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第2話 その2 変わりたいと願った男の話

『終わった……少し疲れたな』

「うん、疲れた……」


 苦悩を解決したアルフェラッツは、肺の内部の空気を全て吐き出すような嘆息(たんそく)をして、中年男の家を後にした。クラズも彼女の肩の上で、電源が切れた機械人形みたく目を(つむ)っている。


 中年男は、自らを萩村(はぎむら)と名乗った。悩みの内容は(いた)って単純で『他人の見る目を変えたい』というものだった。


 この細く弱々しい樹木を連想させる男は、職場でも、家庭でも、河原の小石のように軽く見られており、時には最初から存在しない物みたく扱われることもあった。

 萩村は自宅の玄関の前で魔女に出会い、彼女が超常的な力を所有し、苦悩を解決する者であると理解した後、先の悩みを打ち明けたのである。


 萩村の悩みを聞いた翌日、アルフェラッツは、彼がどれほど深刻な立場に立たされているかを確認するため、早速行動に移した。家の中での様子と、職場の中での様子を確認した。


 ……三日間の観察の結果、確かにあのような願いを抱きたくなるだろうな、と、黒髪の魔女は思った。

 厳密には、同年代の男性の悩み解決において、酷似(こくじ)した光景を幾度も目にしているが、こうして久々に見ると、改めて同情の念を禁じ得ない。


 職場の中で萩村は雑に扱われていた。上司は無論のこと、同僚や後輩からも軽く見られていた。彼に接する後輩の態度も、敬意らしきものが存在しないのが、(はた)から見ていて瞬時に理解できた。


 それは家庭内でも同じだった。むしろ付き合いが職場以上に固定化されている分、こちらの方が深刻かもしれない。

 萩村家は、萩村と妻と高校生の娘の、三人家族だった。妻からは小声の霧雨(きりさめ)を浴びせられ、娘からは職場以上に軽視され、臭い、近寄らないでよ、などと(ないがし)ろにされていたのである。仕事に疲れて帰宅した萩村の心情をおもんぱかろうとする気が、長い付き合いのせいもあってか、あの二人にはなかった。


 いかにも人生に疲れました感満載なヤツ――と、萩村の姿を見たクラズは評したが、男の周囲には、精神的疲労を蓄積(ちくせき)させる火種が、余分な脂肪のようにまとわりついていた。


 同時に、魔女は使い魔に萩村の為人(ひととなり)を観察させた。それは樹木男の様子を観察するのと並行して行われた。

 理由は公正な目で物事を見て判断するためで、彼にも落ち度がある(ゆえ)に、冷遇(れいぐう)に等しい扱いを受けているのではないか、と推測したからである。


 彼女が今まで見てきた中年男は、程度や数の差はあれ、人格に瑕疵(かし)があった者が(その世代や性別だけに限った話ではないが)ほとんどだった。

 加齢による精神構造の変化や、人格と環境の負の相互作用による影響もあるかもしれないが、精神の泉が薄黒く(にご)っていた。


 萩村の人格はというと、特に目を見張るような欠点はなかった。職場内では至って勤勉なサラリーマンで、仕事も(とどこお)ることなく、順調にこなしていた。家庭内では疲労のあまり、部屋着に着替えるなりソファーの上で横になったり、入浴を翌日の朝に持ち越すこともあったが、直接的に妻と娘の感情を刺激するような言動はなかった。


 結論から言うと、萩村には人格面で矯正(きょうせい)するべきポイントはなかった。しかし、そのことが(かえ)って、魔女と使い魔の頭痛の種となって、剽軽(ひょうきん)に脳内を走り回った。

 大抵は、人格のひびを魔法で修復する――あるいはアドバイスを授ける――ことにより、結果として苦悩が快方に向かっていたのだが、この樹木男の心は、摩耗(まもう)の跡はあっても傷がなかった。萩村は極めて数少ない例外の一人だった。


 人柄は問題なし。……だとすれば、弱々しい見た目と臆病な性格が原因で、軽く見られているのではないだろうか?

 アルフェラッツとクラズは、そのような答えに辿(たど)り着いた。


「私は今日に至るまで、公明正大な人間であろうと心がけていました。同僚や後輩の意見は、できるだけ尊重しましたし、上司の命令も忠実にこなしていました。それは妻や娘にも同じでした。……ですが、いつの日からか、私は周りから(あなど)られるようになってしまって――」


 三日間の観察が終わった帰り道、萩村はアルフェラッツに愚痴(ぐち)をこぼした。精神が損耗(そんもう)した者の声だった。


 萩村は、衝撃を加えれば簡単に折れてしまいそうな痩せぎすの見た目に加えて、一目で小心者の印象を与える気弱のベールとアロマを、顔に貼り付け、周囲に(ただよ)わせていた。年長者の威厳など一ミリもない。まさに『冴えないおじさん』の生きた見本だった。


「萩村さんは……」


 アルフェラッツは沈黙のカーテンを開けた。


「もし変われるとしたら、どう変わりたいんですか?」

「え?」

『変わるっつっても、色んな種類があんだろ。「頼りがいのある男に変わりたい」とか、「威厳のある人間に変わりたい」とか』


 主人の言葉を先取りするように、クラズは中年男の頭に乗って、(くちばし)を開く。


『三日間ずっとアンタを見てたけど、おっさんは人格面において腐った部分はないんだよ。ぶっちゃけ馬鹿にされる理由は、アンタの弱々しい外見とオーラが原因としか思えねぇわ』

「か……顔とオーラ、ですか?」

『それだよそれそれ!』


 それそれ、のリズムに合わせて、黒い小鳥は体を縦に大きく()らした。


『アンタぱっと見、頼りがいなさそうだし、威厳のある大人的なオーラもないし、突き飛ばしたら簡単に骨折しそうな見た目してるし』

「クラズ言い過ぎよ!」

『でも、それっぽいだろ?』

「もう少しいい言い方があるでしょ……」


 中年男の内耳に、言語化された苦薬を躊躇(ちゅうちょ)なく流し込むクラズを見かねて、アルフェラッツは制止した。生意気な使い魔のオブラートに包まない毒舌ぶりは、時々ブレーキを忘れて暴走してしまうことがある。


 時々、魔女がクラズの口の悪さに苦言を(てい)しても、『これが俺のキャラだから』と、己の性分という免罪符(めんざいふ)を口先にぶら下げるだけで、積極的に矯正する様子を見せなかった。もっとも、彼の毒舌には常に正論のエッセンスがあり、それ以前に無闇やたらと毒を吐かなかったので、相手から悪印象を抱かれることは少なかった。


「そうですよね……。私は弱そうに見えますよね」


 クラズの言葉に弱々しい自嘲(じちょう)の微笑を浮かべる萩村。使い魔の垂れ流した刺激性が少々強い薬を、何とか飲み切ったようだった。『良薬は口に苦し』とは言うものの、飲み込んだ後にじんわりと残る余韻(よいん)の不快感は(ぬぐ)えない。


「確かに、頼りないだの、弱そうといった言葉は、娘からも散々言われていました。本当はどう変わればいいのかも、何となく(わか)ってはいるんです。でも、変わった後、自分が一体どうなるのか判らないのが不安なんです。周りの見る目が変わらないかもしれないし、もしかしたら、前以上に悪い方向に変わるんじゃないかと思うと――」


 今の萩村は、ジレンマという名の二つのパンに(はさ)まれたパティだった。『変わりたい』と願いながらも、変化に対して恐怖の感情を抱いていたのである。樹木男が言ったように、自分が変わったからといって、周囲の見る目が変わる保障などない。あるいは変化しても、それが彼の望む変わり方ではないことだってあり得る。意気がっている、と冷笑を浴びせられるかもしれないし、不興(ふきょう)を買う可能性だって否定できないのだ。自分の想像と異なる未来が、大きな口を開けて待ち構えているのではないか――? そう思うと、怖気(おじけ)づいてしまう彼だった。


 黒髪の魔女の隣には、人の姿をした、優柔不断と臆病のハンバーガーが歩いていた。

 使い魔によって脇道(わきみち)()らされた質問をもう一度するため、そして不穏(ふおん)なハンバーガーを平らげるため、アルフェラッツは言った。


「とりあえず、萩村さんはどう変わりたいって、考えているんですか? クラズが言ったように、具体的なビジョンがないと私も満足に動けないんです」

「そうですね……。自然と尊敬されるような、頼りがいのある人間になりたいと、考えているんです」


 萩村の理想のカンバスに思い描いた像に、アルフェラッツは静かに(うなず)いた。夜の海のような黒い髪が、頭の動きに合わせて(ゆる)やかに波打つ。


「でも、こんな私が――」

『あー!! もうクッソ、まどろっこしいな、もう!』


 樹木男から消極の色が見えた途端(とたん)に、クラズは苛立ちがふんだんに混じった声を上げた。

 萩村の優柔不断ぶりに(しび)れを切らしたことが、小さく鋭い(とげ)が無数に生えた声音からして明らかだった。


『おっさん! アンタは変わりたいのか、変わりたくないのか、どっちなんだ!?』

「そ、それは勿論(もちろん)、変わりたいですよ……」

『じゃあ、「どうしよう」とか「怖い」とか言うな! おっさんみたいな悩み抱えたヤツはいくらでもいるし、俺達もそんな連中に何回も会ったけど、みんな壁をブチ破ったんだよ!』


 黒い小鳥の感情の爆発に、萩村は無論のこと、小鳥を使役している主人も、朝焼け色の両目を丸くした。


『そりゃ変わったからといって、自分の思い通りの結末が待ってるとは限んねぇのはそうだよ。でも、今の立場に甘んじている訳じゃないのもそうだろ? それがおっさんがアルフに言った、「他人の見る目を変えたい」って悩みになって、ポロっと(こぼ)れたんだろ』


 クラズが萩村に向かって言葉を発する度に、彼の記憶のフィルムが一コマずつ逆転する。

 変わりたいといった苦悩を抱えた者は、変化の願望を抱きながらも、消極の浴槽(よくそう)に肩まで浸かった人間が多かった。萩村も言うまでもなく、その一人だった。浴槽に入っていれば、確かに気持ちがいいかもしれない。しかし、いつまでも湯船に浸かってはいる訳にはいかないのだ。


 弱腰のバスタブから上がるのは、俺とアルフがいる今じゃないのか?

 クラズは直接的に、萩村にそう問いかけているのだ。


『で、おっさんはどうしたいんだ?』

「えっ、あ、はい! 私は――」


 喫驚(きっきょう)の表情を解いた萩村の顔が、瞬時に思案に(ふけ)る顔に変わった。確かに変化したからと言って、想像通りのゴールに辿り着くとは限らないのも、消極のバスタブに浸かっている訳にはいかないのも、黒い小鳥の言う通りだ。


 じゃあ、何で変わりたいのに、変わることを恐れているんだ?


 ……そんな疑問が浮かんだ後、数分間のシンキングタイムの末に、やがて萩村は答えに気づいた。同時に、動揺にも似た驚きに心が支配された。この考え方は彼にとって盲点だったからだ。


 萩村はゆっくりと、アルフェラッツの琥珀(こはく)色の目を見据え、


「アルフェラッツさん、私は変わりたいです。自分を変えたいです。それでどんな結末になろうと後悔はしません」


 疑問符の原因を理解した男の顔からは、臆病や優柔不断の色が、完全に消えていた。


『他人の見る目を変えたい』と願ったから、それでも周囲が変わらなかったらどうしよう――と、負の可能性を想像してしまい、臆病の殻に閉じこもってしまうのだ。

 だけど『自分を変えたい』という願いなら、この先、どのような結末が待ち受けていても、前に突き進めそうな気がする。


 たとえ周囲が変わらなくとも、自分は変わっているのだ。

 不安に怯える弱い自分から、不安を切り払える強い自分になるのだ。

 そうすれば臆病なんて、向こうから逃げていく。


「……(わか)りました。あなたのその願いを叶えましょう。それで私はどうすればいいでしょうか? 魔法を使うべきか、使わないべきか、それで私のやり方が変わってきますから」


 アルフェラッツも萩村と同様、萩村の強い意志を秘めた瞳を見据え、そう言った。

 黒髪の魔女もまた、男の大きな覚悟をしっかりと受け止めるかのように、顔と双眼(そうがん)に真剣の色をたたえていた。

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