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第4話 その4 魔界の歴史

 むかしむかし、この世界には、二種類の人間がいました。


 一つは、魔法を使える数少ない人間。


 もう一つは、魔法が使えない、たくさんの人間でした。


 魔法が使える人々と、魔法が使えない人々は、何百年もの間、お互いなかよく支え合って生きていました。


 魔法が使える人達は、神様の声を聞いたり、未来を占ったり、花や草から薬を作ったりして、魔法が使えない人達の暮らしを助けていました。


 魔法が使えない人達も、魔法を使うために必要な物を作ってあげたりして、魔法が使える人達の暮らしを助けていました。


 いつしか、魔法が使える人達は、魔法を使えない人達から『魔法使い』と呼ばれるようになっていきました。


 ある日のこと、魔法が使えない一人がの人間が、こう言いました。


「魔法使い達は不思議な力を使って、私達の知らないところで悪さをしているんじゃないか?」


 最初は誰もが、そんなはずはないと笑いました。


 しかし、何十年、何百年も経つにつれて、魔法が使えない人達は、魔法使いを怖がるようになっていきました。


 大きな病気や災害が来ることを当てたり、物を作る度に何かをぶつぶつ(つぶや)いたりする姿が、何だか気味悪く思えてきたのです。


「私達の身に危ない出来事が降りかかると、いつも魔法使い達が助けてくれる。でも、もしかしたら魔法使い達が、魔法で危ない出来事を引き寄せているんじゃないか?」


「危ない出来事を自分達の力で引き寄せて、自分達の力で解決しているから、すごいように見せかけているんじゃないか? だとしたら、きっと魔法を使って悪さをしているはずだ!」


 そしてとうとう、魔法が使えない人達は、魔法使い達を町や村から追い出し始めました。


 叩いたり殴ったり、無視したりと、魔法が使えない人達同士が協力して、魔法使いが出て行くように仕向けました。


 追い出された魔法使いは、それ以来、山奥や深い森の中で、ひっそりと暮らすようになりました。


 ある魔法使い達は、誰も入れない結界を張って、魔法使いだけの町や村を作りました。


 こうして魔法が使えない人達は、長い年月の中で、魔法使い達が存在していたことを忘れていきました。


 魔法使い達も、魔法が使えない人達と、二度と関わろうとはしませんでした。


 しかし一部の魔法使いは、魔法使いであることを隠して、魔法が使えない人達の中で暮らしました。


 魔法が使えない人達から嫌われてもなお、彼らの手助けをする魔法使い達がいたのです。


 さらに数百年が経過して、再び魔法使い達に大きな危機が起こりました。


 とある魔法使いが、魔法が使えない人達に捕まり、そのまま火をつけられ、生きたまま燃やされてしまいました。


 次第に多くの魔法使いが、魔法が使えない人達から、再び襲われるようになっていきました。


 しかもそれは、前の時以上にひどい物でした。


「あいつらはきっと悪魔と仲よくしているから、何でもできるんだ!」


「悪魔と仲よくしている人と関わったら、私達もひどい目に遭うに違いない!」


 魔法が使えない人は、そう言って魔法使い達を捕まえて、ひどい目に遭わせていました。


 彼らは魔法使いが存在していたことを忘れていましたが、魔法の力を悪魔と結びつけて、魔法使い達を怖がっていたのです。


 追い詰められた魔法使い達は、魔法使い達を束ねる長老様と一緒にこの世界から出て行き、別の世界で暮らすことを決めました。


 辿(たど)り着いた別の世界で、長老様はこう言いました。


「私達のいるここを魔界と名づけよう。魔法が使えない彼らのいる場所を無界(むかい)と名づけよう。そして魔法使いは無界の人達の手助けをしよう」


 その言葉を聞いた魔法使い達は、大きく驚き、中には怒り出す者もいました。


「どうして私達をひどい目に()わせたやつらを助けなきゃいけないんだ!」


「火につけて燃やされたり、水の中に沈められた仲間もいるんだぞ!」


 そう聞いた長老様は、続けて言いました。


「あの世界に生きる者は、私達を恐れているのではなく、見えない不安を恐れているのだ。そのやり場のない不安を払おうと、私達を攻撃したのだ。彼らは何も悪くない。だから今度は、私達が彼らの不安を取り払ってあげよう」


 こうして魔法使いの世界、魔界が誕生しました。


 そして魔法使い達は、魔法が使えない人達を助けるように、無界に行って悩みを解決するようになったのです。


     ★    ☆    ★


「……これが魔界が生まれた経緯(けいい)についてのおとぎ話よ」


 と、アルフェラッツは()めくくった。


 俊之(としゆき)少年は、黒髪の魔女の話に聞き入って、メモを取ることを完全に忘れていた。ペンは力なく彼の手のひらに寄りかかっており、ノートは白い背中を見せたまま、(ひざ)の上でうつ()せに倒れている。


 やがて俊之は口を開いた。


「『魔法の力を悪魔と結びつけて怖がる』って、中世の魔女狩りのことですよね」

「その通りよ」

「……じゃあ魔界人達は、無界人に追われて、魔界を作ったってことですか?」

「昔話の内容が全部事実なら、そうなるわね」


 アルフェラッツの語調は至って普通である。


「俺達のせいで魔法使い達は、別次元に住むことになったんでしょ? おとぎ話とは言っても、無界人を恨んでいる連中だって――」

「確かにそうだけど、一部の人だけだから大丈夫。というか、そもそも本当に恨んでいたら、わざわざ嫌いな無界人がいっぱいいる世界なんて行かないだろうし」

「そんな物なんでしょうか」

「そうだと、私は信じたいけどね」


 歯切れ悪く言う黒髪の魔女だった。途中で自分の発言に自信を失ったからだ。


 アルフェラッツは、無界人から大々的な差別や迫害を受けたことはないが、不快な人間に会うことは片手で数え切れないほどあったし、気味悪がられたり、冷遇(れいぐう)されたり、心ない言葉を吐かれたことも多々あった。それでも今日に至るまで活動してこられたのは、アルフェラッツ自身が苦悩解決に燃える人間だからという理由以外に、彼らの心が傷ついていることが判っていたからだった。


 しかし、理屈で(わか)っていても感情が納得できない、と思うことはある。いくら傷ついているからといっても、相手の失礼な言動に気分を害することだってある。


 加えて、それでも納得するしかないという世知辛(せちがら)い情景が、この世界を暗然と支配しているのもまた事実で、それを上手く昇華(しょうか)できずにこじらせた挙げ句、行動原理が変質した友人を知っている黒髪の魔女としては、苦虫を噛み潰したような気分になるのである。


 助けてやったという慢心(まんしん)はないし、見返りや感謝を求めてはいない。だが文句を言われる筋合いはない。

 そう思う気持ちは、とてもよく解るのだ。


「アルフェラッツさん?」


 俊之の両眼には、(うつむ)いた黒髪の女が映っている。帽子の(つば)が顔の上半分を覆っているために表情が確認できない。


「ああ、ごめんなさい。ちょっと疲れちゃって」


 アルフェラッツは素早く顔を上げ、微笑を作った。

 何かを思い出したように少年は、そう言やアルフェラッツさんをずっと喋らせっぱなしだったな――と、罰が悪そうに頭を()く。


「何か飲み物、持って来ましょうか」

「いいの?」

「全然いいですよ。こうしてお願いを聞いてもらってる訳だし」


 俊之の意外な対応に、琥珀(こはく)色の目を大きく見開くアルフェラッツ。


「えっと……お茶をお願いしようかな」

「解りました。クラズは何にするんだ?」

『俺もいいのかよ!?』

「当たり前だろ」


 驚いたのは魔女だけではなかった。


『じゃあ俺もアルフのと同じヤツで』

「オッケー、じゃあ少し待っててください」


 クラズは部屋を出て行く俊之の背中を見送ると、魔女の肩から降りて、灰がかった黒髪を持つ少年の姿へと変化した。灰色のパーカーに青のジーンズ。これが黒い小鳥の人間態である。


「ふぅ……」


 しばらくしてアルフェラッツは、両手で自分の顔を(あお)ぎ始めた。講師として振る舞う時の緊張の糸が解けたのだろうか。それにしては落ち着きがないようにも見える。


 気になったクラズは、胡坐(あぐら)を組んで主人に(たず)ねた。


「どうした? 俊之に物を教えるのに疲れたか」

「それもあるわ。でも一番は、会っていきなり優しくされるのに慣れてないから、どうも違和感がね」

「俺達、(しょ)(ぱな)は冷遇されるからな……。そりゃ無理もないわな」


 肩を(すく)めてシニカルな笑みを浮かべるクラズ。


 魔法使いはほとんどの場合、悩みを抱える無界人から冷遇の洗礼を受ける。無界人の冷たい態度は、魔法使い自身の尽力(じんりょく)や時の流れ――数日、数週間単位だが――によって、春の陽光(ようこう)を浴びる氷柱(つらら)みたく徐々に軟化していくのだが、北島(きたじま)俊之のようにオープンな態度をとられると、面食らう場合がある。


 警戒されずに受け入れてくれるというのは、本来なら喜ばしいことのはずなのに、邪険に扱われることに慣れきったのもあって、最初から厚遇(こうぐう)されると(かえ)って困惑してしまうのだ。


 ――もしも、魔界の昔話に出てくる魔法使いが今の光景を見れば、羨望(せんぼう)の眼差しを向けるかしら?

 ――いや……、もしかしたら、未だに魔法使いを邪険に扱う無界人を見て失望するかもしれない。


 アルフェラッツは思案の泉につかる。


 俊之少年のように、最初の段階で魔法使いを温かく受容する人間は本当に(まれ)なのだ。魔界のおとぎ話を事実だと仮定するなら、魔法使いと無界人の関係は、過去に二度も断絶が起こっている。


 現在の無界は、魔法使いをフィクション内の存在として認識している。無界人の常識の土壌(どじょう)は、今や魔法使いの存在を受容できなくなっている。


 魔界の常識の拒否によって、魔法使い側に害が及ぶのを防ぐため、『悩みを解決した無界人には、最後に記憶を消去する魔法をかけなければならない』というルールが存在するのだが、それが双方の断絶に拍車をかけているのではないか、と、時々アルフェラッツは思うのだ。


 この(へだ)たりがあるからこそ、魔法使いは己の存在を隠して苦悩解決に取り組む。

 絆が芽生えても、自らが迫害されるのを防ぐために記憶を消す魔法をかけるので(幼い子供に対しては記憶を消さないこともあるが)、繋がりの糸が強制的に解ける。


 こうして魔法使いと無界人は、ただの他人同士になる――


「お茶入れましたよー」


 と、アルフェラッツの思考が中断した。


 麦茶の入ったコップを両の手のひらに収めた俊之が、器用に部屋のドアを開けて戻ってきた。同時に、自分と同年代の黒ずくめの少年が視界に入り、眉を大きく上下させた。


「えっと……、クラズ、なのか?」

「おうよ、よく解ったな」

「『魔物が人間に変身できる』って設定は、漫画やアニメであるあるだから、魔界でもそうなのかなって思ったんだ」


 どうぞ、と、俊之はコップをアルフェラッツとクラズに渡す。

 麦茶を一飲みし、俊之が目の前に座ったのを確認して、アルフェラッツは言った。


「ねえ、俊之くん」

「何でしょうか」

「さっき、魔界の成り立ちについて教えた訳だけど、魔法使いと無界人は共存できると思う?」

「そ、それは……」


 俊之少年は声を(くも)らせ動揺する。あの話題の後で、どう返答すればいいのか迷ったからだ。少年の脳裏の本棚を探っても、質問に対する答えが見つからない。


「よく(わか)りません。でも――」と、俊之は正直な感想を言いながら、自分の思いに適切な言葉を探す。


「心の底から解ってくれる人が少しずつ増えれば、いつかは共存できるんじゃないかなって思います。俺やアルフェラッツさんが生きている内に実現するかは知らないけど」


 それが北島俊之の答えだった。


 無界という水槽に魔界の水を大量に入れれば、中にいる魚が戸惑うことは確実である。場合によっては水質が合わず、体調を崩してしまう者もいるかもしれない。だけど少しずつであれば、長い時の流れで、魚達も慣れていくのではないか?


 漠然(ばくぜん)とした自信のない絵空事(えそらごと)ではあるが、そう思っている少年だった。


 アルフェラッツは俊之の答えに、「そう……」と、一言呟いただけだった。抽象的な反応の裏に隠された魔女の心中は、目の前の少年にも、隣にいる使い魔にも判らなかった。ただ一つだけ確信をもって言えることは、抱いているものが負の感情ではないことだった。その証左(しょうさ)として、アルフェラッツは安堵(あんど)にも似た穏やかな表情を浮かべていた。

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