたり(叫び声のあと失神)、振り向いて投げキッスをしたり(近くにいた12名が失神)とやりたい放題で、曲が終わって舞台に上がるまでにブリターラを含めた1階特別席のほぼ半数が半死半生になっていたからだ。
枯れ切ったはずのレイティア前伯爵夫人にも「ズレヒゲ毒牙」は及んでおり、夫人は今見たことへの頭の理解が追い付かず、ただただ呆然として立ち上がることもできなかった。
ブリターラは様子を見に来た侍女たちに目配せし、レイティア前伯爵夫人を両脇に抱えてレンタルしたパウダールームへ運んで行った。他にも同じように観劇後に足腰が立たなくなった貴族婦女子たちが侍女に運ばれていくのことが多かったため、レイティア前伯爵夫人の「不調法」は幸いにも目立たなかった。
レイティア前伯爵夫人は一人残ったパウダールームで、ようやくショック状態から回復しつつあった。
しかしそれは同時に鮮烈すぎるズレヒゲの記憶と向き合うことにもなった。
「あ、・・・あれは魔ですか?」
身体つきも顔つきも女だった。そして自分には女性を愛する性癖はない。もう忘れかけている少女時代に、年上の従妹に憧れたことはあったがその程度だ。
元より恋をしたこともない。前伯爵は許嫁であり、「血をつなぐ」という貴族らしい結婚観で夫婦生活を送っていた。中には若い愛人を囲う貴族婦人もいたが、レイティア前伯爵夫人は興味を持てなかった。夫を支え領都の発展に奔走し、次代に伯爵領を引き継がせることを至上としていたからだ。
なのに。73歳になって。
レイティア前伯爵夫人は自分自身に生じた理解しがたい衝動にうろたえていた。
あしたも午前7時に更新予定です。




