一年は生と死の繰り返し・祈りは必ず届くが祈るだけでは駄目である、だからホピは踊りを欠かさない・ホピの冬の祭り
さて、とうもろこしなどの収穫の時期を終える11月になった。
ホピは11月の新月から16日間、ウウチム祭という創造祈願の儀式を行う。
厳密にはその後の穀物の発芽を祈るソヤル祭とポワム祭も含めてホピの冬の三大新年祭がおこなわれるんだが、祭りを行うのは冬になると地上の生命が衰え死んでいき、新たな年が生まれるから無事に新たな年が生まれるための祈りの儀式になるわけだ。
これは古い世界が滅び新しい世界が始まったときに、タイオワによって導かれた僅かな人間が蟻人間とともに住んでいた地下空洞から、地上に出て来た時の様子を再現するんだな。
で、祭りの最初の重要な儀式は新火祭だ。火打石で火を起こし火を燃やす。
そしてマサウへの祈りを唱えるんだ。これによって地球が暖められ無事にまた春がやってくるんだな。
やらなきゃどうなるかって?
第2世界のように春のこない凍りついた世界になるんじゃないかな。
そんなことを確かめるために儀式をやめようとするホピは今の時代にはいないけどな。
そして15日目の日没前に、道を封じ村に邪悪な者が入ってこないようにして、最後の日には地下からはしごで外に上がってくるわけだがその中で「わたしは始めにして、終わりである」とつげるものがいるのは興味深い、これがタイオワなのかというとちょっと違うようだが。
冬が終わればまた春になるわけとはかぎらない。
地球が生物が住むのにちょうどいい程度の気温に保たれていることを感謝するべきだと思うのは確かだな。
そういったことに感謝し来年もまたそうなることを祈ってホピは毎年儀式を行うんだ。
そして12月になると、この地はとても寒く、そして退屈な月になる。
この月には悪霊が呪いをかけるためそこら中をうろつきはじめるから、走り回ったり大声で話したり歌ったり踊ったりなどの音をだすことの多くのことが禁じられるのだ。
「ツトム、出かけるなら日暮れまでにはちゃんと帰ってきて家の中に居なければだめだぞ。
悪霊は恐ろしい」
新しい年の前には古い年が死ぬ、新たな年が無事に生まれるためには、母親のお産を邪魔してはならない、そして生まれる前に死んでしまったものは悪霊となって今もさまよっているというのが彼等の考え方なのだ。
「まあ、おとなしくしてるよ。
悪霊に取りつかれたくはないからな」
現代文明というのは悪霊に取りつかれたものが、推し進めていったものなのかもしれないな。
彼等はいつも誰か犠牲となるものを探している。
我々は母なる地球と父なる太陽に生かされているということを思い出すべきなのだろう。
「まあ、しかしたまには何もせずにのんびり過ごすのもいいんじゃないか。
春が来たらまたちゃんと働かないといけないんだからな」
「ああ、休めるときは休み働くべきときは働く。
それが蟻人間におそわった生き方ではあるから間違っていはいないな」
それを考えると常に働き続け常に何かをし続けなければいけないのは正しくないのだろうな。