第1話 その5 本当の悩み
「……つまり、喧嘩した樹くんと仲直りしたいのね?」
アルフェラッツは明弘の告白した内容を、確認するように反芻した。明弘は何も言わずに頷いた。
目の前の少年が悩んでいるのは、親友と仲違いをしてしまったから。加えて彼は、『友人と仲直りしたい』という意思を表出している。ここまで来れば、魔女アルフェラッツがやるべき行動の指針は定まる。明弘と樹の間にある何とも言えぬ綻びを修復すればよい。そうすれば、少年の胸の内を巣食う見えざる病巣を摘出することができる。
しかし、苦悩を抱えた本人が魔法を求めるかどうかで、手段は大きく変わる。
魔法使いは単純に魔法を行使して、悩みを解決するだけが仕事ではない。場合によっては、魔法を使わずに済むこともある。
むしろ、このような人間関係に関わる悩みほど、光の粉を振りまく頻度は基本的に低い。最後は苦悩を抱えた者の胸の内に秘められた、勇気の光が覚醒する場合が多いからだ。
もっとも、その力が目覚めるきっかけは、『魔法に頼るのは卑怯な気がする』という後ろ向きの感情が、勇気の扉を内側から押し開けるのだが……。
――やっぱり追い詰められて、精神的に参っているみたいね。
――でも最後は、明弘くんにも、勇気という魔法が輝くのかしら。
エプロン姿の魔女は、琥珀色の瞳に少年の姿を映しながら、そう思った。
「で、私がやるべきことは、『あなたと樹くんの仲直りを手伝う』という訳だけど……私はどうすればいいかな」
「どうすればいいとは?」
「魔法を使うべきか、使わないべきか、よ」
アルフェラッツは片目を瞑ってみせる。『世界中の人々を幸せにする』という、夢物語のような使命感を持つ黒髪の魔女は、苦悩を解決するためなら相手の家に居座る豪胆さは持っていても、終わりよければ全てよし、といった、目的のためなら手段を選ばないような帰結主義的思想は保有していなかった。悩みの解決に魔法が必要であれば、必ず相手にどのような魔法を使うのかを説明し、そして使用の許可を求める。OKの返事があれば実行するし、NOの答えが返ってくれば、別の方法を模索する。患者を鎖で括りつけて、荒療治を行う暴挙に出るような真似は絶対にしない。しないし、勝手にする訳にはいかない。
「だから、もし明弘くんが、自分か樹くんに何か魔法をかけてほしいと言うなら、私は魔法をかけるけど」
「いや、それは……」
拒否の返答を口にしかけて、少年は口ごもった。魔女の推察通り、魔法に頼ろうという心理にブレーキがかかったのである。
「自分の口から謝りたいです」
今度はアルフェラッツが無言で頷いた。
しかし頷き終えると同時に、少年はつけ加えた。
「でも、自信がないんです……」
「自信?」
「あいつにちゃんと謝れるかを」
明弘の声量と声音がデクレッシェンドとピアノの様相を呈していた。段々と、しかも弱くなっていく、そんな声。
彼曰く、樹と友情を育んだ七年間、こんなことは一度もなかったため、どう謝ればいいのか判らないのだ。笑顔を浮かべるべきなのか、ニュースで見る記者会見のような神妙な表情をたたえるべきか――
『結構、話進んでるようだな』
二人だけの空間にゲストが姿を現した。今まで姿を見せなかった、黒い小鳥の姿をした生意気な使い魔クラズである。アルフェラッツは言った。
「クラズ……あなたどこに行ってたの? 『散歩に行ってくる』って言ったきり、帰ってこなかったけど」
『その辺をテキトーに飛んでた』
「飛んでたって、昨日みたいに一緒に夕飯を食べればよかったのに」
『今日は「カレー食いたい」って気分じゃなかったからな。というか、俺の分、用意してなかったろ』
「後であなたが自分で盛りつけると思って……」
『ま、そりゃそうだが――っと』
話の軸が少し逸れたために軌道修正した。ただし舵をとったのは、魔女ではなく、黒い小鳥だった。小さな体を少年の方に向けて、話題の進路を戻した。
『話戻すけどよ、明弘、お前の悩みは「友達と仲直りしたい」ってのでOKだよな?』
「え? ああ、そうだ」
『でも、どう謝りゃいいのか判らない、と。ここまで話は進んでいたんだな』
「ああ……」
先ほどまでの主人の行動を再現するようなクラズの確認作業に、単調な返事で応じる明弘。
使い魔は木戸家に帰宅すると同時に、リビングから漏れてくる会話のピースを、さりげなく収集していたのだ。
少年の協力によって、クラズの中の『木戸明弘の苦悩』というジグソーパズルは、一応の完成をみた。
ただ、明弘少年の想像していた完成図と、黒い小鳥の完成させたパズルは、若干、絵が異なっていた。
『それだったら、友達と仲直りしたいじゃなくて、別の悩みに変えた方がいいんじゃね?』
完成させたジグソーパズルの感想をこぼすクラズ。明弘のクラズに対する視線が、初めて魔女と会った日に、黒い小鳥が喋る場面を見た時のそれに取って代わった。アルフェラッツも少し戸惑った顔を見せているが、何も言わずに、この光景を見ていた。
「どういうことだよ?」
『いや、言葉通りの意味だよ。その……友達? なんつーのソイツの名前?』
「樹」
『どうせ、その樹との仲直りで、魔法に頼るつもりはないんだろ?』
そこまで言って、黒い小鳥はシャッターを切るように何度も瞬膜を閉じる。じゃあアルフいらねぇじゃん、と、魔女の存在を揶揄するような言葉は口にしなかった。己の主人を卑下しないのが、クラズの最低限の礼儀だった。その代わり、
『お前の本当の悩みは、仲直りじゃない別の何かなんじゃないか?』
使い魔の言霊が巨大な丸太と化して、少年の深層心理の城門を勢いよくノックした。
アルフェラッツは小さく嘆息した。しかしそれは、魔法使いとしての使命が使い魔によって掻き乱されたことへの溜め息ではなく、逆の感情から来る溜め息だった。
ようやく『明弘少年の本当の悩み』の尻尾を掴めたのである。