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第2話 その7 どう思っているの?

 ()れたセミロングをタオルで拭きながら部屋に向かう速水(はやみ)(まい)は、胸の内で小さな決心を固めていた。浴槽(よくそう)の中で散々迷った果てに、魔法に頼らないことにしたのである。


 せっかく来てくれたアルフさんには申し訳ないけど、魔法に頼ってしまうのは、自分にとって何一つプラスにならないと思う。それ以上に、どこかで後悔してしまうと思う。魔女が話を聞いてくれたおかげで気が楽になっていたこともあって、自分の感情をある程度、整理することができた。


 しかし、不安が完全に払拭(ふっしょく)されなかったのも、また事実だった。


 告白を境に、翔吾(しょうご)との関係が悪い方向に一変したら、どうしよう? 気まずくなったら、断られたら――理想と異なる結果が待ち受けていたとしても、自分の感情にけじめをつけられるかどうかが不安だった。それはいくら腹を(くく)ろうが、強い心を持とうと決意しようが、振り払うことのできない濃霧(のうむ)だった。


 ドアを開けると黒髪の魔女が、肩に黒い小鳥を乗せて、正座をしていた。

 魔女の琥珀(こはく)色の双眼(そうがん)と、舞の黒い双眼がぶつかり合う。


「アルフさん、私、決めました」


 少女舞は目を見据(みす)えると、 自分の決意と不安を、(いつわ)ることなくそのまま口に出した。


「アルフさんには申し訳ないけど、魔法に頼らず自分の力で告白します。これは私自身の問題で、他の誰にもできないことだから、自力でやらなきゃ、きっと後悔してしまうかもしれないと思うから……」

「そう、(わか)ったわ」


 アルフェラッツは静かに深く(うなず)いた。魔法の使用の是非(ぜひ)を前もって舞に問うたため、無論、彼女の選択に気分を害してはいない。


「でも、本音を言えばやっぱり不安なんです。もしも断られたらって思うと、私達の関係が変わったらって思うと、怖くて――」

「舞ちゃん、そのことなんだけどね、私は告白しても大丈夫だと思うの」

「え?」


 魔女の言霊(ことだま)の砲弾に、少女は思わず疑問符を()らす。


「舞ちゃんと翔吾くんは、一年以上も友達として付き合っていたんでしょ?」

「はい」

「なら、きっと大丈夫よ。彼との長い時間の積み重ねが、あなたの味方になってくれるわ」


 夜色の髪を持つ魔女は、少女に優しく言い聞かせる。


 経験の蓄積(ちくせき)と成功率は必ずしも正比例しない、というのは、彼女が無界で学んだことの一つである。

 だが、必ずしもであって、絶対に成功しないではない。そもそも、この言葉は『経験を積んだ者でも、たまに失敗することもある』という意味を持つのだが、魔女は教訓(きょうくん)をいつの間にか、『成功するとは限らない』と受け取っていたのである。


 意味がすり替わってしまった教訓が、己の体にすっかり浸透したため、盲点(もうてん)に気づくまでに時間がかかった。

 物事を見るレンズが、知らない内に(ゆが)んで(くも)っていたことを、再確認すると同時に思い知らされたアルフェラッツだった。


 その反省を活かして魔女は続けた。

 肩に止まっている使い魔が、以前、苦悩を解決した男に向かって、『苦悩を抱えた人々は、みんな消極の壁を破って悩みを解決したのだ』と熱く(うった)えたが、その手法を舞に向けて使おうとは、アルフェラッツは思わなかった。


「長い時間が、私の味方に……?」


 舞はアルフェラッツの言葉を確認するように反芻(はんすう)する。


「ほら、一年も友達として付き合えば、お互いのいい所や悪い所が、ある程度は(わか)ってくるじゃない? そんな時間の積み重ねの中で、あなたは翔吾くんのキラキラした一面をたくさん発見して、彼のことが好きになったんでしょ?」


 言われて少女は、回想の湖に身を投じる。


 先輩達の面白いエピソードで笑い合ったこと、テスト勉強で二人一緒に額を合わせて悩んだこと、些細(ささい)なことで喧嘩(けんか)してしまったこと、そして仲直りをした後でショッピングに行ったこと――翔吾と親交を深めてから色んなことがあり、彼の様々な表情を間近で見ることができた。


 振り返ってみれば、そんな(かざ)らない翔吾のことを素敵だと思ったからこそ、舞は彼の魅力(みりょく)に引き込まれたのかもしれない。

 人に好意を抱く理由は、単純かつ簡単な解答が出る物ではないが、少なくとも少女舞にとっては、強い説得力を持つ物だった。


 私にとって翔吾は、宝石のようにキラキラした存在だけど。

 じゃあ、翔吾にとって私は、どういう存在なんだろう?


「だから翔吾くんも、舞ちゃんのもっとキラキラしたところを見てみたいって、思っているんじゃないかな」

「……アルフさん、ありがとうございます!」


 現実の岸へと帰還した速水舞は、アルフェラッツの助言で、精神の花園を(くすぶ)る不穏な(もや)が払われるのを強く感じた。


 迷いが吹っ切れたのもあったが、『緒方(おがた)翔吾の瞳に自分がどう映るのか』という、好奇心に似た感情が、告白の不安を押しのけたからである。


     ★    ☆    ★


 翌日の夕方。


 魔女アルフェラッツと使い魔クラズは、速水舞と緒方翔吾が互いに向かい合っている光景を、校舎の外の窓から――(ほうき)(またが)り、空中を浮遊(ふゆう)している――静観(せいかん)していた。


 少女と少年は、ぎこちない微笑(びしょう)と共に(ほほ)を桜色に染めている。クラズが昨夜、緒方家で目の当たりにした、愛と運命の女神の無言の保証通り、少女舞の告白が実ったのである。


 舞は最初、翔吾少年を呼び出した後、数分ほど逡巡(しゅんじゅん)した末に、「いつか()こうと思っていたんだけど……翔吾は私のことをどう思っているの?」と口を開いた。


 唐突(とうとつ)な問いかけに、少年は困惑した表情を浮かべたが、「そりゃあ勿論(もちろん)、大事な友達だと思っているよ」と答えた。その答えを聞いた少女舞は、一瞬だけ目を(つむ)って(うつむ)いた後、目の前の少年をしっかり見据えて、


「本当にそれだけ?」

「えっ、どういうこと?」

「……本当に私のことを、『友達』とだけしか、思っていないの?」


 舞の言葉が電撃となり、翔吾の耳を貫いて脳裏に強い衝撃を与えた。彼女の真意を理解したような錯覚を感じたからだ。

 ……いや、きっと錯覚じゃない。細かい理由は(わか)らないけど、でも、この真意は絶対に正しいと、確信を持って言える。


「違う」


 やがて翔吾は、小さく首を横に振って質問に答えた。そして今度は翔吾が、力強く彼女の双眼を直視して、


「俺は、えっと……、俺は舞のことが、実は前から気になっていたんだ」

「!?」


 少年の心に受けた強い衝撃が、鏡に反射する光のように跳ね返って、舞に鋭い一撃を与える。

 翔吾の口から放たれた見えざる言霊の矢が、少女の胸を貫通した。


「とっても優しくて、可愛くて、一緒にいて楽しいし、でも、君が俺のことを何とも思ってなかったら、逆に引かれたらどうしようと思って、なかなか告白する勇気がなくて――」


 感情のまま、勢いのまま、翔吾は心のダムを開放し、己の慕情(ぼじょう)や不安を目の前にいる意中の少女に向けて一気に放流する。


 舞は激流の中で口元を押さえて立ち(すく)んでいた。実は両思いだったという事実で、頭の中が過負荷(かふか)を起こしたからである。心中に抱え込まれた驚愕が大き過ぎたため、嬉しいという正の感情を、なかなか言動に反映できなかった。


「で、舞は?」

「えっ!?」

「舞は俺のこと、どう思っているんだ?」


 自身の心情を全て出し切った翔吾少年は、最後にわずかに残った力を振り(しぼ)って、声を発した。

 それは文章に起こせば単純な物だったが、口にするには、目の前の少女に向けて慕情を告白する以上のエネルギーが必要だった。


 高揚した様々な感情を胸いっぱいに抱きしめて、歓喜の(しずく)を目から一筋溢しながら、少女舞はゆっくりと言った。


「好きよ。……私もあなたのことが大好き」

「そっか。……そっか」

「それで、もう一つ訊きたいことがあるんだけど――」

「何?」

「私と……付き合ってくれますか?」


 舞は涙を指で(ぬぐ)い、一番知りたかったことを翔吾に訊ねた。

 翔吾は迷わず答えた。


勿論(もちろん)だよ! こんな俺でよければ……お願いします」


 お互いの感情を理解すると同時に、張り詰めた空気が和むと、二人の頬が自然とピンクに染まった。


     ★    ☆    ★


 少女速水舞と緒方翔吾少年が結ばれたのを確認したアルフェラッツは、安堵(あんど)の微笑を浮かべると同時に、肩から荷が下りた人間が必ず発するような嘆息(たんそく)をした。


「――舞ちゃんと翔吾くんが結ばれるという結末は、クラズの言う通り、神様から約束された未来だったってことね」

『そういうこった。……つーか、思春期のヤツが、異性と一年近く一緒に過ごして、何も感じない訳がないんだよな』

「やっぱり恋愛絡みの悩みって、色々気を遣ったり、考えたりするから大変ね。クピドの偉大さが身に染みて解るわ――」

『成功したってのにシラけた面してんな。結果オーライだったから、よかったじゃないか』

「ううん、改めて自分の非力さを思い知ったというか……、あなたの偵察(ていさつ)がなかったら、私はずっと頭の中での行き止まり(デッドロック)と右往左往に悩まされていたわ」

『ま、積極的に舞の背中を押すとか、自分から率先(そっせん)して動いてたから、上出来な方だとは思うがな。俺のフォローなしで結構行けた部分あるだろ。悩み聞き出す時はアレだったけど』


 黒い小鳥の姿をした使い魔クラズは、主人の肩の上で(ねぎら)いの言葉をかけたが、当のアルフェラッツの顔は浮かない。浮かないというより、釈然(しゃくぜん)としないと言いたげな表情だった。


『……どうしたんだ?』

「やっぱり今回は力(およ)ばずだったかな、って思って」

『だから言ってんだろ、上出来な方だって。完璧主義を鼻先にぶら下げてたら、顔も頭も(ゆが)んじまうぞ』

「いや、そうじゃないのよ」


 アルフェラッツは、オレンジの空よりも先に夜が訪れている髪を、横に小さく()らす。


 黒髪の魔女は子供の頃から、恋愛(がら)みの悩み解決や相談が苦手だった。恋愛に限らず、彼女はたくさん不得手(ふえて)な物を抱えている。

 苦手な物は大人になれば、完璧にこなせるまではいかなくとも、自然と多少はうまく立ち回れるようになるだろう、そう思っていた。


 だが、大人になっても苦手は自然と改善されないという事実を、今回の苦悩解決で再確認して、アルフェラッツは少し肩を落としたのである。

『大人になれば何でもできる』という幻想を、さすがに本気になって信じてはいないが、苦手分野に直面して柔軟性が(にぶ)る度に、彼女は歯がゆさを覚えるのだった。


 柔軟に動けなかったのが反省点かな――と、アルフェラッツは最後にそう(つぶや)いた。


『大人になれば、か……ガキの思考だな』


 吐き捨てるように言って、使い魔は瞬膜(しゅんまく)を何度も閉じる。


『大人が万能って幻想は、幼稚園児が抱くヤツだぜ。年重ねた人間だって、できないことはたくさんあるし、(つまず)いたり、悩んだり、失敗する時だってあるんだよ。ってか、そんなのは俺がわざわざ説明するまでもなく、アルフが一番知ってんだろ』

「うん。前に悩みを解決した人だって、大人だけど悩んでたし――」

『ああ。でも、今回は大きな収穫もあったと思うぜ』


 言って、クラズは翼を広げて浮遊し、アルフェラッツの被っている三角帽子の(つば)の上に止まって、彼女を(はげ)ます。


『俺がグイグイ首を突っ込まなくても、お前は自分から進んで行けただろ。大胆に踏み切って、告白することに臆病(おくびょう)だった舞を引っ張って行けた訳だし。一昨日のファミレスで「次の悩み解決で努力してみるわ」って言葉通り、真正面から違うやり方を実行したじゃないか。しかも苦手な恋の悩みを相手にだぜ?』


 アルフェラッツは沈黙して黒い小鳥の話を聞いていたが、小鳥が言い終えてから数秒後、ようやく憮然(ぶぜん)とした表情を()き取ることができた。校舎の中で悩みが解決された少女と同じ、嬉しさからくる微笑(ほほえ)みを、黒髪の魔女は口元にたたえた。


「そうね……言われてみれば、結構できてるかもしれないわ」

『問題はそれをいかに継続できるか、だけどな。目の前のことに熱中するお前のことだから、前のことなんて忘れちゃいそうだし』

「ちょっと! ……ふふっ」


 夜色の髪と朝焼け色の瞳を持つ魔女と、黒い小鳥の姿をした使い魔は、声を立てて笑い合った。


 成長は別に子供の時だけにしか体感できる物ではない。大人になっても学ぶことや、発見することは、星の数ほどある。


 今回の苦悩解決で、苦手な分野に挑戦し、自分の信条と異なる行動を実行したことで、それらを改めて確認したアルフェラッツだった。


     ★    ☆    ★


「へぇ――あの人がアルフェラッツさんか」


 オレンジの光を全身に受けながら笑い合うアルフェラッツとクラズの姿を、望遠(ぼうえん)の魔法と興味の色を両目にたたえ、離れた場所から眺めやる一人の男がいた。

 興味のない詩を朗読(ろうどく)するように発した声は、大人と言うには低くなく、子供と言うには高くない、変声期を終えた者の声だった。そして声の主は、実際に、変化した声が定着して数年が経過したと思われる少年だった。


 フード付きの黒のロングカーディガンに、所々にダメージの入った青いジーンズと、ダークブラウンのスニーカーに身を包み、首からは星の装飾(そうしょく)が施された銀の十字架(じゅうじか)を下げている。顔の上半分が隠れるほどフードを深く被っているため、髪型や人相は判らなかったが、あどけなさの残滓(ざんし)がついたシャープな(あご)(さら)していた。


 夜の色を溶かしたような(ゆる)やかにうねった漆黒(しっこく)の長髪と、朝焼けの空がそのまま両目に染み込んだような琥珀色の瞳、そして綺麗な顔と、(かたわら)にいる黒い小鳥……。


 今日という日に初めてアルフェラッツを目にしたから、彼女の細かい為人(ひととなり)なんて当然知らないが、『アイツ』から聞かされた話だと、(おだ)やかで優しい人よ、とのことらしい。

 確かに『あの人』と違って、柔らかなオーラが無意識に(にじ)み出ている――ように見える。


「いつか会ってみるかな」


 と、少年は独語(どくご)した。彼は黒髪の魔女の姿を確認しただけで満足したのだった。

第2話 おしまい

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