出し物(1)
プロローグの2日前から話が始まります。
90分の講義から解放された学生たちの弾んだ声が大学のロビーに広がっているのだろう、地下1階にまでその賑わいが届いてくる。
百人一首研究サークルの部室では自分の他に2人の学生が思い思いに自分の時間を過ごしているが、今はそんな自由にさせていい時間じゃない。さっきから話しているのは自分ばかりで、この2人は気の抜けた相槌ばかり打っている。
「なぁ、どうするって聞いてるんだからさ。ちょっとくらいこっちに顔を向けろよ……」
そう言うと、面倒そうに2人の内の女子の方が口を開く。
「だからテキトーでいいって。テキトーで。決めてくれたらちゃんと準備はするって言ってるじゃない」
スマホから顔を上げた際に明るい茶色に染めた髪がサラリ流れ、少しキツい感じの吊り目があらわになる。しかし恐ろしいという印象を抱かれることはまずない。それは初対面で彼女を見た誰もが持つ第一印象が『美人な女の子』であるからだ。
「一緒に何やるかを決める所から始めるのが醍醐味だろ!? 年に1度のイベントだぞ?」
「私そういうの考えるの向いてないのよねー」
そんな美少女の棒読みで返ってくる返事にはやる気の欠片も感じられない。子供の頃から頭を使って考えるのはいつも人任せで、大体それを任されるのは自分だった。
今もまたスマホへと目を落とし始めた御堂アイアは、何のサイトを見ているのか軽く噴き出している。
そして呼応するようにもう片方の、今度は男の方もアイアに同調する。
「僕もなんでもいいかな。カズキが決めてよ。お客さんなら僕がいっぱい連れて来てあげるからさ」
キラリと白い歯を見せて微笑むこの男は、高校時代からの親友の豪徳寺覇太郎。
そこら辺のアイドルとは比べ物にならないほどのハーフ顔のイケメンで、色白なのに加えて髪もブロンドに染まっているため欧州系の人間に間違えられることが多い。
ちなみに客と言っているのは『覇太郎ファンクラブ(非公式)』に所属する女子たちのことで、やつらは常に覇太郎のことを追いかけまわしている。
なおコイツに関してもやはりアイアと同様、積極的に考えはしないけど手は動かすタイプの人間だ。
「はぁ……。お前らなぁ、今年は運よく屋台が出店できるようになったんだぞ? 去年の講義棟の隅っこの空き教室でやる漫才ライブに比べたら盛り上がりは天と地ほどの扱いの違いだ」
「あら? でも去年はそこそこ集客できてた気もするけど」
「それは漫才関係なかっただろ!!」
やはりスマホから顔を上げずに去年の出し物について言及したアイアに、苦い思い出がよみがえる。
「俺と覇太郎で漫才やってるのに客どもは全員覇太郎ファンの女のみだったじゃんか……っ!! 漫才は笑うために見に来るものであって、黄色い声を上げるために来るもんじゃないのによぉ……」
覇太郎の一挙手一投足に甘いため息を吐くファン共を前に、覇太郎はまだしもよく俺が舞台を降りずに耐えきったと思う。人生で1番長く感じた5分だったことは間違いない。
「そうだったかしら。私は楽しい思い出が多いんだけどね」
「それはお前がは中盤ぐらいに顔を出したっきり、後は友達と学園祭巡りしてたからじゃねぇか!! もはや出し物が関係してないんだよ!!」
「だってつまらない漫才見ててもつまらないだけだったし」
「うるせぇ! そんなにボロクソ言うならお前も演者側に立てばよかっただろうが!!」
「だからそれも嫌だったの!! 飲み物の差し入れをしてやっただけ感謝しなさいよ!!」
「だから去年も今みたいにアイディア募集してただろ!! お前何にも提案しなかったじゃねぇか!!」
「特別やりたいこともない3人で知恵絞って出し物したって大したものにはならないから、休憩所にでもしたらいいじゃんとは言ったわよ」
「……だから俺はそんなんじゃつまんないと思ったんだよ!! どうせなら力合わせて何か作りたいじゃん」
「で、結果としてよりつまらない漫才ができたわけよね」
「うぐっ」
まあ実際漫才自体は客のツボをかすりもしないでスベリ倒してたしな……。
「まぁ僕としてはそれを含めていい思い出だけどね」
覇太郎がすかさずフォローを入れてくれるものの、失敗したこと自体は否定しない。やるせないな。
「……まぁ過去のことは置いておこう。今大事なのは今年の学園祭で何を売りに出すかだ」
するとアイアはため息をついて飽き飽きいった表情をして俺の方にようやく向く。
「だから何でもいいって。私と覇太郎はどうせ何をやっても上手く立ち回って充分活躍できるだろうから。カズキがこれなら人並みに役立てる! って自信のあるやつにしなさいよ」
「うんうん。カズキは大体今まで何をやっても空回りしているからね。自分の得意分野で攻めるのがいいと思うよ」
「くそぅ……好き勝手言いやがって。でも今までの前例があるから何も言い返せねぇのがすごく悔しい……」
冷たく無機質な机に横っ面を貼り付けて、いじけたように力なく体を伸ばした。
そう、こいつらは勉強こそできないものの(俺もできないが)、なんというか容量だけはいい。その場その場で適切な判断が下せる回転の速い頭が確かにあった。
高校時代に3人で悪巧みをしても先生に怒られるのはいつも俺だけだったし、さっきの話に挙がった去年の学園祭も得したのはこの2人だけだ。
俺が舞台上で恥を上塗りどころか恥で石膏のように全身を塗り固められている間、覇太郎目当てで訪れるお客をターゲットとして販売するための飲み物を仕入れたアイアと、ちょくちょく漫才中に飲み物のダイレクトマーケティングをした覇太郎は結構な利益を生み出していた。
そのようにして稼いだ金で行われた打ち上げに、俺は自身の無力さに苛まれたのだった。
「それじゃあ私、帰るね。これからバイト」
「僕もこの後デートの約束が3件入ってるから、またね」
そう言い残して2人は部室を後にする。
1人残された俺はしばらくしてから顔を机から離し、なんとなく部室を眺めてみる。
6畳ほどの部室には不釣り合いにデカい机が真ん中を占拠しており、両側がそれぞれアルミの棚と壁に挟まれていて机の下にあるパイプ椅子を余裕を持って引き出せないほど狭い空間。
棚にはUFOキャッチャーで獲得した美少女フィギアや漫画、同人誌、埃のかぶった辞書などが点在している。
こんな陰気な場所を眺めていてもインスピレーションが湧き上がってくるようなことはない。
「あぁ……ホント、どうするかなぁ……」
大学2年目の秋、百人一首研究サークル会長・朝隈カズキは1人部室で頭を抱え悩んでいた。