2
人の進化は、時として世に恐怖を生み出す。その恐怖は、人知を越えたものとなり、支配を強め、やがて人は自ら生み出した知恵の産物に食われていく。
求めれば求めるほどに人は進化していき、そして新たなものを生み出していく。
そしてここに一人の天才博士によって、新たな恐怖が産み落とされた。それが、やがて世界の脅威になるとは、誰が思っていたことだろう。
「完成だ。やっと完成したぞ」
佐伯博士が歓喜の声を上げた。研究に研究を重ね、やっと完成した代物だ。ここまで来るのに十年もの時を要した。
「やりましたね」
助手の神谷がパチパチと手を叩きながら、佐伯に近寄った。
「このロボットさえあればなんでも可能だ。世界を滅亡させることもな。まあ、そんなことに使おうとは思わんが」
佐伯は完成したてのロボットに目を向けた。メガネの奥で光る瞳は、まるで子供のようにキラキラと輝いていた。
人工知能搭載高性能ヒト型ロボット、「フィル」。佐伯博士のあらゆる知識が凝縮された集大成である。人の形を模したロボットで、その動きは機敏かつ人以上の反応を示す。またブレインICチップが組み込まれており、知識は人より遥かに高い。
ブレインICチップとは、様々な偉人や知識人から抽出された知識が凝縮されたメモリーである。これをロボットに組み込むことによって、人工知能を持ったロボットが出来上がるというわけだ。つまり、ICチップは人でいう脳の役割を果たしているわけである。そして、ロボットの心部となる。
インプットされていない言動やプログラムがあれば、ブレインICチップを基に、機械が勝手に作り出していく。そしてそれらのデータは、もう一つの空白のICチップ、ブランクICチップに記憶されていく。これらのICチップがあるかないかで、ロボットの能力は格段に違ってくる。
「起動させてみましょうよ」
神谷が言った。佐伯は大きく頷いた。
佐伯がロボットの背中に位置する起動ボタン押した。ロボットの瞳が、緑色の光を帯びやがてゆっくりと動作を開始した。
「やあ、僕がキミの生みの親だ。キミの名前はフィル。よろしく」
佐伯はロボットに向かって声をかける。
「フィル……。僕ノ名前ハ、フィル」
ロボットはゆっくりと繰り返した。
「そうだ。フィル、キミはこの世界で人のために従事するという、立派な大役がある。そのために生まれてきたのだ」
「ハイ、了解イタシマシタ」
フィルは膝をつき、頭を深く下げた。その姿は、王に忠誠を誓う兵士のようだ。佐伯はうんうんと満足そうに頷き、
「完璧だ。完璧すぎる。見るに、落ち度などどこにもない。これで僕は世界一の博士だ」
と神谷のほうに振り返って、たいそう満足そうに言った。自信と喜びに満ちた顔は、すっかり自身に陶酔していた。
「あなたは世界一の博士です。あなたの助手を勤めさせていただいき光栄に思います」
神谷は、右手を白衣のポケットに突っ込み、その中にある機械のボタンを押した。
「博士、ロボットが……」
神谷の声は震えていた。彼は装ってそんな風な声を出した。
「なんだ?」
佐伯はロボットのほうに振り返った。瞬間、彼の顔は驚きに変わっていた。
「お、おい! それをしまえ。僕にそんなものを向けるな」
佐伯は怯えの色を浮かべながら、叫んだ。
フィルは右手を刃の形に変え、それを佐伯に向けていた。
「な、なんということだ。僕はこんなものを組み込んだ覚えはないぞ」
佐伯は言いながら後ずさりした。
フィルは佐伯に向かって飛びかかった。フィルの刃が佐伯の腹部を貫いて、鮮血が迸り、フィルと神谷の服に付着した。途端に、研究所は悲痛な悲鳴に包まれた。ただ一人、彼だけは一瞬不適な笑みを浮かべ、そのあとに表情を装った。
「ヒャハハハ、オレハ自由ダ。ヒャハハハ……」
フィルは狂ったように笑い出した。
「博士、しっかりしてください」
神谷は血を流しながら倒れている佐伯のもとに駆け寄った。フィルは機敏な動きで、研究所を出ていった。
「クソ、よくも博士を……」
神谷はフィルを追おうと立ち上がろうとしたが、佐伯に腕を掴まれた。
「博士」
佐伯はゆっくり首を振った。追うな、という意味らしい。
「追っても、ヤツには……追いつけん。クソ、失敗作か。神谷……これを」
佐伯はポケットから、鍵を取り出した。
「これは?」
「金庫の……鍵だ。そこに、フィルの、設計図が……入っている。停止の……方法も記されている」
佐伯は神谷の肩に手を置き、しっかり見据えた。目は赤く充血していた。
「フィルを……止めてくれ。このままでは……大量殺戮が起こってしまうかもしれない」
神谷は佐伯の手の上に自分の手を乗せ、
「はい。必ず止めます」
と、頷いてから言った。やがて血を吐くと、佐伯は眠るようにして目を閉じた。
金庫は研究所を出て、二つ隣の部屋にあった。そこは佐伯の個人部屋で、神谷が入ったことは一度もなかった。
神谷は鍵で、金庫を開けた。金庫は二重ロック式で、次に四桁のパスワードを入力しなければ開かない。神谷は既にそのパスワードを知っている。
〈1588〉と入力すると、カチャリという音を立てて金庫の鍵が完全に外れた。
茶封筒が一つと、遠隔装置式と思われるコントローラーが入っていた。コントローラーには赤と青の二つのボタンがあった。赤が緊急停止ボタンで、青が始動させるためのボタンだった。
茶封筒の中にはA4判の紙が六枚とICチップが入っていた。神谷は中から六枚の紙を取り出した。それらにはフィルの設計図に、起動方と停止方が記されていた。
神谷はそれを見て青ざめていた。
フィルの停止方は、二通りあった。一つはコントローラーの停止ボタンを押すこと。遠隔操作によって、フィルの電気信号が完全に遮断されるのだ。
そしてもう一つが、フィルの胸にある緊急停止ボタンを押すことだった。コントローラーが効かない時のために、非常用として設けたものだ。
神谷は、今、手にしているこのコントローラーでは、止めることができないとわかっていた。先ほどの行動が、原因である。
神谷は佐伯に隠れ、自らに従うためのプログラムをフィルに組み込んでいたのだ。
先ほど、自分が自作のコントローラーのボタンを操作したことによって、フィルの電気信号は神谷のコントローラーに従うようになった。当然、佐伯のコントローラーに反応を示すわけがない。
だが不覚にも、神谷は自分のコントローラーに停止ボタンをつけるのを忘れていた。いや忘れていたのではなく、つける必要がないと思っていた。ロボットが自分に従うようになれば、ロボットの動作を意のままに操れるだろうと考えていたのだ。だがそれは、浅はかな考えだったらしい。
暴走したフィルを、コントローラーで停止させることが、できなくなってしまった。つまり、本体の緊急停止ボタンを押すか、機械そのものを壊すしか、停止方法がないわけだ。
「クソ!」
神谷はポケットからコントローラーを出すと、それを投げ捨てた。こんな事態は想定外だった。
佐伯を殺し、彼の研究そのものを奪う。富と名声のために。それが彼の思い描いていたストーリーだった。ロボットが殺したことによって、それは事故として処理されるだろうと考えたのだ。佐伯を殺したまではよかったのだが、ストーリーは違う展開に転んでしまったようだ。
神谷はフィルの設計図を、乱暴にポケットに押し込み、部屋を出た。
やがて地上はフィルによって圧倒されていった。人はその圧倒的な力を見せつけられ、ただ指を加えて見ているだけしかできなかった。この物語には、最悪の筋書きが用意されていた、と気づかされたのだった。