第3話 その6 赤髪の魔女ミルファーク
魔法使いは『苦悩を抱えた無界の人達を救う』という使命を胸に抱いて活動している。
これは彼らが、『十六歳になった魔法使いは、無界に旅立って、彼らの悩みを解決しなければならない』という魔界のルールに従っているからである。
なので、魔法使いによって、悩み解決のスタンスやモチベーションは様々である。アルフェラッツのように使命に躍起になる人間もいれば、彼女と真反対の主義を持つ人間もいる。また、活動期間も人それぞれで、苦悩解決で何十年も無界に身を置いている者や、一年足らずで魔界に帰る者も存在する。
苦悩解決を続けていく中で意欲や熱意が沸き上がる者も、逆に段々と情熱が冷めていく人間も、無論いる。
そして、アルフェラッツの親友である魔女ミルファークは、後者に分類する人間だった。
無界に旅立つ前のミルフィは、アルフェラッツと同様、『多くの無界の人々を幸せにしてみせる』という気概に満ち溢れた魔女だった。
二年ぶりに再開する時まで、アルフに言ったことはなかったが、ミルファークはアルフェラッツに憧憬めいた感情を抱いていた。魔法学校で魔法や魔術を学んでいた頃から、『世界中の人々を幸せにしたい』と語る黒髪の友人に、純粋に感心していた。
私も彼女みたいな素敵な理想を抱きたい。素敵な心を持ちたい。そんなことすら思った。
嬉しそうに自分の夢を語るアルフェラッツが、ミルファークの目に、宝石のように輝いて映ったのである。
そして、友人と同じ理想を抱いて、使い魔ゾズマ――黒猫とは無界へ旅立つ前に契約した――と共に旅立ったミルファークは、無界の人々の悩みを解決しながら、様々なことを学んでいった。しかし無界での生活は、お世辞にも順風満帆とは言えなかった。むしろ苦難に満ちていた。
結論から言うと、『魔女ミルファークの無界冒険日記』という作品において、ミルフィは、不幸と不運に翻弄される悲劇のヒロインだったのだ。
赤髪の魔法少女が、無界での生活において恵まれなかったのは、人との出会いだった。とは言え、別に苦悩を抱いた人間に遭遇しなかった訳ではなかった。
そんな人は自分から会いに行けばいいし、それ以前に、『悩んでる人を見つけ出すことができる』という魔法使いの性質上、苦悩を抱えた者を無視することはできても、出会わないことは絶対にあり得ない。
問題は出会った者の人間性が劣悪なことだった。ミルファークに出会った無界の人間は、彼女のことを『ちょっと厄介な便利な道具』としてしか見なかったのである。
家事や仕事を押しつけたり、邪険に扱ったり、さらに行動が遅ければ罵る時もあった。そんな相手に対してでも、赤髪の魔法少女が苦悩解決を放棄しなかったのは、生来の真面目さと、魔女としてのプライドがそれを許さなかったからだ。
そのような出来事が数年も続き、やがてミルファークは、疲れたと感じるようになった。
ゾズマの励ましも、幽霊のささやきみたいに、徐々に耳にも頭にも入ってこなくなった。
そんなミルフィの安らぎは友人達との交流だった。
ワインレッドの髪を持つ魔女には、魔女三人と魔術師二人の友人がいた。女の魔法使いは魔女、男の魔法使いは魔術師と呼ばれている。ミルフィは魔法学校にいた頃から、五人と深く関わっており、無界で活動してからも、彼女らと友交を重ねていた。
友人の近況を聞いたり、気晴らしに一緒に遊んだりすることで、重たく沈んだ感情も一時的に羽毛のように軽くなった。しかし唯一、関わっても心が軽くなりきれない人間がいた。夜色の髪と朝焼け色の双眸を持つアルフェラッツである。
話を聞くと、アルフェラッツの無界での悩み解決は、そこそこ調子がいいらしい。無論、失敗することも、ひどい目や辛い目に遭うことも度々あったが、概ね順調だ。
曰く、『悩んでいる曇った顔が、青空みたいに晴れやかになるのが嬉しい』とのことである。
やっぱりアルフらしいな、とミルフィ思った。
だが同時に、嫉妬と羨望が入り混じった感情が脳裏をよぎった。
別にアルフェラッツと競争していないし、彼女に反抗心や敵愾心を持っている訳でもなかったが、同じ理想を持っているが故に、どうしても意識してしまうのだ。
赤髪の魔女は、ただ単に友人の理想に憧れるだけでなく、少しでも志に近づこうと行動しているのだが、度重なる不運で心のレンズがぼやけていたため、アルフが羨ましく見えたのである。
ミルファークは、自分が人との出会いに恵まれていないことを、アルフェラッツに言わなかった。己の不運を、悩み解決が上手くいかない理由にしたくなかったからである。
黒髪の魔女には、「まあ、ぼちぼちよ」と言う程度で、それ以上は言葉を続けなかった。
それでもミルファークは懸命に、無界人達の悩みを解決することに奔走した。無界人から辛酸を舐めさせられるのは不服だが、自分は甘い汁を求めて無界に来た訳ではないのだ。それに、たまにいいこともあったりするから、言うほど嘆くことでもないかもしれない。
人生という山道の険しさは人それぞれだし、運という天気もその時その時で変わる。
私の場合は最初から、悪路と悪天候に満ちていたのだろう。
別に見返りを求めて魔法使いの活動をしている訳ではないので、悪し様な対応は、元来のメンタルの強さと、使い魔ゾズマの激励で耐えることはできた。
人は誰しも汚れた部分を持ち合わせているのだから、それは仕方ないことだ。
ミルファークは思考を上手く転換して、己の身に降りかかる理不尽を何とか咀嚼した。噛み潰しても、残るのは虚 しさだけだったが。
……そして、ミルファークが二十二歳になった時、彼女の糸はとうとう切れてしまった。
無界に来て数年が経ってから下宿も兼ねて関わっていた、ある夫婦の苦悩解決において、辛い目に遭ったである。
★ ☆ ★
夫婦の悩みの内容は、『自分達の子供になってほしい』という、ごく単純なものだった。二人は病で一人娘を亡くしていたのだが、その娘がミルファークと瓜二つなのだという。
夫婦にとって、赤髪の魔女は神様が自分達にもたらしてくれた奇跡だった。自分の娘が、魔法という不思議な力を身につけて、この世界に蘇ってくれた。
赤髪の魔女が、無界人達の心のなさに耐えられたのは、夫婦の暖かさがあったからだった。自らに特殊な力があっても、すんなりと受け入れてくれたのもあったが、二人は自分のことをよく可愛がってくれたし、使命に関しても、自らの手の及ぶ範囲――アドバイスなど――で協力してくれた。
夫婦もまた、ミルファークとゾズマをよく可愛がっていた。病弱だった、今は亡き娘にしてあげられなかったことを、惜しみなく彼女にしてあげた。色々な所に旅行に行ったり、洋服を買ってあげたり。子供が死んでから続いていた虚ろな日々が、鮮やかな幸福の彩りで満たされた。
……だが、一緒に暮らして二年ほどが経過して、ミルフィは二人の態度が徐々に冷たく、悪し様になっていくのを感じた。
夫婦はある日、急に夢から覚めてしまった。
自分達のしていたことが、娘そっくりの赤の他人を自分の子供に見立てた、倒錯した家族ごっこであることに気づいたのである。
途端に、それまで娘として可愛がっていた子供が、急に不気味に思えてきた。神様からの贈り物だと思っていた物が、いたずらな妖精が送り込んだ取り替え子のように見え始めた。
娘のようで娘でない。別の世界からやってきた、娘そっくりの子供。夢から覚めて、夫婦のミルフィを見る目から、違和感と恐怖のフィルターを外せなくなってしまった。本当の娘ではない、不思議な力を持つ子供であると解っていたはずなのに、暖かな幸せが笑えない喜劇に一変してしまった。
自分達の歪んだ行いに気づいたとは言え、願いを叶えてくれたワインレッドの髪を持つ魔女を、『出て行け』と急に冷遇する訳にもいかない夫婦は、それからも以前と変わりなく優しく接した――つもりだったが、まるで演技力が稚拙な役者のように、どこかぎこちなくなった。
無論ミルファークは、急に夫婦の態度がおかしくなったことをすぐに察した。家の中が少しずつ荒れ始め、二人が口論をするようになったからだ。だが、最初は何故、夫婦の態度が冷ややかになったのか、原因や理由が全く判らなかった。
この頃には、夫婦に気兼ねなく接するほど、お互いに親密な仲になっていたため、ミルフィは少なからずショックを受けた。
怜悧な彼女でも、彼らが夢から覚めたことに気づくまで、二日ほど時間が必要だった。二人が与えてくれた優しさを拭えず、思い出の霧の中で迷ってしまったのだ。
次第に夫婦のミルファークに向ける感情が徐々に変質していった。違和感が不快感に、不快感が苛立ちへと腐食するまで、そこまで時間がかからなかった。
暴力こそ振るわれなかったが、罵詈雑言の豪雨が、赤髪の魔女を頻繁に襲うようになったのである。それは彼女と関わった無界人がしてきた仕打ちと同じだった。
偽りとは言え、家庭内に暖かな光をもたらしてくれた彼女への感謝の気持ちは、完全に消え失せていた。赤の他人で魔女であるという恐怖の感情が、感謝の気持ちを上回っていた。
そのまま重々しい月日が経ち、とうとうミルファークは家から出て行く決心を固めた。二人の冷遇に耐えかねたのもあったが、ある一言が彼女の心を、決定的にへし折ったからだった。
――あなたは私達を不幸にしたのよ。
――お前が来たから家の中がおかしくなった。
――何が『人を幸せにする』よ。
――早く家から出て行け。このバケモノ!
心が荒廃した夫婦は、赤髪の魔女に向かって理不尽な暴言を吐き飛ばした。
何がいけなかったんだろう? 何がダメだったんだろう? 原因を探れるだけの精神の余裕が、その時のミルフィにはなかった。叩きつけられたのは、自分が夫婦にとって苦痛の種になっていたという事実と、相手を幸せにできなかったという結果だった。
ミルファークの何かが、大きな音を立てて引きちぎれた。それと同時に、彼女はある答えに辿り着いた。
……もしかしたら、幸福を振りまくことこそが、他人を不幸に陥れているのではないか?
いくら幸せな夢を見せても、いずれ不幸になるのなら、最初から不幸の底に叩き落とした方がいいのでは?
その方が、後々相手を幸せにできるのではないか?
不幸の荒波に揉まれる長い日々の中で心が磨り減った上、さらに追い打ちをかけるように、信じていた人に裏切られるという凶事に遭って、無界の人達を幸せにするという志が、折れ曲がった鉄パイプみたく歪んでしまったのだ。
それでもミルファークが、魔界に帰らず、無界で活動し続けている理由は、『相手を助けるより、最初から相手を不幸にした方が、後々幸せになれる』、『たとえどんな目に遭っても、魔法使いの使命を成し遂げる』という、屈折した感情を動力源にしているからだった。
たとえ志が変質しても、途中で諦めるのは、よく言えば真面目な、悪く言えば頑固なミルファークの性格上、許せなかったのである。
これ以上続けても絶望しかない、だけど途中で止まる訳にはいかない、という化学反応によって生まれた意志は、赤髪の魔女を『他人を幸せにするのではなく、他人を早く不幸へと導く』という行動に走らせた。挫折と不屈の化合物が、その時の彼女には、宝石さながらの輝きを放っているように見えたのだ。
だが、その信念を掲げて、無界で活動を続けていく内に、ある影が脳裏にちらつくようになった。それは自分の志にわずかな迷いが生じた時、決まってミルフィを諫めるように現れた。黒髪の魔女アルフェラッツである。
憧れていたアルフェラッツが、今や自分を刺激する悪魔になっていることに気づいたミルファークは、再び絶望した。
今の自分は、友人とは対極的な信念を持って動いている。
いつか今の私を知ったらアルフは失望するに違いない。
友情と信念の万力で、心臓が潰されそうになった。黒髪の友人が怖くなったのだ。
何でもいいからアルフと距離を置きたい。変わった私を彼女にだけは知られたくない。だけど絶交はしたくない。
ミルファークは友人と離れる大きなきっかけが欲しかった。お互いが傷つかない、都合のいいスケープゴートを。
やがて、ワインレッドの髪を持つ魔女の前に、好機が訪れた。
クリーム色の髪を持つ友人アルフィルクの結婚式である。
フィルの結婚式でアルフェラッツと会ったその日を境に、赤髪の魔女ミルファークは、黒髪の魔女の前から姿を消した。
アルフィルクの結婚式が開かれたのも、ミルフィが消えた日も、どちらも二年前の出来事だった。
★ ☆ ★
「そんな……、そんなことがあったなんて……」
ミルファークの全てを知ったアルフェラッツは、口元を抑えて絶句していた。複雑な感情と衝撃が、目頭と鼻筋が熱くなるという形になって表れた。友人にかける言葉も感想も、頭の中を引っかき回しても見つからない。
「だから会いたくなかったのよ。あなたを悲しませることが解っていたから――会いたくなかった」
ミルファークもまた俯いたまま、アルフを直視することなく同じ言葉をを繰り返す。何とも言えない苦々しさと悲嘆が、彼女の心と顔を蚕食していく。
鉛のような重たい空気が、五人の周囲を瞬く間に支配しかけた。
しかし、その瘴気を先陣切って払いのけたのは、使い魔クラズだった。
『ま、ミルフィがアルフを避けてた理由は解ったが……、イマイチよく解らない疑問も残ったな』
「疑問?」
反応したのはゾズマ。同時に四人の視線が、発言者である黒い小鳥へと向けられた。
『何で二年もミルフィとゾズマの居場所が判んなかったか、だよ。俺がゾズマに会えたのは、ディアンについてたゾズマの匂いを辿ったからだが……、それはディアンを介してであって、あの二人そのものの気配も匂いも、いくら探しても全然解らなかった」
匂いも気配も、少しの魔法を使えばすぐ辿れるのに、どんなに力を使っても微塵も存在を感じ取ることができなかった。アルフェラッツとクラズが、あらゆる人探しの魔法を使っても、ミルファーク達が存在したという痕跡を掴めなかった。これはどういうことなのか? クラズはそう疑問を提示した。
ミルファークとゾズマとディアデムは、懐からある物を取り出した。封筒と言うには小さな白い紙だった。紙には円をベースとした幾何学模様を中心に、周囲に文字らしき物が書かれていた。魔法陣である。
黒髪の魔女と小鳥の姿をした使い魔は、それに見覚えがあった。
「これって、フィルの呪符?」
アルフェラッツの言葉に、無言でワインレッドの髪を持つ魔女が頷き、さらに呪符の裏面を見せた。黒い羽と長い毛が一本、その紙に貼り付けられていた。それは後の二人が持つ物も同じだった。
さらに裏面にも、表の模様と似たような、不可思議な文字がいくつか刻まれていた。
その文字を見てアルフとクラズは、喉につっかえていた食物が、無事に胃に送られたような感覚を精神で味わった。裏に書かれていたのは、魔法言語で『気配消し、目くらまし、匂い消し』だったからだ。
「どうりで、あれほど探しても二人が見つからなかった訳ね――」
納得と安堵がブレンドした嘆息をする黒髪の魔女だった。
ミルファークは、友人の髪と彼女の使い魔の羽を素材とし、二人にだけ姿や気配を感知させないお守りを作っていたのである。
自分を翻弄したアイテムを作ったアルフィルクに対しては、特に何とも思わなかった。道具は、使う人間に責任があるのであって、道具そのものに責任はないのだ。
まして作る人間は何も悪くないのは当然だ。わざわざ脳内で復習するまでもないことだった。
アルフェラッツとミルファークの二年ぶりの再開。
よくも悪くも、まだまだ夜は長くなりそうだ――と、同席している二人の関係者は、頭の中で呟いた。




