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あの日本人形

作者: まる〜

 記憶の中にある思い出と過去実際にあった出来事とは、違うものに違いない。


 僕がそう考えているのは、二十歳の誕生日を迎えてすぐの、蒸し暑い八月の夜。部屋のベランダから夜空を眺め、七夕に亡くした祖父を偲びながら、ふと死後の世界に思いを馳せたのがきっかけだ。……


 ……


 幽霊って、実在するのだろうか。しないのだろうか。


「幽霊、いると思いますか?」そう質問されたら僕は、「思わない」と答える。なぜなら僕は、二十年も生きているというのに、幽霊を見たことがないからだ。肝試しで深夜の墓場を巡ったり、心霊スポットに足を踏み入れたりしたことがあるけれど、一度たりとも幽霊が僕の前に現れることはなかった。


 でも僕は今、考えている。幽霊って実在するのだろうか。しないのだろうか。


 どうしてこんなふうに考えているのかというと、理由がある。僕は幽霊こそ見たことはないけれど、二十年の人生の中で三度だけ、いわゆる心霊現象らしきものに遭遇した事がある。……と記憶している。

 それは、明確に断定できるようなものではない。実際に「幽霊」をこの目で見たわけではないから。ということもあるけれど、その内の一つは置いておくとして、他の二つの記憶は僕が小学生の時のもので、曖昧なものだからだ。


 しかし僕は、その記憶を持っている。


 一つは、ありきたりだけれど、心霊写真。卒園アルバムに収められた一枚だった。小学校高学年の頃、友達に指摘され軽い気持ちで確認したことを後悔した記憶がある。

 写真は、プールサイドで撮影された集合写真だった。園児たちの後ろに、父兄が並んで立っている写真。

 一見すると取り留めの無い写真だった。だから僕は指摘されるまでのあいだずっと、その奇妙な手の存在に気がついていなかった。僕の右肩を掴んでいる、不気味な青白い手の存在に。

 手は後ろに立つ父兄のものではなかった。手は、小学生の僕から見ても容易に分かるくらい不自然に、並んで立つ父兄の腕の先とは関係無いところから浮かび上がるように生えて僕の肩を掴んでいた。

 当時その写真を見た僕は恐怖を感じて、本心とは裏腹に、これは心霊写真じゃ無い。そう友達に言い張った事を覚えている。……と記憶している。


 でも、本当にそんな事があったのだろうか。


 本当はその記憶って、僕が勝手に作り上げたものなのではないだろうか。心霊写真なんて、本当は無かったのではないだろうか。と、いま少しだけ疑念を抱いている。なぜなら、本当にそんな写真と小学生の頃に遭遇していたとしたら、僕は今頃幽霊を信じているような気がするからだ。


 ふぅ。と息をついて、掌を見つめた。若干、汗ばんでいる。


 まぁ、幸い卒園アルバムは押し入れのどこかに保管されているはずだから、後で確認してみようと思う。もしかしたらプールサイドで撮られた集合写真自体が存在しないかもしれないし、あったとしても僕の右肩を掴む青白い手なんて写っていないかもしれない。

 仮に写り込んでいたとしても、それは子供心に不自然に見えたというだけで、大人になった今なら、違った見え方をするに違いない。いや、そもそも子供心にすら不自然に見えていた写真の記憶を、恐怖の心霊写真として作り替えてしまっているのかもしれない。きっと……


 ……


 もう一つの記憶は、僕の小学生時代の習慣と、それにまつわる人形の記憶。僕の家と祖父の家、というか屋敷とは、車で10分ほどの距離だったので、週に一度くらいは家族で訪ね、夕飯を一緒にしていた。

 当時祖父の屋敷は建て替えたばかりだったので、縁側にいても屋敷の中からむせかえるような畳の匂いとか、木の香りが漂って来ていたことを覚えている。とはいえ真っ新な屋内を飾り立てていたのは、くすんだ鎧甲や掛け軸、はたまた狸や雉の剥製などの古めかしい骨董品で、それら子供心にも不均衡を感じる品々の中に、あの日本人形があった。


 その人形は、赤い着物を着たおかっぱ頭の女の子で、部屋の隅の方から居間中を見渡すように、四角いガラスケースの中に納められていた。

 常々不気味な人形だと感じていた記憶があるけれど、本当に不気味だったのは僕の取っていた行動の方かもしれない。僕は人形と二人っきりになる度に、「髪、伸びたね」そういっていたのを覚えている。

 でも僕は、本当にその人形の髪が伸びていたから、そう語りかけていたのかどうかは、覚えていない。記憶の中の日本人形は、毛先がパサついていたものの普通のおかっぱ頭で、不自然に髪が伸びていたようには感じられない。そう。あくまで普通のおかっぱ頭だった。……のはなぜだろうか。


 きっと小学生の頃の僕は、「髪が伸びる人形」というありきたりな怪談話の影響を受けて、特に意味も無く「髪、伸びたね」といっていたに違いない。……気がする。なぜなら、もし本当に人形の髪が伸びていたのだとしたら、僕は今頃、幽霊を信じているはずだからだ。


 ……だから……本当にそれは本当の記憶なのだろうか。と、思う。やはり僕が勝手に妄想してしまっているだけなのではないだろうか。


 ベランダの手すりに腕を乗せ、両手を強く握り締めた。じっとりと、汗が絡みついてくる。


 ……やっぱり、何度思い返しても、オカシイ。


 今朝方、僕は母の言い付けを受けて、祖父の家へと向かった。荷物運びをするのに男手が必要、とのことだった。けれど幸いなことに、非力な僕を頼るまでも無く人手は足りていたようで、用無しになった僕は昔を懐かしみながら手入れされた庭先をふらふらと歩いていた。


 ぼんやりと植木を眺めていると、ふと、石造りの蔵が目に留まった。二階建ての大きな蔵は、1年分の米の他にも、農機具や使われなくなった家具などがしまわれている場所だ。

 普段はかんぬきで閉ざされた鉄の扉に錠前がかけられている堅牢な蔵だけれど、今朝は真逆で、まるで僕を招き入れるみたいに、蔵の扉は大きく開かれていた。


 蔵での思い出といえば、子供の頃祖父に閉じ込められて泣き叫んだ記憶が一番に来る。けれど、今となってはいい思い出。幸いトラウマになる程の出来事でも無かったので、回想の延長で僕は蔵に足を踏み入れた。

 中は少しひんやりとしていて、薄暗かった。胸の高さにまで積まれた米袋の脇を通って、僕は奥の階段を目指した。米の薫りが漂う蔵の内には、いつの間にか屋敷から消えていた鎧甲だったり、狸の剥製だったりが置いてあって、懐かしい反面、少しだけ寂しい気持ちにもなっていた。忘れていたという事を、思い出したような気がして。


 きぃきぃと軋みを鳴らす木の階段を上がり二階に着くと、開かれた窓からの日差しというより、付けっぱなしにされていた白熱灯の明かりのおかげで、鮮明に、中を見渡す事が出来た。

 壁沿いで埃をかぶっていた段ボール箱を覗き込むと、古くさい絵柄の少女漫画が詰め込まれていた。きっと母が子供の頃に読んでいたものだろう。傍らに立てかけられたテニスラケットは、おじさんが使っていた物に違いない。そんな風に辺りを見渡していたときだった。僕が彼女と再会したのは。


 記憶の中と同じ、四角いガラスケースの中から見つめる視線。赤い着物姿の女の子の人形を見て、一目見て僕は、忘れていた彼女に対する記憶を思い出したんだ。……と思った。


 けれどその記憶は、違っていた。……のだ。……だって、僕が今朝蔵の中で見た人形は、おかっぱ頭の女の子じゃなくて、ぼさぼさの、長い黒髪の女の子だったのだから。


 ひやりと背後から首筋に、冷たい風が伝っていった。貧相な夜景を眺め、息を飲む。


 やはり、人の記憶なんていうものは、当てにならない。結局僕は再会した彼女に対し、ある種の恐怖を覚えてしまい、そのまま蔵を後にした。


 ……はずだったのに。


 どうしてこんなことになっているのだろう。やはり、その記憶は間違っていて、僕はそのまま蔵を後にしたわけじゃなくて、僕はなぜか彼女を、人形を蔵から持ち帰ってしまっていたに違いない。


 だって振り返れば部屋の中から、あの日本人形が僕を見つめているのだから。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読みました。 怖い。怖いはず。なのに、どこか切ないという印象が残りました。不思議な魅力を持った作品だと思います。
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