怒りは自分に盛る毒、嫉妬は自分に刺す刃
ホピには病人は少ない、無論全くいないわけではないが、ほぼいない。
年中ゴホゴホ咳をしてマスクをしている人間がいる、日本とは大違いだな。
これは空気や水が綺麗であることも大きいだろうし、エキナセアの存在もあるだろう。
エキナセアは和名でムラサキバレンギクと呼ばれる植物で薬草として珍重されている。
俺が作った手のマメの痛みを取ってくれて治してくれたのもこれを使った軟膏だな。
因みにホピは食べ物がほぼとうもろこしだけなのは既に言ったが、栄養バランス的にタンパク質とかが足りないんじゃないかと思うだろう?
だけど、考えてみてほしい、草食動物はなぜ草だけしか食べていないのに立派な筋肉を持っているのか。
これは主に体内で植物を細菌のエサとさせて増やし、その細菌を体に取り込むことで筋肉としているようだ。
そして人間でも同じことはできるんだ。
だからホピはとうもろこしとサボテンぐらいしか食べなくても十分な筋肉がある。
そうでなければ走ったり踊ったりできないしな。
ちなみん日本人にも同じような事はできるようで、割と俺はすんなりその食事を受け入れられたし、割とその生活に馴染んでる。
因みにパンダも同じで笹を食べてそれで腸内細菌を増やしているようだな。
まあ、パンダはまだ笹を食べるのに十分な内臓になっていないので、栄養を十分増やすことができないから、ほぼ一日中笹を食べているらしいけどな。
そして彼等はよく笑いよく泣く。
ホピのことわざにはこんな言葉がある。
「幸福でいることが長生きのもと、心配事はあなたを病気にする」
まあ、資本主義のもとでは幸福とは何かを追求すると難しくなるかもしれないが、ホピにとって幸福とは、食べられるものがあり、タイオワとカチナを感じられるということだ。
つまり生きている事自体が幸せということだな。
「怒りは自分に盛る毒、嫉妬は自分に刺す刃」
まあ、これは読んで字の如しだな、怒りも嫉妬も自分には何かが不足しているという心が生むんじゃないか。
「泣くことをおそれずに、泣くことは、悲しみにあふれたあなたのこころを解き放つ」
泣いて声を出したり涙を流したりすることには、ストレスを和らげる効果があるそうだ。
だから悲しい時はそれを無理痛めこまないほうがいいということだな。
「かんしゃくを起こすと、友人を失う、嘘をつくと、自分自身を失う。」
まあ、これも読んで字のごとしだ。癇癪を起こして周りに当たり散らせば敬遠されるし、嘘をつくとその嘘を正当化するために次々と嘘の上塗りをしなければなくなる。
彼等は感情に対して自分で処理できるものや他人にとって心地よいものは素直に発露するようにしているが、他人や自分とって不快になるような感情を持つのは良くないことと考えているようだ。
農耕による原始共産制では、狩猟のような個人の肉体的な優劣は問題にされにくい。
できる範囲で一生懸命、土を耕しみんなで同じだけ分かち合えば争いも起こらないし劣等感や優越感をかんじて歪んだ感情を持たなくても住むのだろう。
とはいえ、現代にこれを無理に持ち込もうとするのも危険だろうな。
カンポジアで大虐殺を行ったポルポトの理想はすべたの人間が平等な原始共産制だったらしい。
そしてそれに値しない人間はすべて殺してしまえとなったわけだ。
まるでTRPGのパラノイアのマザーコンピューターの”幸福は義務です。市民”のようだが、幸福の価値観の押しつけは不幸を呼ぶということでもあるんだろうな。
ただ豊かなものと貧しいもの、成功者と失敗者そういった区分けがはっきりしている世界は優しくない世界だろうと俺は思う。