料理の用意をしていたら……
「これだ!」
オレは荷室に置いてあった、トランクボックスを外に出すと、中からアイテムを取りだして、高々と上に上げた。
それはもう、まるで未来の世界のネコ型ロボットがポケットから秘密道具を取りだしたときのように。
ただその丸っこい、電気炊飯ジャーよりも一回り大きいアイテムは持ちあげるにしては少し重い。
「そ、それはまさか……電気圧力鍋ってやつ?」
「正解! その名もクックフォーユー!」
「……なんでそんなの車に積んでいるのよ」
希未が呆れ顔で尋ねてくるが、そういう反応は予想通りだ。
「買ってから積みっぱなし……というより、オレが買ったんじゃなくて、母親がなんか宣伝で興味を持ったらしく買ったんだけど、『使い方を調べて私にあとで教えて』と言われて押しつけられた」
「現人のお母さんって、いわゆる機械音痴?」
「つーか、面倒なことから逃げるところは、俺と同じってだけかもな。でもまあ、アウトドアで便利だから、そのうち使うかなって」
「いやいやいやいや。キャンプ場ならまだしも、異世界で電気はどうするの?」
「アウトランナーはPHEVだからな。家庭用電源として1500Wまでは出力できる」
だからと言って、さすがのオレも異世界で電気圧力鍋を使うことになるとは思っていなかったけど。
「はぁ。それで角煮を作るの? 確かに圧力鍋なら簡単そうだけど……」
「だろう? それにこれ、自動調理機能とかあって時短メニューとかもあるからな。わりと異世界では重宝するのかもしれないぞ」
「それはいいけど、角煮ってどうやって作るか知っている?」
「クックフォーユーにレシピ本がついていて、そこに載っていたはず」
「そうじゃなくて、材料の話! 醤油は?」
「醤油はある」
「じゃあ、みりんと日本酒」
「みりんはないけど、道の駅でお土産として買ってきた日本酒とコーヒー用としてもっている砂糖なら」
「なら、それだけでもいいかな。臭い消しになるものは? お酒は臭い消しになるけど、その他に、ネギとか」
「ネギはさすがに……」
オレは一縷の望みを欠けて、ファイに瞳で訴えかけようとする。
もしかしたら、この森の中にネギやそれに類似するものがあるかもしれない。
が、いつの間にかファイの姿が消えていた。
「あれ? ファイさんは?」
「角煮と聞いて、喜々として獲物の血抜きに行っているわよ」
「え? 角煮に興味があったの?」
「まあ、ぼんやりとした知識はあるのよ、あたしたち。だから、そっちの世界の料理とか、あたしも興味はあるし。ただ、この森にたぶん、ネギはないと思うわよ」
希未が「なら――」と割ってはいる。」
「――別にネギじゃなくても生姜でもいいけど。単に我が家がネギ派だっただけで、普通は生姜を使うことが多いんじゃない?」
希未に言われて、オレは肩を落とす。
生姜だったら、チューブ生姜とか、弁当とかに使われる小分けの生姜を用意していればなんとかなった。
というか車中泊に利用しようと、通販で買っておいたのだ。
しかし、そもそも今回は車中泊の予定はなしのため、自宅に置きっぱなしである。
(悔やまれる! アウトランナーに積んでいるのは、水と飲み物を少し……んっ!?)
はたと、オレは天才的な閃きを得た。
そうだ。あれがある。
オレはアウトランナーの方を見る。
(生姜はジンジャー……だから!)
オレはまた荷室に飛びこんだ。
そして別のトランクボックスから、例のものを取りだす。
「じゃーん! ジンジャーエール!」
2度目の秘密道具ノリである。
「生姜も入っているし、甘みもあるし、これなんか他にも旨味が入っているし、炭酸で肉も柔らかくなったりするんじゃない? つーか、こんな事を思いつくなんて、オレって天才では!?」
「……ああ。なんかそんなレシピをネットで見たことある気がする」
「あるのかよ!」
希未のやつが、オレの高くなった鼻をいきなり折りやがった。
「でも、炭酸なんて使ったら電気圧力鍋が壊れちゃわない?」
「まあ、そこは炭酸を抜いてから入れればいいんじゃない? 最初は普通の鍋で少し煮て……」
「ってことは結局、焚き火とかするの?」
「いや。IHコンロがあるので」
「……異世界の情緒、壊しすぎじゃない?」
「アウトランナーがある時点で、情緒なんてないだろうが。それに『異世界はこういうもの』みたいな決めつけもよくないぞ。何度か来ているオレだって、この世界のことを知らない。蒸気機関とかあるらしいから、もしかしたらどこかで電気の機械とかも生まれているかもしれない」
「そうかなぁ……」
「世界を知らないだけってこともあるだろう。オレなんて自分の世界でさえ知らないことだらけなんだから」
「知らないだけ……か。まあいいや。あたしもお腹が空いたし、作るなら手伝うから早くやろう。森で暗くなったら調理なんてできないしさ」
「暗くなっても、LEDライトとかも持ってきているけど?」
「い……異世界情緒……。まあいいわ。それで鍋は?」
「ああ。鍋は確かボックスの中に……」
と言いながら、オレはふと不安に襲われる。
(確か鍋は、電気圧力鍋と同じボックスに……あれ?)
さっき、電気圧力鍋を取りだしたときのことを思いだす。
ボックスの中に鍋等入っていただろうか。
いや。そもそも電気圧力鍋と普通の鍋、サイズ的に両方入らないではないか。
だから、オレは電気圧力鍋を入れるときに普通の鍋を――
「あ。鍋、持ってきてなかったんだ……」
――自宅に置いてきたのである。
何度も言うが、もともと車中泊予定ではなかったのだからしかたない。
「その抜けているところは相変わらずで、少し安心した」
「おい……」
「冗談。なかったらなかったで、炭酸を抜けばいいんだから、電気圧力鍋に入れてしばらく肉を漬けて放置しておけばいいんじゃない? それに確か炭酸に漬けておくだけで肉が柔らかくなると聞いた気がするし」
希未がそう言ってくれるが、オレとしてはちょっとがっかりだ。
みんなに電気で調理するすばらしさを自慢したかったというのに。
でもその役目は、電気圧力鍋がになってくれるか。
「まあ、そうだな。別に炭酸を抜けばいいんだから、鍋で煮なくても……」
「鍋がいるなら作るわよ。石鍋だけど」
予想外のクシィの提案に、オレと希未が目を丸くする。
そして作るとはどういうことかと聞く前に、クシィは立ちあがって少し離れると何か呪文を唱え始めた。
すると、近くにあった両腕でギリギリ抱えられるぐらいの石が宙を飛んできて、クシィの目の前に転がった。
「このぐらいでいいかしらね。……β……」
そう言うと、クシィはまた呪文を唱える。
今度は何かが空を切るような音がする。
刹那、石の周囲がきれいに平面を作るよう切り落とされ、きれいな四角形となる。
そして、四角くなった岩は強風に煽られ、石まさにサイコロのように地面を転がって少し離れたところで停止した。
「μ・π・τ……」
さらにクシィは呪文を続け、軽くかかげた左手に、見えない玉を作りだす。
見えない玉なんて言い方はおかしいかもしれない。
ただ、彼女の掌の上で何かが渦巻いていて、空気が歪んで玉のように見えているのだ。
(もしかして、風の玉?)
クシィはそれをサイコロの上面に投げつけた。
「うわっ!」
オレは思わず悲鳴をあげてしまう。
サイコロの一面が、ギュインギュインという削られる音共に、丸く窪みができたのだ。
それはまるで、サイコロに巨大な1の目ができあがったかのようだった。
ただし、それはかなり深い。
サイコロの中心よりも深く掘られていた。
「あとは水で……」
今度はクシィの掌の上で水の玉ができあがり、それがまたサイコロに向かって飛翔する。
そして所の窪みの中でものすごい高速で回転し始める。
「……こんなものかしらね」
というクシィの声を合図にしたかのように、水の玉は弾けて消えた。
そしてそこに残っていたのは正方形の上面がきれいに半球型に削られた……要するに、四角い石の鍋だったのだ。
「すっ、すげー!」
オレが素直に感動すると、クシィが少し自慢げに微笑する。
「ちょっと重いし、火が通るまでに時間はかかるけど、臨時ならこれで十分じゃないかしら。硬化もしてあるから丈夫だと思うけど」
オレは作られた石鍋の側に行って、それに触ってみた。
まわりはザラザラとしているが、鍋の中の半球部分は、わりとツルツルとしている。
持ちあげてみるとかなり重いし、外側は四角いが確かに鍋の代わりになりそうなものだった。
「確かに十分だ。つーか、さっきヴァドラとの戦いの時の派手な魔法も凄かったけど、こういう地味な魔法もすごいな。生活魔法みたいなやつか?」
なんかのラノベで見たことがある。
洗濯したり、家を作ったりする、戦いとは直接関係ない魔法なんかをそう呼んでいた。
さしずめ、これは「鍋を作る生活魔法」みたいなものではないだろうか。
「地味とは失礼ね。こんな事、誰にでもできる技術ではないのよ。それに『生活魔法』なんていうジャンルはないわ。そもそもこれは、魔法ではなくて、魔術なの」
「魔術? そう言えば、なんか魔法という言い方と2つあったけど、違うものなのか?」
オレは重たい石鍋を運びながら、雑談程度に尋ねてみる。
魔力を扱えないオレには関係ない話だが、やはりこういうファンタジー的な話は興味がある。
「魔術は、術式に基づいた呪文により、火の精霊アルファラ、風の精霊ベータッシュ、土の精霊ガンマイン、雷の精霊デルタズム、水の精霊イオターナの各精霊の力を行使する法術。魔力は呪文の行使と、精霊の力の補助にしか使わないから、ものすごく効率がよく、他の法術に比べて連続で使いやすい。だから、魔術を使う魔術士は戦闘に向いていて、研究されている呪文も戦闘向きのものが多くなっている」
「じゃあ、この石鍋を作ったのは攻撃の魔術?」
重たい石鍋を地面に置いてから尋ねると、クシィは「そうよ」と微笑んだ。
「攻撃の魔術で細工をするのは加減が難しいわけ。それを地味なんて……」
「す、すいません……」
「それから、魔法は、呪文も精霊も介さない法術。魔力の性質である混沌性と秩序性をコントロールすることにより事象を起こす。そういうとわかりにくいけど、あなたの世界で言う『陰陽論』に近いらしいわ。有から無、正から負、正常から異常、冷たいから熱い、圧縮と膨張、そんな相反する状態変化させる」
「……ぜんぜんわからん」
とりあえず、希未と一緒に車から調味料や紙皿、割り箸などを準備しながら話の続きを聞く。
「そうね。簡単な例で言えば、怪我を治すというのは、『異常から正常』への変化なので、魔法を使う魔法師の得意とするところよ」
「おお! 回復魔法ってやつか」
「あたしも正直なところ、魔法師ではないから、理論でしかわからないけど。そもそも魔法師になるには、【水晶の針葉樹】を崇める【神聖樹教会】への入信し、試験に合格する必要があるしね。面倒なのよ」
「な、なるほど?」
と言いながら、オレは首を捻る。
やはり、よくわからない。
わかったのは、「面倒」ということぐらいだ。
「現人、あんた何度もこっちに来ているのに、魔法とかの基本的なことは知らなかったの?」
こそっと希未につっこまれるが、オレは「当たり前だ」と胸を張って答える。
「あのな、現実はそんなに甘くないんだぞ。転移や転生の時に、神様や女神様が現れて、『この世界はこんな感じで、あなたはこんなスキルをもっている』とか説明されたり、ゲームのステータス表示が目の前に出て、一緒にヘルプ画面も表示されたりしないんだからな」
「そりゃそうかもだけど……」
そうなのだ。
オレの異世界転移は、アニメ等のように親切設計ではない。
そもそも一番最初にこの世界に来たときは、まともに法術と言われるものを見ていない。
アズに出会って、やっとそういう神秘な力を見たぐらいだ。
もちろん、アズから少しは法術の話を聞いていた。
しかし、魔術と魔法の違いなどは教えてくれなかった。
そもそもだ。アズの村で説明を聞いている時は、単に「魔法」という音でオレは理解していたと思う。
ところが今は、「マジア」に「マギア」、「ギリアン」という音として聞いて、頭の中では「魔術」に「魔法」、「魔力」という単語であると認識していた。
たぶん、これも翻訳機能の効能なのだろう。
これは改めて思うが、非常にご都合主義に能力だと思う。
希未には「異世界転移の現実はそんなに甘くない」とは言ったが、この翻訳機能はもしかしたら下手なヘルプ画面より親切設計なのかもしれない。
そこまで考えて、オレはひとつの疑問が浮かぶ。
ならばなぜ、アズの村では「魔術」や「魔法」という単語が出てこなかったのかだ。
「クシィさん、質問させてくれ。言霊族の力はどっちなんだ? 呪文っぽいのは唱えていなかったから、魔法?」
アズは、光の壁を出したり、地面の雪を消したり、敵を凍らせたりといろいろなことをやっていた。
一方で人の傷を癒すこともできていた。
「イメージ的には魔法に近く見えるけど、まったく別物。魔法よりも力づくなのが言霊」
「力づく?」
「そう。魔術は魔力を媒体として精霊の力を使う。魔法は対象に関与する魔力の性質を変化させることで現象を起こす。しかし、あの種族が話す意思のある声【言霊】は、魔力を直接操り、具現化させる。例えば……」
そう言うと、クシィは左の掌を上に向けた。
すると、その上に小さな火の玉が浮かび上がる。
「これは魔術で火の精霊アルファラを操って火の玉を出している。でも、言霊は魔力を火の玉そのものにしてしまう」
「精霊の力とかいらないということ?」
「そうね。『いらない』というと利点に聞こえるけど、逆に言えば精霊の力も使わず自分で生みだすのだから、ものすごく効率が悪いし、術式もないから制御も難しい。でも魔力を操る力の大きさと、制御の難易度を無視して言えば、理論的にはなんでも実現できる可能性がある力よ」
「……それってつまり、めちゃくちゃすごいってことか?」
「語彙力がない表現だけど、まあそういうこと。だから、たまに言霊族の能力の高い女性が誘拐されて、裏で高く売り飛ばされるなんてこともあるわね」
オレはアズが誘拐された事件を思いだす。
もしあの時、助けられなかったら、彼女は悪い奴らに買われていいように利用されていたのかもしれない。
「ただ、能力の高い言霊族の女性は、高貴な立場になっていることも多いしね。今の第一聖典神国の聖典巫女のイータ様も言霊族の族長の娘。そんな力のある者が多い言霊族の女性を誘拐したりしたら、それはもうとんでもない重罪になるけど」
「族長の娘? それって――」
「――ちょっと待って。話の続きの前に……」
クシィが視線をテーブルの方に向けた。
釣られるようにオレもそちらを見る。
「あれ? ミュー……」
そこにいたのは、座ったままテーブルに伏しているミューの姿だった。
その肩はゆっくりと上下に揺れている。
オレがクシィの法術講義に夢中になっているうちに、ミューは完全に寝落ちしていたのだ。
どうりで静かなはずである。
「食事ができるまで、寝かせておいてあげましょう。さっきマットがあると言ったわね。用意してくれる?」
オレはクシィの言葉にうなずき、すぐに荷室に入ってインフレーターマットを広げ始める。
ついクシィの話に夢中になってしまったが、ミューともたくさん話したいことはあったのに。
寝落ちしてしまうとは予想外である。
まあ、起きてから話せばいいのだが。
「食事もしないで寝てしまうなんて。まあ、しかたないわね。ご主人様の命で走りずくめの上、ヴァドラに追われたんですもの。疲れていない方がおかしいわ」
そのクシィの言葉を聞きながら、オレは胸の奥にひっかかる想いを抱いていた。
ミューが命を賭けてまでお願いを聞く相手。
俺と同じ神人で、クシィとファイのご主人様。
ミューは、その神人に対してどのような想いをもっているのだろうか。
そして、その神人はミューをどう思っているのだろうか。
(モヤモヤするな……)
オレはどうしても知りたくなった。
そのご主人様と呼ばれている神人のことを。
追記。
ちなみにオレの持ってきた電気圧力鍋クックフォーユーには、蓋を開けたまま普通の鍋のようにできる調理モードがあったことを後から知ったのだが、もちろんこの真実はオレの心の中にしまっておいた。




