プロローグ
春風に淡いピンクの花びらが舞っていた。それはまるで、冬の雪のようにひらひらと宙を舞っている。一片の桜の花びらが、女の髪に付着した。女はそれを取り掌に乗せると、ふっと息を吹きかけ宙へ飛ばした。不意に彼女の頬を涙が伝う。
女は隣を歩くヒト型のロボットと共に、桜並木の通りを歩き続けた。そこを抜けると、まるで、ハリケーンでも通り過ぎたような荒れ果てた大地が広がっていた。森は焼け野原となっており、建造物は崩壊していて、瓦礫の下には何体ものロボットや、人間の死体が転がっていた。それらは生々しく、痛いほどに戦火の爪あとを痛感し、胸が締め付けられるように苦しくなった。
「やっと終わったんだね……。長かった、あたしたちの戦いが」
女は荒れ果てた荒野を眺め、ぽつりと呟いた。
「ソウデスネ」
ロボットは言った。
「エル、あなたは一度死んだ。でも、あなたがあたしたちの世界を取り戻してくれたのは、間違いないわ。ありがとう」
沙柚はエルのほうに身体を向け言った。目の前に立っているロボットは、すっかり傷ついている。左目は青い光を失っており、機能を果たしていない。ロボットの身体は、傷だらけで所々は赤黒くなっていたり、凹んでいたりする。
「イエ、僕ハ沙柚ニ従ッタマデデス。ソレニ、約束シタデショ。コノ世界ヲ案内シテクレルッテ。僕ノ記憶ニハシッカリ残ッテイマス」
エルはとんとんとこめかみを叩いた。
「そうね」
沙柚はふと笑みを漏らした。
深く息を吸い込むと、春の香りが肺一杯に満ちた。
「あたし思うの、この世界は本当にあたしたちの世界なんだろうかって。だってもうみんないないのよ。あの頃の、それこそ幻想だった世界だったけど、あたしたちは確かに人と触れられていた。だけど、今のこの世界はもうほとんど人はいない」
沙柚の眼前に広がるのは、荒れ果てた荒野だけだ。誰一人として人はいない。沙柚は荒野に向って、ゆっくりと歩き出した。
その時は、西暦二千五百年だった。人は地下深くに追いやられ、地上を支配するものは機械となっていた。人の生み出したものによって地上が支配されてしまうと一体誰が思ったことだろうか? 愚かとしか言いようのない結果であった。
そして人類の、最悪の物語が幕を開けたのだった。相容れない存在は、世界を血と悲しみの世界に染めた。人は嘆き苦しみ、そこに平和という言葉は存在しなかった。存在するものは、全て幻で作られた世界だったのだ。