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寂れた街のバーで働く町娘が自称勇者を拾ってみた

作者: 茶野みるく

初投稿です。よろしくおねがいします!


「ねえ、マーガレット。俺も君の両親と同じように、メグって呼んでいい?」


薄暗い奥まったカウンター席の一角。そんな隅に居なくてもいいのに、彼は「今の自分の風体だとお客さんを驚かせてしまうから」と言っていつもその席に座っていた。


ぐるぐる巻きにされた包帯の隙間から人懐っこい笑みが覗く。相手は如何にも同情を誘う格好をしているが、私はその提案をピシャリと跳ねけた。


「だめ。その愛称で呼ばせるのは大切な人だけって決めてるの」


「ええ、手厳しいなあ」


がくりと首を下げる様子は犬を連想させる。あからさまにしょんぼりとした雰囲気のザックについ笑みがこぼれ出た。


用心棒兼同居人。彼とおかしな同居生活が始まったのは2ヶ月ほど前に遡る。その日は丁度両親の3回忌に当たる日だった。


両親の墓は村の近くの小高い丘の頂上にある。両親の墓参りを終えて丘を下っていた時に、空から何かが自分のいる方向に猛スピードで飛んでくるのが見えた。


「な、なにっ? 隕石!?」


身の危険を感じた私は全速力で丘を駆け抜けた。

轟音がした後で、土煙が上がる。


「何だったの一体……」


恐る恐る何かが落ちた場所に近づくと、地面は大きく抉れ、木は無惨にも折れてしまっていた。


「えっ……」


そんな惨状の中心にあったものは、隕石というにはあまりにも大きくて目を見張る。


(人だ……!)


そこにはまさに瀕死といったように、肩で息をする男性の姿があった。理解の範疇を超えた事態に、私は呆然としてそれを見つめるしかない。


「ぐっ……ぅ」


苦しげに呻いた声に現実に引き戻される。


(た、大変っ!)


私は慌てて男性の元に走って向かった。


「大丈夫ですかっ……!?」


近くで見ると、彼はますますひどい有様だった。頭を切ったのか顔面血みどろで、服もボロボロで服としての機能を果たしていない。


私は彼を引摺りながら家へと運んだ。傷のせいか彼は発熱しており、村の医者を呼びに行って治療してもらう。


結果としては全治2ヶ月と告げられた。3針ほど縫う頭部裂傷と左足骨折、顔にかけての擦り傷があった。


一体何があったんだという目で見てくるお医者さんに、「彼が空から落ちてきたんです」などと本当のことを言うわけにもいかない。言ったら私の方こそ入院送りが避けられないだろう。


適当に誤魔化して、薬を処方してもらう。薬代については懐が傷んだが、人死を見るよりましだとさっさと払ってしまった。


お医者さんが帰ってから、ぼんやりと男性を見つめる。痛々しく呻く姿がとても儚げに見えて、三回忌だったということもあり両親に重なった。


一晩中付き添った甲斐あってか、彼は次の日には目を覚ました。


彼——ザックは、自らを勇者だと名乗った。王に遣わされて魔王を討伐したが、帰途の最中魔王の残滓に触れてしまいこの地まで飛ばされたのだという。……俄に信じ難い話だ。


確かにここ数年魔獣が増加した。実際に両親は親族の元から帰ってくる最中に、魔獣に襲われて亡くなった。王都から離れたこの地では魔法を使える者はほぼいないから、魔獣の群れは一種の災害のようなものだった。


災害を止める方法があるなんて考えたことも無かったし、それを成し遂げたのだと言う彼を訝しく思うのも仕方ないことだ。


そんな私に気づいたのか、彼は返礼を約束すると「女性の家に居続けるのは良くないから」といって、骨折した左足を引きずって出ていこうとした。


そんな彼を引き留めたのは100%善意というわけではない。女は舐められやすい。両親から引き継いだ店を切り盛りしていく中で、怪我をしていたとしても男性の存在は、様々な抑止力となってくれるに違いないという考えからだった。


「足が治るまでここで用心棒をしてくれない? 部屋は空いているから」


そう言った私に用心棒なら役に立てるかもしれないと彼は頷いた。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「……薬塗りましょうか」


少し緊張しながら彼に声をかける。


「うん。お願い」


ザックはソファに腰かけたまま私を見る。

夜20時。お風呂に入り、夕ご飯を食べ終わってから私が彼の包帯を変える。これが日々のルーティンになりつつあった。

 

町のお医者さんから渡された薬を取り出す。2ヶ月ほどこうした生活が続いているのに、この時間だけは緊張してしまうのには理由がある。


彼はシュルシュルと頭の包帯を取った。タレ目がちの瞳とすっきりとした鼻筋が姿を現すと、途端に華やかな印象になる。


包帯を巻いているときは抑えられているが、彼はとても綺麗な顔立ちをしていたのだ。それでいて王都育ちで、立ち振舞いも洗練されていて、物語に出てきそうなほど素敵な貴公子に変身する。


そんな彼のそばにいると、寒村育ちの自分がみすぼらしい存在に思えるし、彼が異性であるということを強く自覚してしまう。


狭い村の中でずっと生きてきたのだ。同年代の男の子達とは兄弟みたいなもので性差を感じたことは殆ど無かったし、外の男性と接する機会も少ない。


しかも相手は出会って日のあまり経っていない、都会の男性だ。そんな彼との接触に変な汗をかいてしまうのは、一介の村娘である私には仕方がないことだった。


頭から顔にかけて薬を塗っていく。手の震えを抑えながら慎重に薬を広げていると彼が不意に笑い始めた。吐息が指に触れたことに驚いて、私はばっと後ろに飛びのく。


「ひうっ! な、何!?」


彼は笑って肩を竦めた。


「丁寧にやってくれてるのは分かるけど、凄くくすぐったいよ」


緊張していることを揶揄されたように感じて、頭が沸騰するくらい熱くなる。私はテーブルに薬を叩きつけた。


「もう! それなら自分でやって!」


「君からやってくれるって言ったんだから、最後まで責任持ってやってよ。自分だと傷が見えないんだ」


ザックはテーブルに置かれた薬を手に取って、私の手の上に乗せる。私がまじまじと彼を見つめると、彼は首を傾げて微笑んだ。


「……っ」


彼の顔を見ていられなくて顔を背ける。


最初の頃は「女性の家に長居する訳にいかない」なんて言っていたのだ。それから全然時間が経っていないというのに、この変わり身はどういうことだ。今は遠慮がなくなって随分と図々しい。


(ぐぬぬぅ~~!)


良いように使われている気がする。いや、実際に良いように使われていた。毎朝私が彼を起こしに行ってるし、この間は彼がどうしても食べたいと言うから難易度の高いシュークリームを作ることになった。私がこの家の主人なのに、むしろ彼の面倒を見させられている。よくよく考えればおかしいことだらけだ。


しかし悶々としている私にザックはしおらしく謝ってきた。


「俺の為にしてくれてるのに、文句言ってごめんね。もう言わないから」 


シュンとして心底反省しているといったように此方を見る。


「しっ、仕方ないわね」


そうやって下手に出られると私の気分は一転して晴れやかになった。満更でもなくなって、彼の治療を再開する。若干乗せられているような気がするが、まあいい。


顔の傷に薬を塗っていると、ザックが不意にピクリと動いた。


「ごめんなさい。痛かった?」


彼の顔の傷はそこまで深くはなかったが、顔という事もあって出血量が多かった。化膿しては大変なためなるべく薬を塗りこむようにしていたが、それが少し強かったかもしれない。


「ううん、大丈夫だよ」


「本当? 痛かったらすぐ言ってね」


ザックを覗き込むように見ると、彼はくすくすと愉快そうに笑った。


「うん、ありがとう。人に労わってもらうのってやっぱり気分がいいね。怪我して当たり前の世界に居たから新鮮だよ」


表情から嬉しいというのがダイレクトに伝わって来て、私は目をそらして意味もなく薬の蓋をもてあそんだ。


「勇者っていうのは随分大変なのね」


「まあ簡単な仕事ではなかったよ。生きて帰れる保証もなかったし、実際にこうして死にかけたし」


彼は私の弄っていた薬をするりと奪うと、私の手を掬うように握った。その手はすらりとした彼の体躯に似合わず思ったよりもごつごつとしていて、剣だこがあることに気づく。


「でもこうやって君に優しくしてもらえるなら、もう一度くらいはあの旅を繰り返してもいいかもしれない」


「そ、そう」


いつもなら恥ずかしさのままに振り払っていただろうけれど、幸せそうにこちらを見つめる瞳と血のにじむような努力の跡を見させられるとそんなことは出来そうもなかった。絶対に赤くなっているだろう顔を伏せながら手を好きなようにさせていると、外が随分と騒がしいことに気が付いた。


「何かしら?」


私を遮るようにザックは立ち上がると、立てかけてある剣を手に取る。


「君は下がっていて」


ザックがドアに近づいたその時、いきなりドンドンと扉が叩かれた。


「ライリー・ウォルトンです。カークランド団長をお迎えに上がりました!」


同居生活の終了を知らせるその声は、我が家に響き渡った。


♢  ♢  ♢  ♢  ♢


「思ったよりすぐ見つかっちゃったなあ。隠してなかったから仕方ないけど」


ザックの顔が舌打ちでもしそうなほどに苦々しく歪んだ。彼にしては珍しい表情だったが、そんなことよりも私はあることが気になって仕方が無かった。


「カークランド……団長?」


彼はその言葉に頷いた。


「形骸的なものだけど、一応王都騎士団の団長なんだ。だから魔王討伐を指揮することになったんだよね」


なんでもないような調子で話されているが、とんでもないことだ。


「王都騎士団の団長……アイザック・カークランドってこと!?」

 

「魔王討伐のことは知らないのに、そっちは知ってるんだ」


彼はすんなりと肯定した。予想外の返答が帰って来て、私は呆然としてしまった。


「知ってる……知らないわけが無いでしょう」


アイザック・カークランドは救国の英雄だ。異民族の襲来を退けた後、隣国に対しても『この国にアイザックあり』ということで攻められにくくなった。一騎当千の鬼神とも思える自身の働きぶりに加え、軍の指揮能力も申し分ない。王都騎士団の団長に史上最も若くして任命された天才だった。


私はその事実に気付き、くらりと目眩がした。確かアイザック・カークランドは爵位を授かる貴族であると聞く。


(私は貴族に対して一体何をしていたの……?)


ここ最近ザックへ放った不遜な言葉の数々が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。


「ああ、あ」


その場に蹲り、頭を抱える。


(大変なことをしてしまった)


「どうしたの、マーガレット?」


松葉杖をついてこちらに向かってくるザックに、私は地面に向かって頭を下げた。


「ザック……カ、カークランド様。貴方様だとは知らず、数々の無礼な発言を致しましても、申し訳……」


ショックすぎて歯の根が合わない。彼は私の肩を押し上げた。


「やめてよ。俺はそんな大層な人間じゃないって知ってるだろう。敬語なんて使わないで、いつも通り接して?」


拗ねたようにも聞こえるその声に益々震えあがって彼を見上げた。しかしそこにあったのは傷ついたようにシュンとした表情だった。


(いつものザックだわ……い、いやでもザックはアイザック・カークランド様だ。でもそのご本人がいつも通りにせよと仰せなのだから、私はいつも通りザックと呼ぶべきなのかしら。いやいや、いやいやいや)


ぐるぐると考えがパンクしそうになってくる。う~んと悩んでいると、ドアが再びドンドンという音を立てだす。


「おっと、そろそろ開かないとドアが蹴破られそうだ」


ザックが困ったように家の扉を開けた。


「皆ご苦労様」


ドアの向こう側に帯刀した騎士が姿を現す。


「団長!よ、よぐっ、よくご無事でいらっしゃいました」


「団長ご無事そうで何よりです。団長が狙われたとき本当にどうなることかと……」


「ああ、ありがとう」


ザックの部下たちがわらわらと駆け寄ってきて涙ぐむなか、当の本人は至って冷静に一人一人に感謝の意を表して回る。堂々としたその姿を見るとやっぱり、ザックはあのアイザック・カークランドなのだと再確認する。今思えば魔王討伐を成し遂げた偉業も洗練された仕草も、固くなった剣だこも理解できた。


ザックを眩しく見つめていると甲冑を外した中年の男性が、此方に駆け寄ってくる。


「御婦人は団長を手当てして下さったと聞きました」


「い、いえ。大したことはしていませんよ」


お風呂に入ったとはいえザックが家に居るからなるべく人前に出ても大丈夫な格好をしているつもりだが、じろじろと観察されるような視線に緊張してしまう。


「我々にとっては大したことなのです。団長を救っていただきありがとうございました。私ライリー・ウォルトンが王都騎士団の名代としてお礼申し上げます」


深々と頭を下げられる。人に、それも年上の方から頭を下げられることなんて無かったから、ドギマギしてしまった。


「い、いえ。そんな顔を上げてください」


それでもまだ下げられたままの頭に、どうしようかとザックに助けを求める。ザックは松葉杖をつきながら、こちらにゆっくりと向かってくる。


「マーガレットが困ってるからそこまでで良いよ。騎士団の礼儀は堅苦しすぎるんだ」


やれやれといったようにザックは首を竦める。その様子は堅物らしいウォルトン様とはえらい違いだ。


「それにしても、団長が無事見つかって良かったです。王都への凱旋には間に合いそうですね」


「そんなのあったね」


彼は今思い出したといった様子で、興味無さそうに呟いた。


「やっぱり忘れていましたか」


ライリーには、途方もない苦労が滲んでいる。


「こっちは死にかけだったんだ。そんなもの気にする余裕もなかったよ」


「それにしてはご婦人と何やら楽し気にお過ごしになっていたようでしたが。もっと早く我々に生存連絡ができたのではないですか?」


チラリと視線を投げかけられて私は背筋に汗が伝った。そもそも私はザックが勇者であるなどといったことは話半分に聞いていたため、誰かに連絡するということをすっかり失念していた。本当は身元確認をすべきだったはずなのに。


顔を青くした私を庇うように彼は飄々と私の前に立った。


「隔たった地にあるここからだと、王都へ手紙が届くのに時間がかかるみたいだね」


「王都へ届いた手紙を洗いざらい調べても良いんですよ?」


ギロリとザックを睨むように見る。しかしザックは目の前の部下のそんな表情さえも、どこ吹く風と言うように言葉を続けた。


「アイザック・カークランドが死んだって本当の意味で困る人なんていないでしょ。魔王が滅んだ世界に象徴としての勇者なんて必要かな? 必要だとして、それは俺である必要ないよね」


先ほど触れた手には多くの努力の跡があった。それに加えて彼が成し遂げた様々な伝説は彼を生きる英雄たらしめた。それでもなお、彼は自分を代替可能なものとして考えているようだ。


「屁理屈を言っていないで帰ってきてください。皆魔王討伐を成し遂げた勇者を見るのを待ち望んでいますよ」


「はあ」


ため息をつくと、彼は私に視線を投げる。その瞳にすがるような色が見えたけれど、他でもない私がそんなことを出来るはずもなかった。


「待っている人が居るならすぐにでも帰った方がいいわ。2ヶ月近く生死不明だったなら心配してるでしょう」


私だったらきっと気が気ではない。実際に両親が帰って来なかったときもそうだった。


「待ってる人ね……」


彼はちらりと私を見てふうと息を吐く。


「分かった。やらなきゃいけないこともあるし行くよ」


松葉杖をついてすくっと立ち上がると、足早に指示を飛ばす。急にやる気になったザックの行動は早く、夜のうちに出立しようと申し出た。様々な準備をてきぱきと指揮をとり、あっという間に終わらせてしまう。


「完治が近いとはいえ、足の骨が折れているのだから無理はしないようにね」


出立の間近、私のほうに向かってきたザックに声をかける。


「気を付ける」


彼はそんな私の言葉に笑うと頷いた。そして手を差し出す。


「君のおかげでこの2ヶ月俺は幸福だったよ、ありがとう」


「わ、私もあなたと過ごせて幸せだったわ」


私も手を伸ばして彼の手を掴む。ぎゅっと握られ、名残惜し気に離された。彼の体温が感じられなくなった瞬間、体が夜風に当たって冷え込むのを感じる。


「じゃあ」


「ええ」


彼に向って手を振る。少し胸がツキンと疼いたが、それを噛み殺すように笑みを張り付けた。しかしそんな中私の努力を知ってか知らずか、彼は数歩進んだ足を止めて、くるりと此方を向きなおすと私の方へともう一度戻ってくる。


「何? 忘れ物でも……」


グイッと腕を引かれ、腕の中に抱き寄せられた。


(なっ……!?)


突然の出来事に私は目をパチパチとさせる。薬の匂いとミントのような香りが鼻腔をくすぐった。


彼は私の耳に顔を近づけると、囁くように告げる。


「待っていて。すぐ帰ってくるから」


「え」


彼は私の頬をするりと撫でて、今度こそ去っていった。

突然の出来事に私は呆然としながら馬車の集団に手を振った。


♢  ♢  ♢  ♢  ♢


ザックがこの村を去っていった1週間後。私は近所に住む、花屋のエマにお茶に誘われた。なんでもハーブティーを調合したから試飲して欲しいらしい。しかしそれは口実で去っていったザックのことを聞きたいのだろうことは分かっていた。


昼下がりになって尋ねると、手入れの行き届いた庭園に通される。花屋をしているという事もあって季節の花が美しく咲き誇っている。エマののんびりとした口調とハーブティーの香りが私を穏やかな気持ちにさせた。


両親が亡くなって悲嘆に暮れていたときにも、エマはこうしてハーブティーを手ずから飲ませてくれたことを思い出。


「寂しい?」


青々とした緑を見て目を癒していると唐突に話題を振られた。


「え?」


エマはハーブティーをゆっくりとマドラーでかき混ぜる。


「ずっと傍にいた人が居なくなったんだったら、寂しいんじゃないかと思って」


「ずっとっていうか……ザックは出会って2ヶ月しか経ってなかったから寂しいも何もないわよ」


ザックがいなくなっても2ヶ月前の生活に戻るだけだ。両親が亡くなってからと言うもの、三年間ずっと一人で暮らしてきた。今更寂しいなんてことあるはずがない。


「そう?」


「……うん」


寂しくはない、けれどザックが去ってからというもののあまりにも家が寒く思えて困惑していた。風邪を引いたのだろうかと思ったが、どうやらそうでもない。どこか隙間が空いていて風が入ってきているのかもしれないから、今度点検してみなくてはいけないだろう。


ついため息が出る。その時エマが「あら」と目を瞬かせた。


「寂しいこと言うなあ。俺は寂しかったよ」


背後から軽やかな聞き馴染みのある声が響く。


「!?」


振り向くとそこには、軍服姿のザックが佇んでいた。少々鬱陶しそうに、様々な勲章が付いたジャケットを脱ぐ。目を窄めて見てみるがザックに間違いなさそうだ。


「え!?なんでここにいるの?」


私は席を立ちあがった。ザックはジャケットを片脇に挟むと、不思議そうな顔をして此方を向き直った。


「なんでって、すぐ帰ってくるって言ったでしょ。と言うわけでマーガレットを貰っていくね」


ザックがエマに目配せをすると、エマの瞳はキラキラと輝き始めた。


「カークランド様の素顔を見たことなかったのだけれど、とても素敵な方ね。マーガレット、今度会ったらまた話聞かせてね」


エマは羨まし気にうっとりと此方を眺める。


「え、ええ。今度は私におもてなしさせて頂戴」


私は困惑しながらザックの後を追った。


♢  ♢  ♢  ♢  ♢


彼の後をついていく。丘の上まで来た時、彼は目の前で急激に止まった。


「わわっ」


ぶつかりそうになってのけ反るとザックが腰を支えてくれた。顔があまりにも近くて、目を反らす。


「あ、ありがとう」


「お礼は顔を見て言ってよ。いつも君は目を合わせてくれないよね。俺の顔嫌い?」


覗き込むように顔を寄せられて、私は縮こまってしまう。近づくたびに彼からミントのような香りがして落ち着かない。


「そ、そういうわけじゃないけど……」


「ねえマーガレット。俺を見て」


腕を引かれたことで、チラリとザックを見上げる。


「傷……随分薄くなったわね」


瘡蓋も治り、怪我したと分からないくらいに顔の傷はすっかり良くなっていた。


(やっぱり綺麗。王都では皆こんな端正な顔立ちをしているのかしら? そんなわけないわよね……)


彼は王都では相当モテるのだろう。この容姿に加え、なんて言ったって救国の英雄様だし、魔王を討伐した勇者だし、爵位持ちの王都騎士団の団長だ。


(何なのよもう! 設定盛りすぎじゃない!?)


彼が王都の煌びやかな女性に囲まれているところを想像すると心乱されてしまう。むしゃくしゃしてしまうのだ。


「マーガレットの治療のおかげだよ」


彼はポケットからハンカチを取り出すと、芝生の上に敷く。そしてエスコートをするように私の手を取った。


「どうぞ」


「……唐突にしおらしくなちゃって。恩返しに来てくれたとでもいうの?」


お姫様扱いに照れながらも、私はありがたくハンカチの上に座らせてもらった。彼も私の隣に腰を下ろす。


「恩返しかあ。当たらずとも遠からずってところかな」


草の擦れ合う音が響く。眼下には私の住む村が広がっていた。上から見るとなにもない場所であることが浮き彫りになる。この村から出たことのない私は知識でしか知らないが、王都には展望台があってそこから見た風景は真珠にも例えられるのだという。


「どうして2日でこっちに戻ってきたの。騎士団の方は大丈夫?」


「ああ。ライリーに引き継いできたから、後は上手くやるでしょ」


「そんな投げやりな……」


唐突に大きな仕事と責任が降ってきたウォルトン様の立場が偲ばれる。


「魔王を討伐して俺の役目は終わったんだよ。王都にまで行って凱旋したのは、君が行って来いって言ったからだ」


「でも家族の方々は喜んでいらしゃったでしょう?」


その言葉に彼はまさかというように首を振った。


「俺の家族は君の家族と全然違うから、俺が会いに行ったら凄い警戒されたよ。あ、でも魔王討伐の報酬とか手切れ金はたらふく貰えたし、ここに移り住むことも許可してくれた」


「え、ここに住むの?」


私にはさっぱり理解できない。この村よりもずっといいところはたくさんあるだろうに、彼は全てを捨ててこの地に根を張ろうとしているらしい。眼下に広がる風景は十中八九寂れていると言っていいものだ。それを知りながらなぜ……そう思って彼を見ると、彼はじっと眼下を見つめていた。


「団長にも英雄にも勇者にも代わりはいるんだ。でも寂しがり屋の君の傍に居る人間には代わりはいないなと思って。いや代わりは居るのかもしれないけど、譲りたくないと思ったんだ」


「寂しがり屋って……」


彼は芝生の上に置かれた私の手に手を重ねた。


「たった1週間だけど寂しかったでしょ? 本当は何も言わずに立ち去ろうと思ったんだけど、マーガレットがあまりにも悲しそうな顔するから、ついすぐ帰ってくるって言っちゃった」


困ったように、でも愛おしむような表情で笑みを浮かべた。その姿は救国の英雄なんかじゃなくて、ただのそこらへんにいるような青年にしか見えない。


「これからは俺がずっと傍にいるよ、メグ」


ぶわりと胸が、熱を持つ。


(ああ、そうか。あの芯まで冷えるような寒さを寂しいって言うのね)


唐突に両親を亡くしてから、一人で暮らすにはだいぶ大きな家で過ごしてきた。こんな辺鄙な土地にある寒村では両親のいない十代の少女は冷ややかな目で見られ、腫物扱いをされる。心の奥底に沈めて見ないふりをしていたはずの思いだ。


目の前の彼は私のそんな弱さを知ってなお、傍にいてくれるのだという。


彼の腕の中に飛び込む。ギュッと抱きしめると、躊躇いがちに抱きしめ返してくれた。彼の体温が温かくて、彼の胸に頬を寄せる。顔を上げると耳を赤くした彼がいる。自分も真っ赤な顔をしているのだろう。


灯る熱に氷結していた心が解けていくような気がした。


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[良い点] 寂しさを氷に例えての描写がとても素敵でした。 次は氷を解かされたヒロインが、ザックの心をいやしていくのでしょうか? 二人が、温かい気持ちに満たされた人生を送れますように! [一言] 寂…
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