――― 紡ぐもの ―――
「傷が…………ない?」
自分の身に起きた異質な現象に呆然と呟く凜。
体中の痛みも消え、『虚』に貫かれた傷もない。
「リ、リン…………」
自分の身に何が起きたのか全く見当のつかない凜へ、全身血だらけのセフィリアが重い足取りで歩み寄ってくる。
「体は、大丈夫なの? 見たところ、怪我が消えてるみたい、だけど……」
頭上から聞こえてきた弱り切った声に、凜は弾かれるように顔を上げ。
「セフィリアこそ大丈夫なの!? そんな体でっ」
「まぁ、なんとかね」
セフィリアは傷を刺激しないよう静かに地面に座り、凜へ安心させるように微笑む。
「な、何とかって!? はやく病院にっ!!」
だが、それは逆効果だったようで慌てて立ち上がる凜。
「必要ないわよ、自分で治すから」
そんな凜に苦笑い混じりに言葉を掛け、
「自分で治すって」
「忘れた? 私、死神なんだから、さ……これくらいの傷、法術で治せるわよ」
宥めるように凜の破けたシャツを引き、凜を座らせる。
「な、ならはやく治さないと」
「そ、そうね……気になる事はあるけど、先に傷でも治しますか」
まるで他人事のように笑って言葉を返すセフィリアに、凜は唖然と口を開く。
「治しますかって…………そんな簡単に」
全身血だらけの穴だらけ。その状態でこの態度……どれだけ神経が太いのか。
セフィリアのくだけた笑顔にそんな事を考えていた時だった。
「傷の治療であれば儂も手伝おう」
二人の会話に流れるように入る声に、
「お、お祖母ちゃん!?」
「あ、ランさん」
何故、ここにいる!? と、驚愕に目を見開く凜。それとは反対に安心したように顔を綻ばせるセフィリア。
「な、ななっなんでっ!? なんでお祖母ちゃんがここにいるの!?」
「ん? 少し前に助けに来たんじゃが、気付かんかったのか?」
驚く凜を余所に、蘭は静かにセフィリアの隣に膝を折りながらしゃがみ込む。
「た、助けに来たって言われても…………死にかけててそんな余裕なかったよ」
「危ないところだったようじゃが、お主は大丈夫そうじゃな」
蘭はあちこち破け土や埃で汚れた制服姿の凜を一瞥し、
「あ、うん…………なんとか、かな」
「先にセフィリアの傷を治すでの、少し待っておれ」
落ち着かないといった表情で頷く凜に、蘭は不安に怯える心を優しく包むように微笑んだ。
「な、治すって……お祖母ちゃんも法術使えるの?」
「まぁ、法術ではないが似たようなものを使えるぞ。それに儂は治癒系の術は苦手じゃからの、今は少しだけ力を貸してやるだけじゃて」
「力を貸すって……」
「いいから、黙ってみておれ」
これ以上の会話は不要と手を払う蘭に、凜は小さく頷いた。
蘭は凜の頷きに合わせセフィリアの肩に手を置き、
「セフィリア。魔力を体に流し込んでやるゆえ、その力で法術を使うんじゃぞ」
「ありがとうございます、ランさん」
「少し多めに流すでの」
「はい」
セフィリアの返事と共に、二人の体を包み込むように蒼く淡い光が輝く。
「っ!?」
その光景に驚きで目を見開く凜。
「んっ…………」
体の中を駆け巡る力強い魔力の波動に、どこか艶めいた声を漏らすセフィリア。
すると黒槍に貫かれた部位から血が蒸発。赤い煙が昇り、
「け、煙がっ!?」
凜の声と共に蒼い光が波動となって飛び散り、赤煙を払い飛ばした。
「…………ふぅっ」
「さすが『死神』、法術はお手のものじゃのぅ」
セフィリアの安堵のため息と蘭の弾んだ笑い声。
それが物語るように、満身創痍だったセフィリアの傷は跡形もなく消え、黒の制服の裂け目から見えるのは凜と同じく汚れを知らない純白の肌。
セフィリアは制服の土埃を払いながら立ち上がり、
「いえ、ランさんが魔力を供給してくれなかったらここまでの治癒はできませんでした」
最後の一払いと共に制服が元通りの黒一色の状態に戻った。
「よ、よかったぁ……ほんとに」
安堵に力が抜けたのか、へたりと座り込む凜。
「ひとまずは一段落、と言ったところかのぅ」
「そうですね」
凜の様子にクスリと笑う蘭とセフィリア。
そんな二人に凜も自然と笑みを溢しそうになって、二人の奥に視える人影に弾かれるように立ち上がり、
「な、夏先輩!!」
二人の間をすり抜けるように『空絶』内で横たわる夏子に駆け寄った。
「あ、そう言えばナツコの事忘れてた…………」
セフィリアは言葉通り、うっかりという風に。
「むっ、夏子さんの意識がないようじゃが」
蘭は夏子の様子に顔を強張らせ、二人も凜に続くように夏子に駆け寄る。
「それは大丈夫です。今、記憶の再生処理で眠っているだけですから」
蘭の強張った表情をほぐすようにセフィリアが答えた。
「そうか、そうであれば安心じゃな」
セフィリアの答えに蘭の表情が緩み、凜は静かに夏子を抱き起こす。
「記憶の再生処理で眠ってるって言ってたけど……いつ、夏先輩は目を覚ますの?」
夏子の小さな肩を支えるように抱え、隣にいたセフィリアを見上げる凜。
セフィリアを見上げる凜の瞳には一抹の不安が灯っており、
「そうね、早くても明日の昼頃。遅くても夜には目を覚ますわよ」
その不安の灯りを吹き消すように、笑って即答するセフィリア。
「そうなんだ」
セフィリアの言葉と笑顔にほっと胸を撫で下ろす凜。
「夏先輩も無事でほんとによかった」
そう言って、自分の細い腕で静かに眠る夏子を涙ぐんだ瞳で見つめる凜。
夏子の整った顔立ちを隠すように掛かった美しい黒髪を優しく払い、
「ほんとに…………」
まるで愛おしい恋人を慈しむような凜の姿にセフィリアが気恥ずかしさに頬を染め、蘭が茶化そうと口を開いた時だった。
「無事、って…………そんなわけないか。僕の所為で殺されたのに」
凜の罪悪感に塗れた声に、二人は体の熱が一気に凍え、顔が緊張に引き締まる。
「凜、お主…………」
すぐ横で後悔を噛みしめている孫の横顔に、蘭が呻くように言葉を絞り出す。
「あの『虚』って化物……ううん、それを操ってる『死神』に聞いたよ」
「そうか……」
そう一言だけ呟き、蘭と入れ替わるようにセフィリアが声を上げる。
「リンッ!! さっきも言ったけどナツコが死んだのはっ!!」
「うん、わかってる。わかってる……けど」
凜は夏子から視線を上げ、二人を真っ直ぐに見つめる。
「アイツが言った事も事実なんだ。僕がいたから……僕の所為で夏先輩は巻き込まれた」
二人を見つめる眼差しには罪悪感が深く刻まれていたが、それとは別の感情が二人に向き合うように現れ、その感情にセフィリアと蘭は唇を結ぶ。
「もうこれ以上、僕の所為で夏先輩や他の誰かが危険な目に合うなんてゴメンなんだ」
責任と義務。その二つを込めた瞳で凜は二人に告げる。
「だから教えて欲しいんだ、セフィリアやお祖母ちゃんが知ってる事全部」
揺らぐ事のない想いを刻んだ真っ直ぐな瞳。
その瞳にセフィリアと蘭は互いに顔を見合わせ、どちらともなくため息を付いた。
「私にも守秘義務ってものがあるから全部は話せないけど……」
セフィリアは蘭から凜へ視線を落とし、申し訳なさに顔を曇らせ。
「話せる事と言えばアンタの魂が狙われてる理由、アンタの力の話しかできないけど……いい?」
「……うん、話せる範囲でいいから教えて」
「わかった……でも、今は先に壊した建物の修復をしなきゃいけないから少し待って欲しいの」
「え? 修復って」
どういう事? と問い掛けようとして、凜はセフィリアが指さす方向に顔を向ける。
セフィリアが指さした方向は天井。
「あぁ…………」
凜はセフィリアの言葉を理解したように引き攣った表情で天井を見上げ、
「今いる倉庫の壁とかもそうだけ、他にも何カ所か戦闘で破損した所とかあるし…………ナツコの家の壁と天井も修復しておかないといけないしね」
ポリポリと頬を掻くセフィリア。
「今頃、近くに住んでる人達も騒ぎ出すだろうし、先にナツコの壊れた家を修復して、人目につかない此処は最後に修復するつもり。春だって言ってもまだ肌寒いし、フユキだっ
け? 寒い家で一晩過ごさせるわけにもいかにし」
「そ、そうだね」
「今なら記憶の操作も最小限で済むから、先に行ってくるわ」
「き、記憶の操作って……」
危ない事じゃ、と言いかけて途中で口を噤む凜。
「ん、どうかした?」
「ううん、何でもない」
凜は首を小さく横に振り、天井からセフィリアへ視線を戻す。
「破壊した物の修復と記憶の操作はどれくらい掛かりそうじゃ?」
凜とセフィリアのやりとりが途切れたのを見計らって、緩やかに話に加わる蘭。
「物の修復には時間は掛かりませんが……記憶の操作で少し時間が掛かると思うので多分、明日の朝まで掛かると思います」
「そうか、ならばあまり無理をせんようにな。一応、儂の魔力を分けてあるから作業に支障はないと思うが……お主の魔力自体が回復したわけではないからのぅ」
「はい、頭に入れておきます」
二人は二言三言言葉を交わし、
「話はセフィリアが帰ってきてからの方がいいじゃろ、その方が細かい話を出来るからのぅ」
凜に承諾を得ようと話を振る蘭。
「うん、それで大丈夫」
凜は蘭の問いに静かに頷き、
「すまんの、こちらも隠していた手前、あまり待たせたくはないんじゃが」
気まずげな笑顔で感謝の言葉を掛ける。
「ランさんが側にいてくれれば大丈夫だから、リンはゆっくり休んでなさいよ」
セフィリアもどこか気まずさを滲ませた言葉を凜に掛け、
「うん、わかったよ。セフィリアも気をつけてね」
「え、あぅ……あ、ありがと」
予想もしていなかった言葉と、凜の微笑みに微かに頬を赤らめ。
「じっじゃあ、いってきます」
「うん、いってらっしゃい」
逃げるように倉庫の天井から飛び出すセフィリアの姿を、手を小さく振りながら見送る凜。
そんな凜の姿に蘭は小さく微笑み、
「さて、人目につきにくいと言ってもいつまでも此処にいられんし、儂等も帰るとするかの」
「うん、そうだね」
凜は蘭の声に頷きながら夏子を抱え、立ち上がろうとして。
「っと」
両脚に力が入らず、その場に座り込んでしまった。
「な、なんで……」
意志とは別の体の反応に凜は困惑の表情で呟き、
「体は正直なんじゃよ」
凜の困惑を打ち消すように弾んだ声で答える蘭。
「遅れてきた儂が言うのも何じゃがな、あれだけの怪我を負っていたんじゃ。今は傷が治っていたとしても体力や精神的な疲労は抜けとらんという事じゃな」
「こ、困ったなぁ……家まで帰るのにタクシー呼ぶにも倉庫はこんな状態だし、制服だってボロボロのままだから呼べないし」
こんな事ならせめて制服くらいはセフィリアに法術で直して貰うんだった、と心の中で後悔する凜。
「何、問題なかろう」
と、気軽な声で蘭が呟き。
「問題ないって……っ!?」
凜同様、小学生と変わらない体躯の蘭が凜と夏子を軽々と脇に抱える。
「凜と夏子さんの感触でも堪能しながら帰るとするかのぅ」
「ちょっ、なっなんでっ!? なんでお祖母ちゃんそんなに力持ちなのっ!?」
軽いとはいえ自分と夏子、二人の人間を軽々と両脇に抱える蘭に凜が驚きの声をあげる。
蘭は凜の声にフフンと鼻を鳴らし、得意げな顔で答える。
「法術とは少し違うが術の一種でな、魔力を高めて肉体に浸透させる事で身体能力を強化しておるんじゃよ」
「肉体の強化、って…………お祖母ちゃん、そんな事もできたの?」
「まぁ、の」
「すごいなぁ…………」
凜は、また自分は知らなかった祖母の一面に簡単の声を漏らし。
「セフィリアより少しばかり速度が速いでの、しっかり捕まっておれよ」
「う、うん」
蘭の注意に首を縦に振り、ガシッと蘭の体にしがみつく凜。
それを確認の合図に蘭は「ほっ」という軽い声と共にセフィリアが開けた大穴から夜空へと跳び、
「ここからなら二分ほどで着くからの」
「わ、わかった」
二度目となる人間離れした跳躍移動へ歯を食いしばる凜。
その後、蘭の言葉通り。二分後に自宅に戻った凜は自室に運ばれ、言う事を聞かない体で着替えを済ませ丸一日ぶりの就寝へとついた。
††††††††††††††††††††††††††
それから平穏を取り戻したように静かな一夜を明け、時刻は午前九時を回った頃。
「ふむ、魔力を吸収する『虚』か……………儂も初めてじゃのぅ」
十畳ほどの和室で、テーブルを挟み対面する祖母と孫。
蘭は自分で煎れたお茶を一口すすり、眉をハの字にした。
「初めて、って…………お祖母ちゃんも『虚』を視た事あるの?」
昨日、自分を襲った『虚』について話す凜。
「仕事で何度かのぅ」
「そっか、お祖母ちゃんは死神と一緒に仕事してるから当然か」
そう言えばそうだったなというふうに頷き、窓の外を見やる凜。
凜の目が覚めたのは今朝の七時。昨日の襲撃による痛みや疲労感は一切なく、目覚めは文句なしといえるほど清々しかった。
今朝は昨日の夜疲労感で一杯でできなかった入浴から始まり、昨日と同じく蘭お手製の和中心の朝食を済ませ、セフィリアが訪れるまでの時間を蘭への説明で過ごしているのだが…………。
「…………セフィリア、まだかなぁ」
窓の外で気持ちよさそうに飛ぶ鳥達を眺め、凜はため息を溢す。
「まぁ、気持ちはわからんでもないが……そう焦らずとももう少しの辛抱じゃて」
「わ、わかってるけどさぁ…………」
頭では理解しているものの、やはり心は正直なもので平静を装ってもどこか落ち着かない様子が漏れてしまう。
胸をジワジワと焦がす焦燥感を吐き出すように深くため息を付くと、
「っ」
それを引き金とばかりに右眼にチクリと小さく鋭い痛みが奔る。
「来たようじゃぞ」
蘭も微かに首筋に痺れのようなちりつきが奔り、凜の背後へと焦点を合わせる。
「来た、って」
凜んは蘭の言葉と視線を辿るように背後を振り返った。
振り返った視線の先には渦を巻くようにねじ曲がった空間と、そこから吹き出す黒い霧。
「これって……あの時の」
一昨日、セフィリアが凜達の前から姿を消した時にも現れた黒い霧。
その時の光景が脳裏の浮かび始め、黒い霧を照らすように輝く金髪を筆頭に雪原を思わせる白い肌。青空のように済んだ碧眼。そしてそれを厳格に包む漆黒の制服が流れるように現し、一人の少女が畳の上に静かに降り立つ。
「あっ、セフィリア」
リンは待ち人の姿にパァッと明るい笑顔を浮かべそうになったが、
「リン、お待たせ。少し遅くなっちゃった」
やや疲労感のぞくセフィリアの笑顔に、表情を作り直すように口を動かす。
「ううん、大丈夫だよ。それよりも修復作業お疲れ様。どう、修復作業上手くいった?」
凜はセフィリアを見上げながら労いの言葉を掛け、
「バッチリ!! 心配しなくても大丈夫よ」
自信に満ちた表情で返すセフィリア。
「さすが。でも記憶操作に壊した物の修復か……法術って何でもありだね」
凜は感心から小さく微笑み、
「確かに何でもありって言えば何でもありだけど、全員が同じように使えるわけじゃないわよ。使用条件が決まってる法術もあるし……まぁ、『死神』だったらある程度誰でも使えるわよ」
セフィリアは少しだけ照れるように頬をぽりっと一掻き。
「そうなんだ、でも凄いよね」
「どうも。あっ、あとナツコの父親の記憶も少し弄くって来たわ。昨日の事は何も覚えてない状態にしておいたからまた話をする時は気をつけてよね」
「うん、わかったよ」
凜はセフィリアから注意事項を聞きつつも立ち上がり、
「早速、話を聞きたい…………って言いたいところだけど。徹夜で疲れたでしょ? 話は少し休んでからで良いからさ、お茶か紅茶でも」
「あぁ、ごめん。気を遣ってくれるのは嬉しいんだけどさ、私も先に話を済ませておきたいんだよね」
申し訳なさそうに眉を顰めながら、凜の提案を断るセフィリア。
「えっ、でも……」
「大丈夫大丈夫っ!! 私の事は気にしなくていいからさ、先に話を済ませちゃを」
「セフィリアが大丈夫って言うなら良いけど…………」
どこかぎこちないセフィリアの笑みに、凜は妙な違和感を覚えながらも頷いた。
「じゃあ、外に行くわよ」
「外に? 別に家の中でも」
「えっと、初めて会った時にも話したけど町全体に施されてる法術の確認をしたいの。数自体は気配でわかるんだけど、どんな法術かは直接魔力を感知してみないとわからないのし…………」
ぎこちなさに声が次第に小さくなり、
「…………それに、アンタに用事もあるしんw」
恥ずかしげに顔を俯かせ、早口で言葉を切るセフィリア。
「ん? 用事?」
凜はセフィリアの消えてしまいそうな小声と早口に微かに聞き取れた単語を口に出し、
「セフィリア、用事って?」
「な、何でもないわよっ!! じ、時間も勿体ないし早く行くわよ」
セフィリアは突き放すように声を荒げぷいっ、とそっぽを向いた。
「そ、そうだね。町全体だと時間も掛かるだろうし、いこっか」
凜は突然怒り出したセフィリアの様子に戸惑いながら、慌てて蘭へと視線を移す。
「そういう事だから、ちょっと出てくるね」
「あぁ、夏子さんのめんどうは儂が見ておくからの。もし、また襲われてもセフィリアの言う事をちゃんと聞くんじゃぞ」
「うん、その時はセフィリアが護ってくれるから…………大丈夫だよ」
凜は『死神』とはいえ女の子に護って貰う男ってどうなんだろう、と一瞬猛烈な空しさを感じそうになったが心の中で押し殺した。
「大丈夫よ、今度こそ『死神』の名にかけて護ってみせるから!!」
セフィリアは昨日の襲撃での自分を戒めるようにドンッと胸を叩く。
そんなセフィリアに凜は苦笑いで応え、
「お祖母ちゃんも気をつけてね、もし『虚』に襲われたら、お祖母ちゃんも夏先輩を連れてすぐに逃げるんだよ」
「ん? 儂がかの?」
「そうだよ、死神のセフィリアでも危ない相手だったんだからさ。お祖母ちゃんじゃ」
何を言われているのかわからないと首を傾げる蘭を気遣うように言葉をかける。が、
「『虚』程度であれば問題なかろう」
「へっ?」
蘭のごく自然な表情に思わず疑問があがった。
「昨日、儂の所にも二十体程ばかり現れおったがの。全部返り討ちにしてやったぞ」
「か、返り討ちって…………嘘だよね?」
と、口端を引き攣らせて笑う凜の言葉をセフィリアが隣から遮る。
「ほんとよ、ランさんは下手な『死神』よりも強いからね」
「え…………っと」
下手な『死神』よりも強い――――そんなセフィリアからの馬鹿げた話に凜は目が完全に泳ぐ。
「アンタも知ってると思うけど、ランさんは内包してる魔力の絶対量が桁外れに高いの。そのうえ魔力操作に関しては私達『死神』以上に精密で、純粋な戦闘になれば私なんて足元にも及ばないわ」
「そ、そんなにすごいの?」
面を喰らった凜にセフィリアは肩身の狭い思いで言葉を続けていく。
「凄い何てもんじゃないわよ。私が知ってる限りじゃ、今までランさんと戦って生き残ってる【悪霊】はゼロ。本当にごくまれにだけど、役目を放棄して悪戯に人間の魂を刈り取ろうとした『死神』もランさんに滅ぼされてる」
「…………」
「その戦歴と能力を称えて【殲滅斬手】って二つ名を死神の長から贈られてるし」
「【殲滅斬手】って……昨日、ジュマが言ってた」
「そうよ、アイツはランさんと戦うのが怖くて『虚』に意識を投影していたの。まぁ、ランさんは人間っているよりは【闘神】っていっても良いくらいだし、仕方がないと思う所もあるけど」
「うぁ………………」
セフィリアの話に完全に口が開き、驚きに口が塞がらない。
「ほほっ!! 『死神』を差し置いて【戦神】とは大袈裟じゃのぅ」
そんな凜に気を止めず蘭は小さく笑い、セフィリアに視線を合わせる。
「お主は優れた『死神』……儂の見立てでは早くて二年、遅くとも成人する頃には儂を超えておるよ」
「いえ、そんな」
セフィリアは蘭に褒められた事が嬉しい反面、どこか恥ずかしく謙遜の声を上げ。
「はは…………………」
蘭とセフィリアの会話についていけず、凜は苦笑いを浮かべていた。
「っと、あまり余計な話をしておると遅くなってしまうしの。もう、行くとえぇ」
血生臭い話を世間話のように終わらせた蘭の言葉に、凜は我に返り小さく咳払いをした。
「っと……じゃあ、行ってくるね」
「おぅ、気をつけてな」
凜は気を取り直すように蘭へ出掛けの挨拶をし、和室を出る。
それに続くようにセフィリアも蘭に会釈しながら挨拶を交わす。
「じゃあ、ランさん。リン、借りてきますね」
「よろしくのぅ」
蘭は緩んだ表情で二人を見送り、玄関の方からドアが開き閉まる音を聞き終えると同時に小さく息を付いた。
「…………やはり、『虚』の本体。『核』が視えおったか」
蘭は痛みに耐えるように眉を寄せ、
「あの子の力はあやつが封じたはずじゃが……たわんでおるのか。じゃが、仕方ないかもしれん。あれから十年も経っておるからのぅ」
凜の姿を思い浮かべる。
朝食の際に聞いた限りでは視て体内に取り込んだようだった。何も肉体に影響が出ていない所をみるとまだ完全に目覚めたわけではないのだろう。能力の発現が不安定な分、視えるモノも限られている……のだろう。しかし、もし完全に覚醒してしまったら。
脳裏に浮かんだ凜の姿が波を打つように消え、
「これも運命かの。お主と同じ能力とは……わかっていた事じゃが皮肉なモノじゃな」
代わりに今は亡き女性が、優しさを輝かせ微笑んでいた。
蘭は懐かしい顔を思い浮かべながら立ち上がり、
「さて、一度夏子さんの様子でも見てこようかのぅ」
一階にある自分の部屋。そこで眠っている夏子の所へ重い足取りで向かった。
§§§§§§§§§§§§
スマホの画面端に表示された時刻は――――午前十時を回ったところ。
凜とセフィリアは商店街の入り口前で商店街を見通すように並んで立つ。
「商店街に着いたけど……ここにも法術が仕掛けられてるの?」
「えぇ、ここには昨日も来て確認したんだけど……また新しく仕掛けたみたいね」
「仕掛けられてる場所って結構奥の方?」
「えぇ、魔力の気配から言えば一番奥ね」
「出口ゲートの方か、歩いて十分くらい……かな」
凜はそう言いながら視線だけで周囲を見渡し、
「そうね、とりあえず行ってみましょ」
「う、うん」
セフィリアと並んで歩き出す凜。
「……………………」
凜は歩きながらも周囲の様子を伺い、体に張り付く感覚に首を傾げた。
――――――何だろ? 凄く見られてる。
だが、この視線は自分に向けられているものではない。
「………………………」
凜は家を出てしばらくして、妙な視線を感じ始めた。最初はその気配も少なかったが、商店街に近づいて人通りの多さに比例し多くなった。
「………………見られてるわね」
隣にいたセフィリアも視線を感じ、居心地の悪さに眉を寄せる。
凜はそんなセフィリアを見上げ――――多分、この視線ってセフィリアが原因だと思うだけどなぁ、と苦笑する。
「まぁ、仕方ないと思うよ」
「そうね、あまり見慣れないと珍しいものね」
凜とセフィリアはそう言って互いを視界に捉えて、
「セフィリア、綺麗だもんね」
「アンタの髪、珍しい色してるもんね」
出た言葉は全く違うもので。
「えっ?」
「はっ?」
今度は同じ意味で言葉が重なる。
そこで二人の歩みは止まり、
「えっと……………………」
「言いたいことがあるなら先に言いなさい」
セフィリアは胡散臭そうに凜をジトッとした目付きで睨む。
「いや、見られてるのってさ……セフィリアが綺麗だからじゃないかな」
「どこが?」
そんなことはじめて知ったという風に目をパチクリさせるセフィリア。
「いや、どこがって…………」
そんなセフィリアに呆気にとられた顔で凜が答える。
「やっぱり金髪が一番目をひくかなぁ、外国の人でもそんなに艶があって澄んだ金髪の人って見たこと無いし」
「ほ、他には?」
「あとは空みたいに碧い瞳でしょ、目鼻立ちも凄く整ってるし…………スタイルも夏先輩並みに凄」
「もういいわよっ!! っていうかスタイル良いってどこ見てんのよ!?」
セフィリアは凜の言葉を食い千切り、顔を赤くしてながら両手で体を隠し凜を睨んだ。
「いや、どこって……全体的にだけど? というか、言えって言ったのはセフィリアじゃないか」
言われた通り素直に答えたのにちょっと理不尽だな、これは。
「セフィリアこそ僕にが目を引く所言ってみてよ、髪の色以外でさ」
凜は先に髪の色を理由からはずさせ、少し強気の口調で告げながら身構えるように両腕を胸の前で組み――――――
「チビっちゃい所。左右の瞳が違う所にたよりなさそうな所、小学生みたいな所と男らしくない所に」
「もういいから!!」
――――――まるで容赦のないセフィリアの言葉に心をズタズタにされた。
「どう、私より目を引きそうじゃない?」
セフィリアは真剣そのもの。ちゃんと真面目に考えた顔で、出た理由がこれ。
どう、って……………良い所なんてひとつもないし。っていうか全部自覚済みの欠点じゃないか。
凜は言葉の刃で心を切れ裂かれ、
「もう、いいよ…………それで」
「そう、それは良かった」
セフィリアは自分の意見が通って満足したのか、得意気に笑ってまた歩き出す。
凜はズタズタにされた心を引き摺りながら重い足取りで歩き出し、
「ねぇ、あの子凄くない?」
「うん、凄い綺麗……」
と、不意にすれ違う度に老若男女問わず、そんな感心と憧れめいた声が聞こえてくる。
「……………………」
凜は口に出さなかったもの――――やっぱりセフィリアって凄く綺麗なんだよなぁと、感心する。
すれ違う人間は勿論、通りで買い物している者達全員がセフィリアの存在に気がつくだけで空気が変わる。
声をもらすの当たり前、少し離れた所ではスマホで写真を何枚も撮る音が途切れる事なく続き、常に激写されてる。人気アイドルの比ではなく、今この場はセフィリア=ベェルフェールという少女を中心に時を刻んでいるのだ。
そんな圧倒的なまでの羨望と好奇の眼差しを集めるセフィリアの横で、凜が熱のこもった視線の邪魔にならないようにと背を丸め、できるだけ気配を押し殺そうとした時。
――――――心臓の鼓動が血管を伝ってきたように、右眼が脈を打った。
「っ」
右眼の脈を打つような感覚に、思わず声が漏れる凜。
「着いたわよ」
それとタイミングを合わせるようにセフィリアが足を止め、
「まずはここからね」
「ここって…………」
凜は右眼を押さえながら顔を上げた。
左眼に映し出された一軒の店に凜の心がざわめき、
「…………夏先輩が殺された」
「『すぅーぱぁー』ってやつよね?」
呆然とする凜の言葉に続けるように、セフィリアは言い慣れていないのか間延びした発音で確認するように質問してきた。
「う、うん。そうだけど……どうしてここに?」
「法術の確認、って言ったでしょうが」
「そ、そうだったね」
凜は喉が締め上げられる様な感覚に、声を何とか絞り出して返事をした。
「さて、っと」
セフィリアはそう呟くとパチンッ!! と右手で指を弾いた。
「な、何?」
「人除けの法術」
「人除け?」
凜はセフィリアの言葉に周囲を見回し、様子の変化に気が付く。
先程まで鬱陶しいほど向けられていた視線が消え、通行人達も自分達を避けるように反対側の店舗に沿うように通り過ぎていく。
「人が…………」
「ほんとは『漆黒境界』を使いたいところだけど魔力があまり回復してないから消費も押さえたいし、人除け程度で充分でしょ」
「そ、そう…………」
凜は自分達を避けてできる人の流れから、引き摺られるように足下へと視線を元に戻した。
足下に広げられているのは悲しみの象徴。
「っ…………」
正直、此処には来たくなかった。夏先輩が亡くなってからは一度も此処には来なかったくらいだ。
供養の為に添えられているいくつもの花束はどれも新しい物ばかりで、枯れたり萎れている物が一つもない。きっとここに来る客人や店員がこまめに手入れや掃除をしてくれているのだろう。
「…………っ」
左眼に映るのはたくさんの悔しさと悲しみ。
生き返らせることができると、また皆と夏子が笑いあえる日々を取り戻せるのだとわかっていても、ここで夏子が死んだ事に変わりはないから。
凜は震えそうになる声を必死に抑え、セフィリアに質問した。
「それで? ここにはどんな法術が設置されてるの?」
「魔力を吸収して貯蔵しておく法術よ。土地や霊体、人間から少しずつ魔力を吸収して溜めておく法術なんだけど…………正確にはその欠片」
「欠片って?」
「法術をいくつかに分けて設置してるみたい」
「分けてって……法術って分解みたいな事をして使えるものなの?」
凜は疼く右眼を押さえたまま、セフィリアへ視線を合わせる。
「使えないわよ。法術は魔力を練り込んで扱うものだから、その力を砕いてしまうと法術としては発動できないの」
凜へ答えながら、腑に落ちない様子で表情を曇らせるセフィリア。
「なら、放っておいても大丈夫なの?」
「発動はしないから大丈夫だとは思うけど、組み直せば使えるから念のため処理していくわ……リン」
「何?」
「アンタの力の説明なんだけど」
「うん」
「実際にやってみた方がわかりやすいと思う。今、アンタの右眼には何が視えてるか聞きたいんだけど」
「右眼だね、ちょっと待ってて」
いつの間にか脈動の感覚が弱まった右眼。凜は抑えていた右手をはずし、右眼に映る光景を捉えて視えたのは。
「黒い…………玉?」
右眼に視える宙に浮いたピンポン球くらいの黒光りする玉。その中心には脈をうつ赤い小さな塊。
「アンタにはそう視えてるのね」
「えっ、僕にはって……セフィリアには視えてないの」
「私にはただの魔力の塊にしか視えてないわよ」
「また僕だけに視えてるなんて…………」
昨日『虚』の原形の魂――――あの男の魂が視えていた時同様、不可思議な現象に首を傾げる凜。
「じゃあ次はアンタに視えてる塊を触ってみて」
「う、うん」
混乱する頭で一先ずセフィリアの言う通りにした方が良いと、恐る恐る赤い塊に触れてみる。
瞬間」、
「くっ!?」
その身に深い亀裂が刻まれ、そこから赤い閃光が溢れ出す。
それと同様に黒玉も赤い閃光に切り刻まれるように亀裂が入り、それらは跡形もなく砕け散り、残骸が一つ残らず凜の右手に吸い込まれていく。
「………………」
「どう? これがアンタの能力よ」
「いや、どう? って言われてもわからないんだけど……わかりやすい説明してくれない?」
説明なしの実技で出た結果に凜は不満げにセフィリアを見上げ、
「一言で言えば、アンタの能力は魔力の『具現化封印』って能力なんだけど」
「魔力の『具現化封印』?」
聞いた事のない言葉に首を傾げる凜。
「そっ、幽霊は勿論なんだけど、私が使う法術や『虚』っていうのは魔力を『核』としてるってところが共通してるんだけど」
「うん」
セフィリアは右手で静かに凜の右眼を指差し、
「その右眼はアンタだけに『核』が視えるように姿を擬似的具現化させて、アンタの魂はそれを封印する倉庫の役割を果たしてるの」
言葉を追うように指先を凜の胸へと移す。
「なるほど、『虚』が消えたのは僕が『核』を体に取り込んだからっていうのはわかったよ……でも、ジュマって『死神』が僕の力は超激レア能力って言ってたけど、なんか地味な能力だね」
自身の能力の在り方に拍子抜けした凜に、
「あぁ、アンタの能力が珍しい理由は他にあって」
セフィリアが慌てて捕捉した。
「普通、人間でも『死神』でも魂が持てる魔力の量って限界があるんだけど…………『具現化封印』の能力を持ってる魂はそんな制限を無視して魔力を無限に取り込めるようになってるのよ」
「魔力を無限にって……それってもの凄いこと、だよね?」
拍子抜けしていた頭に、今度は突拍子もない驚きが入れ替わりにねじ込まれる。
「えぇ、アンタの魂をは私達『死神』にとっては強力無比な盾と矛と同じよ。アンタの魂を支配できれば相手の法術は全部封印できるし、その封印した法術の魔力を引き出して自分の法術を強化する事もできる」
「じゃあ、それが狙いで僕の魂を?」
「今のところはそれも一理ある、って感じね」
「一理って?」
凜の言葉に眉を寄せるセフィリア。
「それについては昨日も話したけど守秘義務範囲、かな。でも一つだけ言えるのはろくでもない事を考えてるのは確か」
「そう…………」
どこか不服そうに言葉を飲み込む凜にセフィリアは申し訳なさに唇を噛む。
守秘義務というのもあるが、情報として確証のない話をしても悪戯に迷いを生じさせるだけだ。
そもそも今後の動きを予測しようにもこちらの仮定している目的の信憑性が薄い上、別の目的があるような思わせぶりな行動も相まって安易に結論を出す事はできないこの状況。
そして何より自分個人としてもこれ以上、あやふやな話で凜の負担を増やすを望んでいない。
セフィリアは頭の中でグルグル走り回る疑問と不安に小さく息を吐き、
「まぁ、その話は頭の隅にでも引っ込めて。今はアンタが自分の能力を少しでも把握して貰えればいいから、話を戻すわよ」
「う、うん」
気持ちを切り替えるように、強引に話題を変える。
「一応、能力の基本的な部分は話したけど……質問とかある?」
「う、うん……昨日、僕が『虚』の『核』を取り込んだ時。【紅境界】も一緒に僕の中に入ってきたけど……あれはどういうことなの? それに傷も跡形もなく治っちゃったけど、あれも『具現化封印』の能力?」
ヤキモキしているセフィリアへ恐る恐る問い掛ける凜。
その問い掛けにセフィリアは「あぁ」と思い出したように質問に答える。
「【紅境界】が消えたのは『虚』に直接組み込まれた法術だったみたいだから。『虚』が魂を手に入れた場合と誰かに滅ぼされるか、封印された場合のどっちかを満たすと消えるようになってたみたい」
「じゃあ、僕が『虚』を封印したから元に戻ったんだ」
「傷が治ったのは……ハッキリとはわからないけど封印の時に、自分が持ってる以上の魔力を体に取り込んだ付加効果かも」
言葉の終わり際に自信なさげにセフィリアの声が小さくなり、
「付加効果……かもって?」
それにつられるように凜の声も心なしか不安に小さくなった。
セフィリアは凜の問いに顎先に人差し指を添え、
「この能力は凄く珍しい能力だから完全に能力を把握してるわけじゃないし、人伝に聞いた話だから何とも言えないんだけど……少なくとも私の知る限りじゃ魔力の『具現化封印』は封印特化の能力だから、魔力を封印して傷が治るなんて話を聞いた事がないの」
「じゃあ、何か他に似てる能力とかないの?」
「うーん、他の能力でこの力に似てるのはないかなぁ」
頭の中を巡る疑問を咀嚼するように唸るセフィリア。
「傷の事もそうだけど、それ意外にもう一つ気になる事があるの」
「何?」
セフィリアはおもむろに両腕を広げ、
「リン、私の魔力って視えてる?」
「視えてる? って聞かれても魔力なんて視えたことないからわかんないよ。」
ピントを合わせる様に目を細める凜。
セフィリアは開いていた腕を降ろし、神妙な面持ちで顎先に手を置く。
「魔力が視えているなら炎の揺らめきみたいに視えるらしいけど…………」
「全然。左眼と変わらないけど?」
「それがもう一つの気になる事」
「これが?」
凜の問い掛けに「そっ」と、セフィリアは短く答え。
「魔力で形成されている『核』が視えているなら、魔力の流れが視えてないとおかしいんだけど…………今のリンには視えてないみたいだし、もしかしたら違う能力の可能性もあるかも」
「違うかもって……ハッキリしないね」
「し、仕方ないでしょ? 聞いてた話と違うところがあったりして、私だって困ってるんだから」
どこか納得のいってない表情で唇を尖らせるセフィリアに、
「まぁ、僕はどんな能力でも良いんだけど……一応、法術はもう無くなったみたいだし、次の所に行こうよ」
凜は励ますように笑って見せた。
だが、凜の言葉に慌てたようにセフィリアはおろおろし始め、
「あっ、えっと…………まだ用事、が済んでないというか、その」
「用事が済んでないって…………何の用事?」
そんなセフィリアの様子に、微かな違和感を憶える凜。
「そ、そのっ…………」
いつも毅然とし、覇気に満ちたセフィリアの姿はなりを潜め。
「セフィリア?」
今は申し訳なさに背を丸め、顔を俯けるセフィリア。
心に渦巻いているものに押しつぶされてしまいそうなセフィリアの表情に、凜はもう一度声を掛けようと口を開いた時だった。
俯けていた顔を上げ、後悔の二文字をこれ以上ないくらいに張り付けた表情で花が添えられている出入り口を見つめる。
「…………ごめん」
「え?」
それは突然だった。
「アンタの日常を、ナツコの日常を壊して……ごめん」
まるで懺悔のように痛みに満ちた声。
「それに今回の事だけじゃない……十年前にも死神がアンタの母親を殺して、アンタから大事な家族も奪って」
「っ!? そ、それ誰から聞いたの?」
動揺に動揺を重ねる凜の問い掛けに、
「ランさんから。昨日、任務の時に…………」
自分へ更に罰を科す様に言葉を続けるセフィリア。
「謝って済む事じゃないってわかってるけど…………十年前の事も、今回の事も私達死神の責任だから。これだけは言っておかなきゃって思って…………だから、本当にごめん」
セフィリアは添えられた花から罰を求めるように凜へ視線を移す。
(―――――――――――――――予定外だったわ)
二、三日前までたった一言で夏子の死を済ませていたセフィリアが、今は気遣ってくれている。自分の悲しみを、夏子の死を心から理解してくれようとしている……先程まで感じてた悲しみが消えたわけじゃない。だが、少しだけ軽くなったような気がする。
それだけで充分だと、凜は心の底から思った。
「………………」
「………………」
それからしばらくの間。触れれば壊れてしまいそうな沈黙が続き、
「セフィリアは何も悪くないよ」
その沈黙を、痛みも悲しさも後悔も全てを優しく包み込むように凜は微笑んだ。
「っ!?」
思わぬ凜の言葉と微笑みに、セフィリアは目を見開く。
「セフィリアは何も悪くないよ。セフィリアは夏先輩を生き返らせに来てくれたんだからさ、悪いどころか僕はセフィリアにお礼を言わなきゃいけないんだ」
「お礼って……私にお礼を言われる資格なんて」
セフィリアは後悔が溢れた表情で、罪悪感に染まった声で懺悔の言葉を口にしようとして、それもできるだけ明るい声で、笑顔で、心からの感謝を込めて。
「セフィリアだって言ってくれたじゃない。僕は悪くないって、僕は何も悪くないんだって」
「そ、それは本当の事だったから…………」
「うん、だからセフィリアも何も悪くないんだ」
「リン………………」
欠片ほどの疑心もない純粋な笑顔で言い切る凜に、セフィリアの瞳が静かに揺れ声が詰まる。
「全部悪いのはジュマなんだ。なら、そいつをぶっ飛ばして夏先輩の日常も、運命も取り戻せば良い……」
決意を込めた力強い微笑みで、凜はセフィリアへ手を差し出す。
「だからセフィリアはあいつをはやくぶっ飛ばして、夏先輩を生き返らせてよ。僕も手伝える事があれば何でもするからさ、ねっ!!」
「っ………………」
セフィリアはその言葉に、差し出された手に視線を降ろし。
「ったく」
照れているような、ふて腐れているようなため息を付きガッ、と凜の手を握る。
先程まで後悔と責任、罪悪感に捕らわれていた影が消え、セフィリアが優しさに満たされた笑顔で嬉しそうに呟く。
「生意気!!」
「ははっ、そうだね。人間の僕が神様相手にこんな話し方じゃ失礼だもんね」
凜はセフィリアの笑顔に小さく笑い、申し訳なさそうに頬を掻く。
「友達でもないのに気安く話しかけてごめんね、これからはちゃんと様付けと敬語で」
話すようにします、と言おうとして。
「別に良いわよ……ソレで」
と、セフィリアは頬をほんのり上気させ、
「え、とっ……その、セフィリア様……ソレというのは?」
「だ、だからっ!! 友達よ、友達!! 今更様付けとか敬語で話されても気持ち悪し、同い年なんだからタメ口で良いってば!!」
凜の様付けを殴り飛ばすようにセフィリアが恥ずかしさにそっぽを向く。
「お、同い年!?」
「な、何よ? さっきは私の事、綺麗って言ってたけど老けて見えるわけ?」
凜の驚きに声に、先程とは違った意味で頬を赤くさせたセフィリアが顔を凜へと向け直す。
「その、『死神』って一応神様だから若く見えても……何十年とか、何百年とか生きてると思ってて」
「まぁ、私の先輩とかお師匠様は百年単位で生きてるけどね。私達『神』は本人の意志次第だったり魔力の量次第なんだけど、大体は成人するまでは人間と同じ様に成長してそこから魔力の量に比例して年を取るの」
「へぇ、神様にも寿命ってあるんだ」
「そこは人間と同じね、肉体が死ねば魂に、魂になればまた転生ってね。だから神様とか人間とか気にしないでさ、今まで通り話しやすいように話せばいいわよ。ランさんだって人間だけど、『死神』に何人もお茶のみ友達とか作ってるし」
「お茶のみ友達って…………」
神が友達。本来であれば絶対にあり得ない関係をさらりと容認するセフィリアに、凜は驚きを通り越し感心に苦笑いする。
「じゃあ、セフィリアの言葉に甘えて」
「ん?」
凜はセフィリアを真っ直ぐに見つめ、
「改めてよろしくね、セフィリア」
信頼の二文字を張り付けた笑顔の凜に、セフィリアは信頼を込めて微笑む。
「こちらこそ。よろしくね、リン」
互いに信頼を預けるように握手を交わす手に力を込め、どちらともなく手を放す二人。
「じゃあ、気を取り直して任務の続きだね」
「えぇ、そうね」
「次はどこに行く?」
「今法術の魔力の気配を辿ってみるわ。えっと、ここから一番近いところは……」
セフィリアは静かに瞳を閉じ、精神を集中させる。
脳裏に流れる魔力のイメージ。
河川の様に流れるいくつもの気配を辿り、
「ん、これって」
辿った魔力の違和感に目を見開くセフィリア。
「どうしたの?」
「ここで封印した法術と同じ欠片が他に二つあるみたい、一つはすぐが近くにあるわね」
「近くって、どの辺?」
「この位置は昨日の倉庫の辺りね。私が修復した時には無かったのに……いつの間に」
まるで小馬鹿にするように動くジュマへ苛立ちを募らせるセフィリア
と、そこへ凜のズボンのポケットからブブブッ!! と鈍い音が断続的に響いた。
セフィリアはその音に凜のズボンへ視線を落とし、
「ん? ケータイ?」
「ごめん、誰かから電話みたい」
凜は慌てたようにポケットに手を入れ、スマホを取り出す。
画面を見やるとそこに表示された着信相手の名を呟いた。
「あ、お祖母ちゃんだ」
「ランさんから?」
「うん、何かあったのかな?」
凜は通話ボタンを押し、耳に添える。
「もしもし」
『おぉ、凜や。今、商店街の辺りにおるじゃろ?』
「そうだけど、よくわかったね」と意外な言葉に目を見開きながら話を続ける。
『なに、魔力の気配を辿っていけば一発じゃよ』
「あぁ、やっぱりお祖母ちゃんもできるんだね……」
つい一時間前ほどの話が衝撃となって呼び起こり、呆れ顔でため息をつきかけて。
『まぁ、その話は置いておいてじゃ。夏子さんの事で電話したんじゃよ』
「夏先輩の事って!? まさか何かあったの!?」
蘭の言葉につい声を跳ね上げ、凜の声にセフィリアの表情が強張り、
『目を覚ましたのでな、その知らせじゃ』
吉報じゃな、と嬉しさに弾んだ声が返ってきた。
「ほ、ほんとっ!? ほんとに夏先輩が目を覚ましたの!?」
『本当じゃよ、夏子さんの事で嘘をついてもしょうがなかろう』
「う、うん!!」
凜は胸に溢れる温かいものに視界がぼやけ、一刻もはやく家へ戻ろうと決めた。
「セフィリアッ!!」
「わかってるわよ、ナツコが起きたんなら一旦帰った方が良いでしょ。それに目が覚めたなら『未練』についても少し話を聞いておかなきゃいけないしね」
セフィリアは凜の心を読んでいるかのように右眼を閉じ、はにかみながら凜へ告げる。
「うん、ありがとうっ!!」
凜はセフィリアの言葉に太陽のように輝く笑顔を咲かせ、
「お、お礼なんて良いわよ。それよりも今はナツコ……っ!?」
凜の笑顔に照れ気味セフィリアの手をバッ、と掴んで勢い良く走り出す。
「ちょっ!? リン!?」
突然、手を握り走り出す凜へ、驚きと困惑の声を上げるセフィリア。
だが、そんなセフィリアの声など凜には聞こえていないようで。
「お祖母ちゃん!! すぐセフィリアと一緒に帰るから待ってて!!」
『おぅ、気をつけて帰ってくるんじゃぞ』
凜の声に綻ぶ蘭の声がスピーカーから零れ「じゃっ!!」と通話を切り、ポケットへスマホをねじ込んだ。
「ちょっと…………」
セフィリアはもう一度声を掛けようとして、握られている手の感触に言葉が止まる。
子供のような小さな手から伝わる温もり。それは肉体的な熱もあったが、握られている手から伝わってくるのは静かで、優しくて…………
「…………ハァッ」
諦めに小さくため息を付き、自分の手を引く凜の後ろ姿を瞳に映しながら走る。
「………………」
夏子の為に走る凜の後ろ姿は、幼い体つきよりも大きく見えた。