――― 想イノカタチ ―――
和室の襖をバンッと打ち抜く音と共に開き、
「夏先輩!!」
喜びに弾む凜の声が和室全体に響く。
商店街から家まで一度も休まず走り続け、荒い息で肩を上下させる凜の姿に。
「あっ…………」
座布団の上で正座の姿で浮いていた夏子が気まずさと申し訳なさから作った笑顔で言った。
「お、おはよう………………って、時間じゃないっか」
「良かった…………目が覚めて」
あははっ、と愛想笑いを浮かべながら頭を掻く夏子の様子にホッ、と胸を撫で下ろし安堵する。
「案外は早かったのぅ」
と、意外そうに呟く蘭が凜の後ろから顔をのぞかせる。
「あ、お祖母ちゃん」
「息が荒いのぅ、走ってきたのか?」
「っ、うん。早く帰らなきゃと思って、さ」
「そうか、それはご苦労じゃったのぅ」
息を弾ませる凜に蘭は小さく微笑んで、
「とりあえず一安心と言ったところかの」
夏子へ視線を向け、今度は満足げに笑顔を咲かせる。
「ご心配お掛けしました」
夏子は二人に深くお辞儀をし、
「別に頭を下げなくても」
「そうじゃよ、そうかしこまらんでも大丈夫じゃて」
凜と蘭はこそばゆそうに夏子へ言葉を掛け、二人の言葉に頭を上げ苦笑いで応える夏子。
「凜や、走ってきて疲れたじゃろ。冷たい茶でも持ってきてやろう、座って待っておれ」
「うん、ありがとうお祖母ちゃん」
「何、気にするでない」
蘭は同じ高さにある凜の頭を一撫でし、それから視線を凜の奥へと向け。
「セフィリアも喉が渇いておるじゃろ、何が良いかの?」
「わざわざすみません、じゃあお言葉に甘えて凜と同じものをお願いできますか?」
凜同様に肩を小さく上下に揺らすセフィリアが凜の脇から姿を見せた。
「了解じゃ、では二人共座って休んでおるんじゃぞ」
蘭はそう言ってリビングへと向かい、凜は夏子の隣へ。セフィリアは夏子の正面へと座る。
「はぁ、疲れたぁ」
凜は火照った体の熱を冷まそうとシャツの襟元を摘み仰ぎ、
「私も少し疲れたわね、普段から鍛えてるけど……魔力無しであの距離を走るとしんどいわ」
セフィリアも襟元を外し、涼もうと顔を手で仰いでいた。
「最近稽古してなかったし、またお祖母ちゃんに稽古でもつけてもらおうかな?」
「また、って……」
凜の言葉にセフィリアの手が止まり、
「アンタ、ランさんに稽古つけてもらってたの?」
「うん、高校はいるくらいまで稽古してもらってたんだ。でも高校に入ってからお祖母ちゃんがもう充分だってしなくなったけど」
「うわぁ、ランさんに稽古つけてもらってたなんて羨ましいわね」
羨ましいと言った言葉通り、セフィリアは僻みを視線に込めて凜に視線を刺す。
「セフィリアも稽古つけてもらったら良いじゃない。最近は仕事で家を空ける日が少なくなってたし、お祖母ちゃんの話し相手にもなってあげてよ」
「うーん、そうしたいのは山々なんだけどねぇ……任務で忙しいから無理かも」
「そうなんだぁ、残念だね」
どこか拗ねたように言葉を溢すセフィリアに、それを苦笑いで答える凜。
「……………………」
そんな二人を呆気にとられるように見つめる夏子。
「なんか……二人共、仲良いね」
「そうですか? 割と普通だと思いますけど」
「別に普通じゃない?」
凜とセフィリアは夏子の言葉にポンッと答え、夏子は唇に人差し指を添え、出会った時の事を思い出しながら二人を交互に見つめる。
「そう? 二人共、一昨日会った時なんてどっちもケンカ腰だったじゃない」
「あぁ、確かにあの時はそうでしたけど」
「今は違うわよ」
「今は違うって……」
どこか柔らかくなった二人の掛け合いに夏子は首を捻り、
「僕とセフィリア、友達になったんです」
「まぁ、そんな感じね」
「と、友達!?」
捻った首を縦に戻し、驚きに飛び上がる夏子。
「と、友達って!? 凜とセフィリアさんが!?」
「さっきもリンがそう言ったでしょうが」
セフィリアは浮き上がっている夏子へ顔を向け、
「えっ、ででででも!! 凜は人間で、セフィリアさんは神様じゃない。そ、それが友達って!?」
「リンにも言ったけど、私はそういうの気にしないわよ? それにリンとは同い年だし、友達になったって不思議じゃないでしょ?」
「………………凜と、同い年?」
セフィリアの流すように呟いたワンフレーズに夏子の表情が固まり、
「えっ、と……凜と同い年っていうのは」
「私だけど」
「セッ、セフィッ!? ええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええっ!?」
夏子の驚きの叫びが和室を震わせる。
夏子の声がよっぽどうるさかったのか凜とセフィリアは両耳を塞ぎ、夏子の声が途切れたのを見計らい、セフィリアが苦笑いで呟く。
「凜も驚いてたけど私が年下って、そんなに驚く?」
「い、いやっ……だって、神様が年下って…………」
「これもさっき凜にも言ったけど、確かに寿命は人間に比べれば圧倒的に長いわよ。でも、私達も人間と同じで成長するし寿命でも死ぬからね」
「へぇ……か、神様にも寿命ってあるんだ」
驚きの抜けない夏子は絞り出すように答え、セフィリアはため息混じりに話を続ける。
「まぁ、ホントは年上のアンタには敬語を使わなきゃいけないと思うんだけど私に人間じゃないし」
「そ、そうなんだ」
「まっ、そう言う事だからナツコも普通に喋ってくれて良いから」
「う、うん」
セフィリアの砕けた態度に躊躇いがちに頷く夏子。
(私、というか私達って神様の事あまり知らないんだなぁ…………)
グラスを手に取り、冷茶を飲むセフィリアの姿をしげしげと眺める夏子。
現に、今こうして『死神』のセフィリアと話せているのも自分が死んで『未練』に縛られて幽霊になったから。凜や蘭の様に幽霊が視えるわけではないし、話す事すらできなかったのんだからこれは凄い偶然だと思う。
まぁ、自分が死んだ事を偶然という言葉で済ませてしまうのは抵抗があるが……特別な体験をしているんだと割り切るほかない。
「でも、あんなケンカ腰だったの友達になったって……私が気を失ってる間に何かあったの?」
夏子がそう二人に問い掛けた瞬間。二人の表情がピシッ!! と固まり、
「えっ、と…………」
「特に何かあったわけじゃないわよ」
自分にとってただの何気ない質問に動揺する二人の様子に目を細める夏子。
「そういえば、二人共出掛けてたみたいだったけど……どこに出掛けたの?」
「えっと、商店街に」
「商店街に?」
凜は夏子から感じる得体の知れない重圧に先程のセフィリアとの会話が浮かび上がり、夏子からセフィリアへと視線を向ける凜。
セフィリアも凜へ視線を向け、その瞬間。互いに相手の意志を同調するように視線で交わした。
今ここで商店街の話を素直に答えてしまうと、何故そうなったのかと事情を話さなければならない。そうなれば最悪、夏子の指摘次第で昨日の襲撃の事を話さなくてはいけなくなる。
「…………」
「…………」
二人は視線を微かに縦に動かし、声にならない会話へ頷く。
凜は素早く視線をセフィリアから夏子へ戻し、
「その、セフィリアが任務で町の地理を把握したいって……それで、僕が案内をしたんですけど」
「そ、そうそうっ!! ちょっと町の主だった場所や裏道とか正確に知っておきたくてね」
咄嗟に思いついた言い訳をアハハッ、と乾いた笑顔で誤魔化す二人。
取り繕った二人の笑顔に夏子の目が更に鋭くなり、
「なんか怪しい…………」
「あ、怪しくないですよ」
「そうよ、全然怪しくないわよ」
乾いた笑顔、その口元がヒクヒクと引きつる。
「嘘、ついてない?」
「嘘なんて…………ほ、ほんとですよ」
「ほんとよ」
二人の言葉は夏子の不信をより深め、
「ほんとにほんと?」
「ほんとにほんとです」
「ほんとにほんとのほんと?」
「ほんとにほんとのほんとだってば」
夏子との押し問答の度に二人の背中に冷たい物が背中を走り抜ける。
「ほん…………」
「待たせたの、二人共」
夏子達の押し問答を区切るのように、蘭が冷えたお茶で満たされたグラスを盆に乗せ姿を現す。
「あ、ありがとう!! お祖母ちゃん」
「ありがとうございます、ランさん」
二人は夏子から逃げるようにランから冷たいグラスを受け取り、口を塞ぐように口を付ける。
不自然に喉をゴクリッ、と鳴らしながら冷茶を飲む二人に「もぅ」と口をとがらせる夏子。
「ほほっ、夏子さんは仲間外れにされて寂しいみたいじゃな」
不満げ夏子の隣に、蘭が茶化し笑顔で正座する。
「べっ別に寂しくなんか……」
「別に夏子さんもセフィリアと友達になれば良かろう? 歳だって一つしか違わんし、これも何かの縁じゃしな」
夏子からセフィリアへ。蘭は遊び友達へ向けるように無邪気な笑みを向け、
「さてと、若者の話に長々と茶々入れておるのも何じゃしな」
盆を持って立ち上がる蘭に、凜達の視線が集まる。
「そろそろ昼の仕度でもするとするかの」
「お昼の仕度って、もうそんな時間?」
凜は蘭から視線を外し、掛けてあった時計に視線を合わせる。
時計が指し示す時刻は――――――午前十一時三十二分。
「ほんとだ、もうこんな時間なんだ」
「そうじゃよ、儂と凜だけであればいつも通り和食にでもしようかとも思ったんじゃがお客さんもおるしな。少し気分を変えてみようと思うんじゃよ、何かリクエストはあるかの?」
蘭は凜からセフィリアへ視線をあて、
「私の事は気にしないでください、ランさんとリンの好きな物で大丈夫なんで」
「遠慮せんでいいんじゃぞ?」
「いえ、遠慮なんかしてません。現世の料理はあまり食べる機会がないので、ランさんにお任せした方が安心かなって」
「そうか? 儂の好みが口に合えば良いが」
セフィリアの興味と好奇心の笑顔に、蘭は微笑んで応えた。
「大丈夫だよ、お祖母ちゃんのご飯は美味しいから」
と、半分ほど残っていた冷茶をグッと飲み干し立ち上がる凜。
「手伝うよ、お祖母ちゃん」
「そうじゃの、今日は久しぶりに二人で作るか」
「うん」
蘭の後ろについて襖へと足を踏み出す。
「あ、私も」
「セフィリアは任務で徹夜だったんだから休んでなよ」
凜は立ち上がろうとするセフィリアに向け、
「休んでてって言われてもねぇ……そんなに疲れてないけど」
「いいからいいから、セフィリアは夏先輩と話でもしながら待っててよ」
セフィリアから夏子へ顔を向ける。
「夏先輩も起きたばかりですからあまり無理しないで休んでてくださいね」
「う、うん。わかった」
「まぁ、二人でガールズトークでもしてのんびりしててください」
そう言って凜は「じゃっ」と小さく手を振り、蘭と共に和室を後にした。
「………………」
「………………」
和室に取り残された夏子とセフィリアは閉められた襖を無言で見つめる。
「………………」
「………………」
長い沈黙が場を支配し、二人は正面に向き直り寸分の狂いもなく視線が重なる。
「は、ははっ…………」
「………………………」
夏子はぎこちないながらも笑みを溢し、セフィリアは無言でそれを眺め、互いに心中で吐露する。
――――――気まずい。
二人が顔合わせをしたのは【悪霊】の襲撃時の一度きり。それも生き返る生き返らないの選択を迫った緊迫した場でだ。
その緊張感を引き摺るように二人の表情が強張り、空気が重くなる。
「………………」
「………………っ」
セフィリアは気まずさから逃げるようにグラスを手に取り、半分ほど減った冷茶に口を付ける。
夏子は自分の瞳に映るセフィリアの姿に、ここの中で感嘆の息をついた。
(セフィリア、凄く綺麗だなぁ……………)
肌はシミ一つ無く、雪の様に美しい白。若者の悪友――――ニキビなど気になった事など無いだろう。髪も金糸の如く煌めきを宿し、顔立ちも碧眼から鼻梁、唇と絶妙なバランスで収まっている、それに付け加え浮世離れした流麗な曲線を描くスタイルも相まって、健康かつ健全な色気を放ち――――――正真正銘、絶世の女神がそこにいる。
夏子はそんな事を思いながらセフィリアを眺めて、
「ちょっと、さっきから何見てんの?」
見られていたという羞恥に頬をほんのり上気させ、またグラスに唇を寄せ冷茶を含むセフィリア。
「あ、ごめんなさい。その…………綺麗だな、って」
「ブホッ!?」
含んだ冷茶をグラスに噴き出し、
「セ、セフィリアッ!?」
「ゴホッゴホゴホッ!!」
「だ、大丈夫!?」
咳き込むセフィリアの背中をさすろうと夏子が隣へ飛んで、
「だ、大丈夫…………平気だから」
夏子が背中に触れる直前で手を挙げて止める。
「…………」
「えっと…………?」
今度はセフィリアが夏子を上から下まで品定めとばかりに視線が動き、呆れが混ざったため息をついた。
「いや、アンタがそれをいうと嫌味にしか聞こえないわね」
「えっ?」
夏子はセフィリアの言葉の意味がわからず首を傾げ、
「まぁ、いいわ。誰が綺麗とかって言う話は置いておいて、ナツコ」
「な、何?」
「アンタ、少しでも『未練』思い出せた?」
「え?」
テーブルに肘をつき、自分の問いかけに目を丸くしている夏子に鋭い視線をぶつけるセフィリア。
「アンタが気を失ったのって記憶の再生処理……『未練』を思い出す為の影響で強制的に眠らせられたからなんだけどさ」
「う、うん…………」
「気を失う前か起きた直後のどっちかで何か思い出さなかった?」
「えっと、気を失う前に…………少しだけだけど。私の知らない映像みたいなのが浮かんできたけど」
「多分、それが『未練』の記憶ね」
自信なさげに答える夏子へ、テーブルの上に身を乗り出すセフィリア。
「どんな記憶だった?」
「その時は頭痛が酷くて……途切れ途切れでしか憶えてないけど、私の部屋で何か書いてた時の記憶だと思う。見間違いというか思い出し違いじゃなきゃ……手紙、を書いてたんだと思うの」
「手紙か……誰に書いてたの?」
「そこまではわからなかった。それに書いてた内容だってわからなかっ…………っ」
不意に夏子は顔を曇らせ、こめかみを押さえる。
「っ…………また」
「頭痛でしょ?」
「う、うん……でも、私死んでるのに何で頭痛なんか」
「『未練』や他の記憶を媒体に霊体になってるからよ。媒体として使った記憶や『未練』に関する記憶を思い出そうとして揺り動かすとそうなるの」
「そう、なんだ」
こめかみに打ち込まれる様な痛みに眉を寄せる夏子に、
「『未練』を思い出すまでは辛いだろうけど頑張って」
痛みを共有するように眉を寄せるセフィリア。
「うん、思い出すまでの辛抱だもんね」
「心配してくれてありがとう……セフィリア」
「どういたしまして」
緊張に張り詰めた空気が和み、温かい微笑みで向かい合う二人。
「あ、そういえば話戻るけどさ」
「うん」
「手紙の事以外で思い出した事ってない? どんな細かい事でも良いから教えて欲しいんだけど」
「他に思い出した事かぁ…………」
セフィリアの催促に、腕を組みながら考え込む夏子。
うーん、と唸り声を上げること数秒。
「…………あっ」
気づきの声が上がり、それと同時に眉間に疑問の皺が刻まれた。
「一応、他にも思い出した事はあるんだけど…………」
夏子は視線をセフィリアから和室の閉じられた襖へ移し、重く口を閉ざす。
「………………」
「話しづらい事? だったら無理に聞かないけど……」
「う、ううん。話しづらいとか、そういう事じゃないんだけど、ね…………」
「なんか気になることでも思い出したみたいね」
迷いとも見て取れる不安に瞳を揺らす夏子に、セフィリアは身構えるように姿勢を正す。
「一人で気にしてても始まらないし、とりあえず話してみなさいよ」
「う、うん…………」
夏子はもう一度襖をチラリと様子を伺い、セフィリアの隣へと飛び寄った。
「ん?」
セフィリアは自分の隣に来た夏子へ訝しげに声を上げ、
「耳、貸して……」
「え、いいけど……?」
セフィリアは夏子へ耳を差し出すように顔を寄せ、夏子はセフィリアの耳元に口を寄せる。
掠れるような声が幾度か響き、
「…………えっ?」
それを弾き飛ばすように、セフィリアの疑問に満ちた声が響いた。
††††††††††††††††††††††††††
湯気発つ鍋から油揚げをすくい取り、流しに置いてあったザルへ移す。
「お祖母ちゃん、冷蔵庫に小松菜ってあったっけ?」
凜は油揚げを移し終えると鍋のお湯を水と入れ替え、その鍋をまた火にかける。
「確か二袋ぐらいあったはずじゃがな」
その隣では蘭がボウルに入れた鶏肉にフォークで穴を開け、塩とこしょうをまぶしていた。
凜は冷蔵庫の下段部の野菜室を開け、目的のものを探す。
「えっと小松菜は…………あった!!」
発見の喜びと共に二束の小松菜を取り出し、野菜室を閉める。
そのまま流しに立ち、水洗いの為に小松菜を取り出す。
凜と蘭が小柄な体躯である為か、互いに調理の妨げになることなく台所での動きはスムーズに流れていく。
凜は水洗いを終えた小松菜をまな板に横置きにし、小松菜をザクザクッ!! と軽快な音を刻みながら一口サイズに切り分けていく。
「なぁ、凜や」
そんな凜の隣で淀みなく調理を進める蘭がおもむろに声を掛け、
「なぁに?」
手元の作業に意識を向けている所為か、どこか気の抜けた返事をする凜。
「夏子さんとはもう子作りは済ませたのか?」
その蘭の言葉と共にダンッ!! と小松菜ごとまな板が両断し、
「いっ!? いきなり何言ってるのさ!?」
耳まで顔を赤く染めた凜が羞恥と驚きに声を張り上げた。
凜は自分の声の大きさにハッとなり、慌てて声量を抑え否定する。
「僕と夏先輩がそんな事するわけないじゃん」
「別に隠さずとも良いのじゃぞ? 凜達の年頃は一番盛んな時期じゃし、好いている者同士そうなるのは当然の事なんじゃからな」
慌てて否定する凜に蘭は茶化す気満々とねっとりとした笑みを向け、
「隠してなんかないよ!! それに好いてる者同士って、僕と夏先輩は付き合ってないし」
「ん? そうなのかぇ?」
あまりの凜の即答と断言ぶりに、驚きに眉が跳ね上がる。
「なんでそう思ったのかは知らないけど、僕と夏先輩は学校の先輩後輩で別にそういうのじゃないから」
凜は火照った顔の熱を逃がすように、鼻息を荒くし切り終えた小松菜をボウルに、両断したまな板を片方だけ残し流しの脇に片付ける。
「いや、お主と夏子さんが仲良くしておったからのぅ……それに『未練』に縛られている霊体は想い入れの強い場所や人に取り憑くんじゃ。お主に取り憑いておったから余程深い仲だと思っておったんじゃが」
どこか釈然としない様子で蘭が視線を凜から手元の鶏肉に戻し、
「え、取り憑いてって……夏先輩、僕に取り憑いてたの?」
「ん、気づいておらんかったのか?」
「う、うん…………」
また凜へと顔を向ける。
「『未練』に縛られてる夏先輩が僕に取り憑いてるってことは、もしかして僕は夏先輩の『未練』って関係しているって事?」
「と、儂は思っておったんじゃが…………」
「そう、なんだ……」
蘭の言葉に黙り込む凜。
僕は夏先輩の『未練』と関係がある、か……そう言われても思いあたる事がないんだけど。
夏子と出会って一年。確かに親しい関係だとは思うが、それはあくまで先輩後輩という上でだ。もっと砕けた言い方をすれば友達、それ以外に言い方がない。
今、『未練』探しをしているのも夏子を【悪霊】にしたくないというただのお節介と生き返って欲しいという願いからだ。憧れや恋愛感情と言った甘い感情とは全く関係ない。
「なにかの間違いで関係ない人に取り憑く事ってないの?」
「我を失った悪霊であればそれもあろうが……まだ【悪霊】になっていない夏子さんには当てはまらんと思うがのぅ」
互いに首を傾げ、うんうん唸る凜と蘭。
「夏先輩、僕と話していれば何か思い出したりするのかな?」
蘭は凜の様子を伺いながら調理に使う調味料を取り出そうとしゃがみ込み、収納棚の戸を開く。
「可能性は高いと思うが……っと。醤油はどこじゃったかのぅ?」
「……………………」
凜は長考に腕を組み、蘭が醤油を探し始めた頃だった。
「リン!! ランさん!!」
リビングにセフィリアの声が飛び込んで、
「ん、セフィリア?」
「何じゃ?」
二人揃ってが出入口へ振り返る。
「ナツコと一緒に学校に行ってくるから!!」
夏子を強引に引っ張り、廊下を駆け抜けていくセフィリアの姿が視界に入った。
「ちょ、セフィリア!?」
凜は慌ててセフィリアを追うようにリビングから顔を出し、
「学校に行くってなんで」
「リンはランさんと一緒にいなさいよ!!」
凜の呼びかけをはね除けて、玄関のドアを乱暴に開け外へと出た。
「ちょっ…………」
凜は大口を開けた玄関先を見つめ、
「セフィリアと夏子さんは出かけてしもうたのか?」
蘭が不思議そうに首を傾げながらリビングから姿を現す。
「そ、そうみたい…………なんか、学校に行くって」
「そうなのか? 何時頃に帰ってくるとか言っておったか?」
「ううん、何も……そんな話する間もなかったよ」
「ふむ」
「まぁ、学校に行ったんだったらどんなに早くても一時間以上はかかると思うけど」
凜は開きっぱなしのドアを閉めようと玄関先へと向かい、蘭は凜の後ろを着いて歩きながら袖を留めていた帯紐を解く。
「お昼頃には戻ってくると思うよ」
「そうか、まだ話も済んでおらんのにな。セフィリアも忙しいのぅ」
「…………まぁ、夏先輩がいるところじゃ話もできないから良いけど、って」
ドアノブ手を掛けたところで蘭が自分の後ろへついてきていることに気がつき、
「何してるの? お祖母ちゃん」
「いや、セフィリア達が出かけておるなら丁度良いと思ってのぅ」
「丁度良いって……何が?」
紐をほどき袖を整える蘭。
「話は儂からしてやろう。じゃから、儂等も外に出るぞ」
「え? 外に行くって……なんで? 話だけなら家の方が」
気兼ねしなくていいんじゃ、と言おうとして。
「なに、ちょっと確認したい事があっての。昨日の倉庫に行きたいんじゃよ」
「昨日の倉庫に? それに確認したい事って?」
凜は蘭の言葉に何か引っかかるものを感じ、それを隠す様に蘭は無邪気な笑みを浮かべる。
††††††††††††††††††††††††††
校庭では野球に始まり、サッカーに陸上部。校庭の端ではフェンスに囲まれた専用スペースで汗を流すテニス部と数多くの生徒が青春の一ページを刻み、輝かしい汗を流していた。
そんな中、青春の中で生きる生徒達を眺めながら歩く少女と、その隣で浮かぶ少女がいた。
「人間界は少子高齢化って聞いてたけど、いるところにはいるもんね」
「ははっ…………」
目の前の光景に感心するように呟くセフィリアに、苦笑いで応える夏子。
夏子は迷いなく歩を進めるセフィリアへ戸惑いの視線を向ける。
「セ、セフィリア」
「ん、何? ナツコ」
夏子の声に生徒達から視線を夏子へと合わせるセフィリア。
「セフィリアってさ、私と違って体があるから皆から見えるんだよね?」
「そうだけど……それがどうしたの?」
夏子の問いに意図がつかめないと、首を傾げるセフィリア。
「いや、学校の生徒でもないセフィリアが歩いてたら不自然じゃない?」
夏子は遠慮気味にセフィリアに告げ、視線を周囲に向ける。
夏子の言う通り、確かに学校の生徒でもないセフィリアが部活に励む生徒群の中を堂々と歩いているのは当然目立つ。
凜と一緒いた時でさえ、凜の特異な髪色さえ押しのけ商店街通りは一人残らず視線を集めたセフィリア。そんなセフィリアが変装もなく、堂々と校庭のど真ん中を歩いていれば否応なしに目を引くはずなのだが。
「あぁ、それなら大丈夫よ」
「大丈夫って?」
何ら支障はないと笑うセフィリアに今度は夏子が首を傾げた。
セフィリアは得意げに笑い、自分の顔を指す。
「ナツコにはそのまま私の姿が見えてると思うけど、他の人間には私はリンに見えてるから」
「り、凜に? それって……あっ法術か」
「正解」
最初は驚いた様子だった夏子も納得したように両手を胸の前で合わせるようにパンッと叩き、
「でも、何で凜の姿に?」
「いや、リンってナツコと同じでここの生徒なんだから学校にいたって普通でしょ? それにアンタの事聞くんならリンの姿の方が都合が良いじゃん」
「あっ、そっか」
「そっか、って……………」
ナツコってどっか抜けてる? と苦笑するセフィリア。
そうこう話をしている内に二人は生徒用玄関に辿り着き、
「とりあえずナツコが昨日、意識を失う前に見たって言う記憶の断片。もう一度確認させて貰って良い?」
「う、うん……良いよ。ええっと……確か」
もう一度、夏子が昨日倒れる際に呼び起こした記憶を確認する。
夏子が『霊現体』になって昨日で六日目。
その時に見た記憶の断片は夏子が誰かに手紙らしきモノを渡そうとしていた時の記憶。
だが、それ以上の事はわからない。
書いていた手紙の内容も、その手紙の相手も何もわからない記憶の断片。
「今のご時世でわざわざ手紙を書くって事はよっぽど大事な事だったはずよ。十中八九『未練』に関係していると思うわ」
「うん、でも…………」
夏子は腑に落ちない、と眉を寄せセフィリアを見下ろす。
「なんで学校なの? 手紙だったら郵便局とかで」
「勘よ、女の勘」
「お、女の勘……って」
思いも寄らない言葉だったのか、夏子はどこか呆れたようなジトッとした目つきでセフィリアを見つめる。
「な、なによ!? その目つきは……私の言う事が信じられないっていうの?」
「だって……女の勘って」
「いいから!! 私の勘って結構当たるんだから、黙って付いてきなさい!!」
自分を疑うように見下ろす夏子を、勢い任せにねじ伏せるセフィリア。
「とりあえずナツコの教室に行ってみましょう。まぁ、その間にアンタの知り合いにでも会えばその人にも話を聞いてみたりもするけど、名前を知らないからそれなりにフォローしてよ?」
「わかったわ」
長い時間を共有した親友のように笑みを向け合い、頷く二人。
二人は生徒玄関から廊下へと進み、
「そういえばさ」
「ん、何?」
セフィリアは興味津々と瞳を輝かせ、弾んだ声で言った。
「リンとナツコってさ、いつ頃から付き合ってるの?」
「つっ!? 付き合って!? 」
顔、というか肌が見えてる部分全てが一瞬で赤く染まり、大声で叫ぶ夏子。
「ちょっ!? どうしたのよ!? ナツコ」
「わ、わわっわたっ」
セフィリアは慌てて夏子を近くに引き寄せて、過呼吸寸前の夏子に話しかける。
「何でそんなに慌てるのよ? 私、変な事聞いた?」
「……じゃない」
「へ?」
夏子がセフィリアの言葉を切るように、荒い息で悔しそうに言った。
「私と凜は付き合ってないもんっ!!」
顔を赤くしたまま拗ねて顔をプイッ、と背けた。
「えっ、違うの?」
「違うもん…………セフィリアこそ、何でそんな風に思ったのよ?」
自分の中の悔しさやら苛立ちを込めてセフィリアを睨む夏子。
「いや、だってランさんと任務をこなしてた時に「早く曾孫が見たいもんじゃっ!!」って言ってたし、リンもずっとナツコの事ばっか心配してたから…………てっきり」
セフィリアの話を聞き進めていく程、夏子の顔が上気し湯気が発ち昇る。
「それにナツコだってさっきリンと私が一緒に出かけてたの、凄く気にしてたみたいだったから」
「そっ、そうなんだ…………ははっ」
恥ずかしさを隠すつもりで笑ったようだが、茹で蛸のような赤い顔で笑われても意味がない。なんだか、こっちまで恥ずかしくなってきた。
「あぁっ!! でも凜が私の事しか心配してないのってさ、凜が優しいからだよ」
「ん?」
夏子から照れとは別の感情が滲み見え、
「凜は優しいから……きっと私以外の人が同じ目に遭ってたら同じ事すると思う」
「…………」
自分が感じていたものをさらけ出すように話し始めた。
「凜はその、特別な人っていない……というか周りの人を遠ざけてる所があるの。友達はちゃんといるんだけど必要以上に親しくならないようにしてるっていうのかな? 最初は人付き合いが苦手なのかな、って思ったの」
夏子は自分の記憶を探るように静かに続け、
「私と初めて会った時もすごく他人行儀で話をしてても社交辞令みたいな感じで………………っ!?」
一瞬、痛みに表情が険しくなる。
「ナツコ?」
「大丈夫、少し頭が痛かっただけだから」
夏子はこめかみを押さえながらセフィリアに小さく笑みを見せ、
「っと、セフィリア、ここの階段を上がって」
夏子は左正面に見える階段を指さす。
セフィリアは夏子の様子を伺いながら階段に歩み寄り、
「何階まで?」
「三階。階段を上がり終わったらすぐ右に教室があるから」
「わかったわ」
ゆっくり階段を上がっていく。
セフィリアは一定のスピードで階段を上がり、
「…………っ」
痛みに表情を曇らせる夏子を見定める。
やはり、ここに来て正解だった。夏子の魂から放たれる魔力の波長が少しずつだが上がってきてる。それに頭痛が起きる間隔も短くなってきている。このままいけば『未練』を思い出させる事ができるはずだ。
それと今いる学校に設置されてる法術の欠片はついでに処理していこう。倉庫については理由はわからないが凜を連れて蘭が向かっている。おそらく法術処理の為だろうから問題ないだろう。
「あとは…………」
ジュマを引きづり出して、自分が倒せるかどうか。
昨日、『虚』と闘ってから結構時間が経つが、あまり魔力が回復してない。さすがに全快するには時間が足りない。
セフィリアは右手を目の前まであげ、握ったり開いたりを繰り返す。
ジュマ=フーリス。自分と同じ『第一級』の『死神』。近接戦闘と魔力の是大量だけで言えばこちらに分があるが、取得法術数に任務達成数。戦闘経験値は自分よりも上。分があるとはいえ近接戦闘でもかなりの実力者。万全の状態で戦っても勝率は七割――――一つミスをすればこちらが危うい。
――――――単純にランさんが闘えば何の問題もないけど、これは私に下った任務。どんな形であれ、私が決着を付けなきゃいけない。でも、ジュマの奴をどうやって引きづり出すかが問題なのよねぇ。
夏子の『未練』や自身の状態、任務の打開策とセフィリアが思考を巡らせていた時だった。
「あれ? 萩月君」
セフィリアの上方、階段の踊り場で白いタオルを首に掛け、青ジャージ姿の少女が驚きに足を止めていた。
「ん?」
「あっ」
二人はその声の主に視線を合わせ、
「アン……っ」
アンタ誰? と口走りそうになったセフィリアは慌ててコホンッ、と短く咳払いをする。
「えっと、あなたは……」
凜の姿を借りている事を思い出し、口調を真似てみる。
セフィリアはわずかに夏子へ視線を送り、
「この子は小野あかり、私のっ、………幼馴染み……クラスも一緒よ」
「確か……小野先輩、でしたよね?」
痛みが強くなっているのか、苦痛に耐える夏子を頼りにあかりとの会話を続ける。
凜――――正確には凜の姿に見えるセフィリアの言葉に、あかりが意外とばかりに眉を上げる。
「あたしの事知ってるの?」
「まぁ、少しだけですけど、ナツ……夏先輩から」
慣れない口調でぶれる言葉を補うように、セフィリアは愛想笑いを浮かべる。
「そうなんだ。まぁ、萩月君はよく夏子と一緒にいたからね」
あかりは懐かしむようにセフィリア(凜の姿の)を見ながら、
「会う……いや、見掛けたのはて言う方が正しいのかな」
「え?」
「夏子のお葬式以来かな、君を見掛けたのは。話し掛けようとしたらすぐに帰っちゃうんだもん」
「そう、ですか」
身に覚えのない話にボロが出ないように短く言葉を返すセフィリア。
「それより今日はどうしたの? ゴールデンウィークなのに学校に来て?」
「えっ? あ、はい。ちょっと忘れ物を取りに」
自分で話を振っておいて、すぐ違う話に持って行かないでよ!! と、心中で悪態をつくセフィリア。
「お、小野先輩は部活ですか?」
「うん、あと一ヶ月で最後の大会だからね。少しでも多く練習しないと、ちなみにバレー部所属」
「へ、へぇ…………」
自慢げに胸をドンッと叩くあかり。が、何故か会話はそこで途切れた。
「…………」
「…………」
あかりはセフィリアをジッ、と見つめ、
「よしっ!!」
一人で納得したように沈黙を破った。
「あ、あの小野先輩……?」
セフィリアは呆気に取られながらもあかりに声を掛け、
「さっき、お葬式で話し掛けようとしたって言ったでしょ?」
「え、まぁ……言ってましたね、そんなこと」
「君にね、渡す物……ううん、渡さなきゃいけない物があって」
「僕に……?」
全く予想してなかった答えに突然、隣から夏子の悲痛な声が響く。
「っぁ!!」
「ッ…………」
夏子の名を口に出しそうになったが、どうにか声を飲み込んだセフィリア。
「あ、頭が……割れっそう!!」
宙に浮かんでいたはずの夏子は床にへたりこむように座り、頭を両手で抱えていた。
「ここで会ったのも何かの縁だし、渡すから教室まで付いて来て」
「えっと」
あかりはセフィリアに答えを聞く前に階段に足をかけ、
「っ」
あかりが正面を向くのと同時に、セフィリアが夏子へ顔を向ける。
「ゎ、たしは……いいっ、から……行って」
夏子は痛みとして襲っている記憶の濁流に耐えながら、あかりを指差した。
「『未練』の、手がかりがっ……わかるかも」
「でも……」
セフィリアは後ろにいるあかりの様子を伺いながら、ナツコの状態を一瞥する。
――――――ナツコの魂がざわついてる。魔力の気配も上がったり、下がったり安定してないし……『未練』への想いの強さと記憶整理の時に起きる痛みは比例するけど、普通は軽い頭痛程度で治まるはずなのに。それだけナツコの未練への想いが強いって事?
「おーい、萩月君。早く来なよ、置いてっちゃうよ?」
三階の階段の手すりから身を乗り出し、セフィリアを呼ぶあかり。
「い、今行きますっ!!」
「だ、大丈夫だから……はやく、いって」
急かすあかりの呼び声に、夏子が追い打ちを掛ける。
「く~~~~~~~~っ!! ナツコはここでジッとしてて、良い?」
「うん……なるべ、くっ早く、帰ってきてね」
激痛に引き上げられるように顔を上げ、汗を滲ませた笑顔を見せる夏子。
顔は笑顔でも痛みとか苦しいって言うのが隠し切れてないから、そんな事されると余計心配になる。
「わかってるわよ」
セフィリアは夏子にそう言い残し、階段を駆け上がっていく。
「お待たせしました!!」
「ほら、こっちよ」
あかりに手招きされるまま後をついて行くセフィリア。
階段を上がりきり、廊下を少し歩いた所でドアの前であかりが歩を止めた。
「ちょっとここで待っててね」
あかりはそう言い残すとドアを開けて部屋に入っていった。
「ここって…………」
セフィリアは顔を上げ、ドアの上の柱に付いていた黒いプレートにかかれていた白い文字を読んだ。
「三年……二組?」
「お待たせ」
ものの一分もかからずに戻り、
「ホントはコレ、渡しても良いのか迷ってたんだ…………夏子と仲良かったから余計に傷つけちゃうんじゃないかと思ってさ」
「あっ」
セフィリアはあかりが罪悪感に染まった力ない笑みで差し出したモノに声が出なくなった。
「でも、やっぱり夏子の気持ち…………ちゃんと知ってて欲しいから」
さっきまでののほほんとしてた空気から全く別な、真剣な雰囲気になったアカリ。到底言い表せない後悔と申し訳なさが伝わってくる笑顔。
「これって…………」
「萩月君宛だよ」
あかりがセフィリアに差し出したモノ、それは白の小さな便箋だった。
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「くっ!!」
頭を砕かれるような激痛に、視界が霞み始める夏子。
「ぁっ、ぅんっ!?」
前に学校へ来た時はこんな事無かったのに、なんで!?
やむ事のない痛みの脈動に思考が乱れ、
――――――明日の放課後、話したい事があるの。
緊張に張り詰めた自分の声が、夏子の中に響く。
「っ!?」
それと同時に記憶の断片が流れ、痛みの感覚が”砕く” から”切り刻む” にかわる。
「ぅぁっ…………」
――――――じゃあ、明日の放課後。屋上でいいですか?
凜の声が吹き上がるのと同時に、学校の屋上で凜と夏子が向かい合う映像が奔る。
「な、なんで……っ!? いつ、の……記憶? 私、凜と……こんな話っ、した記憶なんて…………ない?」
記憶を焼き付け……いや、その奥から炙り出されるように溢れてくる断片に夏子の声が痛みとは違う感情に揺れる。
――――――うわぁ、せっかく私も手紙の内容の相談に乗ったのに…………無駄骨じゃん。
夏子の記憶の揺れを加速させるように別の断片が瞬く。
「あかり、と? でも、こんな…………話はっ!? うぐっ!?」
頭を切り刻む痛みが止み、今度は頭の奥から何かが突き上がってくる衝動にかわる。
「くぁっ…………」
そして、突き上がる衝動に呼応するようにまた別の断片が記憶を再生する。
見慣れたピンクの机に壁。
――――――できたーーーーーっ!!
机に座り、一枚の紙を天井に向け掲げながら喜ぶ夏子。
――――――あとは×の下駄箱に。
顔を真っ赤にしながら誰かの名前を口にして何かを想像している自分。
「こ、れ……って、っ」
昨日、私が意識を失う直前に見た映像……でも今度は。
「つっ!?」
――――――×、びっくりするだろうなぁ。
明確に私の言葉が聞こえてくる。
――――――泣いても笑っても明日で決まる!! 頑張れ、私!! 負けるな、私!!
言葉だけじゃない。この時に思ってた想いも映像に乗って一緒に溢れてくる。
手に持っていた紙を綺麗に二つ折りにして白い便箋に入れ、封をする。そしてお母さんの写真が入った写真立てを手にとる私。
「――――――凜に私の想いが届きますように」
私の『未練』って…………これだったんだ。
そう夏子が確信するとそれがまるでパズルのピースのようにはまり、先程まで苛まれていた全てのもが嘘のように消え、代わりに胸に溢れてくる感情が体を温かく包み込んでいく。
「っ…………くぅっ」
こんなに苦しいのに、こんなに辛いのに…………胸が締め付けられてつぶれてしまうんじゃないかと思う程に溢れてくる。
温かくて、優しくて、どこまでも輝いていて…………このどこまでも求めてしまう感情が私の『答え』。
これが私、神村夏子の――――――想い。
夏子は自分の中から溢れてくる想いを抱き留めるように体を強く抱きしめる。
「こんなっ、大事な事……忘れてたんだ」
今出た言葉には自身を責める想いがほんの少しだけ滲んでいた。が、それ以上に夏子は嬉しさに満たされていた。
「っ」
今、自分を満たしてくれている感情が嬉しくて、恋しくて、愛おしくて。
視界が溢れてくる想いに見えなくなる。
頬に溢れ出た想いが流れ、
「準備時間は終わり、っと」
喜々と狂気。その二つに弾んだ声に、世界は残酷な紅へと染め上げられる。
「っぁ」
夏子の声にならない悲鳴を呑み込むように天井や床、壁や窓から見える景色の全てが波打ちながら紅へと染まる。
「ぁ、ぁあっ」
瞬間、夏子を満たしていてくれた感情は凍り付き、
「ぁっ…………」
――――振り返るなっ!! と、心が悲鳴じみた警報を鳴り散らしていた。
「あ、あぁっ…………」
だが、夏子の体は自らの意志とは反し、何の抵抗も出来ず後ろを振り返る。
「初めまして、神村夏子さん」
夏子が振り返った先。黒みがかった瞳に映ったのは血の臭いが立ちこめるような紅い世界と――――――悪意が人の形を得た存在。
その人影はセフィリア同様、黒一色の制服を身に纏い、右手を胸。左手は後ろに隠して嫌みったらしく夏子にお辞儀していた。
「僕はジュマ=フーリス――――――『死神』だよ」
そう言って男……ジュマは顔を上げ、
「っぁ…………」
夏子はジュマの表情に言葉が出なかった。
「自己紹介も済んだし」
どこまでも無邪気で、どこまでも冷徹で、どこまでも無機質で…………暴力的な笑顔で自分を、胸の中に溢れていた想いを壊し甲斐のある玩具のように見つめていたから。
異質、異常、異端……そのどれもがあてはまり、あてはまらない不気味な笑顔でジュマが言い放った。
「さぁ、終幕祭だよ!!」