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境界世界のブリガンテ  作者: りくつきあまね
セフィリア=ベェルフェール
34/36

――― 据エル者 ―――

「――――――凜、一緒に皆を助けよう」

 迷い、偽り、恐怖。それら薄暗い感情一つ無い、温かで健やかな決意。

 自分の死、消滅すら意に返さず凜へ告げた夏子。

 凜は驚愕に表情を強張らせ、蓮とリーベも思いもしなかった夏子の言葉に絶句した。

 重苦しい数瞬の沈黙。それを厳しい表情で蓮が破り、

「一応、確認するが…………夏子ちゃん、自分が言った事の意味。ちゃんとわかってるかい?」

「はい」

何の淀みも無く、ごく自然に答えを返す夏子。

「このまま何もしなければセフィリアが死んでしまう事、ただ助けるだけじゃ世界が滅んでしまう事、凜が力を使えば私は消えてしまう事。全部わかった上で決めた・・・んです」

 選択の抑止、または熟考を促す為の問い掛け。それを即答即決で返す夏子の姿に蓮は驚愕に目を見張り、遠き郷愁に唇を静かに結んだ。

 それと入れ替わる様にリーベが気を静める様に小さく息をつき、

「…………夏子さん。貴女は死が、消えるのが怖くないのですか?」

先程まで恐怖に嬲られていた姿と真逆の夏子の様子に純な疑問をぶつけた。

 その問いにも夏子は気後れすること無く、ありのままの心情を見せる。

「正直な話、消えるのは怖いです。でも……今はもっと怖い事があるんだって気づいたんです」

「自分の消滅よりも?」

「はい。だから――――――」

「――――――考える時間を下さい」

 唐突に夏子の手を解き、立ち上がる凜。

「り、凜?」

 凜の突然の言葉に夏子は眉を潜め、蓮とリーベの目元が静かに強張る。

「期限は明日の朝まで、でしたよね?」

「…………はい。あまりにも短い時間だとは思いますが」

「いえ、充分……です」

 あまりにも理不尽に、唐突に突きつけられた残酷な選択。その答えを投げ出したくなる衝動を必死で堪え、言葉を紡ぐ凜。

 今にも泣き崩れてしまいそうな弱々しい凜の姿に、夏子は咄嗟に立ち上がろうとし。

「少し一人で考えたいのですがっ…………」

 凜は誰へともなく拒絶を滲ませた声をあげ、感情を押し殺しながら言葉を続ける。

「……どこか一人になれる場所は?」

「では、客室に。もう準備も済んでいますから、皆さんもそれぞれの部屋に案内致しましょう」

 その消え入りそうな凜の問いにリーベは穏やかに答え、それに合わせる様に部屋へ中肉中背の黒縁眼鏡をかけた執事が姿を見せる。

「部屋への案内は彼が。それと皆さんのお世話のためにメイドを一名ずつ控えさせていますので、何かあれば何なりと言付けていください」

「ありがとう、ございます…………」

 場に弱々しく響く謝意。

 それから凜はまるで夏子から逃げる様に歩き出し、「わ、私もっ」と、夏子も慌てて立ち上がり後を追う。

 それを見やりリーベは執事へ目配せし、執事も主の意図を汲む様に小さく会釈し、凜達共に部屋を後にした。

 部屋にはリーベと蓮が残り、数秒の沈黙の後。蓮がやるせない表情で肩を落とした。

「…………息子に余計な重荷を背負わせて、我ながら情けない父親です」

「それをいうなら私達『死神』の方がなんと無力で情けないことか」

 自身への責めを苦言として科す二人。

 そして二人は無意識に深く息をつき、互いに鋭く研がれた視線を交わす。

「一先ず、今私達が置かれている状況は把握しました。息子がどんな選択をするかわかりませんが、私だけでも明日の作戦の話をお伺いしたいところですが」

「えぇ、蓮には今話しても問題は無いでしょう」

「ありがとうございます。早速……と言いたいところですが、その前に一つ確認したい事があるのですが」

「なんでしょうか?」

「先程【元老院げんろういん】と敵対していると仰いましたが、最悪エルピス様と戦うことになった場合……」

「【元老院げんろういん】筆頭たる彼が前線に出てくる事は無いと願っていますが、もし相対した場合は私や娘達の事は気にせず全力で戦って下さい。夫とは『世界救済儀典リンカーネーション』が宣言された時に袂を分かちましたから」

「……承知しました。エルピス様と対した際は全力を持って対応致します」

「……えぇ、よろしくお願いしますね」

 蓮は申し訳なさに目を伏せ、リーベは痛みを滲ませる苦笑で告げる。

 それから二人は示し合わせる様に姿勢を正し、

「では、明日の作戦内容についてお話しします」

「はい、お願い致します」

最愛こどもたちの未来を切り開く為に、哀愁を戦意でねじ伏せる二人。

 それぞれの不安と想いを糧に世界は刻々と時を刻んでいく。


††††††††††††††††††††††††††††


 ――――――凜、一緒に皆を助けよう。




 迷い、偽り、恐怖。それら薄暗い感情一つ無い、温かで健やかな決意。

 自分の死、消滅すら意に返さず告げた夏子。

 そのあまりにも眩しい姿が頭から離れず、朱を経て藍色へと変わり始めた空を見上げ、大きく息をつく凜。

「僕ってほんとに情けなぁ…………」

 部屋事に区切られた優雅なバルコニーで一人、柵へ自分の不甲斐なさに顔を埋める。

 この世界全てから奪う力、この世界を救える力、【神】という存在から肯定される程の力を持っていても結局の所、自分は大切な人一人満足に護る事もできない無力な人間。

 ただ、その事実だけが凜の中で重くのし掛かる。

 結論だけならば既に出ている……いや、一つしか無い。


 ――――――自分の肉体と夏子を代価に【略奪者ブリガンテ】を発現させる。


 世界全てと人間二人の命。天秤にかけるまでも無く、世の理が如き純然たる結論。

 だが、それを肯定し世界を――――セフィリアを救えても、夏子は救えない。

「…………なんでまた夏先輩やセフィリアが酷い目に遭わなきゃいけないんだ?」

 今、自分が過ごしているのはジュマとの戦いの中、二人を救う為に選んだ――――――自分一人が失う、奪われるだけの絶望ミライ

 選んだはずの絶望ミライは自分以外の人間からも否応なしに幸せであろう未来を奪っていく。

「なんで、なんで僕だけじゃないんだよっ!?」

 今にも消えてしまいそうな弱り切った声音で紡ぐのは、血反吐を吐いた方が救いがあると確信できる無力感。

 思わず泣き叫びたくなる衝動を噛み殺し、込み上げる不甲斐なさを潰す様に両手を強く握り込む凜。

 誰に問うたわけでも無い焦燥の問い。答えが返ってくる事はないとわかっている。

 そしてこの問いは他人に委ねることは許されず、自分自身が身を削り、心をすり減らしながら答えを出さなければならい事も痛感している。だが、ほんの少しでも理不尽を吐き出さねば正気を保っていられなかった。

「く、そぉっ…………」

 唐突に突きつけられた無慈悲な選択。刻々と過ぎる時間。選択を強いられる論理的ざんこくな最善の答え。

 心を暴れ回る自身の焦りさえも敵の様に思い始めた時、背後に何かの気配を感じ取り――――――


『――――――――――――被害者ぶらないでよ』


「ッ!?」

耳元で響くジュマの嘲笑に顔を跳ね上げ、背後を振り返る凜。

「きゃっ!?」

 すると凜の瞳に映ったのは、右手を伸ばしかけ驚きに目を見開く夏子の姿。

「…………えっ?」

 凜は思いもしなかった夏子の姿に呆気にとられ、

「あぁ、びっくりしたぁ」

夏子は驚きに弾んだ鼓動を抑える様に胸をなで下ろす。

「び、びっくりしたのはこっちですよ。なんで夏先輩がここにいるんですか?」

「なんでって……凜の様子を見に来たの。お昼ご飯も部屋で済ませて顔を見れなかったから……それに今だって部屋に入る前に何度もノックしたんだよ? いくら呼んでも返事が無いから、もしかしたら倒れてるかもって」

 そう言って夏子は凜の隣へ歩み寄り、柵へ手を掛け体を預ける。

「倒れてるかもしれないって、寝てるかもしれないじゃないですか?」

「うーん、話が終わった後の凜の様子じゃ寝てるって考える方が難しいよ。それこそ悩みすぎて倒れてる可能性の方が高いと思うもの」

「悩みすぎで倒れる、って」

 大げさな話をする夏子に苦笑し、

「それくらい思い詰めた顔してたし……今も凄く辛い顔しているよ」

その言葉に顔を強張らせる凜。

 そんな凜に申し訳なく思いつつも、夏子は前向きな笑顔で告げる。

「――――――凜、私は大丈夫だよ」

「っ!?」

「力を解放すれば凜も体をなくしちゃって大変なのはわかってるけど、世界や皆。セフィリアを助けるにはこれしか方法がないみたいだし、仕方な――――――」

「――――仕方ないもんかっ!!」

 認めたくない言葉を怒号で押し潰す凜。

 怒り、悲しみ、謝罪、無力感。それら他の様々な感情が入り乱れ、その濁流に耐え忍ぶ様に小さな肩と握りしめた拳が否応なく震える。

「僕が力を使えば夏先輩の魂は消えちゃうんですよっ!! なのにそんな事、なんで笑って言えるんですかっ!?」

 愛らしい色違いの瞳は自責と後悔、そして夏子への罪悪感に涙を溜め込んでいた。

 初めて目の当たりにする凜の涙。初めて自分に向けられた荒ぶる感情。

 それが親しい人間のものであればあるほど、人は大きな動揺に戸惑うものだが。

「っ!?」

 思うがまま感情を顕わにする凜に夏子は笑みを溢し、自分よりも小さな体を抱きしめた。

 夏子の思いがけない行動。全身から伝わる心地よい温もりと柔らかさ。荒ぶる感情を癒やす優しい香り。

 それら夏子を感じさせる全てに凜は一瞬思考が止まり、

「簡単というか単純な理由だよ」

包み込む様に穏やかな声音で凜の問いに答える夏子。



「――――――私が凜とずっと一緒にいるって決めたから」



 どこまでも穏やかで、どこまでも澄んだ想い。

 その想いに凜の瞳が大きく見開かれ、

「ねぇ、凜。私が幽霊だった時、学校の屋上で凜に怒った時の事憶えてる?」

「へっ? 」

 突然の抱擁と脈絡の無い問いに間の抜けた声を返す凜。

 そんな凜に夏子は小さく苦笑いし、まるで幼い子供へする様に優しく頭を撫でる。

「私を生き返らせる手段はあるけど生き返る時間を指定できなくて、『今』の私は皆から忘れられる……って、セフィリアに言われてたでしょ?」

「は、はい。あ、あの時からまだ二ヶ月経ってないですし、今では大切な思い出ですからめ……ち、ちゃんと憶えてますよ」

 夏子に抱きしめられ、頭を撫でられ、何やら告白じみた言葉にいたたまれないのか、言い様のない強張りにたどたどしく答える凜。

「その時、言ってくれたよね――――――世界中の皆が私の事を忘れても、僕だけは私のの事を憶えています、って」

 あの日、自分の心を掬い上げてくれた凜の言葉。

 その言葉を口にして無意識に凜を抱き寄せる腕に力が入る。

「多分、その時の凜と同じ気持ちだよ。自分にはできる事は無いのかもしれないけど、それでも自分だけは信じてる、って感じ」

「信じてる?」

「うん、信じてる。凜が力を解放して魂を取り込まれても、また一緒にいられるって」

「そんな事、わからないじゃないですか……リーベ様だって消えてしまう、って」

「うん、わかってる。でもさ、今だって魂が繋がってて一心同体みたいなものでしょう? だからね」

 夏子は頭を撫でていた右手を凜の頬へ添え、そっと凜の顔を上げる。

 自責の念で壊れしまいそうな涙顔。

 そんな凜の姿に数時間前、リーベとのやりとりが脳裏を過る――――――


『――――夏子さん。貴女は死が、消えるのが怖くないのですか?』

『正直な話、消えるのは怖いです。でも……今はもっと怖い事があるんだって気づいたんです』

『自分の消滅よりも?』

『はい。だから――――――』


 凜に遮られ、答えられなかった答え。今にして思えば答えられなくて良かったと心から思う。この答えを聞けば間違いなく凜は自分を責め、壊れてしまうと確信した。

 だから、この答えは自分の中で秘める誓いにする。

 凜達が自分を生き返らせてくれた日。凜への想いを告げようとし、自分の中で誓った想いに重ねて誓う。


  ――――――――もう凜だけに背負わせない。


 そして、この誓いとは別。これも本心、心からの言葉だ。

「今度は自力で幽霊になって取り憑いてあげるっ!!」

 そう言って夏子はこつんっと額を合わせ、不安も恐れもない満面の笑みで告げる。

「その時は凜がどんなに嫌だって言っても絶対に離れてあげないんだからっ!!」

「っ!!」

 その生命力に満ちあふれた目映い笑顔に、凜の瞳に軽やかで澄んだ光が灯り、穏やかで温かな笑みをクシャリと溢す。

「夏先輩。今の言い方、ストーカーみたいで怖いですね」

「うわ、ひっどーいっ!!」

 暗く重い自責と自身の消滅。互いの暗闇をを吹き飛ばす様に笑い合う二人。

 短い様で、長い様で、心地よい数秒の微笑の時間。

 凜は強い意志で煌めく瞳で告げる。

「――――――僕が助けます」

 そう言って夏子の左頬へそっと右手を添える凜。

「僕に取り憑いてくれなくても、幽霊にも馴れなくても、魂が消えて無くなっても――――どんなことになっても僕が夏先輩を助けてみせます」

 迷いや恐れ、不安を抱きながらも、それを押しのける様に溢れ出す覚悟。

 凜のまっすぐで強い想いに夏子は穏やかな微笑で答える。

「うん、信じてる」

 互いの熱を、覚悟を、信頼を心に刻む二人。

 言葉は無くとも体の奥で繋がっている様な温かく、心地よい感覚。

 その感覚に夏子は身を委ね、凜の体を愛おしむ様に引き寄せ――――――

「――――――ブェックションッ!!」

と、場ににつかわしくない荒い音に、二人の視線弾かれた様にそちらへ向いた。

 驚愕に目が点になった二人の瞳に映ったのは、隣のベランダで自分達を涙垂れ流しの鼻水だらだらの破顔で見つめる蓮。」

「と、父さんっ!?」」

「蓮さんっ!?」

 ズビビッ!! と、豪快に鼻をすすり涙を拭う蓮。

「これが愛の力ってやつだよなぁ」

「ッ!?」

 と、蓮の言葉に夏子の顔……というか全身が茹で蛸状態へ移行し、慌てて凜から離れる夏子。

 対照的にいきなりの登場と意図をくみ取れない発現にきょとんとする凜。

「いっいいいいっ、いいいつからそこに居たんですかっ!?」

「ん? いつからって……夏子ちゃんが凜を抱き寄せた辺りかな」

「いぃっ!?」

 それは夏子にとって凜への想い最初からクライマックス的なスタート地点。一言で言えば、一番誰にも視られたくなかった自分世界の始まりだ。

 自分世界に突入してしまった事で忘れていた夏子だが、自分と蓮の部屋は凜の両隣。外で、それも意気消沈の息子の話し声が聞こえれば様子見に外に出てくるのは自然な流れ。

 どうにか理性を保とうと状況を把握しようとするが、余計に羞恥心をあおり、臨界点を突破。全身から蒸気が吹き出し、羞恥に体を小刻みに震わせる夏子。

「父さん、居たなら声かけてよ。聞かれても困らないけどさ、人の話を黙って立ち聞きするの良くないよ?」

 年甲斐も無く感涙にむせぶ蓮へ照れくさそう頬をかく凜。

「っ……すまん。二人の夕飯はここに運んでくれる様に頼んどくから」

 ダダ漏れだった涙を指先で払い、

「まぁ、なんだ……節度を持って明日の朝まで過ごす様にっ!!」

二人へ満足な笑みを残し、ベランダから部屋へと戻る蓮。

「あ、あのっ!? ちょっと待ってくださいっ!?」

 そんな蓮に柵から身を乗り出し引き留めようとする夏子だったが、その声は無視され部屋の奥へと消える蓮。

「あっ、あぁぁぁぁぁぁぁっ…………」

 蓮の意味深な置き土産に夏子はか細い声を漏らしながら頭を抱え込み、

「な、夏先輩? どうしたんですか?」

自らの黒歴史誕生に悶える夏子を首をかしげ見上げる凜。

 蓮の意図など全く汲んでいない朴念仁全開の凜にハッと我に返る夏子。

 それと同時に凜の右手を取り、

「い、急いで追いかけないとっ!!」

「へっ?」

凜の返答を待たず全力で駆け出す夏子。

「な、夏先輩っ!?」

 凜は火事場の馬鹿力よろしく、肉体強化した『死神』も真っ青な速度で部屋を飛び出す夏子にぎょっとする。

 ただっ広い廊下に出ると夏子はババッと左右を素早く確認し、左側の廊下奥で角を曲がる蓮の背を視認。




「蓮さーーーーーーんっ!! お願いですから私の話を聞いてくださーーーーーーいっ!!」




 なりふり構っていられない夏子の必死の懇願が廊下にこだまし、それから数秒後。蓮と夏子の肯定と弁明の壮絶な討論バトルが行われたのは言うまでも無い。




††††††††††††††††††††††††††††




 熱を感じない白い世界。

 絶対的な正義を示す様に聳え立つ十字架。

 自身の体と十字架を縛り上げる黒の呪鎖。

「っ……っぁ。地味に……キツイわね、これ」

 生気を感じられないか細い声音が恨めしく響く。

 ここに捕らわれてからどれほどの時間が経ったかわからないが、朦朧としていた意識は体の痛みと共に疎ましいくらい鮮明になった。

 セフィリアは鎖を破壊しようと色濃い倦怠感と疲労に悲鳴を上げる体で魔力制御し――――――瞬間、それを罰する様に目映い雷光が全身を嬲る。

「グッ!? アアァアアアアアアアアアァァァァアアアアアアッ!?」

 体を焼き刺す激痛に意識が飛びかけ、魔力制御が途切れると同時に雷光も何事も無かった様に霧散した。

「ッ……ツゥッ…………さすが、に……駄目かぁ」

「――――――――無駄な事はやめておけ」

 水面に落ちる雫の様に淡々と響く声音。

 セフィリアは顔を上げ、白の世界に波紋を刻み歩み寄る白装束を纏った男を力なく見やる。

「…………父様」

「……まだ私を父と呼ぶ、か」

 ひどく弱ったセフィリアへ顔色を変えること無く、白髪交じりの金髪の男――――エルピス=ベェルフェールは冷ややかに呟いた。

「【器】……いや、萩月凜がこちらへ乗り込んできたぞ」

「ぁっ!?」

 唐突な知らせにセフィリアは驚愕に眉を歪め、

「な、なんで……来たのよっ、あの馬鹿っ」

「それに合わせ『世界救済儀典リンカーネーション』の執行日が明日と決まった」

「ま、待って……父様っ」

体を縛る呪鎖をけたたましく鳴らし、震える声で懇願する。

「私はいいのっ、私は今すぐそう・・なってもいい。もう、覚悟してたからっ。 でも、凜はっ……凜はもう少しだけ待ってあげてっ」

「それはできない」

「なん、でっ……?」

「もう世界には時間が残されていない。お前が思っている以上に【ホロビ】の時が迫っている」

「なんで? 【ホロビ】の時はまだ百年ぐらい先だって……」 

「その話自体、元々不確定だと話してあっただろう。それは単なる目安であり、憶測だ。【うつわ】と【ニエ】、この二つが揃ったのであれば、迅速に儀式を決行しない理由は無い」

「そん、な…………やっと、やっと普通の生活に戻り始めてたのに」

「何を馬鹿な事を……あれほど強大な【略奪者チカラ】を有している人間が当たり前の生活など過ごせるものか」

「くっ…………」

 とりつく島も無いエルピスの様子に唇を噛み、


『――――――――失礼します』


と、冷たさを孕んだ静かな声が二人へと割って入る。

 その声にセフィリアは右脇へ視線を奔らせ――――悲嘆に染まる碧眼が痛みに歪む。

 セフィリアの視線、白の牢獄に佇んでいたのは母、リーベだった。

「か、母様…………」

 だが、それは法術による映し身――――幻だ。

『……………………』

 リーベはセフィリアを一瞥し、呻く様にエルピスへ告げる。

『……明日、予定通りに【カレ】を連れ【元老院げんろういん】へ赴きます』

「そうか、わかった」

『蓮もそちらへ同行することになりますがよろしいのですか?」

「あぁ、好都合だ。【煉獄支柱れんごくしちゅう】共の事もある。最終的に排除せねばならんのだ……この際、厄介事は全て片付けておくのが肝要だろう」

『……本当にこれでよろしいのですね?』

「あぁ、構わん」

 迷いと苦悶に顔を強張らせる妻へ、何の迷いも無く言い放つエルピス。

 数瞬の間の後、リーベは『承知しました』と小さく会釈し、光の粒子となって消える。

 それを見計らった様にエルピスはセフィリアへ手を伸ばし、額にそっと手を乗せる。

「っ……な、何を――――」

 するつもり、と続けようとしたセフィリアだったが急に意識が遠のき、呆気なく意識が暗闇に沈む。

 エルピスはそっと手を放し、届くことは無いと知りながら言葉を紡いだ。




「――――――――私は父親失格だな」




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