1章――1
薄暗い研究所で、突然ロボットが暴れだした。それはぎこちない動作で、腕を振り回し、意味不明な動作を繰り返して、研究所を動き回っている。その姿は、駄々を捏ねる子供のようだ。
「またやっちまった。クソ、なんで俺たちがこんなことに」
三宅元はゴーグルを外してぼやいた。幾度目かの失敗を重ね、とうとう嫌になりだしていた。
「また失敗のようね。この研究は班での連帯責任なんだから、ちゃんとしてよね」
福本千佳はやれやれといった顔で、ため息をついた。
元はロボットにICチップを組み込もうとしたが、それを誤って別の場所に組み込んでしまった。そのせいで、ロボットが暴走を始めてしまったのだ。複雑に回路が収集されている中、寸分の狂いも許されない僅かな隙間にICチップを組み込むのは困難を極めていた。その際、誤って回路を傷つけてしまえば、また最初からやり直しになるのだ。
千佳は暴れるエルの背中のボタンを押し、ロボットのスイッチを切った。これで数度目となる元の失敗に、半ば呆れ気味の様子であった。元はチップを抜き取った。
椿大学の研究施設では、ロボットに関しての研究を密かに行っていた。機械に関しての研究は、本来行ってはいけないのだが、元と千佳はその研究に携わっている。
「それはわかってる。違うんだ、俺が言いたいのはそんなことじゃない」
「なにムキになってんのよ。それじゃ何が言いたいわけ」
「福本はどうして、そう平気な顔してられるんだ。俺たちは、地上を捨てざるを得なかったんだぞ。機械なんかに地上を奪われて、悔しくないのか」
「そりゃ悔しいわよ。地上に戻りたいしね。でも……」
千佳はため息をついて、顔を上に向けた。
「一年もここにいると、なんていうか、慣れちゃったかな。地下世界も悪くない気がするし」
元は握った拳で、壁を思いっきり叩いた。それに驚いたのか、千佳は慌てて元に視線を戻した。
「俺は地上に帰りたい。機械どもなんかぶっ壊してやる」
そう言って、元は扉に向かって歩き出した。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「少し休んでくる。今は研究っていう気分じゃないんだ」
元は研究所を出ていった。
数年前、ある博士によって造り出されたロボットが、今や地上の頂点に君臨している。その人工知能搭載高性能ヒト型ロボットの名は、フィルと言い、過去に例を見ないロボットであった。
フィルは人類の予想を遥かに超えた力で、地上を圧倒していった。知能、戦闘力、俊敏性、破壊力など全てにおいて、フィルは人間をはるかに凌いでいた。コンピューターはフィルによってプログラムを操られ、人間社会は混乱を極めた。社会の九割ほどがコンピューターによって統制されていたため、機械に頼りっぱなしであった社会がそうなるのは至極当然のことだった。人間はあまりにも機械に頼りすぎていた。
混乱の最中、フィルは容赦なく猛威を振るい、たった一体のロボットがいつの間にか地上を支配するまでに至ったのだ。フィルによって築かれた屍の数は、優に数百万人を越えている。
「機械と、人間の共存をここに誓う。もう人類の大量殺戮は止めてくれ。私たちはもう、機械をいいように、都合よく使ったりしないから」
日本の本馬総理は、機械に向かって頭を下げた。なんとも滑稽で情けない姿だった。一体全体なにが悲しくて、機械なんかに頭を下げねばならないのか。
「ソンナ言葉ニ、騙サレナイ。オ前タチ人間ハ機械ヲ都合ヨク使イ、ソシテ必要ガナクナレバ廃棄シテキタ。オ前タチノ言葉ハ信ジラレナイ」
全くの感情のこもっていない声が、本馬に向けられた。総理はぎゅっと唇をかみ締めた。
「ではどうすれば……」
本馬が乞うように言うと、フィルはしばらく黙った。
「大量殺戮ハ止メテヤル」
その言葉に、本馬は安堵の色を浮かべた。しかしそれも束の間である。
「タダシ、条件ガアル。オ前タチ人間ハ、地下ヘ行ケ。地上ハ、我々ガ支配スル」
「そんな条件呑めるわけが……」
「ダッタラ大量殺戮ヲ続ケル。命ヲ捨テルカ、地上ヲ捨テルカダ」
本馬は再び唇を噛んだ。人類の恥と、悔しさが顔一杯に滲み出ていた。
「わかった……」
渋りながらも、やがてその条件を呑んだ。この時、全人類が我が耳を疑ったことだろう。
「地下ニ追イヤルカワリニ、最低限必要ナモノハ、我々ガ用意シヨウ。地下世界ヘ行クマデノ猶予ハ、二年間ダ。ソレマデ我々ハ、人間社会ニ手ヲ出サナイ。愚カ者ドモヨ、後二年、地上ノ世界ヲ、満喫スレバイイ」
フィルと人類の間で取り交わされた調停。それは、人類が地上を捨てるということだった。本馬にしても苦渋の選択だったに違いない。人類の滅亡を覚悟して、機械に頭を下げるくらいならフィルと戦っていくのか、機械に頭を下げ、支配関係がひっくり返りながらも生にしがみつくのか。
彼は後者を選択したのだ。妥当な選択だ、と元はその中継を観ながら思った。人類がフィルに戦いを挑んでも、勝てる見込みがない。一方で、無様な姿でも生きていれば、常にチャンスを窺い敵の隙をついて、僅かな可能性でも地上を奪還するということも可能なわけだ。
本間は調停を結んだ二週間後に自殺した。官邸で首吊り自殺を図った。遺書には、『機械に負けた』とだけ書かれていた。その後、遠山和人が総理に就任した。彼は若干三十歳で、史上最年少で総理に就任した。また、史上最悪の総理就任劇とも言われた。
地下世界への移行は、着々と準備が進められた。フィルは、自分と同じような高性能ロボットを造作なく造っていった。ヒト型だけでなく、ネコやイヌの形、また空をも飛ぶ鳥やドラゴンのような形など、実に様々な形態のロボットを造りだした。
それと同時に、地下世界の開発も、とんとん拍子で進んでいった。もちろん、人の手ではなく全て機械が手がけてのことだ。
やがて人間が地下へ追いやられる日がやってきた。フィルの与えた二年間は、全世界の人間にとってどんなものだったのか。少なくとも、元にとってはただ機械に怯えるだけの二年間だった。そして心のどこかで、人間の招いた結果を恥じていた。
だが一方で、地上を取り返してやろうという強い思いも芽生えていた。それは、あの忌まわしい出来事が事の発端だった。
地下世界は、公共交通機関に始まり学校や会社と、まるで地上の世界をそのまま地下に移したような世界が広がっていた。電力も供給されている。フィルが誓ったように、最低限必要なものは整っていた。生活だけであれば、なに不自由なく暮らしていけるだろう。ここから更に発展させるかどうかは、人間の手にかかっている。
地下に追いやられた人間は、太陽を浴びることなく、地上の機械に怯えながら地下世界でひっそりと暮らすことになった。その世界は、いつしか「アンダーワールド」と呼ばれるようになった。名前はカッコいいかもしれないが、経緯を思えばとんでもなくカッコ悪い。
光を失った世界、人の過ちを顕著に示した世界、その結果が「アンダーワールド」である。
夢の世界に割り込んでくる、うるさい電子音。元は目を擦りながら、もう片方の手で目覚まし時計を止めた。大きな欠伸を一つして、時計に目をやると針は午後六時をさしていた。
「しまった!」
言いながら、元は慌てて飛び起きた。少し眠るつもりが、ぐっすりと眠ってしまった。
四時に研究の発表があったのだが、もう終わっているはずだ。着替えて仮眠室を出ると、元は神谷教授の元に向かった。
扉をノックして、返事が返ってきたことを確認すると、元は扉を開いた。神谷は椅子に座り、手に持った資料に目を通していた。机の上には、どっさりと研究資料が積まれていた。
「どうしたのかな? 今日の発表会、君だけ来ていなかったようだが。気分でも悪かったのか」
「すみません。体調が優れなかったようで」
元はウソをついた。
「それなら仕方がない。君の班の発表は見送った。全員が揃っていないと意味がないからな。研究の方はどうかな?」
神谷は資料から目を外し、元へと視線を移した。
「後少しです。後少しで、エルが完成しそうです」
「そうか」
神谷は満足げに頷いた。
元たちは自分たちの造っているロボットを「エル」と名付けている。以前、どうしてエルと名前をつけたのか、名付け親である元は千佳から聞かれたことがあった。その時元は、エルはヘブライ語で神を意味する。人知を超えたロボットには相応しい名前だと答えた。
元たちが苦労しているのは、フィルのように機敏な動きを出すことだった。その課題だけが、どうしてもクリアできない。
エルは人工知能搭載高性能ヒト型ロボットで、その設計は限りなくフィルに近い。しかしどうして、フィルに限りなく近いロボットを作り出せる知識が、神谷にあるのだろうか。
神谷の授業の受講生の何人かは、ロボット研究に携わっている。それに拍車をかけたのが、彼の
「フィルのようなロボットを造って、地上を取り返そう」
という発言だった。その言葉に、元も火がついたのである。そしてこの四月から、ロボット研究のゼミが始まった。その目的は、「フィルのようなロボットを造って地上を奪還する」という目的である。しかし今となっては、千佳のようにその情熱は薄れてしまっていて、元のように本気である学生は数少ない。本当に熱の入っている学生は、元を含めて数人足らずである。
「教授はどうしてロボット研究を行おうという気になったのですか。こんなことがヤツらにバレてしまったら、間違いなく殺されますよ」
「地上を、私たちの生活の場を取り戻すためだ。そのためには、フィル以上のロボットが必要となってくる」
神谷は真剣な眼差しだった。彼の地上を取り戻したいという気持ちは、本物だ。
「そうですか。僕はあなたの研究に携われて、光栄に思います。必ず地上を取り返しましょう」
元が言うと、神谷は神妙な顔つきになった。異変に気づいた元が訊いた。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない」
神谷はゆらゆらと首を振りながら答えた。
「地上の様子は今、誰もわからないだろう。ロボットが出来上がり次第、地上の調査に向かわせよう」
「はい。あの、一つお聞きしても宜しいですか」
「なんだね」
「教授はどうして、あの時フィルのようなロボットが作れるとおっしゃったのですか。フィルは人工知能搭載高性能ロボットで、天才と謳われた佐伯博士が造ったものでしょう」
「これを見りゃ誰だって造れるさ」
神谷は手に持っている資料を、元のほうに向けひらひらさせた。目を凝らしてよく見ると、驚いたことにそれはフィルの設計図だった。
「ど、どうしてそれを」
元は思わず吃ってしまった。
「そうだな。もう隠す必要はないな。私は昔、佐伯博士の研究の助手として、フィルの開発に携わっていたんだ」