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第3話 その7 魔法使いの生き方

 ミルファークがアルフェラッツを避けていたのは、アルフと真反対の主義を(かか)げて活動しているから。

 これだけミルファークを探しても見つからなかったのは、彼女がフィルの呪符で姿を隠していたから。


 親友ミルファークが姿を(くら)ました、空白の二年間の謎が明かされ、本来ならアルフェラッツは安堵(あんど)の湯船に()かっていたいところだったが、明かされた真実の重さに、気分としては今にも膝をついてしまいそうだった。


 ミルファークの信念は、『相手を幸せにするには、最初から不幸の底に落とした方がいい』。

 このような信念を掲げるようになった理由は、無界人からの冷遇の連続でそれを悟ったから。


 あの頭脳明晰(ずのうめいせき)で冷静沈着なミルフィでも、不運の蓄積(ちくせき)で心が変わってしまうのだ。

 大丈夫よ、何ともないわ、ぼちぼちかな――。

 そんなことを言いながら、一番苦しんでいたのはミルフィではないか。この世界にいる多くの人間以上に、誰よりも悩んでいたのは彼女ではないか。


 アルフェラッツは、友人の心が(すさ)んでいたことを察知できなかった自分を責めていた。

 ミルファークと関わった夫婦が冷たくなった理由が(わか)らなかった時のように、自分もまた、ミルファークのことを、大丈夫だろう――という色眼鏡をかけて見ていたのかもしれない。予兆や伏線はあらゆる場面に散りばめられていたのに、一つ残らず見過ごしてしまった。


 身近な物ほど(かえ)って(わか)りにくいというのは、魔法使いにも当てはまるようだった。

 赤髪の魔女の心の傷は、さながらキャンドルスタンドの足元に落ちる黒い影を連想させた。


 ……やがてアルフェラッツは、一旦(いったん)、首を横に振って話を進めた。


「とりあえず、一番気になっていたことが判ってスッキリしたわ」

「そう」

「そしてあなたが苦しんでいたことも」

「………………」

「ねえ、ミルフィ」


 ミルファークは青い双眼(そうがん)から光を消して沈黙する。が、そんな反応に(おく)することなくアルフェラッツは続けた。友人を見る琥珀(こはく)色の瞳には、悩みに対して真摯(しんし)に向き合う時に(とも)る炎が宿っていた。


「もう一度、やり直してみようとは思わないの?」

「どういう意味?」

「無界人を幸せにしようって思わない?」

「……それは私に同情しているってこと?」

「かもしれないわ……。運が悪かったとは言え、あまりにも悲し過ぎるもの」


 アルフは否定しなかった。そんなことない、という言葉を口にするより、自分の感情を素直に表した方がいいと思ったからである。


「本当にアルフらしいわ――」


 初めて赤髪の魔女は微笑(ほほえ)みを(こぼ)した。彼女の張り詰めて、緊張状態にあった精神が(ゆる)んだ証だった。

 今の自分の全てを明かしたら、アルフェラッツから嫌われるかもしれない。そんな恐怖と覚悟を胸に抱え込んで、お節介な使い魔と年下のパートナーと共に、黒髪の友人の元に訪れたが、アルフェラッツは全てを知ってもなお、以前と変わらぬ態度で接してくれた。

 

 そして今も、信念が(ゆが)んで()り減った私のことを気遣(きづか)ってくれている。

 くれてはいるが――。


「……悪いけど、前と同じようにやろうとは思わないわ」


 それが再び表情に暗雲のカーテンをかけた、ミルファークの答えだった。


 戻ろうと思えば戻れる。だが、昔みたいに幸せを振りまけるほど、ミルファークは多くのものを信じられくなった。


 多くの経験を重ねた末に、彼女は『相手を幸せにするには、不幸を振りまいた方がいい』という答えに辿(たど)り着いた。今までのやり方は、ミルファークに言わせれば間違ったやり方だったのである。無界人の冷たさの他にも、手法が肌に合わなかったというのも、ミルファークが挫折(ざせつ)した原因の一つかもしれない。


 私には、このやり方が合っているから、今のままでいい。

 ……格好をつけて言ったものの、本当は怖い。またあんな思いをするのは耐えられない。間違っていたとしても、今はこのスタンスで続けたいの。

 これが赤髪の魔女の、滅多に友人に見せない弱音の一片だった。


「そう……。じゃあ、これ以上は何も言わないわ」


 友人の答えと弱音を聞いたアルフェラッツは、目を(つむ)って首を小さく縦に振る。


「でも、時々でいいから別の方法も模索(もさく)してみて。不幸に(おとしい)れなくても、無界の人達を助けられる可能性だって、あるかもしれないから――」


 アルフはそう言った。


 そして最後に、「それと……急に姿を消すなんてことも、私を避けることも、もうやめて。たった二年って思うかもしれないけど、あなたに会えなかったのは辛かったんだから」とつけ加えた。


 ミルフィは黒髪の友人の言葉を噛みしめるように深く(うなず)いた。


     ★    ☆    ★


 赤髪の魔女ミルファークが、黒髪の魔女アルフェラッツの前から姿を消して二年。今日という日をもって、アルフとミルフィはようやく再会した。


 しかし、何事においても、望み通りに事が進むとは限らないのと同様に、お互いの再会はいいムードになったとは言い難かった。ミルフィが姿を消した経緯と真実が、あまりにも重過ぎたからだ。


 ミルファークは、無界人からの長い冷遇の中で、『人を幸せにしても、いずれまた不幸になるのなら、最初から不幸に陥れた方がいいのでは?』と悟った。


 とある詩人が、『一寸先は闇だが、もう一寸先は光だ』という言葉を残した話を、赤髪の魔女は聞いたことあるが、その言葉に(なら)って言うなら、闇から抜け出して光を手にしても、いつかはまた闇に落ちてしまうのだ。

 今のミルフィにとって、幸せを振りまくことは、未来の不幸への道を開拓(かいたく)するのと同義(どうぎ)だった。


 一時の幸福が、食べ物が腐ったり金属が錆びるみたいに、時間が経てば不幸に変わることだってあり得る。

 ならば、大きな不幸が時の流れで大きな幸せに昇華(しょうか)されるという逆説(ぎゃくせつ)も、充分にあり得るのではないか?


 それがミルファークの辿り着いた答えで、あのような行いをさせている理由だった。幸せは水のように、氷や湯気へと自由自在に姿を変える。食べ物みたいに腐ったままの物じゃない。


『なあアルフ、本当によかったのか?』

「うん?」

『アイツに「不幸を振りまくのをやめて!」って、強く言わなくて』

「うん……。ミルフィに会えただけでも、これから先、何度も会えるって判っただけでも、よかったから」

『そっか、じゃあ何も言わない』


 ミルファーク達と別れたアルフェラッツとクラズは、とある民家の屋根の上で、星空を見ながら今日の出来事を振り返っていた。


 星を見るのは黒髪の魔女の趣味だった。小さな光が散りばめられた広大な黒いスクリーンを見ると、心が洗われるような、そんな気分になる。


 肩に止まっている黒い小鳥の疑問に答えた通り、アルフェラッツは他人を不幸へと導くミルファークを非難しなかった。


 渋々ながらも肯定(こうてい)のサインを表したのは、アルフェラッツに『世界中の人々を幸せにしてみせる』という矜持(きょうじ)があるように、ミルファークにも信念があることを理解したからである。たとえ屈折した信念だとしても、頭ごなしに否定するほど自分は偉くない。


 それに、ミルフィのやることには常に正当な理由があるのを、アルフは長い付き合いで知っていた。彼女の過去を聞いて、赤髪の友人が本質的には何も変化していないことが判った。裏を返せば、歪んだのは信念だけだった。人格までは変わっていない。


 アルフェラッツにはアルフェラッツの信念があるし、ミルファークにはミルファークの信念がある。

 魔法使いは色んな思いや挫折を抱いて、この世界で生きているのだ。


 さまざまな思考の波間に揺られながら、星空を眺めていると――


「アルフェラッツさん」

「アルフ」


 と、後ろから自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。


 聞こえてきた方角を向くと、黒いカーディガンを羽織った金髪碧眼(きんぱつへきがん)の少年と、ヘイゼルの目を持つ黒いゴシックドレスを着た少女が、アルフェラッツとクラズの背後に立っていた。

 魔術師ディアデムとゾズマ。

 魔女ミルファークのパートナーと使い魔である。


「ゾズマ、ディアン……」


 アルフェラッツは体ごと振り返って、二人の名前を口にした。ダークブルーの双眸(そうぼう)とヘイゼルの双眼が、それぞれ似ているようで異なる種類の輝きを(まと)わせ、黒髪の魔女を照らしている。


「その――お願いというか、あなたに言いたいことがあって来たんです。関係を持って日が浅い上に、部外者の俺が言うのもなんですが……」

 

 一瞬だけ言葉を詰まらせた後、ディアデムは真剣な表情を作って、黒髪の魔女を見据(みす)えた。


「たとえ、どんなにミルファークが変わろうと、ミルファークのことを見捨てないであげてください」

「そんなことは言われるまでもないけど……どうしたの?」


 動揺を隠せなかったアルフェラッツは首を大きく動かす。友人を見捨てるつもりは毛頭なかったため、ディアデムのお願いは、魔女の心を激しく()さぶった。


「クラズには(すで)に言いましたが、アルフェラッツさんのことはゾズマから聞いていました。予測ですが、あなたに会いたがらない理由も、ミルファークと友達であることも、ゾズマから聞かされていたんです。」


 金髪の少年はミルファークのことを最低限しか知らなかった。自らのことを積極的に話さないのも、理由の一つかもしれないが、一年ほど過ごしても、苦悩解決でもプライベートでも、滅多に感情を(あら)わにすることのない赤髪のパートナーを、深く理解することができなかった。


 薄情と言うほどではないが冷たい人だ、というのが、ディアンのミルファークに対する印象だった。

 ゾズマが、昔はああじゃなかったけど、と言っても信じられなかった。


 だが、アルフェラッツに会ったことを伝えた日から今日に至るまでの中で、ミルファークの様々な表情を見ることができた。

 苦悩する姿、苛立(いらだ)つ姿、不安に(さいな)まれる姿、そして友人と再開した時に見せた安堵した顔。

 ミルファークの語った過去と、色々な顔が見られたおかげで、あの人のことを少しだけ知ることができた。


 赤髪の魔女は、本当は他人をことを深く思いやれる優しい人なのだ。

 アルフェラッツとクラズとゾズマにとっては、言うまでもなく知っていることだが、ディアデムはようやく実感することができた。


「きっとあの人は、俺と同じなんです。他人を幸せにするために敢えて不幸へと導いておきながら、本当は『これでいいのか』って悩んでいる……。迷っているんです」

「俺と同じ?」


 アルフェラッツは首を傾げると同時に、あ、そう言えば――と、思い出した疑問をディアデムに投げかけた。


「何でディアンがミルフィと一緒に活動しているのか、聞いていなかったわね」

「そうでしたね……理由は単純です。一年ほど前、無界での生活の中で『無界人を幸せにすることに意味があるのか?』って思い始めた時に、ミルファークとゾズマに会ったんです」


『無界人を幸せにしなきゃいけない』と考えていた俺にとって、あの人は他の魔法使いとは一線を画した存在でした。

 ミルファークについて行けば、自分の疑問に答えが出るかもしれない。そう思って、彼女達と行動するようになったんです。


 そう簡潔に答えたディアデムだった。


「魔法使いには色んな考えを持っている人がいる。アルフェラッツさんみたいに悩み解決に熱中している人もいれば、ミルファークのように途中で(くじ)けても足掻(あが)いている人だっている。多くの考えを持つ魔法使いと関わって、魔術師としてどう生きるべきか、自分なりの答えを出したい。だからミルファークと行動しているんです」

「自分なりの答えを出したい、ね――」


 昔のミルフィもこんな感じだったのかな――と、ミルフィとディアンの姿を重ね合わせ、アルフェラッツは小さく独語(どくご)した。そう言えば、ミルフィとディアンは、どことなく雰囲気が似ている。


 同じ魔法使いの年長者がいれば、ワインレッドの髪を持つ友人も、違う未来を辿っていたのだろうか?

 想像せずにはいられない。


「じゃあ私からも、ディアンとゾズマに一つだけお願いしていいかしら」

「お願い……何ですか?」

「改まってどうしたの?」


 疑問符を露わにした少年と少女に、アルフェラッツはゆっくりと立ち上がって、言葉を続ける。


「二人とも、ミルフィのことを守ってあげてね」


 それが友人思いの、黒髪の魔女の願いだった。


「ミルフィって昔から、他人に頼らず一人で背負いこんでしまうタイプだから、あなた達と一緒にいても、どんなに辛くても、全部一人で抱え込んじゃう……じゃないわね。今でも抱えていると思うの」


 苦境に立たされても、親しい友人がいても、赤髪の魔女は全て独力で解決しようとする。使い魔であるゾズマと契約を交わしても、その癖は変わらなかった。


 何ともないから、大丈夫だから、それが窮地(きゅうち)に陥った時のミルファークの常套句(じょうとうく)だった。少女に化けた黒猫がいるおかげで、多少は直っているかと思ったが、どうやら昔と変わらぬままだったらしい。


 無界での友人の苦悩を見過ごしてしまった理由の一つに、『使い魔がいるから、きっと大丈夫だろうと思ったから』というのも、あるかもしれない。


「だから、何かあったら支えてあげて。手が回らなくなってたら協力してあげて。それと……ミルフィがあなた達に何かを隠して、困ったり悩んだりしているなら、話を聞いてあげてね」


 本当は自分がミルファークの手助けをしたかったけれど、自分が未だに苦痛の種として、彼女の精神を(むしば)んでいる可能性を否定できない以上、下手なことをする訳にはいかない。だからミルフィと共にいる二人に、自分の願いを(たく)そうと思ったのである。

 表面上では、わだかまりは溶けたが、芯はまだ溶けきってないかもしれない。


「……解りました」と、ディアデムは静かに言った。

「解った……解ったわ」と、ゾズマは何度も頷いた。


 クラズの目に映るゾズマの姿が、重荷から解放されたかのように見えた。黒い小鳥は、ゾズマが主人の精神状態の悪化に対し、自分の力が及ばないことに苦しんでいたのを、ミルファークが姿を消した理由を二人から聞いた時に知った。


 ミルフィとアルフを再会させたい。でも、会いたくないというミルフィの思いを汲まなければいけない。


 ジレンマと、精神を磨り減らす赤髪の主人に挟まれて、少女に化けた黒猫は心を痛めていた。実はミルファークと同じくらい、彼女もまた、アルフェラッツとの再会に恐怖を抱いていたのだ。何のための使い魔だ――と、黒髪の魔女から詰問(きつもん)されることを恐れて。


 アルフがそんな人間じゃないことは解っているが、それでも怖かったのだ。

 相反する感情が複雑に絡み合い、自分でもどうすればいいのか、解らなかったのだ。


 ゾズマの不安が浄化されていく様子は、アルフェラッツの瞳にも映った。彼女も彼女で苦しんでいたことを、無意識の内に(にじ)み出る波動で伝わった。

 だから少女に化けた黒猫を責めなかった。というより、それ以前に責めるつもりなど、一ミリもなかった。


「二人とも、お願いね」


 そう言って、アルフェラッツは微笑んだ。


     ★    ☆    ★


 この日、アルフェラッツとミルファークを(へだ)てていた、わだかまりが解消された。

 それは、魔法使いも様々な苦悩や信念を抱えて無界で生きているという一面を、鮮やかに映していた。

第3話 おしまい

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