――― タヨリビト ―――
「――――――ちゃちゃっと部屋の片付けでもすっかなぁ」
達成感に弾む、清々しく凜とした声音が部屋に響く。
艶やかな少し長めの黒髪に、宝石を想わせる澄んだ紅の瞳。細身でありながら白のYシャツ越しに見てとれる鍛え上げられた長身の男――――萩月蓮は無造作に散らかった部屋を見渡し、両手を腰に当てる。
現在、病院側から提供された寮の一室。八畳程の広さの部屋にあるのは無数と言える読み漁った医学書と関係書類に埋もれた机とベット。それ以外は仮眠と入浴をこなすだけの日々で、特に服を散らかしたり、飲食物の残骸もなく、比較的簡単に片付けは終わりそうだった。
一先ず蓮はベットの上に散乱した書類に手を付け、掃除を開始。
「家に返るのも五年振りかぁ…………」
故郷である日本からヨーロッパへと渡り個人から大学病院問はず、自分へ宛てられた難病手術の依頼。
多くの患者達を元の生活へ帰し、大切な人達と共に歩む幸福の日々を勝ち取ってきた五年。ようやく仕事が一段落し、今まで取れなかった休暇と悠久を全部合わせておよそ二ヶ月間の休暇。
その休暇でほったらかしにしていた目に入れても痛くない最愛の息子へ僅かながら埋め合わせが出来ればと思っていたのだが、やはり人生というモノは上手くいかないものだ。
当の息子は高二と反抗期と思春期が半々の繊細な時期で――――――自身の有している【略奪者】の事を悟ってしまった。
愛息子の望まぬ境遇の変化に蓮はやや太めの眉を苦々しく寄せ、枕元に立てていた写真立てを見やる。
左右色違いの双眸に映るのは今は亡き最愛の妻と幼き頃の息子が、頬をすり寄せ満面の笑みを浮かべている情景。
可憐な花を思わせる淺紫色の髪と双眸。妻と息子、そして自分の母も同じ髪と瞳の色で自分だけ仲間外れで、僅かばかり寂しくも確かな幸福が映し出された当時の写真。
「…………何でウチの息子は静かに人生を謳歌させて貰えないのかねぇ?」
答えが返って来る事はないとわかっていても、心で渦巻いている暗い感情につい出てしまい、そんな自分に蓮が思わず苦笑を溢した時。
――――――コッコッ!!
手早いノック音が出入口から放たれ、半呼吸の間をおいて聞き馴染んだ同僚の声が届く。
『Dr萩月。手伝いに来たぞ』
「おぅっ、散らかってっけど入ってくれ」
蓮は写真から視線を切り、部屋に入ってくる同僚の姿が振り返り様に捉えた。
蓮と同じく白のYシャツと黒のスラックス姿に医者のトレードマークである白衣を羽織った中肉中背の中年男、名前はマイク=トロイド。
艶やかなオールバックの金髪と口元の髭と渋めな顔つきが特徴的な四十二歳のナイスガイだ。
マイクは意外そうに「ふむ」と声を漏らしつつ、足元に散らかっていた書類を手に取る。
「もっと生活感溢れる状況かと思っていたが、資料の類だけで面白みのない散らかり方だな」
「面白みがねぇって……シャワー浴びて寝るだけの生活だし、こんなもんじゃねぇのか?」
「まぁ、食事は売店や食堂で済ませてしまうし、酒を呑んでくつろぐ暇もないからな。使用用途がそれだけならばこんなものかもしれんな」
「だろ」
マイクは書類を広いながら歩み寄り、白衣の左ポケットから白い封筒を取り出し、蓮へと差し出す。
「先程、医局で事務員から手紙を預かって来たぞ。いつも通り、君のお母様からだ」
「おぉ、サンキュー。掃除が終わったら見て」
「いや、君の場合は今見るのが最善だな」
マイクは封筒を手渡すとそのまま蓮が持っていた書類の束を取り、呆れ顔で告げる。
「君、いつもそうやってあとになって手紙を無くしたとか騒ぐだろう。掃除は私が先に進めておくから、どこか脇にでも避けて読むといい」
「わりぃな、マイク。んじゃお言葉に甘えてっと」
こなれた同僚の気遣いに蓮はニカッと歯を見せ笑い、マイクの横を通り部屋のドアへとせを預ける。
「んと、送ってきた日付は五月二十五日……いつも通り、一週間前のヤツか」
蓮は封筒の頭を器用に爪で切り、折り畳まれた数枚の便せんを取り出す。
便せんを開くと母である蘭の達筆な字が広がり、僅かに懐かしさを感じつつ内容に目を通す蓮。
一枚目はいつも通り取り留めのない日常の報告が綴られ、左右色違いの瞳が郷愁に緩み――――――驚愕に強張る。
そんな蓮を尻目にマイクはせっせと書類を拾い上げ、
「そう言えば出発は三日後と言っていたが土産は買ったのか? 君、こちらの自動車免許は持ってないだろ? まだ買っていないなら車を出してやろうか……っ!?」
振り返った先で険しく、怒気を撒き散らす形相の蓮に思わず唾を呑んだ。
「っ…………」
蓮の有り様に絶句するマイク。
そんなマイクのことなど露知らず、蓮は瞼を閉じ感情を沈める為に大きく息を吐いた。
それから数秒の沈黙の後、蓮は未だ鋭さ残る視線でマイクを見据え申し訳なさそうに告げる。
「すまん、マイク。ちょっと急いで日本に帰らなきゃいけなくなった」
「……っ、ご、ご実家で何かあったのか?」
「まぁ、そんな所だ………わりぃんだけどよ、部屋の片付け切り上げて空港に連れてってくれるか?」
「ん? あぁ、構わんが…………本当に今すぐ行くのか?」
まだ蓮の怒気に当てられているのか、声が強張りに震えていた。
そして蓮もまたマイクの様子に心の中で謝罪し、苦笑混じりに告げる。
「――――――あぁ、今すぐだ」
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冷淡な沈黙が支配する無機質な白き世界。
広大な空間を感じさせつつも、矮小な牢獄に囚われているかのような歪な世界。
その異様な場には揺るぎなき荘厳で組み上げられた巨大な銀の十字架が聳え立ち、
「……………………………」
その十字架に黒の呪鎖で縛り縛り上げられた金髪の少女が一人。
陽光で編まれたかのような美しい金髪、新雪を思わせる白い肌、愛らしい花弁のごとき唇――――――見る者を全てが息を飲む程の美貌は数え切れない裂傷と、少女の血と土が混ざり合った汚れ化粧で飾られていた。
「……っ………………ぁ………」
無より万象を造り産み落とした大いなる【神】。その系譜に連なる数多の神々が末席、『死神』として存在する少女――――――セフィリアは意識を苦悶に呑まれ、弱々しい呼吸だけを奏でていた。
その冷たく重い沈黙が刻まれ続け――――――
――――――――――――ピチョンッ!!
と、澄んだ波紋の音が響いた。
まるでその音が招き入れたように、純白の装束に身を包み、冷たい煌めきを宿す長い銀髪の少女がセフィリアを見上げていた。
左右非対称に結われた長いおさげが小さく揺れ、少女の口元が哀愁を刻む。
「――――――始まってしまいますのね」
そう呟くと少女は淡い銀光の粒子となって消え、
「――――――リ、ン」
まるで刻まれた言葉の意味を酌むように、セフィリアは虚ろな意識の中で願い請う。
「――――――き、ちゃ……だ、め……っ」





