正しく、意志強固なる者
手持ち、残り銀で4970(+12000)枚と銅5枚。
今回参考にしたのはホラティウスの『カルミナ』3巻冒頭の歌です。
「武器を持ち替えるよう教唆する」=味方を裏切れとそそのかす、の意とお考えください。
ウォーリアは立ち上がってくれたけど、アタシたちにはまだ準備が必要だった。
屋内で戦闘になるだろうって予想はたっても、どう戦うか、なんだ。家ごとぶっ壊すような大魔術を使う訳にはいかない。
僧侶曰く、
「呪詛のエネルギー込めた攻撃耐える呪文、かけることはできる。ヨアクルンヴァルの盾、ちょうどいい。」
「盾ならまかしなよっ!」
おっ、ウォーリアはやる気だ。
なのに、僧侶は何か困ったような、躊躇ってる顔で。
「あのね、ヨアクルンヴァル。この呪文ね。」
「何だい、早く言いなよっ」
「……えっとね。攻撃耐えるだけしかできなくなる。手を出すというか、盾でバーンって叩くのもできない。守るだけのための呪文。」
「盾でバーン? ああ、シールドバッシュのことかい……アレもできないって!?」
躊躇どころか、もう沈痛って表情で頷く僧侶。
うわあどうしよう。となるアタシの横から、アタッカーが(たぶん意図的に)明るい声で。
「文字通り、攻撃は僕の役目になるわけですね。魔力剣なら、呪詛も斬れるでしょうか?」
「うん、それはできる。」
「結論として。それはいつも通りなのでは? ただ、ヨアクルンヴァルの行動に、多少の制限があるだけでは。」
有難うウィザード。今の助け舟でヨアクルンヴァルが納得しつつある。
「アタシも後ろから何かすべき?」
提案したら、ウィザードが首を振る。
「間口の狭い、階段下の収納スペースです。後衛は下手に手を出すべきではないのでは。」
「そっか。」
戦闘そのものより、あの場所のまわりの家具をどかしたりとか、そういう手伝いが良いよねって話になり。
あとは掃除かなあ、……大変そう。それこそが一番大変そうだけど、帰ってくるまでにカタがつけば新婚夫婦にも手伝わせよう。あの死臭を放置してた責任、てヤツを取ってもらおう。
ウォーリアが、『ナントカの盾』という呪文をかけてもらって、とにかく前に出て呪詛を防御。後ろから、アタッカーが魔力こめた剣で攻撃。
これで撃破できれば良いなあ、でも倒しきれなかったら僧侶の出番ってことに。方針は決まりだね。
ところが、向かう前に盾に呪文をかけるぞ、って段になって。
「ヨアクルンヴァル。強いもの、強くて守ってくれるもの……をイメージするの、大事。」
と、僧侶がお願いしたんだ。
んんん? イメージできないと、呪文のかかりかたが悪くなるってか、そういう話?!
しかもヨアクルンヴァルってば、
「うーん……ん…ん?」
と眉間にしわを寄せて考え込んでしまったのだ。
右を見る。アタッカーが「ううむ……父は強かったけれど……武闘家でしたし。」って天を仰いでる。
左を見る。ウィザードが「強くて守ってくれるもの。石壁の呪文。いや、イメージするならやはり簡易城塞を提案すべきでしょうか。」と腕を組んでる。
ダメだ。
僧侶自身は、もう呪文の準備に入ってるし。
ええと……アタシは記憶をひっくり返した。
孤児院で連れて行ってもらった劇とか、講談とか、語りつき人形劇とか、詩とかいろいろなのを。あっ、そういや詩であったよね、英雄の詩。
「正しく、意志強固なる者を、誰も何物も動揺せしめはしない
怒りに依りて略奪をはたらくよう熱狂する市民も
脅しに依りて武器を持ち替えるよう教唆する悪魔も
彼の者は跳びかかるモンスターを寄せ付けず
灼熱の日差しを遮り穏やかな木陰をもたらすハプシュマヘンの大樹の如し
何の懸念もなく自信に満ちて 後ろに続くものは歩む」
ひとつ息を吸ったとき、ウィザードが興奮した様子で袖を引っ張ってきた。
「それは『名将に寄す』。知っているのですかマーエ!」
「そうそれ。題名がぱっと出てこなくて。」
テイ=スロールが囁いて、アタシは詩の題名を思い出した。
目が輝いてきたヨアクルンヴァルによく聞こえるよう、声を張り上げる。
「岩を投げ落とされればそれを弾き
火をかけられればさらにそれを防ぎ
死に相応しき場ではないのだから
生くる場をもとめて進むのだから
皆よ、闘志盛んなる盾に続け。」
「いいねぇ、気に入った。」
ヨアクルンヴァルが笑って、その盾をどん、と地面に立てる。用意ができたのを悟って、僧侶が呪文を掛けた。
防御専用と言うだけあって、その呪文はハッキリと呪詛を遮ってくれた。うっすらだけど、白く光って見える盾を掲げたウォーリアについて歩くのは、息するのも楽になった。
アタッカーはいつでも剣を抜けるよう、ウォーリアの後ろ。
「それにしても、よく知ってましたね。貴族でもなかったら耳にする機会もないでしょうに。」
「そう? アタシのいた孤児院は、10日に一回くらい、演劇とか講談とか、詩やら書物に触れなさーいって連れ出されてたんだ。」
休みの日くらい寝させてよ、そういうの面倒くさいっていう同年の子も居たけど。アタシは逆で、『休みの日くらい』は孤児院、農地やら、訓練場とは違う場所に出かけてみるのが楽しみだった。
ていう話をしたら、僧侶がにっこりと頷いた。
「それは、とても良い孤児院なのだな。さすが≪黒山羊≫様なのだ。」
「良いのかなぁ。」
「うん、良い。死なないだけのぶん、ご飯食べさせて、仕事できるようにするだけ、の所もある。」
あるんだ。
同年代の噂でしか知らない、その噂をしてくれた相手も、先輩からの伝聞でしか知らない、「食いっぱぐれないだけでひたすら訓練しろ」って孤児院。
黙り込んだアタシに気を遣ったのか、ウィザードがしみじみ言う。
「『下手の子育てより孤児院』、本当にそうなのですね。」
「そういうもんなのかなぁ。」
「そうです。金銭的余裕のない貴族家、職人や商家などですと、月に一度でも、そうした≪楽しむことを学べ≫の機会をもてるかどうか。飲み食いや賭博、色事に使うひとのほうが多いのではないでしょうか。」
「ええー。育て親にはお金の使い方、めちゃくちゃ言われたよ。『銀貨は手に残らないが、頭にいれたものは無くならない』って。」
「それはつまり、身に着けた教養や技量のことでしょうか。」
「多分……そうなんじゃないかなぁ。そういうのが≪楽しむことを学ぶ≫ってこと?」
「厳密には同じではないかも知れません。ですが、重なるところは大きいかと。」
その場限りのお楽しみに銀貨使っても良いけど、頭になにか入れなさい、身につけなさい、っていう感じのことも言ってたし。
ウィザードは詩のことも話したそうだったのだけど、アタシ達は邪悪な囁き声に邪魔されることもなく、たどり着いてしまった。
収納スペースの前に。
手持ち、残り銀で4890(+12000)枚と銅0枚。
Dice gaudere、セネカの『倫理書簡集』にでてくる言葉です。(人生を)楽しむことを学べ、という意味に解釈しています。
お読みいただきありがとうございました。




