帰蝶というスナックで私は自己紹介をする
スナック『帰蝶』。
昔ながらのカラオケ店を改装した小さなスナックだ。
従業員は一人、女主人の帰蝶だけである。
店の入口についている鐘が鳴った。
洗い物をしていた帰蝶は、一旦手を休めて音が聞こえた入口へと視線を向ける。
入口に立っていたのは男だった。
帰蝶のよく知っている男。
「よぉ、元気?」
「…川原」
男の名は川原という。
「…珍しい。今日は私服なのね」
「デートの帰りだからな」
ズキン…。
心の中で何かが割れる音がしたが、帰蝶はため息を落として。
「もしかして私に、彼女さんの惚気話をしに来たのかしら?」
「そんなつもりで来た訳じゃないんだが……彼女の話が聞きたいなら聞かせてやろうか?」
「遠慮するわ。貴方の惚気話は聞き飽きたから…」
冷たくあしらい、川原に背を向けると同時に後ろから苦笑いが聞こえた。
「つれないな、せっかく来てあげたんだ。そんな態度はないんじゃないか?」
「……貴方、私の気持ち知ってるくせに、酷いこというのね」
「気持ち?…なんのことだ?」
「私が貴方のこと好きなの知ってるくせに…」
「?」
「……まぁ、いいわ。で、なんのようなの?私、開店準備で忙しいの…」
今日の開店準備だって始めたばかりで、やらないといけないことがたくさんあるのだ。
川原も親しい客とは言え、これ以上立ち話もしてられない。
「すぐ終わる。おいで」
「おいで?」
川原が外に向かって呼びかければ、少女が恥ずかしそうに川原の傍に近づいて。
「こ、こんにちは…」
と、私に挨拶をしてきた。
「こんにちは…え~と…貴女は?」
「原口夏帆です!」
「原口?」
どこかで聞いた名前だと思い川原を見れば。
「原口組の三代目の孫娘だ…」
原口組。
この地区を縄張りとしているヤグザ組の名前だ。
ちなみに川原もヤクザである。
「なるほど…。ってことは…川原の…」
「―――婚約者だ」
聞きたくない言葉を聞いてしまった。
今、私は川原から『婚約者』を紹介された。
いつか、彼女を紹介されるのではないかと考えていたが、まさか今日だとは。
「私は帰蝶よ。貴女のことは川原から聞いてるわ。とても可愛らしい彼女さんね」
「そ、そんなことないです…」
茹でタコのように顔が真っ赤になる少女。
何げなく、少女の隣にいる川原に視線を向ける。
川原は愛おしそうに少女を見つめていた。
少女は気付いていないけど。
視線を川原から少女に向けて
「……夏帆ちゃん、だったわね?何か御馳走するわ」
「え!?いいんですか!」
「勿論よ。カウンターに座って待ってて頂戴」
夏帆と呼ばれる少女にカウンターに向かうように促してから、川原だけに聞こえるように小声で呟いた。
「これは貴方のツケに足しとくわ」