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境界世界のブリガンテ  作者: りくつきあまね
神村 夏子
3/36

――― 提示 ―――

「――――――単刀直入に言うわ……神村夏子、アンタを生き返らせてあげる」




「なっ!?」

「っ!?」

 あまり唐突で突拍子もない言葉に、凜と夏子は驚きに開いた口がふさがらず。

「何、大口開けてアホ面してんのよ?」

 セフィリアは顔を顰め、夏子を指さしていた腕を静かに降ろした。

「いや、だって…………」

 夏子は驚きに疑いを持つ余裕もなく、セフィリアの言葉に思考回路が完全に乱れる。

 だが、それは無理もない事だ。死んだ自分が『生き返る』……それは世界の天地がひっくり返っても実現不可能な事だったからだ。それも、本来死者の魂を刈り取る『死神』が死者を生き返らせるだなんて聞いた事がない。

「アンタが死んだのはこっちだって予定外だったのよ。ったく、どこの誰だか知らないけどこっちの仕事邪魔しないで欲しいわ」

 狼狽する夏子を余所に、つまらない事務作業とばかりにため息を付くセフィリアに凜の声が半音低くなる。

「仕事って?」

「さっき言った魂の刈り取りを含めた魂の管理よ、もっとわかりやすく言えばあんた達の寿命、死の運命を決めてるのよ」

「死の運命って…………」

 その一言に凜の声が黒く染まった世界に突き刺さる。

「なんで君が決めるのさ!?」

「り、凜!?」

 隣で夏子が驚いているのも構わず、凜は怒りをはき出す。

「人の運命を、勝手に決めるなよ!!」

「怒鳴られても困るのよねぇ、それが仕事だし」

「人の命を物みたいに扱って……その上、夏先輩が死んだのが予定外だって!? ふざけたこというな!!」

 セフィリアは静かに目を細め、小さくため息を着いた。

「人の命を物みたいに扱って……その上、夏先輩が死んだのが予定外だって!? ふざけたこというな!!」

「ふざけてないわよ、だって事実だもの」

「こ、のっ!! 人の命を何だと…………っ」

 怒りに言葉が詰まり、

「凜」

不安に染まった弱々しい夏子の声に我に返る。

「っ…………それでその死神さんはどうやって夏先輩を生き返らせるっていうの?」

 凜は出来るだけ夏子を不安にさせないよう感情を抑え、声を搾り出した。

「生きていた時間に時間移動する、っていうのが一番近い表現かしら。生き返らせること事態はそんなに難しくないわよ」

「ホントなの!?」

「『事象回帰じしょうかいき』……それが儀式の名前よ」

「『事象回帰じしょうかいき』? ……それもさっき言ってた法術?」

 夏子はセフィリアに害意がないことを感じ取ったのか、不安を押し出すように興奮した声で問い掛けた。

「ええ」

「じゃあ、早く」

 夏子は興奮を抑え切れず、凜の背中を乗り越えようと膝を乗せ、

「まぁ、待ちなさいって」

曇った声でセフィリアが夏子を宥める。

「私もすぐに生き返らせてあげたいのはやまやまなんだけどさ…………『事象回帰じしょうかいき』をするのにちょっと問題があって」

 歯切れの良かったセフィリアの口調がどこか迷うように歯切れが悪くなり、

「問題って?」

凜はそれに気がつかず、凜の催促にセフィリアが喋り出そうとした時だった。


「おぉ、無事じゃったようじゃの」


 一安心、といったのんびりとした声が頭上から響いた。

「こ、この声って」

「だ、誰っ!?」

 凜は聞き慣れた声に、夏子は初めて聞く声に顔を上げようとして。

「ほっと」

 呟きと共に人影が二人の目の前にトンッと軽い音を発て、舞い降りた。

「ひ、人がっ!?」

「ぁっ………………」

 凜達とセフィリアの間に割り込むように空から降ってきたのは、淡い藍色の着物を着た小さな少女。

 淡い藍色の着物に身を包んだ、十二歳前後に見える少女。凜と同じ艶やかな紫色の髪を肩の辺りで切り揃え、大きくくりっとした紫の瞳は活発、というよりは子供特有の無垢な輝きを宿していた。顔立ちも整っており、凜が少年らしい愛らしさであれば、目の前に座っている少女は正に愛らしさを体現していた。

 突如現れた少女の姿に夏子は収まり掛けていた混乱が再燃し、凜は眉間を抑えながら苦しげに息を吐く。

「少しばかり遅れてしまったようじゃの」

 少女は人懐っこい笑みを浮かべ、セフィリアを見上げる。

「遅かったですね、悪霊の方はもう処理してしまいましたよ」

「さすがセフィリアじゃの」

 幼さ特有の甘い声と見た目とは裏腹に、どこか年配者のような風格を漂わす少女は親しげにセフィリアと言葉を交わす。

「あ、あの子……死神の子と知り合いみたい。もしかして、あの子も」

 死神? と夏子が言葉を続けようとして。

「いえ、あの子って言うか……あの人は死神じゃないですよ」

 凜が決して明るい感情からではない笑みに顔を引き攣らせ、

「えっ? 凜、知ってる子なの?」

「知っているも何も……あの人は僕の」

夏子へ説明しかけたところで、横から得意げな声が応える。

「儂はその子の祖母じゃよ」

「………………ふぇっ?」

 着物の少女が凜達へ歩み寄り、自分の言葉に気の抜けた声を出す夏子にニカッと無邪気に笑って見せた。

「儂の名前は萩月蘭はぎづきらんじゃ。初めましてじゃな、美人な幽霊さん」

 両手を腰に添え、胸を張って少女……いや、彼女は宣言した。

「お、おおおお、おば、おばっお祖母ちゃんっ!?」

「…………はい、僕のお祖母ちゃんです」

 目玉が飛び出そうになるくらい見開く夏子に、いたたまれないとばかりに顔を俯ける凜。

「同じみの反応じゃの」

 蘭は予想通りとばかりに「こう見えてももうすぐ八十歳になるぞ」と、自慢げにはにかんでみせる。

「嘘…………」

「まぁ、見た目は魔力が高い所為で若いがのぅ……中身は年通り、あちこち傷んでおるからな。幽霊さんみたいに若いお嬢さんを見ると羨ましくなってしまうのぅ」

 驚く夏子を見上げながらしみじみと呟く蘭に、夏子は今度は別な意味で目を驚きに染めた。

「っ!? えっ、ていうか、わっ私がえてるの!?」

「そりゃあ、服のシワまでバッチリとな」

 当然と歯を見せて笑う蘭に、夏子は完全に場の緊張感を忘れ、気の抜けた顔でポカーンと口を開けていた。

「ほほっ、驚いてもろうて何よりじゃ」

「お、お祖母ちゃん…………これは一体どういう事なのか、説明して欲しいんだけど?」

 放心している夏子の様子に満足気な笑みを浮かべていた蘭に、蘭の笑顔と真逆に不満で歪む凜の笑顔。

「何で、お祖母ちゃんがそこにいる死神の子と知り合いなの?」

「何、ただの仕事仲間じゃよ」

「仕事、仲間?」

 さらりと答えた蘭の言葉に凜の眉が僅かに跳ね、

「そうじゃ、今朝方出かける時にも言うたじゃろ? 少しばかり仕事に行ってくる、と」

「い、言ってたけど……よりによって死神と仕事してるなんて。そんな話、聞いてなかったんだけど」

ちらりと視線がセフィリアへ移り、すぐ戻る。

 瞳同様、声に込められた凜の癒える事のない感情に蘭は少しだけ申し訳なさに眉を寄せる。

「そう急かさずともちゃんと説明する。じゃが、ここで話すには長い話になるからのぅ……一旦家に戻ってからでも良いか?」

「良いけど……」

凜はまた蘭から視線を外し、奥で静観していたセフィリアへ視線をぶつける。

「何よ? 親の敵見るみたいに」

 今までとは違った感情の揺れを宿した瞳に、セフィリアは受け止めるように視線を重ねる。

「別に、何でもないよ」

「そう、なら良いけど」

 互いに素っ気ない口調で言葉を掛け、無言で睨み合う…………だが、その沈黙の時間は時を刻むことなく。

「お祖母ちゃん」

「…………何じゃ?」

 凜は蘭に視線を戻し、

「…………っ」

口を開こうとして、思い留まったように閉ざす。

「どうしたんじゃ?」

「ううん、何でもない。さっ、早く家に返ろう」

 凜は蘭から逃げるようにそう告げ、蘭へと背を向ける。

「………………」

「………………」

 背中に感じる蘭の視線に、凜は振り向けなかった。

 振り向いてしまえば、心の中で暴れ回っている言葉を口に出してしまいそうで。



 ――――――何で死神なんかに手をかしてるのさ。



 でも、その言葉は口にしてはいけない。

 その言葉はただの八つ当たり。十年前からから自分の中にある後悔と無力感を蘭にぶつけ………………自分が逃げているだけの卑怯者のような気がして嫌だった。




††††††††††††††††††††††††††




 広さは畳十畳ほどの和室で、夏子は言葉を忘れ視線を止めどなく彷徨わせていた。

 ……空気が凄く重たい。

 張り詰める空気に、もう動く事はない心臓が締め付けられるような錯覚に息をのむ。

「っ…………」

 和室中央に置かれた木目模様の大きめなテーブルを挟むように四つの人影が座していた。

 下座には凜と夏子が、上座には蘭とセフィリアが正座し、夏子は隣から発する圧迫感に横をチラリと窺った。

 夏子の視線の先には、今にも爆発してしまいそうな程の怒気に満ちた瞳で正面を見据える凜。

「…………………………」

「…………っ」

 凜の視線の先。正面には凜の視線をものともせず、セフィリアが平然とお茶に口を付けていた。

 セフィリアは出されたお茶の味を確かめるように僅かだけ含み、飲み下す。

(死神ってお茶飲めるんだ……私と違ってちゃんと体があるって事なのかな?)

 人間とは完全に別次元の存在がお茶を飲んでいるという光景に、異質さを感じつつも黙って見据える夏子。

 一呼吸の間があって小さく息を漏らし、静かに湯飲みを置いた。

「……………………」

「……………………」

 セフィリアは湯気のたつ湯飲みから視線を上げ、揺らぎなく向けられる凜の敵意に動じることなく曇りのない碧眼で見返す。

 公園で起きた日常とはかけ離れた出来事から約一時間が経過。

 場所は公園から凜の自宅へ移り、沈黙という膠着状態が場を支配している。

「………………」

「………………」

「…………フゥ」

 唐突に短く息を付く音が響いた。

 その吐息は重い沈黙を突き破る為でも、場の空気を変える為の切っ掛けというわけでもない。ただ自然に、自分の体に溜まったモノをはき出す……そんな単純な動作。

 その吐息に凜達三人の視線がそちらへ一斉に集まり、

「いやぁ、やはり煎れたての茶はいい……心が和むのぅ」

集まった視線に気づいていない様子で、着物少女的祖母の蘭がほっこりと呟いた。

「あ、ははっ…………」

 場の緊張感とは真逆に和む蘭に夏子は乾いた笑みをぎこちなく浮かべ、訝しげに眺める。

 容姿に限って言えば血縁関係はもとい、完全に凜と兄妹のようにも見える蘭。

 そんな蘭の一言に脱力したように凜が深くため息を付き、

「いや、心が和むって…………」

困惑と呆れが入り交じった表情で言った。

「和んでる場合じゃないと思うよ、お祖母ちゃん」

「ふむ、それもそうじゃの」

 蘭は凜の言葉に諭されたように湯飲みを静かに置いた。

「まったく、お祖母ちゃんはいつもマイペースなんだから」

「すまんの、これも性分じゃて」

 ほっほっほっ、と小さく笑う蘭。

 張り詰めていた空気はいつの間にかほぐれ、夏子はその光景にほっと胸を撫で下ろす。

 状況が状況だっただけに場が険悪になるのは仕方ないと思ってはいたけど、凜のお祖母ちゃんが朗らかな人で良かった。

「そろそろ、話をしても大丈夫かしら?」

 夏子がほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間。セフィリアが待ちくたびれたようにボツリと呟き、また凜の表情が微かに強張る。

「そうだね、まだ話の途中だったし」

 まるで挑発するような声のトーンにセフィリアの眉がピクリとつり上がり、セフィリアの声も半音下がる。

「話の続きだけど…………『事象回帰じしょうかいき』の事からで良いかしら?」

「うん、『事象回帰』がどういったものかは何となくわかったけど……問題があるって言ってたよね」

「ええ、そうよ」

「その問題って?」

 セフィリアの言葉に夏子が眉を寄せ、

「いくつかあるんだけど、大きく分けて三つ」

セフィリアの右手の人差し指を立て、話を続ける。

「まず一つ目はナツコ。今のアンタは『未練』に縛られてるから、破壊以外の魂操作を受け付けない状態になってるの。だからまず先に生き返らせる為には『未練』を解決しなくちゃいけないんだけど…………」

「うん」

「アンタ、自分の『未練』って何かわかる?」

「へっ?」

 予想していなかったセフィリアの質問に、夏子の口から気の抜けた声が出た。

「『未練』って……生きてた時に思い残した事、だよね?」

「そうよ」

 夏子は確認するように問い返し、セフィリアは頷く。

「それを知ってれば私のできる範囲でアンタの『未練』を叶える手伝いができるし、はやく生き返らせてあげられるけど…………」

「『未練』かぁ…………」

 夏子は話を聞く傍ら記憶を辿っているのか、口元に手を添え押し黙る。

 そんな夏子を視るなり、凜が少し慌てたように声を掛ける。

「夏先輩、別に無理に『未練』のことを話さなくても良いんですよ? 思い残した事っていう事はそれだけ想いが強かったって事だから、話しにくい事だったら」

「ちがうのよ、凜」

「え?」

 夏子は全くといっていいほど感情の消えた表情で凜に言った。

「言いたくないとかそんなのじゃないの、ほんとに自分でもわからないの」

「わからないって……」

「まっ、そうでしょうね」

「そう、それが厄介なんじゃよ」

 わかっていたという風に肩をすくめるセフィリアに、横は入りするように話を見守り、黙していた蘭が口を開いた。

「何故、『未練』を思い出せないか、忘れてしまうのというとじゃな」

蘭は視線だけを夏子に移し、凜もつられて夏子を見つめる。

「夏子さんにとって一番知られたくない、誰にも知られちゃいかん記憶――――それが『未練』なんじゃ。その『未練』が霊体になる為の魔力の元になって『霊』として具現化する。だから霊体になった後では『未練』を思い出そうとしても簡単には思いだせんのじゃ。悪霊は自分で『未練』を果たせず成仏できない霊を『地縛霊』……まぁ大きくまとめると【悪霊】じゃな」

「じゃあ、もしこのまま『未練』を果たせなかったら…………」

「なんの例外なく、悪霊】になる」

「悪……霊、って」

「簡単に言えば、さっきアンタ達を襲ってた馬鹿みたいになるのよ」

「さっき人って…………」

 セフィリアのその言葉に、夏子の脳裏に先程の血生臭い情景がフラッシュバックし、恐怖に体が震え出す。

 夏子は震える体を抱きしめ、

「じゃあ、私も……あの人みたいに誰かを傷つけるの?」

「アンタがこのまま『未練』を思い出せないままだらだら過ごせば、ね。【悪霊】になったら魂を破壊するしかなくなるから転生もできなくなるし」

「そ、そんな…………」、

「まぁ、そんなに心配しなくても大丈夫だと思いますよ」

夏子とは正反対に落ち着いた声が響いた。

 その声に凜へ三人の視線が集まり、凜は勇ましく胸をドンッ!! と叩く。

「夏先輩が悪霊にならないように僕も手伝いますし」

 夏子を元気付けるように温かい笑みを浮かべ、

「凜……」

凜の笑顔に、夏子は目頭が熱くなるのを感じる。

「僕なんかよりずっと幽霊に詳しいお祖母ちゃんだっています。それに」

 凜は信頼の眼差しで蘭を一瞥。それから瞳に宿っていた信頼は挑戦的で攻撃的な光に変わり、セフィリアを視界に捉える。

「そこにいる死神も協力してくれるって言ってますからね、仮にも神様が協力してくれたのに失敗しました、なんてあるわけないです」

「当然よ、私が協力するんだもの。それに私はアンタを生き返らせる為に来たんだから最初から悪霊になるなんて心配なんて必要ないのよ」

 セフィリアは凜の皮肉を受け止め、火花を散らせるように視線をぶつけ合う二人。

 凜とセフィリアの間には激しい火花が数秒間飛び散り、どちらともなく視線を外すとセフィリアが小さくため息を溢す。

「まぁ、『未練』の方は一先ず置いておいて、二つ目よ」

 気を取り直すように中指を立て、二つ目の問題を説明していく。

「二つ目はこの町全体の魔力のパワーバランスが崩れてるのよ」

 魔力は人間は勿論、霊体も含めて土地にも不可視な地脈の流れとして存在する。人間や霊体同様、土地もその場所ごとに大小があり、魔力が高ければ高いほど霊的な力が働きやすくなる。

「この町は蜘蛛の巣みたいに町全体に大きな魔力の地脈が流れていたからすんなり『事象回帰』ができると思ってたんだけど、崩れたバランスを元に戻さないと駄目ね」

「バランスが崩れてるって……原因はわかってるの?」

「大体わね。まぁ、こっちの問題は私一人だと少し手間が掛かるからランさんに手伝って貰う事になっているんだけど…………」

 そこまで言って一度言葉を切り、隣にいた蘭へ顔色を伺うように視線を移すセフィリア。

「お祖母ちゃんが?」

 セフィリアにつられ、蘭へ視線を流す凜。

 二人の視線に答えるように蘭は小さく微笑む。

「そうじゃよ。今朝、儂が出ていたのは小奴の上司に呼び出されてな……少しばかりセフィリアの手伝いをして欲しいと頼まれたんじゃよ」

「お祖母ちゃんが手伝いって……一体何を?」

 危ない事じゃないよね? と凜の顔が曇り、蘭は安心させるように少しだけ早口で答えた。

「なに、ちょっとした捜し物じゃよ」

「捜し物って?」

「魔力の収束地点、と言えばいいのかの」

 自分の言葉が妥当なものかと首を傾げながら、湯飲みを両手で持ち上げる蘭。

「本来であれば均等に流れているはずの魔力が必要以上に集中している場所を探すんじゃよ」

 一息間を作るように茶を一口飲み下し、

「その収束地点を探し出して、セフィリアに報告する…………というのが儂のお手伝い内容じゃな」

「捜し物の手伝いならそんなに危険じゃなさそうだし……まぁ、大丈夫かな」

蘭が湯飲みをテーブルに置くのと同時に凜が安堵の表情を浮かべる。

 問題があるって言ってたけど、今のところ二つともなんとか安全に解決できそうだし……この分なら三つ目の問題も何とかなりそうだ。

 不安が心の中で少しずつ払拭していくに感覚に、凜はほんの少しだけ気が緩む。

「それで、最後の三つ目だけど」

 凜はセフィリアの声の重みが変わった事に気がつき、

「問題といえば問題なんだけど……私からしたら別にどうでも良いんだけどさ。そっちの『霊現体ゲシュペンスト』からすると大問題でしょうね」

セフィリアは瞳に宿していた意志の光を押し隠すように瞼を閉じ、一息の間を入れ瞼を開ける。

 意志を殺し、無機質的な瞳で夏子を見つめるセフィリア。

 その姿に凜は背筋に冷たいものが駆け抜けるような感覚に、消えかけていた不安が急速に肥大するのがわかった。

「生き返る時間が指定出来ないの」

「生き返る時間?」

「簡単に説明するとね」

 夏子を指差し、話を続ける。

「生き返る時間は死ぬちょっと前があんたで言えば理想のタイミングよね?」

「そう、ね」

 セフィリアの突然の問いかけ。その意図がわからず、不安に染めた答えを出す夏子。

「それが産まれた時だったり、子供の頃かもしれなし……現在から二、三年前ぐらいになるかもしれないの。記憶自体は今のまま残るから、生き返る時間が前過ぎると辛いと思うわよ?」

「そ、それって…………」

 淡々と告げられた事実が、少しずつ夏子の心を揺らしていく。

「………………そんなのって」

「夏先輩…………」

 自分の隣でうつむく夏子に、凜は何と声を掛ければいいのかわからなかった。

 生き返る時間が一ヶ月か二ヶ月、ある程度我慢したとしても三ヶ月。それくらいの時間で巻き戻って生き返られるなら良い。だが最悪、産まれた時に戻ってしまったら今まで大切な家族や友達と過ごしてきた時間を、思い出を全てをなかった事にしてしまう。

 夏子がたくさんの掛け替えのない思い出を憶えていても、夏子以外の人間全員がその全てを……その思い出を経験していない状態になる。それは実質、生き返った後の世界では今ここにいる『神村夏子』という存在がいなかったという事になる。

「まぁ、このまま【悪霊】になって生き返る事も転生する事もできなくなって、関係ない人間を襲うくらいなら良いんじゃないの?」

 そう言って茶を啜り、答を促すように夏子を見やるセフィリア。

 それからしばらく沈黙が続き、セフィリアはお茶を何事もないように平然と少しずつ喉に流していく。

 夏子はセフィリアの言葉に感情を無くしてしまったようにただ呆然と顔を俯かせていた。

「…………本当に指定出来ないの?」

 押し黙る夏子の代わりに凜が弱々しく、縋るようにセフィリアに問い掛ける。

「えぇ、もうこれは運に任せるしかないわね」

「皆が夏先輩を忘れないようにする事はできないの?」

「全員が記憶を保持するのは無理ね。それこそ事象や時系列に歪みが出てしまうもの」

「そう、なんだ」

 なけなしの努力は粉々に砕かれ、凜も首を垂らして黙るしかなくなった。

 客観的にいえば、セフィリアの提案のように『悪霊』になるよりはマシだという考え方は一番の最善の選択だと思う。しかし、頭でわかっていても心が拒絶してしまう。

 問題も答えも簡単に結果は出てる…………だが、理屈ではないのだ。

 凜はどうにか方法はないかと脳みそをフル回転させて考えてみた。が、良案はすぐに思いつくはずもなく。

「まぁ、話はそんなとこ。話は済んだし、私は一旦任務に戻るわ」

 小さくため息を零しながらセフィリアは立ち上がり、

「一応『事象回帰』はする方向で任務は進めるわ。アンタ達は納得いかないと後味も悪いだろうし暫く考えてみなさい……まぁ、ほんとは考えるまでもない事だけど心の整理ってのは必要でしょうし」

凜と夏子を交互に一瞥した。

「他に聞きたい事はないの? 聞かれた事には答えるけど、聞かれない事には答えないわよ」

「…………うん、大丈夫」

「そっ、なら任務に戻るわね。明日、任務がてらまた来るわ…………それと」

 そう言うと黒い霧がセフィリアの足下から立ち上り、

「ん、何?」

凜は霧に包まれ消えていくセフィリアに視線を戻した。

「どっちの選択をするかはアンタ達に任せるけど」

「うん」

「後悔しない方を選びなさいよ」

 一瞬、聞き間違いかと思う程優しい音色が響く。。

「それじゃ、また明日」

 セフィリアはその響きだけ残し、

「ちょっ」

凜は引き留めようと慌てて立ち上がった、が。セフィリアは霧の中に消えた。

 セフィリアを呑み込んだ黒い霧も空気に溶け込むように消え、後には空になった湯飲みだけがポツンと置かれていた。

「行ってしまったのぅ」

「そう、だね」

「飯くらい喰っていけば良かろうに…………」

 釈然としない場に緊張感のない蘭の声がぽつりとしみこんで。

「夕飯の支度をしてくるでな、二人ともゆっくりしとるんじゃぞ」

「うん、ありがとう」

 蘭は何か察してくれたのか、それ以外何も言わず和室を出た。

 凜は蘭が出て行くのを確認して、視線を夏子に戻した。

「夏先輩……大丈」

「後悔しない選択か」

 凜の言葉を遮るように零した夏子の一言。

「へっ?」

 消えてしまいそうなくらい小さな声でうまく聞き取れず、

「ううん、何でもない。それより蘭さんの手伝いに行こ!!」

それを誤魔化すように夏子は襖をすり抜け、和室から消えた。

「………………」

 一人取り残された凜は、無言で立ちつくす。

 何でもない――――そんなわけあるはずがない。

 夏子が「何でもない」と言った時の表情が瞳に焼き付けられ、鮮明に脳裏に浮かぶ。

 自分に向けられた笑顔――――――それは楽しさや嬉しさ、幸福からなる笑顔であるはずがなく。

「…………」

 迷いや悲しみ、不安に恐れ。負の感情でできあがった笑顔。

 胸の奥底から這い上がってくる怒りと、無力感。その二つを握り潰すように、凜は拳を握った。

「せっかく生き返られるってわかっても、こんなんじゃ…………」

 叫びたくなる衝動を堪え、胸に重くのし掛かる得体の知れない感情に。

「…………何の意味もないじゃないか」

 無情にも示された選択に、突きつけられた現実に…………凜は。

「………………くそ」


 ただただ、自分の無力さを呪う事しかできなかった。


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