第3話 その1 魔女達の晩餐
アルフェラッツには三人の魔女の友人がいる。魔法学校で公私を共にし、人々に幸せを運ぶために無界(魔界における現実世界の呼称)へと旅立った後でも、プライベートでの交流や共同で苦悩解決にあたるなど、昔と変わらず親交を深めていた。
ところが二年前のある日を境に、友人の一人がアルフェラッツの前に姿を現さなくなった。『自分達には時々だけど、顔を見せてくれる』と、他の二人から聞かされたため、彼女は傷つくと同時に魔女の身を案じていた。
二年というのは、長い年月と形容するには大袈裟だったが、数ヶ月や数週間に一度、友人と顔を合わせているアルフェラッツにとっては、わずかな時の空白が十年のように感じる時があるのだ。
アルフェラッツは心の片隅で、そのことに気を病みつつも、無界の人々の苦悩を解決するために日々空を飛び回っていた。
たまに空いた時間で、使い魔に消えた友人を探索させたり、魔術師の友人――魔界において、男の魔法使いは魔術師、女の魔法使いは魔女と呼ばれる――から話を聞いたりするも、なかなか見つからず、有用な情報も聞けず(友人達が、消えた友人の『アルフェラッツに自分のことを言わないで』という意向を汲んでいるため)、今日に至るのである。
――何で私の前に姿を現さないんだろう。
――昔、気に障るようなことでもしたかな。
そう考えた時もあったが、他の友人から、『彼女は別にアルフェラッツに対して敵意や反感を抱いている訳ではない』と伝えられたことで、アルフェラッツは胸を撫で下ろした。
しかし、不安の暗雲が脳内から去ることはなかった。では何が原因で私を避けているのか、という新たな疑問が浮かんだからである。
今度はその理由を聞いたものの、消えた友人の居場所と同様、教えてくれなかった。
アルフェラッツは小さく深い苛立ちを覚えたが、それも姿を消した友人の意向だと伝えられると押し黙った。それがまた余計に彼女を傷つけた。最近では、毎回訊くのはしつこいだろうか、と思って、訊ねる頻度も目に見えて減っている。
アルフェラッツは無界の人々の苦悩を解決するという使命を抱いているが、自分にだけ会おうとしない友人に対しては、頭を悩ませていた。向こうは自分を徹底的に拒絶する。敵意を抱いている訳でもないのに。答えも理由も判らない鬱蒼とした森の中で、アルフェラッツは肩を落としてさまよっていた。
だが、ふとしたことがきっかけで彼女はその森から抜け出すこととなる。
それはある日、小さな偶然が、幾重も積み重なって起こった。
★ ☆ ★
ここは、とある高層マンションの一室。
夜色の緩やかな長髪と朝焼け色の瞳を持つ魔女アルフェラッツと、黒髪の少年の姿に化けている使い魔クラズは、友人の招待でディナーをご馳走になっていた。
四人用のテーブルの上には、様々な料理が何品目も置かれている。小麦の香りがほのかに漂うフランスパン、クレソンとタマネギとレタスのサラダ、そして赤と白のソースがかかった白身魚のポワレ――それぞれが見た目と匂いで、己の存在を主張していたが、不思議と見事なまでに調和がとれていた。
二人は口腔内から源泉や油田のように湧き出てくる多量の唾液を、唇と歯の二重の水門で何とか抑えていた。早く食べたいという意思を、両目と胃袋が、料理を作った友人に向けて表出していた。
しかし、それに限界が来たのか、クラズ少年はとうとう、
「早くフィルの料理を食いたいぜ」
と、堪えきれずに漏らした。彼は隣に座っている己の主人であるアルフェラッツ以上に、友人の料理を楽しみにしているのだ。
黒髪の魔女は、琥珀色の瞳を横にずらしてクラズを嗜める。
「もう少し待ちましょうよ、あとちょっとでスープが完成するわ」
「お前も早く食いたいって思ってるくせに」
「我慢しましょう。空腹は最高のスパイスよ」
「香辛料も多過ぎると、ツラくなるんだよな……。てか、前も似たようなこと言ったなお前」
使い魔は嘆息して腹部をさする。アルフェラッツは肩を竦めた。
「クラズって本当に食いしん坊なのね」
「いいじゃねえか、食うってのは生きるのに大事なことだぜ」
「そうは言っても――」
クラズは軽い方便を飛ばしたが、魔女はそれに乗らず、苦笑と困惑が混ざった表情を作る。
「クラズの言う通りよアルフ」
使い魔の言葉を聞いた黒髪の魔女の友人が、柔らかな声で言いながら、コーンスープの入った三枚の皿を自分の周囲に浮かせて二人に近づいた。アルフというのは、アルフェラッツのニックネームである。この愛称は、黒髪の魔女と関わりのある多くの人々から、親しみを込めて使われていた。
「美味しいご飯を食べないと、心も体も元気になれないわ」
「おっ、フィル解ってんじゃん。いいこと言うなぁ」
「まあね。私の旦那さんも料理を食べれば、どんなに疲れていても復活するもの」
クラズからフィルと呼ばれたエプロン姿の女性は、料理が並べられたテーブルの上にスープを着陸させて、自分の席についた。
甘い香りが漂って来そうなクリーム色の癖のあるミディアムヘア、木漏れ日を両目に溶かしたような若草色の瞳、そして友人と劣らぬ端正な顔と、温厚なオーラ――それらの要素が、フィルことアルフィルクという人間を構成していた。
アルフェラッツの友人の一人であるアルフィルクは、四人の魔女の中で決定的に異なる特徴を、自分の名札にぶら下げていた。それは結婚していることだった。彼女は三年ほど交際していた無界人の男性と二年前に入籍しているのだ。フィルの薬指には、見えざる愛の保証書がついた銀のリングが輝いている。
そんなフィルは、料理や裁縫など家庭的な趣味を多く持っており、お菓子や夕食などを作っては、たまに友人を誘って振る舞っていた。アルフやクラズは、彼女の料理の腕前を高く評価しており、いい料理人になれる、と過去に評したことがある。
無論、アルフとクラズも例外なく、月に一、二回ほど、クリーム色の髪を持つ魔女に招待されて夕食を共にする。
黒髪の魔女と使い魔は、フィルの作った料理やデザートを視界に入れる度に、口腔内から湧き出る激流を食い止めるため、歯と唇の水門を固く閉ざす努力を強いられるのである。
「そろそろ食べよっか。二人とも、お腹ペコペコでしょ?」
うん、待ってたわ――とアルフは声を弾ませた。
やっと食えるぜ――とクラズは指を鳴らす。
「それじゃあ、いただきます」
フィルの言葉が晩餐の始まりの合図だった。
招待された二人も、彼女と同じ言葉を後から続けて口にすると、黒髪の魔女の手にスプーンが、使い魔の手にナイフとフォークが握られ、腕が料理の盛られた皿へと伸びる。
アルフの腕が、まるで蛇が憑依したかのように素早く動く。クラズに至っては露骨に「うっし!」と声を上げる始末だった。料理を口に入れると、二人の口内で無音のセッションが奏でられた。
小麦のほのかな匂い、白身魚の柔らかな食感とソースの味、一瞬で口腔内を支配するスープ……。
フィルの作った料理の味と香りが、様々なアドリブを交えて踊り歌う。
今日のディナーの形態は西洋料理なので、さすがに意地汚く料理をがっつくことはしなかったが、二人の眼光は、腹を空かせた育ち盛りの子供のそれに変わっていた。
そんなアルフとクラズを見ながら、フィルは小さく笑った。
★ ☆ ★
夕食後、アルフェラッツとクラズとアルフィルクは、テーブルに薬草や鉱石などを広げて、魔法アイテム作りに勤しんでいた。アルフはキャンドル、クラズは生薬、そしてフィルは呪符を製作している。
フィルは魔法においては趣味を活かして、生薬や呪いの道具を製作しており、魔法学校の科目の一つである魔女術も、四人の魔女の中では一番だった。
クリーム色の髪の魔女お手製の道具は、上質かつ効果も強力なため、彼女特製の魔法アイテムを求めて、アルフィルクの家を訪れる魔法使いも多いのだ。アルフェラッツも時々、魔法使いの道具の作製を彼女に頼むことがあり、今日の晩餐のついでにアイテム作りの依頼をしたのである。
呪符、生薬、キャンドル。三人の手のひらから様々な道具が、魔法と共に生み出されていく。依頼主であるアルフとクラズもアイテム作りに協力しているのは、製作者だけに仕事を押しつけて自分達だけがのんびりとする訳にはいかない、という気持ちの表れからだった。
「これで全部かしら……。アルフが作ってほしいって言った分ができたわ」
最後の呪符を作り終えて、フィルは口を開いた。呪符は魔法使いに欠かせないアイテムの一つで、呪文を吹き込めば、使い魔の代わりや魔除けなど、あらゆる場面で活用できる便利な物である。
「ありがとう。これだけあれば、当分は呪符を補充しなくて済むわ」
アルフは手を止め、夜色の髪を縦に揺らした後、改まったような表情を顔にたたえた。
「というか、本当にいいのフィル?」
「いいって何が?」
「お金のことよ。いくら友達だからって、タダでこんないい物を作ってもらうの、ちょっと気が引けちゃうし」
「大丈夫大丈夫! ……っていうか、別にいいって前にも言わなかった?」
フィルは心配いらないとでも言うように、苦笑して右手を軽く振った。それはそうだけど、と、黒髪の魔女は困惑色を顔にたたえる。
フィルがアルフから、アイテム作製の依頼に対する報酬を受け取らないのは、別に彼女と親友だからという訳ではない。アルフが依頼と一緒にアイテムの材料を調達してくれるため、自分で原材料を集める手間が省けるからである。逆に言えば、黒髪の魔女が原料を持って来ずにお願いに来た場合、たとえ友人でも相応の金銭を要求するつもりだった。そして今まで、アルフは材料を忘れたことはなかった。
あなたがきちんとしているから、私は友達からお金を要求せずに済んでいるの――と、クリーム色の髪を持つ魔女は言った。
「中には『タダでアイテムを作ってくれる』って、勘違いして手ぶらでウチに来る人がいて、その場合はお金がかかるって言ったら、キレる人もいるのよ」
「うわっ、マジか。ソイツ最低過ぎんだろ」
クラズが露骨な嫌悪を込めた声音と一緒に反応する。フィルは使い魔の言葉に同調の眼差しを向け、けれども表現がストレート過ぎることに肩を竦めてから、再び黒髪の友人に視線を戻す。
「だから、その点に関しては、あなた達二人は歓迎するべきお客さんなのよ。作ってほしい分の材料を、ちゃんと私のところに持って来てくれるから。だからお金なんていらないわ」
若草色の瞳の片方を瞑るフィルだった。
「ていうか、あんまりしつこいと、怒っちゃうわよ」
「……………………」
笑顔のまま、揶揄のつもりで軽口を叩いたクリーム色の髪の魔女だったが、当のアルフにとっては、溺れかけている時に頭を上から押さえつけられたように感じた。
金銭の心配はいらないと言われ、困惑顔から微笑に戻ったアルフの顔が、再び負の感情の暗雲に覆われる。それは困るというより、落ち込み傷ついた表情だった。
その顔を見て、アルフの心情を全て悟ったフィルは、
「……もしかして、ミルフィがどこにいるのか、訊こうと思ってたの?」
クリーム色の髪の友人からの質問に、無言でアルフェラッツは頷いた。
アルフェラッツの表情を支配していた黒雲の一部が、アルフィルクの顔に移動したらしく、クリーム色の髪を持つ魔女も複雑な表情で、落ち込む黒髪の友人を見ていた。
『ミルフィがどこにいるのか』――それは時々、黒髪の魔女がアルフィルクに訊ねてくる疑問だったが、そのことに煩わしいと感じたからではなく、何と返せばいいのか判らないという感情から来る顔だった。ミルフィという人物から、アルフに自分のことを伝えるな、と口止めされているからである。
二人を包み込む重々しい空気に、少年に化けた使い魔は鼻で溜め息をついた。
結局、今回も友人ミルフィの居場所が判りそうになかった。




