『腐れ縁の稲荷神』
以前大学の方で出したヤツをそのまま持ってきました。
ヒトならざる者。即ち異形。
普通の日常からは到底かけ離れた存在だ。世間一般的に言う「オカルト」にカテゴライズされる概念でもある。メディアなんかではよく心霊特集が組まれる事が多々あるが、仮に「本物」を見た人間から見れば子供騙しの如く感じられるだろう。
基本的に人間の眼には捉えられない、というのがセオリーだ。
特に、妖怪等の中には心が綺麗な者にしか見えない、なんてものもあるのだという。
怪異は自分と遠い存在であるという固定概念があるだけで、ソレらと普段から接している者にとってはただの「常識」に過ぎない。
そう、例えるなら、今の俺の様に──、
「なんで折角の夏休みなのに、今日も此処に来なきゃならないんだ……」
此処は、地元の由緒のある神社。
美しくも威厳のある朱塗りの明神鳥居は長い石段へと続き、新緑に囲まれた荘厳な本殿が奥に佇む。
普段から参拝客は多い方で、その殆どは地元の人間が占める。
古くからの伝統を途絶えさせる事なく現代まで受け継ぎ、祭事なども不思議と中止になった事は一度も無い。雨天決行ということもなく、祭りが行われる日は決まって雲一つない快晴だった。台風が直前で進路を変えたどころか、直後に消滅したなどという事例もある。
この神社は日本全国にある稲荷神社の一つらしく、この土地の氏神として長らく信仰を集めて来た。証拠に、本殿の前には二匹の狐が向き合っている。
主祭神は宇迦之御魂神。古来より根付く五穀豊穣の神であり、稲荷のイメージの典型である狐はその眷属である。
日本人にとって馴染み深い身近な神様であるが、自分にとってはその感覚──「身近さ」が違う物のように感じられる。
「──いやぁ、昔から頻繁に通ってくれる早紀ぐらいしか話し相手が居なくてさ」
本殿に腰を掛ける自分の右隣りから聞こえる声。
それは確かに少女の声だ。しかしそれが果たして人間かと聞かれると、少し答え辛くもある。
第一にその装い。シャツにパーカーという至極シンプルなファッションの自分に対し、声の主は巫女服。そこだけなら「まだ」問題無い。この神社に努める巫女さんであれば何一つ問題は無いのだ。
次に容姿。まず日本人らしからぬ、透き通るような碧眼。頭髪は黒なのだが、耳が本来あるべき所に無く、頭部に獣を想起させる耳らしき物体がちょこんと付いている。
そして、異形の者であると推測できる最たるものとして、腰の部分から伸びた毛の塊──否、尻尾である。それも、お手本のようなフカフカの。
コスプレでは無い。本物だ。
何故断言できるか、といえば──
──こいつは、俺以外には視えないからだ。
「だからって、わざわざ休日に呼ばなくていいだろ? お前が暇なのは分かるけど、折角の夏休みを何もない神社で過ごさせるのは如何なものかと思うよ」
「んなっ!? それは聞き捨てならないな! 神の遣いに向かってお前とはなんだい!」
横でいきり立つ少女はそう、神の遣い──眷属の狐だ。
性格を知っている自分からすれば神の遣いなんて高尚なものには毛程も思えないが、本来であれば、多くの人は彼女を崇め、丁重に奉るだろう。
宇迦之御魂の眷属として、この神社で数百年の間この土地を見守って来たのが彼女だ。それと同時に、自分にとって最も身近な「非日常」の象徴でもある。
「昔はもっと可愛げあったのになぁ。大学生なんかになってからすっかり神社にも来なくなって」
「仕方ないだろ、俺だって忙しいんだよ。きっちり呼ばれたら来てやってるだけ良いだろ?」
自動販売機で買った緑茶を傾けつつ、言葉を返す。
俺は、生まれつき霊感が強い。
つまり、視えなくてもいいものまで見えてしまう。例えを挙げるのであれば、無害な浮遊霊や、生前の怨念、執念からその場に縛り付けられてしまった地縛霊といったものだろう。
一般人にとっては畏怖、恐怖の対象だが、幼い頃から目にしていた為に今となっては生活の一部と化している。
「まぁねぇ、最近は参拝客も若い人間も減って、すっかり老人ばっかりだよう」
「そりゃ仕方ないよ、寧ろ、元々若かった人たちが年を取っても大事にしてくれるなんて良い事じゃんか。そんなに若い参拝客に来て欲しいなら、安産の御利益のある神様でも連れて来ればいいんじゃないか?」
「なんだいその言い草は。セクハラかい?」
神聖なる神の遣いからセクハラなんて単語が出てくるなど、一体誰が想像出来ようか。
明確な要因は定かではないが、一言で形容するのなら、彼女はかなり「人間臭い」。
この通り、神聖さの微塵もないのが彼女の性格。とても神に仕えている身だと思えない。
俺が彼女と初めて喋ったのは今からずっと前。小学生の頃だった。
小学生の頃は兎に角アクティブで、この神社は遊び場の一つだった。特に夏なんかは山に隣接している事もあり、カブトムシやら蝉やらを狂ったように捕獲していた。
日差しは強く、じりじりと容赦なく肌を照り付けるような炎天下だったのは今尚記憶に残っている。
その日もいつものように虫カゴに虫取り網を装備して神社へと向かったが、普段と同じ場所では無く、背後に聳え立つ山に分け入ろうとしたのだ。
神社の本殿から脇道へと入り、深い緑へ喜々として足を踏み入れようとした、その刹那だった。
『そこな小童、少し待ちたまえ──そこから先へ行けば、山の神様に連れていかれてしまうよ』
と、声が聞こえたのだ。
声のした方へと視線を向けると、其処には罰当たりにも本殿の瓦屋根に乗ってこちらを見下ろす少女──神の姿があった。
当時から人ならざるモノを見て生きていた為に、なんとなく直観的に「人間では無い」という事だけは理解出来た。
「──君は、誰?」
今思えば、この一言を発した瞬間から、腐れ縁に近い僕とコイツの関係が結ばれてしまったのかもと思う。まさか、その辺にいる浮遊霊とは比べ物にならない存在と話すなんて、今思い返しても可笑しい。
「私はね、ここの神様なんだ。正確には、仕えている身だがね」
そう言って瓦屋根から飛び降りる。
同時に、彼女は開口一番、訂正しつつも自分が人間でない事を明かした。
「山は危ないから、私と一緒に遊ばないかい?」
膝を屈め、視線を合わせて彼女は言った。
傍から見れば子供を攫おうとする危ない人のようにも見えるが、彼女は人間では無く神の遣い。そんな事は関係ない。
当時はまだ「人じゃないけど遊んでくれる変な人」程度の認識だったので、その日からは神社に足繁く通うようになった。
かくれんぼや川遊び、鬼ごっこ。その頃には既にゲームなどに手を出していたが、小学生の頃の自分にとっては、それよりも彼女と過ごす時間が単純に楽しかった。兄弟のいない一人っ子だった事もあるのか、ある種姉のような存在でもあった。
それから月日が流れ、気付けば大学生だ。時間の流れというのは自分が思う以上に速い。しかしそれは定命ではない彼女にとっては関係の無い事なのかもしれない。
人々から信仰を得、神社が廃れなければ問題無いのだ。
「……なぁ、稲荷」
彼女に名前は無い。眷属は皆等しく同質であり、名は意味を成さない。故に便宜上、「稲荷」と呼ぶようにしているのだ。おまけに語感も良い。
「稲荷は、俺が死んだらどうすんだ?」
人間は定命。一方で神には前提として「死」という概念が無い。憶測に過ぎないが、六道を生き続ける輪廻の輪からも外れているのではないか。
それは、人々から崇敬される彼女に対してでは無く、長年付き添った友人としての質問だった。
死というものは全ての生命に等しく訪れるモノ。
ソレを終焉と捉えるか始まりと捉えるかは人によって違うが、生きている以上、死を迎えるのは免れない。
「! 急にどうしたんだい!?」
稲荷も少々慌てた様子で返答した。それもそうだろう、普段と変わらぬ会話の中で、急にこのような重い質問を投げかけられれば誰だって困惑する。
ただ、心配になったのだ。
信仰を集め、彼女は神社が廃れない限りは此処に居続ける。
しかし「それだけ」だ。
在り続けるだけで、そこには会話も何もない。感謝や願いを一方的に受けるだけ。
俺が例外なのだろうが、もし彼女が見える俺がいなくなった後、一体どうなるのだろうか。
彼女は顎に手をあてて暫く黙考した後に
「──死んだら、また会えるんじゃないか?」
そんな素っ頓狂な答えを返して来た。
やはり神の遣い。思考が人間とはかけ離れている。
「私は何も、ずっとここにいる訳じゃない。宇迦之御魂様や荼枳尼天様への報告で天に帰る事もあるし、お前が閻魔の裁判を受けて天国に行く事が許されれば、四十九日の間に地上に来て会う事も出来る。──なんならお前の死後、眷属として此処に配属するよう、上に話を通してやってもいいぞ?」
的外れな答えだと思っていたが、本人は至極真面目に考えてくれていた。
まさか死後の事も実際に耳にするとは思っていなかったが、神の眷属たる彼女が言うのだから本当の事なのだろう。
「稲荷……」
今後は俺がどう言葉を返そうか思案している間に、稲荷は続けて言葉を紡ぎ出した。
「でも私は、生きている身のお前と話すのが楽しいし、好きなんだ。──お前が年食って死んで、天に昇ったとしても、それを惜しんだりはしないさね」
……なんか、小っ恥ずかしいな。
腐れ縁の友人のようなものとして認識していたが、この瞬間だけ彼女を「異性」として認識したような気がする。
正直、下手な幼馴染よりも付き合いは長い。もしかしたら心の何処かで、そう思わないように抑圧していたのかもしれない。
心臓は鼓動を早め、頬はみるみるうちに紅潮していく。稲荷もそれを見て察したのか
「……お? お前もしかして照れてる? 照れてるなぁお前!? 全く、愛いヤツだな~。……そういえばお前、昔神社で雨宿りしてる時、濡れた私に見惚れてたよな~? 気付いてないとでも思ってたか?」
「──ッ!!!」
ずっと封じ込めていた、思い出したくない記憶を掘り起こされる。
彼女の言うソレは、急な豪雨に見舞われた時の事だった。
二人で本殿に腰を掛けて凌いでいたのだが、かなりガッツリ濡れてしまっており、目のやり場に困り果てていたのを覚えている。
俗に言う濡れ透けというヤツだ。
巫女服の下に一応サラシは捲いているらしいが、思春期真っ只中の少年がそれを意識しない筈が無い。今思えば、その時も今のように、羞恥する俺を見てニヤニヤしていたのだろう。
「ありゃ仕方ないだろ! 俺だって健全な男子なんだから!」
何故開き直っているんだ俺は。
ちょっとは否定しろと思ったが、口から出した言葉はもう取り消す事は不可能。
その後も煽りを止めない彼女に痺れを切らし、俺は本殿から立ち上がり
「今日はもう日が沈んできたから、帰るぞ」
そう言って本殿の立派な賽銭箱に五円玉を投げ入れて鐘を鳴らし、「それじゃ」と言って石段を下っていく。
多少は頭に血が上っていたのもあるが、少し唐突過ぎただろうか。
帰路に付き、自分の家へと寄り道せず向かう。
スマホで時間を確認しようとポケットに手を突っ込むが、その拍子に何かが零れ落ちた。
「……ん」
チャリンチャリンと、アスファルトで舗装された地面でソレが何度かバウンドする。
拾い上げるとそれは、えらく古臭い五円玉だった。
「──明日も来い、か」
静かに呟き、大事に財布の中に仕舞う。
──明日も、あの人間臭い神様の話し相手をしてやろう。
そう思い、鮮やかな夕暮れが空を染めていく中、家路を急いだ。