――― 勇み挑む前 表 ―――
殺伐とした夕闇は静寂の夜へと変わり、凜は一人、自室のバルコニーで十二分に満たされた胃を労る様に腹部を撫でる。
「っ、ちょっと食べ過ぎちゃったなぁ…………」
夏子と蓮の討論バトルから二時間が経過し、凜は自室で夕食を済ませ、心穏やかに過ごしていた。
結局、夏子と蓮の討論バトルは年の功により蓮の勝利。その為、夕食は凜と夏子の二人で凜の部屋で摂ることになり、三つ星レストラン顔負けのフルコースを目の当たりにすることになった。
裕福かつ作法に厳しい家であれば海外の作法、この場合はテーブルマナーというものを習得しているのだろうが、凜も夏子もごくごく一般的な家庭の高校生。最低限の和食マナーは身につけてはいるが西洋料理とは縁遠く、どうしたものかと大いに戸惑った。
だが、そんな凜達の様子に気品を着こなした老年のシェフが己が胸に手を添え、無邪気な笑みで一言告げる。
「今は作法など気にせず、ただ料理をお楽しみ頂ければ幸いです」
まるで子供の様な笑みを浮かべるシェフに凜と夏子の戸惑いは嘘の様に消え、シェフと同じように屈託のない笑顔で頷く二人。
そこからは妙な引け目も緊張感も無く、ただ純粋に食事を愉しむことができた。
ただ、もてなす側のシェフ達は流石だった。
本来、フルコースというのは前菜からは時まりスープ、魚料理、肉料理、ソルベ、ローストの肉料理、生野菜、甘味、果物、コーヒーと順序立てて提供される。それは長い時間の中で培ってきた品格であり、歴史といってもいい。
だが、それを凜と夏子の日常を汲む様に丸テーブルへ惜しみなく並べ、ナイフとフォークと共に箸も添えていた。二人が食事を楽しめる様に最大限の気遣いを、積み上げてきた品格以上に料理を口にする二人の心を重んじた。
そしてそれをもてなしのプロ達は胸に秘め、二人に気取られること無く完遂。この夜、彼らが床につき、人知れず充実感に笑みを溢したのは別のお話だ。
そして今現在、夏子は屋敷の大浴場へと向かい、凜は夕食の余韻に浸っていた。
その余韻か僅かに火照る体を夜風が優しく撫で、満天の星空を静かに見上げ――――――来賓室での話を思い返す。
蘭とセフィリアを襲撃した【元老院】と彼らの目的。
自分達の住まう世界『現世』と『神界』の【滅】。
その【滅】を打破するための手段。自分の肉体と夏子を代価に《略奪者》を発動する事。
行方知れずの蘭の安否に、明日のセフィリア救出の際に横槍を入れてくるであろう【煉獄支柱】達の動向。
それらを冷静に捉え、現在の状況で自分にできる最善の選択、行動に思考を巡らせ――
――――
「よっ、何一人で黄昏れてんだ?」
と、好奇の笑みを浮かべ、隣のバルコニーから凜の横に跳び移る蓮。
「ん、父さん…………」
「その様子だと明日の事で緊張してる……って訳じゃなさそうだな?」
蓮はバルコニーの手すりに寄りかかり、昼間とは別人の様に落ち着き払う凜へ問い掛ける。
「うん。まぁ、全く緊張してないわけじゃいないけど、ちょっと気になる事があって」
「気になること、ねぇ。俺が答えられる範囲でなら答えてやるぞ」
「ありがとう、父さん」
「おうよ。それで? 気になってる事ってのは?」
「――――――【元老院】の事」
何の迷いも無く出た率直な問い。
その問いに蓮の瞳が鋭く尖れ、
「他にも聞きたいことは沢山あるけど……………」
明日のセフィリア救出の算段は勿論の事、リーベ達『死神』との関係。それに連なった父の過去やイルガと名乗った『死神』等を悠々と退けた力。その他にも今まで聞けなかった多くの疑問――――――だが。
「多分、今の僕が一番知らなきゃいけない事だと思うんだ」
「だな。明日には嫌でも戦り合うんだ……俺の主観になっちまうが、少しくらいは知っておいた方がいいだろ」
「うん、お願い」
蓮は小さく咳払いし、凜へと視線を合わせる。
「【元老院】ってのは『死神』達の親玉みたいなもんで、こっちの世界にも身分制度……階級ってのがあってな。特に力が強い一族……ベェルフェール家を含めた七貴族の当主で構成されてんだ」
「ベェルフェール家も含めてって事はリーベ様も【元老院】って事?」
「いや、ここの当主はリーベ様は当主じゃなくて旦那の方……エルピス=ベェルフェール。現ベェルフェール家当主にして【元老院】筆頭。んで、セフィリアちゃん達の父親だ」
「……え?」
蓮の言葉に凜の表情が困惑に染まり、一瞬で血の気が引く。
「えっ……それ、って」
「今回の一件のはエルピス様の指示、って事になるな」
「なん……で? だってセフィリアは娘、だよね。なの、に……なんで?」
「……お前の言う通り、あの人はセフィリアちゃんの父親だ。でも、生死を司る【神】の頂点にいる一柱だ。自分の娘の命と世界の命運、それを天秤にかけたら選ぶのは当然後者だろうな」
困惑と驚きに途切れ途切れに声を漏らす凜へ、模範的な現実を示す蓮
「その、エルピスっていう『死神』は……【略奪者】って最終手段があるって言うのは知ってるんでしょ?」
「…………あぁ、勿論知ってるさ」
「ならなんでっ!? セフィリアを犠牲にしなくたって世界を救えるのを知っているなら、最初から」
「それが問題なんだよ」
あまりにも理不尽な選択に凜は声を上げ、蓮は苦悶に声を漏らす。
「問題って……?」
「【略奪者】は取り込んだモノを際限なく自分の力にする、って言うのは知ってるな?」
「……知ってる。お祖母ちゃんに教えて貰ったから」
「そんな力で世界の終わり――――【滅】なんてでかすぎる概念を取り込めば、馬鹿げた力になっちまう。そうなればお袋どころの話じゃ無い、『死神』連中を一人で皆殺しできる様になる……それも息するくらい当たり前にな」
蓮はそこまでいって小さく息をつき、
「そうなればお前がなんかの間違いで世界を滅ぼそうとしても誰も止められない。ひねた言い方をすればお前……人間が神様より上の存在になるのが気に食わないんだろうよ」
「そんなくだらない理由で、セフィリアを犠牲にするの?」
「いつだってくだらない道理ってのはついて回るもんだ…………それに今回に関しては俺も【元老院】連中を責めれる立場じゃねぇしな」
自責の笑みと共に手すりから離れる。
「お前と夏子ちゃんを犠牲に世界を救おうとしてんだ。お前達の覚悟をだしにしてんだ、俺も質が悪いと思うぜ?」
「父さんは何も悪くないよ。【略奪者】を使うのだって僕と夏先輩が決めた事だから」
凜は蓮へと体を向け、紫と銀の色違いの瞳が蓮を映し出す。
「それに父さんも知ってるでしょ。僕達は犠牲になんてならない。そう二人で約束したから大丈夫っ!!」
何の確証も無い。それどころか無為な徒労に終わることが目に見えている結末。
それを迷いも、不安も、恐怖も――――――壊れかけていた心の在り方さえも吹き飛ばす笑み。
そして揺るがない想いを届ける様に拳を蓮に突き出す凜。
「だから父さん、明日はよろしくねっ!!」
凜の笑み、示された覚悟、突き出された拳。
その姿に蓮は驚愕に目を瞠り――――――その笑みが今は無き最愛の妻の姿が重なる。
いつか彼女が苦境に立ちながらも、それでもなお自分を支える為に見せてくれた笑顔。
蓮はそんな凜の姿に小さくはにかみ、コツッと拳を突き合わせる。
「おぅっ、任された」
そして突き合わせた拳を解き、凜の頭をぐりぐりとなで回す蓮。
「ったく、ここに来た時はへこみまくりだったくせに、夏子ちゃんとイチャイチャしたら元気になりやがって」
「い、イチャついてなんかないってばっ!!」
「この分だと初孫も早めに期待できそうだなっ」
「ま、孫って……父さんもお祖母ちゃんみたいな妙な絡み方やめてよぉ。僕と夏先輩は付き合ってるわけじゃないんだからさぁ…………」
「んん?」
気まずさに頬をかく凜に素っ頓狂な声を漏らす蓮。
「ん、と……隠したい気持ちってのはわかるが」
「いや、隠すもなにも……本当にそんな関係じゃないんだってば」
「いやいや、そういう関係だろっ!? キャッキャッウフフな恋人関係じゃなきゃあんな事しないって、普通っ!?」
「あれはただ落ち込んでる僕を励ましてくれてただけだよ。夏先輩、時々距離感がかなり近い時があるんだ。それに夏先輩にはちゃんと他に好きな人いるんだから」
「……………………っ」
僅かな照れこそあれ何の誇張も偽りもない苦笑で言い切る凜に、蓮は苦々しい顔面を右手で覆い、深いため息をついた。
「…………どうして、こう似んでもいいとこが似ちまうんだろうなぁ」
凜が産まれてから今日に至るまでの人生の中でトップ2に入るため息。
それと共に夏子への謝罪と罪悪感が脳裏で暴れ回り、我が息子ながらなんと朴念仁な事か、と苦い涙を流す。
「……父さん。なんか、もの凄く僕に失礼な事考えてない?」
「お前……いや、いいや。こればっかりは俺もお前に言える立場じゃないな」
「えっと……何いいたいのかわからないんだけど?」
「……っ、悪い悪い。海外に単身赴任しているお父さんとしては息子の色恋沙汰ってのは最高のおもち……じゃなくて、関心事だからよ」
喉から出た手で小突きたくなった蓮だが、夏子の名誉と涙ぐましい努力にぐっと飲み込み、話の舵をいじりへと切った。
「今、オモチャって言わなかった?」
「気のせいだ、気のせいっ!! それよりも明日の作戦のはなしをしようなぁっ!!」
「あぁっ!! 誤魔化してるっ!!」
「はいはいっ、それでは明日の段取りですがねぇーっと」
と、誘導に成功したのを確認し、重要な話で誤魔化しに掛かる蓮。
およそ世界の命運を握り、命を賭す者が過ごす前夜では無い。
だが、五年間ほったらかしにしていた息子との距離感はジャストフィット。
凜と蓮。互いに心の中で溢れていた不安と焦りを忘れ、自分達が願う結末へ掴み取る為に最善の時間を積み上げていくのだった。





