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第2話 その3 今日の夕飯はどうする?

「では、魔法をかけますよ」

「はい、お願いします」


 帰宅した後、萩村(はぎむら)はアルフェラッツに、強い心が持てる魔法をかけるよう願った。


 それは魔法に頼るというより、今までの弱い自分に対するけじめや、別れの挨拶(あいさつ)に近い意味合いを持っていた。

 黒髪の魔女は、口頭での彼の同意を改めて得ると、手のひらから桜色に輝く魔法の灰を生み出し、枯れかけた樹木のような男に振りかけた。


 魔法をかけられた萩村は、外見こそは当然、大きな変化がなかったが、印象が昼夜の逆転の(ごと)く変わった。まるで多くの緑の葉をつけ、色とりどりの花を咲かせる樹のようだった。

 表情に活力が満ちあふれ、曲がり気味だった背筋が伸びる。『冴えないおじさん』が『できる男』に、表面上も内面も変化した。


 変化した萩村は、昨日とは嘘のように活動的になった。あらゆる物事に対して積極的になり、返事も足取りも力強くなった。元から持つ公明正大さや、職務に対して勤勉な態度も相まって、自身の上司よりも、数段地位の高い人間のように見えた。


 無論、彼の妻と娘も、職場の人間達も、彼の変貌ぶりに最初は呆然(ぼうぜん)とし、困惑した。

 頭でも打ったのではないか?

 あるいは別の人間が萩村に変装しているのではないか?

 そんな疑念を抱いてしまうほど、萩村の周囲の人々は彼に対して、ただただ心中で狼狽(ろうばい)するしかなかった。


 しかし、最終的には変わった彼を受け入れた。かつて、細く弱々しい印象しかなかった男から(ただよ)う、活力に満ちたオーラに感化されたのである。


 結果として、彼の願いは叶い、苦悩も解決した。『他人の見る目を変えたい』という意味でも、『自分を変えたい』という意味でも、萩村の胸の内を巣食う暗雲は完全に払われた。

 以前のように、(あなど)られることや軽く見られることも、完全になくなったのだ。驚愕と困惑の衝撃から、未だに慣れない者達も、無論いたが、それも次第に順応(じゅんのう)していくことだろう。


 苦悩の強さに正比例して増大する暗雲は、次第に縮小していき、萩村が家に帰宅する頃には、体を(まと)うほどの雲が一握りの霧レベルにまで小さくなっていた。

 そして、暗雲が完全に消滅したのを確認したアルフェラッツは、彼に気づかれないように、自分や使い魔と関わった記憶が消える魔法をかけて、そのまま家を後にした。


 相手に別れを告げず、記憶消去の魔法をかけてから無言で去るのが、夜色の髪と朝焼け色の瞳を持つ魔女の、『さよなら』の挨拶だった。


     ★    ☆    ★


『終わった……少し疲れたな』

「うん、疲れた……」


 苦悩を解決した魔女アルフェラッツは、肺の内部の空気を全て吐き出すような嘆息(たんそく)をして、萩村の家を出た。クラズも彼女の肩の上で、電源が切れた機械人形みたく目を(つむ)っている。


『とりあえず晩飯はどうするよ? 萩村のおっさんの悩みを解決してる間、物を食ってなかったからな。腹ん中に物を入れたいぜ』


 瞑った両目をゆっくりと開いて、使い魔クラズは言った。

 アルフェラッツも腹部を、二、三回ほど軽く撫でて「そうよね、どうしよう――」と小さく漏らした。


 魔法使いは悩み解決のためであれば、一時的に相手の家にホームステイすることができる。

 これは魔法使いが無界(むかい)で過ごすためのルールの一つで、『苦悩解決の間は、準備と後始末が可能な環境であれば、相手の家に滞在(たいざい)してもよい』という内容が存在するため、相手の許可をもらい、略奪(りゃくだつ)やプライバシーの侵害――悩みの解決に全く関与しない秘密――さえ犯さなければ、家に居座ることが可能なのだ。


 今回、悩みの解決に当たった萩村家は、準備と後始末が極めて困難な家庭の一つだった。

 魔法の力で萩村家の一員として名を連ねると、一家の主人と妻が婚約する前から自身が存在していたという、解釈や想像のしようによっては、剣呑(けんのん)な図式が構築(こうちく)されるのだ。

 十歳近く歳の離れた兄弟姉妹は稀有(けう)ではないが、結婚以前から子供が存在するというのは、再婚でない限り、原則的には成立し得ない。そして萩村夫妻は互いにこれが初婚(しょこん)だった。


 黒髪の魔女と黒い小鳥の姿をした使い魔は、萩村家の一員になることを断念し、苦悩解決の間、自分の気配を消す魔法と、エネルギーの消費を抑える魔法を己にかけていた。


 他人の家の冷蔵庫を(あさ)る訳にもいかず、屋内の設備も満足に使用できない間、遭難(そうなん)した際に己の肉体を仮死状態にする魔法を使い、四日間、飲まず食わずで()えていたのだ。


 体力節減の魔法を解くと、アルフェラッツの胃袋が、小さく情けない悲鳴を上げた。あまりにも正直過ぎる肉体の反応に、魔女は肩を(すく)めるしかなかった。


「時間は二一時半ジャスト、この時間なら、お店もまだ開いているわね」


 アルフェラッツは懐中時計を取り出して、時間を確認した。長身が文字盤の真下を、短針が九と十の間を指しているのを、朝焼け色の瞳が捉えた。


「どうする? 美味しい物でも食べに行かない?」

『美味いモンか。またフィルの家で、晩飯ゴチになるか?』

「やめておきましょう。時間的にもう遅いし、この間もご馳走(ちそう)になったばかりだから」


 何回も足を運ぶのは、向こうも迷惑でしょうし――と、アルフェラッツは使い魔の意見を却下(きゃっか)した。


 フィルというのは、アルフェラッツと親交の深い三人の魔女の一人で、本名をアルフィルクという。少々癖のある濃いクリーム色のミディアムヘアと、春の木漏れ日を連想させる若草色の柔らかい双眸(そうぼう)の持ち主で、二年前、三年ほど交際していた無界人の男と入籍(にゅうせき)して家庭を持った。黒髪の魔女を含む四人の魔女の中で、現時点では唯一の既婚(きこん)者である。


 月に一、二回ほど、アルフィルクの家で夕飯をご馳走になるのが、習慣とまではいかなくとも、恒例(こうれい)となっていた。

 家庭的な趣味を持つフィルの、料理や菓子を作る腕前はかなりの物で、アルフとクラズは、クリーム色の髪の魔女特製のディナーを口に運ぶ度に、舌鼓を16ビートのリズムで打ち鳴らすのである。


 こんなに美味い飯が食えるなら、今度から毎晩フィルん家に行こうかな――と、以前の晩餐(ばんさん)で気分が高揚(こうよう)したクラズは、このようなジョークを飛ばしたことがある。その時、苦笑しながらも、一瞬だけコントラストが闇夜の如く暗転した友人のグリーンの瞳を、アルフェラッツは見逃さなかった。


 アルフィルクと彼女の旦那(だんな)の育んだ愛の花園に、無闇に立ち入るのは(ひか)えよう。


 別に以前の出来事が理由ではなく、初めて晩餐に誘われた時から決めていたことだが、そう思っている黒髪の魔女であった。


 親しき仲にも礼儀(れいぎ)あり。

 付き合いが長く、仲のいい間柄(あいだがら)でも、超えてはならぬ無形の境界線は存在するのだ。


『はぁ、フィルんところはダメか』


 主人に却下されて、うなだれる黒い小鳥だった。しかしコンマ単位で立ち直り、


『となると、外で食べるってことになるわな。つっても、この辺にレストランなんてあったか?』

「ないわ。お店に行くなら、街の方に行かないと。この辺りは住宅街だから」

『……腹が減ってる時に運動するの、結構たりぃな』


 面白くもなさそうな声で(つぶや)くクラズ。

 ()ねる子供を(なだ)めるように、アルフェラッツは苦笑しながら言う。


「そこは仕方ないわ。でも、むしろよかったんじゃない?」

『何でだよ?』

「だって『空腹は最高のスパイス』って言うじゃない。だから、お腹をぐっと空かせておけば、とびきり美味しい料理が、両手を広げて私達を歓迎(かんげい)してくれるに違いないわ」

『あぁ、そっか……。いや、それもそうだな』


 そう言って、アルフェラッツは朝焼け色の目の片方を瞑った。相手に『綺麗(きれい)な大人の女性』という印象を抱かせるこの魔女は、時折、少女のような無邪気な一面を垣間(かいま)見せるのだ。


『なら、人がわんさかいる場所に行くから、今の内に化けた方がいいか』


 言うが早く、小鳥の姿をした使い魔の身体が、急に七色に光りだした。至近(しきん)距離で、しかも何の前触れもなく発光したので、(まぶ)しさのあまりアルフェラッツは思わず目を()せた。


 やや不定形な紡錘(ぼうすい)形のシルエットが急激に肥大(ひだい)化したかと思うと、今度は翼と両足をまっすぐ広げた。扁平(へんぺい)な翼が円筒形になり、先端が五つに分裂する。足が急激に伸び、長めの爪も縮小(しゅくしょう)し、指の位置が移動する。ボディもやや薄くなり、頭と胴体の境目にくびれができる。

 虹色のオーラに包まれながら、鳥類のシルエットが人間のそれに変化していた。


 ディスコを外部に持ち出したような発光が終わると、目を瞑ったアルフェラッツの前に、一人の全裸の少年が直立で浮遊していた。

 自分が公共の場に不適切な身なりであることに気づいて、少年は、


「おっと、いけねっ!」


 と、その場で赤い光を纏い、(あわ)てて一回転する。幸い主人は未だに目を伏せたままだったため、己の裸を見られることはなかった。


 真紅(しんく)閃光(せんこう)が消えると、グレーを基調としたカジュアルな服装が少年の肉体を包んでいた。濃い灰色のパーカーと青のジーンズに、黄色い模様が入った黒いスニーカー。灰がかった黒い髪と少しあどけない端正(たんせい)な顔と相まって、まるで休日の男子高校生に見える。


 これが使い魔クラズが人間として活動する時の姿だった。外で食事をしたり、悩み解決や(ひま)(つぶ)しで、人が多く交わる空間に突入する際には、必ずこの姿に変化するのである。


支度(したく)はできたぜ。アルフも早くドレスアップしろよ』

「ううん、私はいいわ。地面に降りたら路地裏で服を変えるから」


 クラズの歌うような声を聞いて、アルフェラッツは瞑った目を開き、そう返した。目前(もくぜん)には軽装の少年が浮かんでいる。まるで主人と使い魔というより、姉弟(きょうだい)のように見えた。実際、私服に身を包んだ魔女と使い魔が二人一緒――片方は元一匹――に並ぶと、社会人の姉と高校生の弟という形容が合致(がっち)する、魔法使いのデュオが誕生するのだ。


 何度も見慣れたクラズ少年の姿を改めて一瞥(いちべつ)すると、魔女は街がある方角へと、夜色の髪を揺らして、


「行きましょうか。私もお腹ペコペコだから、早くご飯食べたいわ」


 こうして魔女アルフェラッツと使い魔クラズは、閑静(かんせい)な住宅街から、多くの人々の活気に満ちた街へと移動した。


 アルフェラッツはいつものように箒に(またが)って、人間に姿を変えたクラズは、階段を上るように虚空(こくう)を蹴って空を飛んだ。

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