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境界世界のブリガンテ  作者: りくつきあまね
神村 夏子
4/36

――― 迷いと約束と ―――

「…………………」

 どうしたら良いんだろう?

 自室のベットの上で何の飾り気もに部屋の天井とにらめっこを始めて一夜が明けた。

 昨日、セフィリアが居なくなってしばらくずっとこの状態。徹夜をしたのに頭は不思議なくらいハッキリしてる。

「母さんならどうするかな?」

 そう言って凜はベット脇の棚に置いてある写真を取り、小さい頃の自分を優しい微笑みを浮かべながら抱き上げている母を見つめる。

「生き返っても誰も自分のことを憶えてないのって辛いよね…………」

 人と違い幽霊がえる分、特別なところもあるだろう。だが、どんなに特別だったとしても結局自分はただの人間。それ以上のことは何も出来ないのだ。

 凜の脳裏に浮かんだのは夏子の葬儀後、帰宅途中に立ち寄った公園での出来事。

 その公園で死亡し、幽霊となった夏子と再会。再会の余韻にひたる間もなく、紅く塗りつぶされた世界で夏子を殺して死んだ通り魔の幽霊とも遭遇。死んで幽霊になった後でも夏子を襲おうとする通り魔と戦い、瀕死まで追い込まれてしまった情けない自分。

「あの子が来てくれなかったら…………死んでたんだな、僕」

 通り魔が凜にトドメをさそうとした時――――――セフィリアが現れ通り魔を大鎌で一刀両断。

「っ!?」

 セフィリアが通り魔を両断した情景が過去の出来事と重なり、喉の奥から込み上げてくるものを抑えるように口を手で覆う。

「く…………っ」

 込み上げてきたものを気力で抑え込み、小さくため息を溢す。

 十年前も『死神』と出会い、母を守れず。そして昨日も十年前と同様に夏子を守るどころか死にかける始末。

「…………十年も経ってるのに、僕は何も変わってないんだな」

 凜は写真を見つめ、胸の中をなじるざわめきに唇を噛む。

 夢と現実。その両方がどちらか一方に逃げる事を許さず、自分は無力な人間なんだと突きつけてくる。

「僕にできること、か……………」


(――――――女の子を泣かせちゃ駄目よ)


 突然、母の言葉が頭の中に浮かんで。

「…………そうだね」

 母が死ぬ前の日、添い寝をしてくれた時に約束したことだ。



(――――――どんなに自分が辛くても苦しくても誰かを泣かせることはしないこと。特に女の子は絶対泣かしちゃ駄目よ)



 その言葉が浮かぶと同時に、昨日、セフィリアが去った直後に夏子が見せた表情が過ぎった。

 夏子が見せた戸惑いと不安。そして悲しみで染まったあの表情に、心が締め付けられる。

 ――――――あの時、夏先輩泣いてしまいそうだった。

 凜は写真立てを棚に戻し、静かに伏せる。

 今の情けなくて何もできない自分の姿を母には見せられない。

 悔しさに噛みしめた唇が白くなり、

「………………」

重い沈黙が部屋の中に満ちはじめた時だった。


「凜!!」


 そんな重い沈黙を突き破るように、突然耳を突き抜ける大声。

「うわっ!?」

 鼓膜を突き破る気満々の大声に凜は耳を押さえ、声が飛んできた方向に顔を向けると。

「なっ!? 夏先輩っ!?」

 不満に頬をぷくっと膨らませ不満顔の夏子。

 目と鼻の先に夏子の顔があり、未体験ゾーンで見るこの上なしの美貌に思わず身を引く凜。

「い、いきなり驚かせないでくださいよ!!」

「驚かせないでって、何度も呼んだのに無視するのがいけないんでしょっ!!」

 まったく、と語尾に付け加え困り顔で宙に浮く夏子。

「な、何度もですか?」

 凜は夏子の言葉に一瞬「嘘ですよね?」と口に出しそうになったが、怒り顔半分困り顔の夏子に出かかった言葉を呑み込んだ。

「うん、いつも起きてくる時間に起きてこないって蘭さんが言ってたから起こしに来たのよ。でも、ついさっき部屋に来てみたらちゃんと起きてて、おはようって言っても返事してくれないし…………」

「そ、そうだったんですか……せっかく起こしに来てくれたのにすみませんでした」

 どこか拗ねたような口ぶりの夏子に謝罪と小さく頭を下げ、

「凜って朝弱いの?」

「いえ、いつもは目が覚めればすぐに起きられるんですけど」

どこか興味津々と尋ねてくる夏子に、凜は苦笑いで答える。

「ところで、今何時なんですか?」

 起こしに来てくれた夏子に問いかけながら、枕元にあった目覚まし時計に視線を移して。

「七時よ」

 夏子の答えと同時に瞳に映った時間に、

「えっ? もうそんな時間なんですか?」

「うん」

「っと、少し急がないと」

凜はバッと布団を払いのける。

 そのままベットから立ち上がろうと足を床に降ろし、

「時間、間に合いそう?」

「はい、いつもよりは遅いですけど大丈夫で」

心配そうに眉を寄せる夏子を見上げながら立ち上がろうとして、不意に視界が揺れた。

「あ、れ……?」

 立ち上がろうと力を込めた両膝は意志とは関係なく崩れるように床に付き、前のめりに倒れ込みそうになる体を咄嗟に床に両手をついて支える。

「り、凜!?」

 突然の事に声を上げる夏子。

「大丈夫!?」

「だ、大丈夫ですよ」

 頭の上から聞こえる動揺に揺れた夏子の声。その声に安心させる様に落ち着いた声で答える。

「ちょっとふらついただけですから」

「ふらついたって……」

「まだ寝ぼけてるのかな?」

 凜は誤魔化すように空元気で笑い、自分の体調に首を傾げる。

 たった一日徹夜しただけでも、体の疲れ具合って全然違うんだな……まだ若いから平気だって思ってたのに。

「本当に大丈夫なの?」

 不安げに問いかける夏子へ、凜は顔を上げる。

「そんなに心配しなくても」

 ――――――大丈夫ですから、と笑いかけようとして。

「っぁ!?」

 瞳に飛び込んできたものに慌てて顔を戻した。

「ん? 凜、どうしたの?」

 夏子は自分を見上げていた凜が逃げるように顔を俯かせた事に気がつき、

「い、いえ…………その」

耳まで顔を赤くする凜の様子にもう一度声を掛ける。

「なんだか顔赤いけど、やっぱりどこか具合でも悪い?」

「いっいえ!! いたって元気です!!」

 顔を俯かせたまま夏子へ両手をブンブンッ振り回す凜。

 その様子が何か焦っているように見え、夏子は首を傾げる。

「もう、ほんとにどうしたの?」

「いや、その……み」

 凜は顔を俯けたままどもりながらも声を出し、

「み、って?」

疑問符を浮かべる夏子へ恥ずかしさで破裂しそうな心臓を押さえ、意を決して告げた。

「み、見えそうですよ!!」

「見えそう? 何が?」

「す、すす」

「す?」

「スカートの中!!」

 凜は声を張り上げ、夏子ははじめは何を言われたのかわからなかったらしく凜の言葉を繰り返して。

「スカートの中……っ!!」

 すぐさまスカートを押さえ、高度を低くする。

 凜は恐る恐る夏子へと視線を戻すと、そこには顔を色んな意味で赤くした夏子が睨むように見つめていて。

「…………凜」

 震えているはずの声はどこか刃のような鋭さが光り、凜の口元が引き攣る。

 うっ、物凄く怖い。

「…………見た?」

 宿っていた鋭さは更に研ぎ澄まされ、その一言に凜の脳内に先程銀の瞳映った光景がフラッシュバックする。

 顔を上げた先には美しい脚線美を描いた夏子の白い脚が飛び込んで来て、そのまま引き込まれるように視線がふとももへと移り、スカートの裾へ。そしてそこからはハッと気がついた時には既に手遅れで…………。

 スカートの中の暗がりでもハッキリとわかる鮮明な。

「見たの? 見てないの?」

 瞳と脳に焼き付いた映像を切り裂くように、夏子の冷たい声に引き戻される凜。

「えっと……」

「…………」

 正直に言いなさいと夏子の視線が突き刺さり、今日は熊谷の視線に負けて口を開く。

「…………えっと、黒なんて大人っぽい夏先輩にピッタリ」

 ですね、と凜が言い切る前に。

「凜のバカーーーッ!!」

 夏子渾身の右平手打ちが凜の左の頬を寸分の狂いもなく打ち抜き、

「グベッ!?」

凜は部屋のドアまで吹き飛ばされた。

 問答無用で凜を殴り飛ばした夏子は怒りと羞恥に茹で蛸のように顔を赤らめて、

「凜のエッチ!!」

逃げるように床へ沈み、姿を消した。

「つぁっ…………」

 左頬を容赦なく打ち抜いた衝撃と痛みに涙目になりながら立ち上がる凜。

「ビンタって結構痛いんだなぁ…………」

 不可抗力とはいえ女子のスカートの中を見てしまったのだから、これくらいの仕打ちは受けて当然だとは思う、が…………。

 痛む頬をさすりながらクローゼットへと歩み寄り、ため息と共にクローゼットを開く。

「でも」

 凜はパジャマのボタンを外しながら、左頬に受けた代償にぽつりと愚痴をこぼす。



「ちょっとで良いから手加減して欲しかったなぁ…………」




††††††††††††††††††††††††††




 五分後。凜はパジャマから制服に着替え、二階に自室から一階のリビングへ。

 リビングに入る際、左頬がズキリと痛み歩みを止める凜。その痛みと共に胸の中で緊張と不安が入り交じった感情が膨れあがり、深くため息を付く。

 どうしよう……夏先輩と顔合わせづらいんだけど。

 わざとではないにしろスカートの中を覗いてしまった気まずさと申し訳なさに、今すぐ逃げ出したいと心の中で項垂れる凜。

 リビングで待っている夏子の冷たく突き刺さるであろう眼差しを受ける覚悟を決め、

「お、おはよう……」

覚悟の揺らぎを表すように怯えを含んだ声と共にリビングへと脚を踏み入れる。

 リビングに入ると予想通り、外れようのない予感が的中。夏子は椅子の後ろゆらりと浮きながら眉をつり上げ、鋭い目つきで凜を睨む。

「な」

 凜は先程の事を謝らなければと声を掛けようとして、

「フンッ!!」

不機嫌さを惜しみなくだし、そっぽを向く夏子。

 その夏子の態度に凜はどうすればいいのかわからず立ちつくし、

「やっと起きてきたのぅ」

台所で朝食の準備をしていた蘭が振り返る。

 淡い桃色の着物に割烹着を姿で、のほほんとした笑みを浮かべる蘭。

「お主がこの時間まで起きてこぬとは珍しいのぅ」

「あ、うん。ちょっと寝坊しちゃった」

 ハハッ、と短く苦笑いを続ける凜。

 普段であれば平日休日関係なく朝の六時には起きて、軽く身支度を調えてリビングに顔を出している。まぁ、今日はいつもより一時間の寝坊という事になる。

 蘭はコンロの火を止め、湯気の昇る味噌汁の入った鍋からお椀へ味噌汁をよそう。

「凜や、いつまでもそんなところに突っ立ておらんで座っておれ」

「あ、うん」

 凜は蘭に促されるまま席に着き、隣から漂ってくる重々しい空気に背筋がピンッと伸びる。

「………………」

「っ……………」

 無言の圧力に息を呑み、凜は横目に夏子の様子を伺う。

 凜と視線を合わせないようにしているのか、夏子は正面をじっと向いたまま微動だにせず無言で浮き続けていた。

 凜の視線を引き戻すようにパカッと炊飯器の開く音が鳴り、

「凜、ご飯はいつもの量で良いのかぇ?」

ご飯茶碗としゃもじをそれぞれ片手に間延びした声で蘭が問いかける。

「う、うん……いつもくらいで」

「そうか、では少し待っておれ。おかずも一緒に持って行くのでな」

 夏子の様子など気にしないとマイペースに話を振ってくる蘭に、凜は夏子の様子を伺いながら蘭へと引き攣った笑顔で答える。

「あ、ありがとう、お祖母ちゃん」

「なに、気にするでない」

 凜の言葉に満足げに笑みを溢し、茶碗にご飯をよそっていく。

 茶碗からほんのり顔を出す程度で止め、それを黒塗りの大きなお盆にそっと置く。それから続くように三枚の小皿を取り出し、おかずを盛ってお盆の上へ並べる。

 数十年と重ねてきた淀みのない所作で準備し、可愛い孫が待つテーブルへ朝食を運ぶ蘭。

 蘭は凜の正面にお盆に乗った朝食を淀みなく並べていき、

「わぁ、美味しそう」

と、並べられた品に仏頂面は消え感嘆の声をもらす夏子。

 炊きたて独特の光沢を放つ白いご飯に、味噌とだしの風味が香るワカメとジャガイモの味噌汁。柔らかな酸味がクセになるキュウリとタコの酢のもの。それに鮭の塩焼きにきんぴらごぼうと和食の一汁三菜という基本に則った献立。

「夏子さんには申し訳ないんじゃがの」

「あ、いえ。私の事はお気になさらずに」

 申し訳なさそうに夏子を見つめる蘭に、

「幽霊ですからご飯なんて食べられませんし、それに」

笑顔で答えた蘭の言葉が一瞬、詰まって。

「生き返ったら思いっきり食べますから。まぁ、太らない程度にですけど」

 途切れた時間を取り戻すように早口で言葉を続け、最後には苦笑いで自重の言葉を口にした。

「そうじゃのぅ」

「…………うん、そうだね」

 凜は夏子の様子に作り笑いで正面を向き直り、

「あれ?」

夏子が怪訝そうに眉を寄せ。

「蘭さんは朝ご飯食べないんですか?」

 凜の前に並べられている朝食を指さしながら、蘭に問いかけた。

「あぁ、儂はその日の気分で決めておるからな。今日は別に食べんでも良いかと思っての」

「き、気分って…………」

「僕も健康に悪いからちゃんと食べてって言ってるんですけど……お祖母ちゃんって気分屋で」

 わずかに驚きに顔を顰める夏子に、凜は面目ないと苦笑いで答える。

「ほれ、凜や。早く食べぬと学校に間に合わなくなるぞ?」

「あ、うん」

 凜は蘭に催促され、目の前に並べられた朝食に視線を落とし両手を合わる。

「いただきます」

 と一礼し、箸を取った。

 凜ははじめにお決まりのご飯、と茶碗片手に一口分を箸で掬い、はむっと一口ご飯を頬張る。

 炊きたてのご飯を咀嚼し、呑み込むタイミングを見計らったように蘭が問いかける。

「凜や、今日は何時頃に帰ってくる予定じゃ?」

「ん、帰ってくる時間?」

「そうじゃ、今日は儂もセフィリアの手伝いで外に出るからのぅ。町全体を見て回るのでな、少しばかり遅くなると思うんじゃよ」

「そうなんだ」

 凜はご飯茶碗と箸を持つ手を下ろし、チラリと夏子へ視線を合わせた。

「ん、どうしたの? 凜」

 夏子は凜の視線に気がつき、凜へと顔を向ける。

「いえ、その今日は夏先輩と少し町を回ってみようかと思ってて」

「わ、私と?」

 夏子は凜の言葉に微かに頬を赤く染め、上擦った声で自分を指さす。

「はい。昨日、セフィリアが生き返らす為には『未練』を解決しなきゃいけないって言ってましたよね?」

「う、うん」

「そうじゃな」

 凜は間違いがないか確認するように夏子と蘭へ視線を流し、夏子と蘭はそれぞれ頷き返す。

「だから夏先輩の『未練』の手掛かりだったり、それを思い出す切っ掛けみたいなモノを探そうと思って……それにまた明日から長い休みになるから時間もありますし」

「凜…………」

 夏子は凜の言葉に一瞬嬉しそうに顔を綻ばせ、すぐ様別の感情に表情が引き締まる。

「ん? 夏先輩」

 凜はそんな夏子の変化に「どうしたんですか?」と問いかけようとして。

「そうか、ならば儂から一つアドバイスじゃ」

 蘭の声に視線を正面に戻した。

「アドバイス?」

「『未練』を探すには思い入れの強い場所を歩き回ったり、仲の良い人物を尋ねてみたり……大切な物だったりを探してみると良いぞ」

「場所に人か…………ありがとう、お祖母ちゃん。とりあえず今日は学校と商店街で色々探してみるよ」

「それがよいじゃろ」

 蘭は満足気に笑って、

「それじゃワシは出掛けて来るぞ、戸締まりと火はしっかりするんじゃぞ」

「うん。いってらっしゃい、お祖母ちゃん」

 そう言って凜は蘭を見送って、作ってもらった朝食を手早く済ませようとして。

「凜……」

 それを遮るように遠慮がちな夏子の声が耳に入る。

「何ですか? 夏先輩」

「凜には凜の生活だってあるし……明日からまた長い休みじゃない。何か予定とか」

「特に予定とかもないですから気にしなくても大丈夫ですよ」

「でも…………」

「…………夏先輩」

 凜は少しだけ声を低くし、夏子に伝わるように優しく言葉を続ける。

「今、一番大切なのは休みをどう過ごすかよりも夏先輩を助けてあげることで。僕の休みよりも何十何百倍も大切です。だから大丈夫です」

 凜の言葉に信じられないと目を見開く夏子だったが、

「…………ありがとう、凜」

と、感謝に輝く笑みを見せる。

 そんな夏子の笑顔に凜はドキッと胸が高鳴り、

「お、お礼なんて……僕が好きでしてる事ですから」

夏子の笑顔を見ているのが恥ずかしくなり、素っ気ない口ぶりでご飯をかき込む。

 そこからは必然的に口数が少なくなり、食器と箸が擦れる音が静かに響くだけの時間。

 夏子はそんな静かな食卓で満ち足りた表情で凜を眺め、ぽつりと呟く。

「ご飯美味しい?」

「……美味しいですよ」

 凜はまだ恥ずかしさから立ち直れずに素っ気なく答え、夏子は「そう」と満足げに頷いた。

 凜はそれから一度も夏子へ視線を移す事なく食べ進め、夏子はただそれを隣でジッと見つめていた。

 ジッと見つめられ、恥ずかしさの中で食べる朝食の味は――――よくわからなかった。




††††††††††††††††††††††††††




 時計が刻む時間は午前八時二十五分。

 朝のホームルームまであと五分。

 教室の窓際。一番後ろの席に座り、凜は窓の外に広がる青空を眺めながらホームルームが始まるのを待っていた。

 夏子はと言うと三年の自分のクラスを見てくると言って、今は別行動。一応、右眼はコンタクト外したままで登校し、いつ夏子に話を持ち抱えられても大丈夫なようにしている。まぁ、いつでもと言うよりは周りに人がいない時にしか話せないが、夏子をる事ができるのは学校では自分一人だけ。その為、凜が夏子と話をしているところを他の人間に見られたら、誰もいないのに話をしていると痛い目で見られるから仕方がない。

 色違いの瞳に映る、今まで見てきた日常の風景。

 青空には自分のため息のように雲がいくつも浮かび、風に身を任せ流れていく。

「…………ハァ」

 空へため息を付き、、凜の脳裏に夏子の姿が浮かんでくる。

「………………」

 夏先輩、少し……いや、かなり無理してたな。

 今朝のリビングでのやりとり。自分が『未練』の事を口にした時の夏子の迷いに曇った表情が頭から離れない。

 凜は窓の外から教室へ顔の向きを変え、頬杖をしながら机を見つめる。

 夏子が見せた迷い。それは昨日聞かされた『事象回帰』の事だと、凜は確信めいた何かを感じていた。

 昨日、セフィリアに聞かされた『事象回帰』の問題点。

「生き返る時間が指定できない、か…………」

 凜はポツリと小さい声で呟いた。

 生き返る事ができても今の夏先輩の記憶は残ったままで、生き返る時間が昔に戻れば戻るほど夏先輩の周りの人間は皆、夏先輩と過ごした日々を忘れていく……ううん、忘れるんじゃなくて無かった事になるんだ。

 そして夏子には他に二つの選択肢が存在し、その二つも選ぶ事ができる。

 一つは『未練』を果たし成仏すること。そしてもう一つは『未練』を果たせずに現世に留まり続け『悪霊』になったところを、『死神』に魂を破壊されることになる。

 だが、この二つの選択は結果として同じ道を選ぶ事になる――――――それは現在の『神村夏子』としての死。

「………………」

 選択肢は三つあるようで実は二つだけ。しかも、どちらを選んでも生き返る事と引き替えに今まで歩んできた時間を捨てなければいけない。

「後悔しない選択、か」

 昨日、セフィリアが消える間際に凜達に言った言葉を噛みしめるように呟く凜。

「夏先輩、大丈夫かな?」

 そしてセフィリアの言葉を心に刻みつけるように同じく呟いていた夏子の姿に不安が沸き上がってくる。

 後悔しない選択。

 それはきっとどの選択肢を選んでも、手には入らないモノ。

 勿論、それは自分の価値観で出した答え。故にセフィリアが言っていたように後悔しない人間もいるのだろう。


「は………きっ」


 だが、その選択を迫られた時の――――――あの時の夏子の絶望に浸かった表情を見た瞬間。きっとどの選択肢を選んでも後悔する事になると直感してしまった。

 何故なら、どの選択肢を選んでも失ってしまうものがあるのだから。


「はぎ……き!!」


 ――――――夏先輩にとって最善の選択ってなんなんだろう?


「はっ、づき!!」


 凜はそこまで考えたところで一旦、自分の中で渦巻く葛藤と不安をはき出すように大きく息を吐き、

「萩月ってばっ!!」

耳元で響いた妙にドスの聞いた女の声に、ビクッと肩を驚きに跳ね上げる。

「うわっ!?」

「うわっ!? じゃない!!」

 驚く凜を制すように鋭い声が響き、凜は慌てて視線を正面に移した。

 そこに立っていたのは凜よりも頭半分ほど背の高い、背中まで伸びる赤みがかった黒髪の女の子。

「な、なに?」

 凜は驚きながらもその少女を見上げながら問いかけ、

「なに? じゃないわよ」

その質問にわりと整った顔立ちを呆れ顔に変え、ため息をついた。

 同級生の女子はため息混じりに、黒い大きなファイルを凜の目の前に突き出した。

 突き出されたそれには中央に白いシールが貼られ、達筆な字で『日誌』と書いてあった。

「日誌?」

「萩月、今日はアンタが日直でしょっ!! 早く先生呼んできてよ」

「へ? そうだったっけ?」

 凜は忘れていた事をとぼけるように頬を掻きながら愛想笑いをして、

「いや、そうだっけって……いいから早く先生呼んできて……ん?」

「何?」

「萩月ってさ」

自分の顔を覗き込んでくる同級生に嫌な予感が奔る。

「右眼。瞳の色とか形違わない? カラーコンタクト?」

 凜はその言葉に思わず右手で瞳を隠し、

「う、うん。いつもがカラーコンタクトなんだ、今日はコンタクトするの忘れちゃって……はは、少し気味悪いでしょ」

やや硬い笑みで答えた。

 凜は「そうね」と、答えが帰ってくると思い身構えたが同級生はポンと軽く答えた。

「全然。別に気にならないけど?」

「そ、そう?」

「ええ、まぁ人それぞれだと思うけどね」

「そう、なんだ……」

 その答えに気が抜けた返事が出て。

「そんな事はいいからさ、先生呼んできてよ。うちの担任は時間守らないんだからさ」

 少し大きめの呆れ声にクラス中の視線が凜に集まって。

「う、うん。呼んでくるね」

 催促の視線に凜は慌てて立ち上がり、そそくさと教室を出る。

 廊下の壁にはお決まりの「走るな」と書かれた貼紙が貼られていたが無視して走り、

「………………」

凜は中断させられた夏子の選択について思考を奔らせる。

 昨日の夜から考えてるのに、全然答えが出ない。

 まぁ、当然と言えば当然なんだけど…………答えが出ないなら出ないなりに、何か夏先輩の為に僕にできる事でもあればいいのにな。

 凜は朝起きてからもう何度目かわからないため息をつき、

「あっ!!」

あることに気がついて足を止めた。

 そのまま後ろを振り返り、凜は項垂れながら一言。


「…………職員室、こっちじゃなかった」




††††††††††††††††††††††††††




「い、いただき……ます」

 温かな日差しの下で気まずさに萎んでいく声と。

「…………どうぞ」

 萎んでいく声にトドメをさすように、一切感情を隠すつもりのない不機嫌な声が押しつぶすように響く。

 声の発生源は学校の屋上。屋上の出入口脇にある梯子を登り、一段高い場所には気まずさに顔を引き攣らせる凜とそれを恨めしそうにジトッとした目つきで睨む夏子の姿があった。

 午前中の授業が終わり、時間は昼休み。約一時間程度の昼食時は学生にとってはつまらない学業において数少ないオアシスの一つであり、最も過酷な戦場へと変わる時間でもある。

 いつものように屋上で昼食を摂ろうとやってきた凜と夏子だったが。

「あ、あの…………」

 刺すような夏子に視線に、苦しげに呟く凜。

 膝の上には蘭が作ってくれた弁当が蓋を開けた状態で待ち構え、隣には恨めしさに目を細める夏子。

「な、夏先輩……その、ですね」

「どうぞ、気にしないでお昼ご飯食べて。私は食べれないけど」

 恨めしさ全開の声と笑顔で言われると、凜は食欲が刈り取られていくような気がした。

 夏先輩は生前、かなりの大食いとしてこの辺りでは名前が知られていた。

 商店街の食堂のメニューを一人で全部食べるのは当たり前、某番組の大食い選手権では各ステージ事に驚異的記録を残し当時の大食い女王を難無く撃破。ほぼ一人舞台で、次回番組参加のオファーが来ていたようだが断ったらしい。

 断った理由が「もっと楽しく食べたい」と言う理由だった。

 幽霊になったから食べ物なんて食べる必要がない、というか物に触れられないから食べられない。それが目の前でご飯を食べられたらそれは腹が立つんだろうなぁ、と思う。

 ちなみに弁当の中身は出汁巻きたまごに唐揚げ、筑前煮にキュウリの漬け物。そして白いご飯の上には彩りの為か定番の梅干しが乗っていた。

「その、こればっかりは諦めてください」

「ふんっ!!」

 夏子は拗ねたのかそっぽを向いて、凜はため息混じりにご飯を一口頬張る。

 拗ねた夏子を凜は横目でチラッと見る。

 あまりゆっくり食べても嫌味に見えるだろうし、少し急いで食べよう。

 いつもより咀嚼の回数を減らし、食事の速度を上げる凜。

 まぁ、食べられないことはないんだよなぁ…………でも、それは絶対に夏先輩はしたくないだろうし、僕だって気まずい。

 凜は申し訳なさを押し殺して、黙っていようと決めた。

 結果的にはこれがどっちに対しても最善だと思う。

 凜は早く済ませようと黙々と食べ進めて、夏子は凜の横で「うーん」と眉間にシワを寄せて唸っていた。

「……っ……ん」

 半分程食べ進めた辺りで、

「あーーーーっ!! わかった!!」

夏子が飛び出すように勢いよく立ち上がった。

「ど、どうしたんですか? 夏先輩」

 突然の事に凜は驚きに目を見開き、夏子は気味が悪い満足げな含み笑いを凜に向けて。

「んふふっ!!」

「……夏先輩?」

 何だろ? 物凄く嫌な予感がする。

「私、物には触れないけど凜には触れるんだよねぇーーーーっ」

「そ、そうですけど?」

 やばい、気づかれたかも。

 内心ハラハラと凜は背中から汗が吹き出して、

「私、『口移し』なら食べられと思うんだよね」

夏子はわざとらしく赤面し、自分の唇に人差し指を沿える。

 僕の嫌な予感は当たらなくていい時に良く当たるんだよなぁ……と、凜は心の中で恨めしさに肩を落とした。

「…………まぁ、食べられないことはないと思いますけど」

 背中から滝のように流れる汗を感じつつも、表情は平静を死に物狂いで保つ。

「ねぇ、試してみよう?」

「そうですねぇ」

 凜は夏子の提案をさらりと流し、少し食べる速度を上げる。

 最初は夏子も余裕の表情で凜を見つめていたが、ただ黙々と弁当を食べ進める凜の様子に少しずつ焦りが見え。

「ちょっ……り、凜? 私、お弁当食べられるか試してみたいんだけど……」

「んくっ…………もぐ、ん、そう……ですね」

 凜は夏子を全く気にせず更に食べ進める速度を上げる。

「ちょっ、凜!?」

 夏子は凜が食べ進めるのを邪魔しようと手を伸ばし、凜の口元にあてようとして。

「んぐっ、はっ!!」

 凜は裂帛の気合いと共に声を上げ、残りのご飯とおかずを一気に口にねじ込み、

「ごふっ、んぐっ!!」

口から漏れそうになるご飯を両手で押さえ込んで無理矢理飲み下す。

 飲み下した後は思いっきり咳込んで、買っておいたお茶を同じように一気に飲み干した。

「…………はぁっ!! く、苦しかった…………」

 凜は弁当という難敵に勝ったという達成感と、夏子の提案を阻止した安堵感に大きく息を吐いた。

 もう一息、息をつこうとして首を握り潰さんばかりの衝撃が奔り、

「ぐぇっ!?」

「凜のバカ!! 何で全部食べちゃうのよ!?」

大きな瞳にうっすらと涙をためた夏子が凜の首を両手で締め上げ、ブンブン振り回す。

 け、頸動脈が絞まって!? ま、まずい!! 本当に落ちちゃう!!

「そんなに私に飢え死にしろっていうの!? 凜は私がご飯食べられなくても良いっていうの!?」

「いやっ、もう死なないし……というかもう、食べなくてもっ!?」

 い、意識がっ。

 僕は徐々に薄くなっていく視界に危機感が膨れ上がって、

「ぐっ、も…もう、限界!!」

「へっ?」

夏子の両手に手をかけ、無理矢理引きはがしながら体をねじってコンクリートの床に転がるように倒れ込む凜。

「ゴホッゴホゴホッ!!」

 凜解放された頸動脈に血が流れる感覚と酸素を吸収している感覚に生きてる実感を感じ、肺を満たしてくれた酸素を二酸化炭素にして全力で叫んだ。

「僕を殺す気ですかああああああっ!?」

「だっ、だって凜が私にご飯食べさせてくれないから……その、つい」

 夏子は申し訳なさを感じてるようだったが、まだ納得いってないようで少し拗ねた感じで口を尖らせていた。

「僕の命と一食分のご飯は同じくらいですか!?」

「ご、ごめん…………」

 凜の心からの叫びに夏子は肩をガクッと落とし、凜はそれを呆れたように見詰めた。

「確かに夏先輩がご飯を食べたい気持ちは僕にもわかります。でも、いくら食べるのが好きで我慢でき無くてもですね、夏先輩だって女の子なんですから簡単にく、く……口移しなんて」

「い、嫌だった? 私的にはかなり名案だったんだけど……」

 凜の様子を伺っているのか、顔は遠慮気味に伏せられ上目遣いで見つめていた。

「いや、嫌っていうか…………その、えっと…………」

 抵抗があるのは事実だが、良く考えれば幽霊とはいえ夏子はぶっちぎりで学校一のアイドル。容姿端麗、眉目秀麗、清楚可憐など様々な褒め言葉でも足りない。成績も学年トップで人辺りも良し、炊事も家事も文句なしの完璧超人。

 そんな夏子と恋人でもないのにご飯を口移しで世話をするなど、はっきりいって夢物語。

 他の男子達でだったらきっと血の涙と鼻水を垂らしながら喜ぶんだろうなぁ、と凜はしみじみ思いながら夏子を眺める。

 凜も年頃の青少年。そういうことに全く興味がないと言ったら嘘になる、が。

「と、とにかく!! 今はこんな事をしてる場合じゃないんですよ」

「えぇーーーっ!? ちゃんと答えてよぉ!!」

「ぼ、僕の答えなんて別に関係ないじゃないですか。そ、それに昼休みの時間も限られてるので、確かめておかないといけない事もあるじゃないですか!!」

 これ以上、話が思春期特有のピンク色に進む前に強引に話を変える凜。

「もう、別に答えてくれたって良いじゃない」

 それにぷくっと両頬を膨らませ、

「それで……確かめたい事って?」

 話をはぐらかされ俄然不機嫌になった夏子に、凜は小さくため息を漏らした。

「午前中、学校の中を見て回ってみるって言ってましたけど…………何か『未練』とかに関係ありそうな事は思い出せましたか?」

 午前中、別行動を取っていた時の話を重々しく持ち出す。

 夏子も気を引き締めるように小さく息を吐き、

「……ううん、特に何も」

と、首を小さく横に振った。

「学校全体を回ってみたけど……何かを思い出したって事はなかったかな」

「そう、ですか……」

 学生にとっては学舎としての意義とは別に特別な場でもある学校。

 三年間という限られた時間の中で多くの人と関わり、それに比例した数だけの掛け替えのない思い出を築き上げていく場。

 学校であれば何かしろの手掛かり、もしくは『未練』を思い出す為の切っ掛けが掴めるかもしれないと少しだけ期待をしていたが、現実はそんなに甘くないようだ。

「となると、あと夏先輩と関わりが深い場所は…………」

 他に関連性のありそうな場所を、と顔を俯かせ考え込んでいる凜だったが。

「でも、ね」

 夏子の静かで悲しげな声にバッと顔を上げる。

 すると、顔を上げた先には今にも崩れてしまいそうな、悲しい笑みを浮かべる夏子の姿。

 そのあまりに弱々しい姿に、

「どう、したんですか?」

凜は言葉を詰まらせながらも問いかけ、夏子は震える声で重い感情を言葉にしていく。

「私のクラスの教室に行ったんだけど、ね。私の席に、さ…………花が置いてあったんだ」

 三年生になってまだ一ヶ月も経っていない机とイス。その上には白の花瓶に花が一輪生けてあり、その花もまた汚れない純白の花だった。

「クラスの皆もさ、なんか暗い顔で……クラスの雰囲気も凄くよそよそしくてさ」

 震える声から少しずつ感情が削られるように、声だけでなく表情からも感情が消えていく。

「わかってるんだけど……わかってたはずだったんだけど」

 認めたくないものを突きつけられ、それが当たり前なんだと自然に告げられたように――――『死』というものを理解した。

「もう、私はそこにはいないんだって。私は二度とここには戻れないんだって…………私は死んだんだなって」

 理解した現実の冷たさに、その悲しみに押しつぶされてしまいそうな夏子。

 その様子に凜が名を呼び、

「な、夏せ」

「凜。私、どうしたらいいのかな?」

悲しみに満たされた冷たい瞳が凜の声を遮る。

「昨日、セフィリアさんから話を聞いた時から……ずっと考えてた」

 声の震えが少しずつ、体を蝕んでいくように広がっていく。

「生き返っても、皆が私の事忘れちゃうかもしれないって聞いた時…………誰も私の事を憶えていてくれないなら生き返っても意味なんて無いと思った」

「っ…………」

 夏子の心を蝕んでいるものの大きさに、ただ凜は聞く事しかできなかった。

「今、私が幽霊でも皆が私の事を憶えていてくれるなら幽霊でも良いかな、って……それに凜や蘭さんみたいに幽霊でもそばにいてくれる人がいるなら、私は一人じゃないんだって…………そう、思ってたのに」

 悲しみを宿していた瞳が暗く重いものになっていく。

「でも……さっきクラスの皆の顔を見たら」

 夏子は胸の奥から込み上げてくるものを必死に堪えながら、

「皆と一緒にいたいって……皆の側で、皆と笑っていたいって」

心に渦巻いていた迷いをはき出していく。

「夏、先輩…………」

 迷いと悲しみに押しつぶされてしまいそうな夏子の姿に凜の瞳が戸惑いに揺れ、

「そう思う自分がいるってわかったら……もう、どうしたらいいのかわからなくて……凜、私…………どうしたらいいのかな?」

そんな姿に凜の瞳から戸惑いが消え、静かで揺るぐ事のない意志の光が宿る。

 凜はただ静かに、自分の想いを口にする。

「僕は夏先輩に生き返って欲しいです」

 これはなんの嘘も偽りもない、ただ純粋な想い。

 生き返ってしまえば思い出を失う事も、『未練』を果たして成仏する事も、『未練』を果たせずに『悪霊』になって魂を壊される事も……何も関係ない、ただ純然たる想い。

「ただ夏先輩がこのまま幽霊のままで良いって思っているなら僕は夏先輩が『悪霊』にならない方法を探してみせます。でも、やっぱり生き返りたいって思うなら僕はそれを全力でサポートします」

「……でも、それは」

「わかってます。生き返ってしまったら夏先輩の事を皆が忘れて、今まで大切な人達と過ごしてきた掛け替えのない思い出が消えてしまう。僕だってそんな事になるならって思います。でも、そうならない方法を探してみせます」

「そんなの……無理よ」

 弱々しい声ながらも、凜の想いを否定する夏子。

「そうかもしれません。でも、きっと何か方法があるはずです」

 弱々しかった声は次第に感情が宿りはじめ

「セフィリアさんだって……神様だって方法なんて無いって言ってたじゃない」

「たしかにそう言ってました」

「神様だって無理なのに凛にできるわけ無い、じゃない」

さっきまでとは別の感情に震える声。

「神様にできない事を人間の凜にできるわけないっ!!」

 溜め込んでいたものを吐き出すように、心に渦巻いていたモノを撒き散らすように。今まで抑えていた感情を剥き出しにして叫ぶ。

「確かに神様に出来ないことが僕に出来るなんて、そんな甘い事考えてません」

「考えてるからそういう事が言えるのよ!!」

 どんなに平気な顔をしていても心の中ではずっと苦しんでいた。

 未練を思い出せない焦りに【悪霊】になってしまうかもしれないという不安。そんな中で生き返る事が出来るという希望を見せられて、それと引き換えに失ってしまう大切な思い出への葛藤。 生きている自分などが理解できるはずがない大きな暗闇の中で戦っていたのだ。

「聞かれたことには答えるけど聞かれないことには答えない、セフィリアがそう言ったの憶えていますか?」

「憶えてるわ、昨日の今日だもの。忘れるわけないじゃない」

 夏子は憤りに震える声を抑え、言葉を返す。

「じゃあ、僕が皆が夏先輩を忘れないようにすることは出来ないの? って質問した時は何て言ったか憶えてますか?」

「ええ、全員が憶えているのは無……って!?」

 夏子は凜の言葉の意図に気がつき、凜はわずかだが口元が緩んだ。

「全員が、って言いましたよね」

 そう、あの時セフィリアはそう言った。

「もしかしたら駄目かもしれない、でもあの時に僕は誰か一人でも憶えてることは出来ないの? って聞かなかったんです」

 異常な状況の中、考えがぐちゃぐちゃになっていて正直、諦めかけてたところもあった。

「可能性はまだ残ってます。でも、もしそれが駄目でも……他の皆が忘れてしまっても僕だけは絶対に夏先輩の事を憶えてます」

 凜は心の中で、セフィリア……いや、『死神』を含めた全ての【神】に叩き付けるように誓う。

 ――――僕は絶対に夏先輩の事を忘れない。例え神様全員を敵に回しても、絶対に忘れてやらないし、忘れない代わりに代わりに何かを引き替えにしろと言うのなら、代償が必要だというのなら、自分からならいくらでも持っていけば良い。

 顔を見られたくないのか、夏子は顔を俯かせ。

「………………そんなの、わからないじゃない」

「そうですね、でも夏先輩」

 そう言って凜は夏子の頭を撫でて、夏子がまた笑顔でいてくれるように精一杯笑って見せた。

「嫌だって言っても忘れてあげませんよ?」

 それは夏子が望んだ答えにはなっていないかもしれない。だが、今の自分にはこれが精一杯の答え。

 なんの根拠も説得力もない凜の笑顔。

 だが、その笑顔はどうしようもなく温かくて、優しくて、力強くて。

「っ!!」

 どこまでも純粋な凜の笑顔に、夏子は凜に飛び込むように抱きついた。

「…………へ?」

 突然起こった出来事に素っ頓狂な声を出す凜。

 不意に前身を包む柔らかい感触と生前の残り香か、桃のような甘い香りが凜の思考を真っ白にしていく。

「…………」

「…………」

 夏先輩がいきなり僕に抱きついて…………? えっと、なんでいきなり? あの話の流れでこんな風になるの?

 凜はあまりにも突然で、あまりにも唐突な夏子の行動に驚いた。だが、このまま密着してると色んな意味で非常にまずい気がして急いで夏子を引き離そうとした時だ。

「っうぅ」

 耳元で聞こえてきた夏子の弱々しい嗚咽。

「夏、先輩…………?」

「うぅっぁ、うあぁぁぁあああああっああああ!!」

 堰を切ったように大声で泣き出す夏子。そして、凜はそれをただ黙って聞くしかなかった。

「うっうぅっぐ、うあっぁあ」

 いつまでも響く夏子の嗚咽に、凜はそっと背中に腕を回し、優しく背中をさすった。

 どんなに綺麗でも、どんなに格好良くても、どんなに大人びていても……自分よりずっと背が高いはずの夏子の背中は、思っていたよりずっと小さくてずっと儚くて――――やはり女の子だ。

「うあぁああっ、ぅぐっひぐっうぅ、あああっ!!」

「…………たくさん、たくさん泣いてください」

 泣きじゃくる夏子の背中を少しだけ、本当にほんの少しだけ強く抱きしめる。

 夏子は凜の抱擁に押されるように声を上げて泣いた。

 心に溜め込み沈めていたモノを吐き出すように。

 それからしばらくの間。夏子の泣き声と嗚咽だけが響き、凜はそれを受け入れるようにただ静かに抱きしめ続けた。

「………………………」

「………………………」

 どれだけの時間がたったのかわからないが、少しずつ夏子の声は小さくなっていき、嗚咽も静かに治まっていた。

 訪れた静寂はどこか心地良く、先程の物々しさなど無かったように二人を優しく包む。

 そしてその心地良い静寂にどちらとも無く離れ、

「……約束、して」

「え?」

夏子は凜の手をそっと掴み、胸の前で両手でぎゅっと握る。

「約束して、絶対に私の事忘れないって……絶対に憶えてるって」

 凜の姿が黒みがかった瞳に映る。

 凜が映し出された瞳にはもう迷いなど無く、悲しみも苦しみもつけいる隙も無いほどに強く温かい光が静かに瞬いていた。

 凜は夏子の想いに、願いに誓うようにもう一度口にした。

「はい、憶えています。世界中の誰もが夏先輩の事を忘れても、僕だけは夏先輩の事を憶えています、絶対に」

 握られた強さと同じくらいに自分の気持ちが伝わるように夏子の手を握り替えして、

「…………」

「…………」

僕と夏先輩は互いに無言で見つめ合ったまま。


 二人の誓いに終わりを告げる昼休みの終了の鐘が高らかに響いた。


「あっ!!」

「っ!?」

 雰囲気台無しの鐘の音に、凜と夏子は同時に首まで真っ赤に染め上げバッと勢い良く離れる。

「ひっ、昼休み終わったちゃったね!!」

「そ、そうですね!!」

 正に茹で蛸状態といった二人は自然さを取り繕うとして。

「いいい、急がないと次の授業に遅れちゃうよ!!」

「は、はい!! じ、じゃあ、僕はこれで!!」

 ぎこちなさに声や表情はおろか、体の動きもできの悪いゼンマイ式の人形のようにガチガチだ。

 凜は慌てて弁当を包み、落ちるように梯子を滑り落ちる。梯子を下りきると同時に屋上の出入口のドアを乱暴に開き、凝り固まった声を張り上げる。

「じゅ、授業が終わったら校門でっ!!」

「う、うん!! わかった!!」

 夏子も羞恥で上擦った声で返し、バタンッとドアが閉まる。

「………………ハァ」

 屋上には夏子のため息が響き、恥ずかしさでポーッとする頭を冷ますように勢い良く振った。

 そのおかげか恥ずかしさはあったものの、少しだけ落ち着きを取り戻した夏子はそっと胸に手を添えた。

 生を刻む鼓動は感じない。だが、胸の奥で儚くも確かな温もりを感じる。

「…………凛」

 先程のやりとりを思い起こすと、胸の温もりがより熱を帯びる。


(世界中の誰もが夏先輩の事を忘れても僕だけは夏先輩の事を憶えています)


 凛が夏子に向けて言った言葉。

 その言葉があまりにも強烈すぎて、

「世界中っていうのは言い過ぎじゃないかな?」

言葉とは裏腹に心は凄く満たされてる。

 たった一言。自分の全てを包んでくれる、そんな安心感。生きていた時でさえこんなにも誰かの言葉が心に響いた事なんて無かったと思う。

「………………」

 余韻に浸りながら空を見つめて。

「いっ……っつう!!?」

 唐突にこめかみに釘を打たれたような痛みが奔り、視界が微かに揺れる。

「な、何……? また、頭痛?」

 それもほんの一瞬の頭痛。

「私、死んでるのに…………なんで?」

 昨日、通り魔に襲われた時にも感じた痛み。

「そういえば、あの通り魔の人も凜に殴られた時は痛がってたっけ」

 体が無くても痛覚自体は無くなっていないのか、と首を傾げる夏子。

「頭痛って事は風邪……なわけないか。幽霊が風邪ひくなんて聞いた事ないし」

 夏子は自分の言葉にあり得ないと小さく笑みを溢し、ながら再び空を見上げる。

「はやく授業終わらないかなぁ」

 どこか嬉しさに弾む声で呟く夏子。

 それから夏子は約束の時間まで屋上で一人、満たされた笑顔で空を見上げていた。




††††††††††††††††††††††††††




 時は遡り――――――時刻は午前八時。

 凜達の通う高校から徒歩で約三十分程の距離。町の中心部として位置する商店街。

 朝の早い時間という事もあり、通勤に通学、商店街も各々開店準備と賑わいも少しずつ盛んになってきていた。

「………………」

 商店街の通りを行き交う人々の姿を、黒衣を身に纏った金髪の少女が静観していた。

「………………」

 商店街の入り口。南側に位置する巨大なゲートの上。

 セフィリアはそよ風と戯れる長い金髪を後ろに払い、

「待たせてすまんの、セフィリア」

背後から聞こえる幼い声に後ろを振り向いた。

「ランさん」

 セフィリアは着物姿の少女、もとい老女に敬意を込めた笑みを浮かべる。

「約束の時間に少し遅れてしまっようじゃ」

「いえ、気にしないでください」

「そう言って貰えるとありがたいのぅ」

 蘭はセフィリアの言葉に苦笑いを浮かべながら歩き出し、

「随分と高いところで見ておるのぅ、周りの人間に見えんように視認妨害の結界法術は張ってあるかの?」

「それは勿論。そうでなければこんな目立つところで話したりしませんよ」

「それもそうじゃな」

セフィリアの隣に立ち、足下を通る人並みを眺める。

「ゴールデンウィークでもお勤めとは大変じゃのぅ」

「ゴールデンウィークって……確か長期の休日でしたよね?」

 蘭の隣でセフィリアが確かめるように問いかける。

「あぁ、そうじゃよ」

「そうでもない人間もいるみたいですけど、仕事が休みの日があるってちょっと羨ましいなぁ」

「羨ましいとな? セフィリアでもそう思う事があるんじゃのぅ」

「まぁ、少しだけですけど……」

 意外そうに驚く蘭に、セフィリアは自分の言葉に自嘲気味に笑みを溢して、視線を下へと静かに降ろす。

「私達『死神』が任務で動く事が少なければ少ないほど、それだけ人間達の運命が安定してるってことですから」

「また、確かにのぅ…………」

 セフィリアの笑顔の奥に見えるのは明確な痛みの感情。

 自分を責める、そんな痛みに耐えるセフィリアに蘭は静かに頷く。

「刈り取る魂の中には、ほんの少しですけど残り時間がある魂もあって……悪人なら容赦なく刈り取りますけど、善人であれば最後まで生きて欲しかったって思いますから」

 セフィリアは疼く痛みをはき出すように小さくため息を付き、

「まぁ、こんな事言ってもアイツには――――嘘だ!! って言われると思いますけど」

「凜のことか?」

「えぇ」

セフィリアは顔を上げ、困ったような笑みを浮かべながら蘭に顔を向ける。

「あの子、よっぽど私達の事が嫌いなんでしょうね。私を見る目つきなんてランさんやナツコって子を見る時と違って物凄く目つき悪いし。昨日、怪我を治してあげた時なんて『信用できない』って言われちゃいましたから」

「まぁ、あの子は……特別じゃから、の」

蘭はセフィリアの言葉にばつが悪そうに声が濁る。

 一度も見た事の無かった蘭の態度に、セフィリアは怪訝そうに口を開く。

「アイツが、特別? それってどういう意味ですか?」

「それは…………」

 蘭は答えを言い淀み、数秒の沈黙の後。

「あの子は、凜は…………母親を『死神』に殺されておってな。それも、あの子の目の前で」

 冷たく、重い言葉にセフィリアの目が驚きに見開かれ、

「こ、殺されたって……魂の刈り取りじゃなく?」

「あぁ、言葉通り…………殺されたんじゃよ・・・・・・・・

蘭は忌まわしい記憶を握りつぶすように小さな手で拳を握った。

「凜が六つの時じゃったな、家の近くの公園で襲われたようじゃ」

「お、襲われたって……なんで死神が任務でもないのにアイツの母親を?」

「それは」

 蘭はセフィリアの問いに答えようとして、一瞬だけ声が途切れ。

「儂にもわからんのじゃ」

 その一瞬を取り戻すように首を横に振り、遠くを見つめるように視線を前へと上げる。

 自分が駆けつけた時には既に凜の母は殺されており、その死神も自分の姿を見るやいなやすぐ様逃げた。

 すぐにその死神を追うつもりだったが、泣きじゃくる凜を一人残してはいけず取り逃がしてしまった。

「凜の母を殺した死神の素性は一切わからんでな、なんの手掛かりもなく十年もたってしもうたよ」

「そ、そんな…………」

 風化などしない深い悲しみを湛える紫の瞳が、過去から現在に焦点を合わせ、

「あまり気持ちのよい話ではないしの……この話はここまでにして話を戻すとするかのぅ」

蘭は握っていた拳を解きながらセフィリアを見上げた。

「は、はい」

 セフィリアも気持ちを切り替えるように頷き、姿勢を正す。

「まず最初に何故、お主が来たのかを知りたいんじゃが」

 蘭の言葉に見え隠れする冷たい響きに、一瞬セフィリアの表情が強張る。

「何故って……任務でとしか」

「じゃからじゃよ。お主の上司、オルクスからはお主を手助けしてくれと言っておったが…………夏子さんの復活と町の魔力調整程度の任務。この町の管理官である『第二級クラス・セカンド』の『死神』でも事足りると思うのじゃが?」

 事の真意を見極める。その言葉を示すように蘭の大きな瞳は鋭くなる。

 蘭が口にした『第二級クラス・セカンド』。それは『死神』においての力の階級だ。死神の階級は魔力最大量と基本戦闘技術、法術取得数をベースに選定。階級は上から順に『第一級クラス・ファースト』・『第二級クラス・セカンド』・『第三級クラス・サード』の三階級に分けられる。

 『死神』の中で唯一『第一級クラス・ファースト』は無制限粛清権を有しており、現世から黄泉、天界と様々な世界で任務をこなす事が出来る言わばエリート。主な任務は天界において『第二級クラス・セカンド』の育成と有事の際の討伐任務だ。『第二級クラス・セカンド』は現世と黄泉でのみ行き来が許され、そこから細かく管理地域まで決められている。範囲内での『霊現体ゲシュペンスト』の管理や【悪霊】の討伐などが主な任務だ。『第三級クラス・サード』は主に上位に階級の助手が主な役割。

「それは……」

「『第二級クラス・セカンド』の死神の魔力を感じなくなったのと何か関係があるのじゃろ」

「っ!?」

セフィリアが答える前に確信、と言った感情を込めた声を突き刺す。

「この町を管理しておった『死神』の魔力を感じなくなったのは確か…………夏子さんが亡くなった日だったかのぅ? 『死神』の中でも最も高い能力を有する『第一級クラス・ファースト』の『死神』であるお主が現世に赴き、儂にまで声が掛かるとなると余程の事があっての事じゃろ」

 完全に見透かしていると言った蘭の視線に、セフィリアは観念するようにそれを告げた。

「この町の管理官である『第二級クラス・セカンド』の方は…………殺害されました」

「何じゃと!? それは本当か!?」

 予想外の答えに蘭は声を張り上げ、

「はい……事実です」

「そうか…………」

険しい表情の蘭にセフィリアが静かに告げる。

「名前はジュマ=フーリス。私と同じ『第一級クラス・ファースト』でナツコ死亡の件と『第二級クラス・セカンド』の管理官の殺害、そしてこの町の魔力の異変。この三件全ての犯人です」

「相手は『死神』、か…………これはまた難儀な」

 蘭は面倒だとばかりにため息をつき、

「そして奴の、ジュマの目的なんですが……魔力の収集じゃないかと」

 セフィリアの表情が言葉と共に曇り、蘭はその様子にピクリと眉を上げる。

「町の魔力を吸い上げているのはそれが理由じゃな」

「はい、更に付け加えれば殺された『第二級クラス・セカンド』の殺害も同じ理由で魂を奪われたと思います」

「莫大な量の魔力収集、か……じゃが、ジュマとやらは一体集めた魔力で何をするつもりなのか」

「それについては今回の一連の件から推測するに、今から五年前に起きたある事件の再現をするつもりなのかもしれません」

「五年前の再現?」

「はい」

 セフィリアは悔恨と怒気に眉間に深いシワを刻み、事故の無力感を吐き出すように告げる。

「今から丁度五年前――――ある町を消滅させたんです」

「なっ!?」

 あまりにも馬鹿げた内容に飄々としていた蘭の表情が揺らぎ、紛れもない事実だと弱々しく項垂れるセフィリア。

 ――――――事の始まりは当時ジュマが自らの助手であった『第三級クラス・サード』の『死神』を手に掛けた事が発端だった。

 この事態に『死神』を統括、管理する【元老院】は直ちにジュマ討伐の任を全ての『第一級クラス・ファースト』に下す。が、ジュマは現世へと行方をくらまし追跡を逃れた。

 それから一ヶ月後、自分達を嘲笑うように一つの町が存在消失した。

 土地は勿論、そこに住まう人間から動物、果ては善悪にかかわらず全ての霊体が消えた。物理的な意味合いから事象まで――――――文字通りの存在消失だ。

 最低最悪の事後処理になってしまったが、何とか事象法術で大規模な事象改編。現世への影響は可能な限り最小限に抑えた。

「そして今回の一件も五年前の事件をなぞるように事が進んでいます」

 セフィリアは重い感情に伏せていた顔を上げ、蘭を瞳に映す。

「五年前の再現阻止とその首謀者であるジュマの討伐。これが私が現世に来た本当の理由です」

「そう、か……余程の事と思っておったが、かなり大事になりそうじゃのぅ」

「本当にすみません……身内の尻ぬぐいに巻き込んでしまって」

「まぁ、仕方なかろう。今の話は凜達には内緒にするとして、一先ずはジュマの捜索と魔力収集の阻止に集中しようとしよう」

 情けなさに表情を曇らせるセフィリアの肩をポンッと叩き、励ますように苦笑する蘭。

「……はい」

 その苦笑にセフィリアも苦笑いで返し、思考を切り替える。

「それでは改めて任務へのご協力お願いします」

「あぁ、了解じゃ」

 互いに信頼を込めた笑みを交わし、

「私は町の南側を探索するので、ランさんは町の北側の探索をお願いします。もし魔力収束地点を発見したら正常化も合わせてお願いします。探索範囲が広くて一日じゃ終わらないと思いますから、夕方五時くらいを目途に一度ここで落ち合いましょう」

「わかった、今度は遅刻せんように気を付けんとな」

 互いに今後の行動方針を決め、

「じゃあ、早速――――」

と、セフィリアが踵を返した時。

「――――――セフィリア」

 不意に蘭が呼び止める。

 その声にセフィリアは振り返り、

「ランさん、どうしました?」

「……探索に行く前にもう一つ聞いておきたい事があるんじゃが……良いかの?」

「聞きたい事、ですか?」

釈然としない顔をする蘭の様子に首を傾げる。

「あぁ、今ならば凜達もおらんしの……聞いても問題なかろう」

「えっと……何を?」

 蘭はセフィリアの言葉に考え込むそぶりを見せ、真っ直ぐセフィリアの瞳を見つめる。

「五年前の再現と莫大な量の魔力収集が目的というのであれば、何故夏子さんを殺す必要があったんじゃ?」

「それ、は…………」

 セフィリアは蘭の問いに言い淀み、

「夏子さんの魂を見ても儂や凜のように魔力が高いわけでもなし。特別な能力を有している様子もない。夏子さんが殺される理由がわからんのじゃが…………」

言葉を引き出そうと自分の考察を口にしていく蘭。

 セフィリアはと町の魔力変動と『死神』殺害の理由は魔力収集が狙いだと迷いなく言い切った。それも五年前に起きた町の消滅という大きな事件、その再現という可能性も提示しておきながら

夏子の死亡に関しては一切触れようともせず、現に今もすんなり答えるどころか答えたくないと言っているように声が重い。

「夏子さんが殺されたのも何か他の理由があっての事なのじゃろ?」

「………………っ」

 セフィリアは蘭の言葉に顔を俯け、呻くように呟く。

「あの『霊現体ゲシュペンスト』が、ナツコが殺されたのは―――――――」

 まるで自分の事のように痛みに震える声が、紡いだ言葉は。


 セフィリアの紡いだ言葉に、蘭の瞳が大きく揺れた。




 蘭の耳に届いた言葉はどこまでも簡単で、どこまでも馬鹿馬鹿しく、どこまでも残酷な答えだった。


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