6 鬼の道
「おのれ…。その力、黄土の力ではない・・・な」
康煕は、ユウトの前に立ちはだかった。声からしてユウトを苦々しく思っているに違いない。
「待て、逃がしはせん」
「それはどうかな」
ユウトがチエをかばいながら後ずさりをする。足元には金縛りとなったカズキやユウキが転がっている。
「康煕さん、俺が使っている黄土の自在力は、しょせんあんたたちの龍人力と裏腹なもの。俺の今の力は、あんたたちによって地球の大地が呪いを受けたことに由来するものだ。あんたたちの存在と行いによって、この地球の大地は虚空や滅空を生じせしめるほど酷く呪いを受けている。それゆえ、俺の発する力は呪いに関わるものたちに強く働く」
「この地が俺たちのせいで呪いを受けただと? そんなものがあるはずがない」
「天の力も栄光も理解しない者たち、やはりあんた達は傲慢だ。だから、あんた達は呪いに関わる者たちだと、俺は言ったのだ。」
「傲慢だと? 理解していないだと? そうさ、俺はお前らの導きで救われたはずだった。それが、その先にあったものは心の病気だった。俺が何をしたから、そんなまた不幸に見舞われるのか? そうだ、俺が理解したのは、天は、この世の創造主は救うなんてことをしないんだ。いや、永遠の過去からこの方、天などというものはないんだよ」
「知恵者のつもりで語っているのか、おろかな・・・・」
「ほう、お前はあるというのかね。この俺に天とやらが、どう働きかけているというのだね」
「無知な、あまりに無知な…」
「そうさ、お前の言うとおり、天の栄光も力も知らないね。そんなものはないからさ、だから俺は気が付いたのだ。この空中で権能を持っているのは、明龍様だ。あの方は俺に降り立ってくださった。俺はタターガ人、依り代としてあの方の存在を悟ったのさ。あの方は永遠の過去からいらっしゃる叡智様の教令身だ」
ユウトは、もはや明龍の依り代となり下がった康煕に、語る言葉を持たなかった。康煕はチエの近くににじり寄りながら語った。
「その女をよこせ。はじめ叡智様が働きかけたのに、その女は拒んだ。それゆえ、明龍様となって道を開こうとこの女に働きかけてくださっているのに…お前たちは邪魔をし続けるんだな」
この言葉に、意識を取り戻していないままながら、チエはユウトの後ろに隠れた。
「その女は、確かにかつて俺たちを救った存在だ。それが見ろ、いまじゃ絶望と不浄の垢にまみれ、死んだほうが良い存在だ。しかも、何度も涅槃に入れるチャンスを逃した。いや、お前たちがそれを拒んだ。ゆえに、彼女を救うには、強制的な涅槃が必要なんだ。さあ、その娘をよこせ。」
ユウトは憐れみを康煕に向けながら語った。
「あんたが明龍の依り代だったとは…。もうあんたに何も言うことはない…。俺とあんたとは相いれない」
「そう、互いに相いれないだろう。それゆえお前をここで亡き者にするつもりだ。いやいまはできなくても、必ず亡き者にする」
「そうは簡単にいかない。俺は戦い続ける。そのために高みを目指し続ける。そして、彼女守り続ける」
それを聞いた康煕は大きく跳躍し大きな龍となってチエを襲った。同時に、ユウトは大きく翼を広げてチエを抱え、地上から飛び上がった。彼らはチエを奪うため、チエを守るために。
彼らはしばらく天空でもみ合い、互いに撃ち落とそうと絡み合い、ついにはユウトは地上へと叩き落されてしまった。
・・・・
ユウトは二つの翼をもぎ取られてしまった。
「どうしたね。力を失ったから、黙って耐えているのかね?」
確かに翼が失われたことでユウトは力を失い、普段の人間並みの力程度になっている。康煕はユウトを嘲笑した。
「力を失った今、お前は自信をも失ったんだろ。ちょうどいい。お前たちを二人だけにしてやる」
「どういう意味だ」
ユウトはまだ気を失っているチエをかばいながら、康煕をにらみつけた。康煕は薄ら笑いを浮かべながら話をつづけた。
「愚かなユウトよ、チエがどれほど不浄の身なのかを、お前の目で確かめてみるんだな。チエは骨の髄まで娼婦だ。堕落しきっている。もっとも汚らわしく、もっとも忌み嫌うべき者。ゆえに存在するだけで、周りを煩悩の渦に巻き込むぜ」
「俺は蒼翼の騎士としての誓を立てた男だ。人間を捨てた男だ。そんな俺が影響されるはずがない」
「人間を捨てた? そうかい。しかしな、お前はまだ人間の部分を残している。チエがあまりに哀れな存在だったらどうする? お前を誘惑するだろう、お前にすがってくるだろう、その時どうするかね。そうやって彼女の穢れの深さを思い知れ。そうすれば、二人して苦しみの中にいることになるだろうさ。そのうち、強制的に寂静に至らしめてやる。末法の世における調伏が始まるさ」
康煕はそういうと、ユウトの顎をしたたかに殴って気絶させてしまった。
チエが気が付くと、そばにガードマンも泥まみれで冷え切った体のまま倒れている。その横顔はユウトそのものだった。
「なぜ、ここに先輩が・・・・・。死んだどおもっていたのに。先輩・・・」
しかし、ガードマンは気を失ったまま目を開けない。チエはその横顔を眺めた・・・やがて、ガードマンは気を取り戻した。
「先輩・・・・」
「俺はガードマンだ」
ユウトは、横を向きながら否定し続けた。チエは、目の前のガードマンがユウトであると信じたかった。
「先輩でないなら、私を特別視しないはずです。私は娼婦。だから、あなたを誘惑するのが私の仕事であり、願いなんです。もし私を救うというなら、私を買ってください。そうして孤独な私を少しでも助けてください。」
チエは、冷えたままで動きの取れないガードマンの首に手をまわした。ガードマンはチエを見ないように必死に横を向く。やがて、チエの体温によってガードマンの身動きが取れるようになった時、ガードマンはチエの肩を両手で押さえながら上体を起こした。
「俺は、君を守るためだけに存在する詰まらないガードマンだ。君は自分自身を大切にすべきだ」
そう言いつつ、ユウトはチエの手の甲にキスをすると、思いつめたチエはそのままユウトの唇を奪った。それを受け入れたユウトだったが、チエの涙声に我に返った時、意志力をもってそれ以上を拒んでいた。
その光景を見続けていたのだろうか。康煕がいらいらしながら二人の前に表れた。
「お前は唐変木なのか、意気地なしなのか、女が求めてくるのに応えないのかよ。人間じゃねえな」
康煕はうっぷんを晴らすように力の回復していないユウトを殴り、なぶり、もてあそび、むち打ち、突き刺した。
「やめて」
チエはガードマンをかばおうと康煕の前に立ちはだかった。そのうしろでガードマンはじっと康煕を見つめていたが、翼を失っているせいだろうか、しだいに目を閉じ力を失って冷たく死んだようになった。
「ほう、やっぱり人間なんだな。お前、今のままだと死んでしまうぜ。人間なんだからな。人間なら人間らしく、女の求めに応じやがれってんだ」
康煕はそういうと、二人を置いて行ってしまった。
チエは冷え切った瀕死のガードマンを懸命に看病した。鞭によって傷ついた肌、刺し貫かれた傷と血の跡、引きちぎられた翼の付け根の跡。チエはその一つ一つに涙を注ぎ、長い髪で拭いつつ治療していった。やがてユウトはようやく呻き声を出せる程度に回復した。チエは少しでも早い快復を願い、ユウトの身体を自らの体温で温め続けた。
チエの唇がかすかに動いている。
「先輩…、たとえ先輩でなくても。あなたをこんな目に合わせているのは、私。私がここにいるから、この世にいるからいけないんです。わたしをゆるして・・・」
それは、気を失ったユウトの背中にすがりながらの、許しを請う言葉だった。その時チエは暖められたガードマンの背中から立ち上る匂いが、ユウトの背中の匂いと同じであることの気付いた。
「やっぱり、先輩だったのね・・・・」
チエはいたたまれなくなった。すでにチエの心の中は混乱の中にあった。父の死、母の死、恩人の死、それらまでチエの心に絡みつき、その上に自らの不浄とユウトへの激情、縋りつきたいという衝動と自らを抑えたいという意志・・・・。
彼女は自分が何かをしたいのかわからなくなっていた。そのまま鬼の道を生きてきたチエだった。今、チエは静かにガードマンの許を、ユウトの許を自らの意思で去る決意をした。今までは鬼の道を強制されていたチエは、自らその道を選んだ為だろうか、その顔立ちは感情の高ぶりとともに、鬼のような面妖に変わっていた。
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チエはユウトの傍を離れようとした。その時、ユウトはチエの鼓動を感じて目を覚ました。
「どこへいくんですか」
目の前には、チエとは似ても似つかぬ鬼の女がいた。それでもユウトは彼女の鼓動を感じてチエであることがわかった。ユウトは、鬼となったチエに抱きつき必死で止めようとする。チエは逃げはじめながらユウトにいった。
「放して」
「チエさんでしょ」
「そういうあなたは、やっぱり先輩なんでしょ?」
「ち、ちがう」
「そうよ、だから、私を命を懸けてたすけるんでしょ」
「い、いや違う。俺は君のために生きると誓ったもの、人間さえ捨てた存在だ・・・」
「そうよ。私を助けてくれるのは、先輩だから。あの時の暴走族で助けてくれたのも、みんな先輩だったんでしょ」
「・・・・」
「もう、ほっといて、私に優しくしないで。私の思いを知りながら、私を受け入れてくれないくせに。そんな顔をして優しくしないで・・・・」
「すまない」
「さよなら、先輩。あなたはやっぱり先輩だった。生きてくれていた…。私にはそれだけ分かれば幸せなの。もう、私は穢れたうえ、鬼になり下がってしまったのよ。もう、あなたの前に立てない。あなたにこの鬼の顔をみてほしくない。だから・・・・、だから、さようなら」
チエは、そのまま夜の天空へと消えていった。その時わざわざ康煕は結界を切り、チエがユウトの許を逃げ去っていくように仕向けていた。それはチエとユウトを引き裂き、絶望を味わわせるためだった。