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境界世界のブリガンテ  作者: りくつきあまね
エリス=ベェルフェール
27/36

――― 永劫タル罪過 ―――




 ―――――――――――【紅境界クリムゾン・ライン】展開より数分前。




 町の喧噪は遠く、人の気配を感じる事のない青々とした広大な森。

「っと…………大体、この辺りかしらね」

 その静寂を飾る草の絨毯へ労るようにふわりと着地するジュリア。

 が、その出来事に木々の枝で羽を休めていた小鳥達が一斉に可愛らしい声で鳴き、文句を言い残しながら飛び去っていった。

「ハハッ、あの子達には悪い事しちゃったわね」

 飛び去っていく小鳥達にジュリアは小さく苦笑いし、

「でも、これも任務。謝ってもいられないわね」

肌に感じる妙な魔力の流れに、気を引き締めながら正面に顔を向けた。

 エリスと別れてから十数分。微かに感じる魔力からエリスは何事もなく病院へと到着。あちらは心配ないだろう。

「結菜ちゃんと話をしながら待ってくれてる間に終わらせないと」

 そう言っては静かな森の中を奥、そこから流れてくる魔力の気配を辿りながら歩き出すジュリア。

「あまり人の手が入った形跡はないみたいだけど……」

 こういった自然豊かな場所で流脈を通じ、土地に流れる魔力が乱れる原因としては二つの事が上げられる。

 一つは人の手によって場の環境を大きく変えられる事。それこそ土地を切り開いたり地上地下問わず建築物を建設したりと土地の有り体を変えると、魔力の量や流れる速度、流脈の経路そのものまで変わってしまう。

 二つ目は『霊現体ゲシュペンスト』だ。死んだばかりの人間や結菜のように『未練』を持ったばかりの『霊現体ゲシュペンスト』ならば影響はないけが、長い間『未練』を果たす事が出来ずに【悪霊化】した霊が必要以上に集まったりすると負の魔力に当てられて魔力の循環不全になったりする事がある。

「変ねぇ……魔力自体は淀みなく澄んでるし、『霊現体ゲシュペンスト』の魔力も全然感じられない。これなら魔力のバランスが崩れる事はないと思うんだけどなぁ……」

 これまでの経験上の状況とは違う場に首を傾げながらも目的の場所まで黙々と歩き、

「…………あそこか」

正面に聳え立つ巨大な樹木を見上げた。

 地理的にはちょうどこの森の中心。ジュリアの背丈をゆうに十倍は超える巨大な一本の杉が悠然と構えていた。

「樹齢四〇〇年、っていったところかしら…………」

 ジュリアは自身が【神】の一端である事をも忘れ、力強く清らかで見る者全ての心を清める高貴さを放つ樹木の存在感につい魅入ってしまう。

「って、眺めてる場合じゃなかったわ」

 と我に返り、慌てて本来の目的を思い出したジュリアはそっと幹に右手を添えた。

 幹に触れる右手から感じる魔力の流れ。その魔力の流れと自身の魔力を同調させ、流脈の流れに神経を研ぎ澄ませる。

「樹齢四〇〇年は伊達じゃないわね、かなりの魔力の供給量…………それに樹木自体の生命力も満ち溢れてる」

 樹木の状態は文句なしの万全状態。生命力も満ち溢れて、魔力を生み出す源泉も極めて良好。このまま何もなければ後四〇〇年経っても若々しく聳え立っている事は間違いない、のだが。

「…………源泉は良くても枯れかけてる? 普通は源泉も枯れていないとおかしいのに」

 ―――――――――どうして? と、その言葉が口に出るよりも先に同調した無数に広がる流脈の中で、一本だけ周囲の流脈から魔力を吸収している気配を感じ取った。

「これは…………」

 ジュリアはその流脈の位置を注意深く探り、

「……………え?」

探し当てたその場所に思わず声を漏らしてしまった。

「そんな、これって町の真下じゃない!? 昨日までこんな魔力の流動はなかったし、ここに来る間も気配すら感じられなかったのに…………」

 まりにも突然すぎる異常の発生。その事態にジュリアは焦りと共に冷たいモノを背中に感じ、魔力の気配を注意深く把握していく。

 歪な魔力の流れの先にあるのは巨大な魔力の塊で、膨れあがる魔力の塊はまるで球体。流脈と同調しているせいなのか、その球体が急激に肥大化していくのが手に取るようにわかる。

「くっ!!」

 そこまで状態を把握したと同時にジュリアは幹から弾かれるように手を放し、すぐに町へ向かおうと体を切り返した時――――――




 ――――――――――――――――――ドクンッ!!




耳から鼓膜。そこから神経を伝って体の奥まで響く、生々しく不気味で魂を潰されるよな重い脈動。

 その脈動を聞いた途端、世界が大きく波を打つ。

「なっ!?」

 そしてその波に染め上げられるように世界は紅が支配する異物な世界へ変貌した。

「こ、これは……【紅境界クリムゾン・ライン】!?」


 空間結界法術――――――【紅境界クリムゾン・ライン】。


 【悪霊】や『ウロ』が魔力の高い魂を奪い、喰らう為に具象化する結界法術。

 ジュリアがその血染めの世界に呆然としていると、この世界の頂点だと自己主張するように現れる莫大な数の気配。

「この気配は『ウロ』!? それもこんな馬鹿げた数だなんて…………」

 常軌を逸した状況の変化にジュリアは思考を加速させ、すぐ様右手を正面に突き出しエリス達の所へ向かおうと魔力を一気に高め、空間転移法術を発動した。

「法術で一気に…………って!?」

 が、右手に収束させた魔力が強制的に散らされ、法術が掻き消された。

「くっ!? この【紅境界クリムゾン・ライン】、空間転移を阻害できるのっ!?」

 ジュリアは悔しさに歯を喰いしばり、突き出した右手を降ろすと同時に巨木の頂上へと跳躍。

「訳のわからない事だらけだけど、今は考えてる暇はないわね」

 幹の頂上へ着地。そこから一瞬の間も開けず、病院へ向かって飛翔する。

 最大強化の身体強化でも移動に最短で五分は掛かる。その間に出来る事はやっておく事に超した事はない。

 移動の最中、ジュリアは右手を耳に当て、駄目元で念話法術を発動させる。

「こちら『第二級クラス・セカンド』ジュリア=ノーマン!! 『神界』本部通信隊、応答願います!!」

『―――――――――』

 魔力の収束、法術は問題なく展開。念話接続は出来たが応答はない。

 一瞬、脳裏に諦めが奔って表情を強張らせながらもジュリアはもう一度呼びかける。

「こちらジュリア=ノーマン!! 本部、応答を!!」

『―――――――――』

「本部っ!!」

『―――――――――はい、こちら通信隊第三番隊。どうされました? ジュリア=ノーマン』

 三度目の正直で接続が確立。それにジュリアは少しだけ安堵の息を付いて――――――ドォンッ!! と何かが炸裂する音と一緒に巨大な青の閃光が空へと突き抜けた。

「クッ!?」

 今のはエリスの魔力!! もう戦いが始まってるのっ!?

『――――ッ!? 今の音は!?』

 耳元で響く声にジュリアは意識を通信に引き戻し、

「緊急事態です!! 至急応援をっ!!」

山岳地帯を抜け、道路の上で止まっている車へ着地。そして車の破壊を厭わず、全力で踏み台にしてまた空へ全力で跳ぶ。

 そしてそんなジュリアの焦りを助長する様に、もう一度蒼の閃光が天を貫いた。


††††††††††††††††††††††††††


「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 気合いと必殺。その二つの意志を込めた一撃を放ち、蒼の閃光が上空にいた『ウロ』三体を飲み込み爆ぜる。

【ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!】

 そして爆三した同胞に目もくれず、次々と入れ代わるように上空を飛翔していた鳥型の『ウロ』達がエリスと結菜目掛け飛来する。

 そしてエリスは即座に太刀を納刀。魔力を収束させ、

「神威『第四位』解放ッ!!―――――――――『斬閃・紫電』!! 」

解放段階に合わせ『虹の陽炎アルクス・カリマ』は白から紫へと装いを変え、その身に紫電を纏い煌めく。

【ヴォアッ!?】

 エリス達に飛来した『ウロ』は紫電の煌めきに回避とばかりに急旋回するが、

「遅いっ!!」

一手早く紫電が迸り、雷光が振り払われ――――『ウロ』達の翼を斬り裂き、地上へ激突する重く生々しい音が連なる鳴る。

 エリスも続いて着地。すぐ様体を反転させて結菜を抱き抱えて跳躍。遠方に感じるジュリアの魔力を頼りに北上する。

「いくら、倒してっ……もキリがないな」

 弾む息を整えながら結菜を抱き締め直し、

「大丈夫? エリスちゃん、凄く疲れてるみたいだけど…………」

疲弊している様子に不安げに問い掛けてくる結菜。

 そんな結菜の言葉と不安げな様子に心の中で自分を叱咤し、

「えぇ、これくらいなんともありませんよ」

「で、でも……」

「私の事は気にしないで下さい」

疲労に強張る口元を無理矢理吊り上げ、笑顔を作るエリス。

 だが、正直な所。このままでは不味い。

 今はまだ魔力と体力に余裕はあるものの、初めての実戦に体が無意識に強張って余計に力を消費してしまっている。それも結菜を護りながらの撤退戦。エリスの能力が高いといっても所詮、実戦になれば場数がものをいう。

 訓練や模擬戦闘とは違う――――――たった一度の失敗が死に直結する戦場の緊張感は計り知れないものだ。

 そして何よりエリスの心を締め上げていたのは――――――血色に染められ、時を止め佇む住民達の姿。

 エリスは視線を結菜から後方――――追ってくる無数の『ウロ』と住人達へと移す。

「何故【紅境界クリムゾン・ライン】の中に住民達がいるんだ?」

 体を縛る緊張感を押し返すように、愚痴混じりに言葉を吐き捨て状況を整理するエリス。

 ――――何故、突然『ウロ』が現れた? それも空間転移を阻害し、魔力の低い人間達を取り込んで展開する【紅境界クリムゾン・ライン】なんて聞いた事がない。

 自分が知る限り【紅境界クリムゾン・ライン】というのは『ウロ』が自身の力を高める為に魔力の高い人間と魂――――――『霊現体ゲシュペンスト』を取り込む為の空間法術。

「それにこの魔力の数……住民達だけじゃない。『霊現体ゲシュペンスト』も全て取り込んでいるようだな。だが、一体何の為に?」

 魔力の高い人間や『霊現体ゲシュペンスト』だけならただ単に『魂』を狙っての襲撃と判断できなくもないが、これだけの力の足しになりそうにない者まで境界内に取り込んでいるにもかかわらず多勢に無勢といえる数の『ウロ』達は住民達を誰一人襲うことなく、一目散に自分と結菜だけを狙っている。

 自分達二人と他の者達との違い――――――

「…………『死神』の魔力、か?」

 自分と結菜の共通点であり、他者との違い。

 今、結菜は『未練』を果たす為に現世に留まっている。基本的に『霊現体ゲシュペンスト』は長い間『未練』を果たせずに現世にいると【悪霊化】してしまう。だが、それを防ぐ為に『死神』の魔力を供給し、霊体の変質を抑えている。

「となると『ウロ』達の狙いは私達『死神』の魂なのか?」

 我ながら不確定要素の多い憶測だな、とエリスは苦笑し――――言い様のない怖気に頬から一筋、冷たい汗が流れた。

 しかし、その憶測が的を射ているとしても【悪霊】から力が増した『ウロ』とはいえ上位存在である『死神』には遠く及ばない。そして同じ得物を追っているにも関わらずの餌の奪い合いもなく、逆に統率の取れた動きでこちらを襲撃する手際の良さ。

「付け加えてこの空間転移阻害効果のある【紅境界クリムゾン・ライン】…………考えたくはないが」

 敵は『死神』の可能性が高いな……それも『第一級クラス・ファースト』級の。

【ガアアアアアアアアアアアアアアアッ!!】

「チッ!! 人が考え事をしている時に!!」

 エリスの倍はあろう人型の『ウロ』が正面に回り込み、咆哮と共に巨大な拳をエリス達目掛け振り下ろす。

「神威『第伍位』解放っ!!」

 エリスはその一撃を結菜を庇いつつ『虹の陽炎アルクス・カリマ』で受け、体を回転させながら後方へ腕を受け流す。

【ガァッ!?】

 攻撃を受け流された『ウロ』は驚いたように声を上げ、エリスはその隙に懐へ潜り込み、踏み込みに合わせるように『虹の陽炎アルクス・カリマ』は白から橙へ。

「『斬閃・橙光とうこう』!!」

 橙色に輝く刃で『ウロ』の左脇腹から右肩まで斬り上げ、一刀両断。両断した『ウロ』の体からは血が吹き出ることなく、一瞬で灰化し橙の塵となって消える。

 煌めく残滓を突き破り、次の家屋へと跳躍するエリス。

「くっ、キリが……ない、な」

 ジュリアと合流する為に極力戦闘を避けようと努力はしているものの、さすがに数が多すぎる。正確には数えてはいないが、今切り捨てた『ウロ』で三〇は超えた気がする。

 ジュリアと合流後も結菜を庇いながらの戦闘は撤退戦になる事は明白。その上、確定ではないが『第一級クラス・ファースト』の『死神』と戦闘もあり得る状況でこれ以上の魔力消費は抑えておきたいところだが。

「エリスちゃん!! 上っ!!」

 耳元で弾ける結菜の声に戦況整理に傾いていた思考が引き戻され、

「っ!?」

咄嗟に首を跳ね上げた時には既に遅かった。

 ――――――エリスがいるのは僅かな隙が死に直結する戦場。

 そしてその突かれてはいけない隙を突かれ、昆虫……蜂型の『ウロ』が上空から特攻ばりの突進でエリス達を殺傷範囲に捕らえていた。

「くっ!?」

 回避は不可能。そう直感したエリスは咄嗟に結菜を脇へと突き飛ばし、

「エリス、ちゃっ!?」

結菜の呼び声が何かを砕く重音と共に途切れ、同時に脇から腹部へ突き抜ける重い衝撃が奔った。

「グガッ!?」

 その激痛から一呼吸の間もなく、今度は背後から鈍く押し潰されるよう衝撃を味わい。

「カッ、ハッ!?」

 足下に広がっていた住宅街。その中のひときわ大きな家屋の屋根に叩き付けられ、胸から骨が折れる音が幾重も響いた。

 エリスを叩き付けた蜂型の『ウロ』は反撃を警戒し、すぐ様上空へ。

 そんな『ウロ』の様子に激痛に薄れたなけなしの意識で立ち上がろうと『虹の陽炎アルクス・カリマ』を突き立てるが、

「ぐっ………ぁっ!?」

初めて味わう戦場の痛みに体が泣き叫び、その場に蹲った。

「あっ、ぁ………ッ!? ゴフッ!? ゴホゴホッ!?」

 痛みに揺らぐエリスへ追い打ちを掛けるように喉の奥から鉄臭い赤黒い血が込み上げ、不快感と量の多さに堪えきれず吐き出す。

「ガ、ハッ………………ぐっ、うぅっ!!」

 口いっぱいに広がる血の臭いと胸に突き刺さる激痛に悲鳴を上げそうになるが、必死に噛み殺す。

「は、や……くっ、た、てぇ…………っ!!」

 激痛に力の入らない体へ痛みで擦れる声で叱咤するも、情けなく膝が震えるだけでいう事を聞かない。

 そして体がエリスの意志を拒否するようにもう一度吐血。『虹の陽炎アルクス・カリマ』を握る手から力が抜けかけた時。

「――――――エリスッ!! 結菜ちゃんっ!!」

 遠方から届く焦りと緊張に張り詰めた声に、僅かだが身体に力が戻る。

 痛みで意識が朦朧としていて気が付かなかったが、すぐ側までジュリアが来ている。

 鮮明に感じる魔力の気配に、擦れる視界で多勢の『ウロ』を撃破しつつこちらへ向かってくるジュリアの姿を捉える。

 その距離、およそ五〇〇メートル。


 ――――――これなら結菜さんの移動速度でもすぐに合流できる。


 と安堵し、

「ジュ、ジュリアさんっ!!」

すぐ近くで聞こえる恐怖と安堵が入り交じった結菜の声に「逃げてっ!!」と叫ぼうとした瞬間だった。

【ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!】

 暴虐の声音。大気を振るわせる『ウロ』の咆哮に、エリスは首を跳ね上げ――――――その刹那。




「――――――――――エリスちゃん!!」




 暴虐の咆哮からエリスを護ろうと響く結菜の声。そしてドンッ!! と体を突き飛ばされる感覚に、

「えっ?」

エリスのぼやけた意識が鮮明になった。

 エリスの正面。その瞳に映ったのは自身を突き飛ばした結菜と――――槍のような巨大な毒針を突き出し飛来する蜂型の『ウロ』。

 その光景を目にした瞬間。血染めの世界はまるでエリスの魂に刻みつけるように時を緩やかに刻む。


 ――――――逃げてっ!! 


 と、そのたった一言を口にしようとしても叶う事はなく、静かに、ゆっくりと、確実に時が進み……結菜と『ウロ』の距離が詰まる。

 結菜を護らねばと心が暴れるが…………声をあげる事も、手を伸ばす事も、願う事さえ拒絶するように世界だけが時を進めて行く。

 そしてその中でもう一つ。時を進め刻んだものがあった。それは――――――安堵に綻ぶ結菜の優しさと温もりに満ちた笑顔。


「――――――良かった」


 その短くも想いの全てを集約させた優しい声音が世界に響き、世界は加速した。

「ゆ」

 エリスが結菜の名を呼ぶ声は。




 ―――――――――ドシュッ!!




 毒針が結菜の体を無慈悲に貫く音に掻き消され、

「あっ…………」

結菜は貫かれた状態で空中へと連れ去られた。

「あ、あ…………っぁ」

 エリスはその様をただ呆然と見上げる事しか出来ず、上空で四肢を力なくぶらり垂れ下げる結菜の姿に心が空白で満たされる。

「エリスッ!!」

 悲痛を奏でるジュリアに走り抜け様に抱き上げられ、一瞬の間もなくその場から全速力でその場を離れる二人。

「あ……あぁあっ」

「エリスッ!! ここは一旦退くわよ!!」

 自分の無力さを噛み殺し、冷静さを取り繕い叫ぶジュリア。だが、エリスには言葉を返す事が出来なかった。

 ジュリアもその姿に悔やむように顔を伏せ、

「私とあなただけじゃ圧倒的に不利。一旦ここから離脱して、応援が来るまで身を隠すわよ!!」

無駄だとわかっていても言葉を続けていた。

 目の前で起きた事に呆けていたエリスだったが、その言葉に空白だった心に思考が軋み、

「離、脱…………です、か?」

驚愕に目を見開いた。

 ジュリアはその問いに目を大きく見開き、一瞬後には苦渋に目を細め繰り返した。

「え、えぇ……そうよ。私達だけじゃこんな数の『ウロ』は手に負えない。その上、町の流脈が暴発しかけてて、手を打とうにも今の状況じゃそんな余裕がない……だから『神界』に応援を頼んだわ。だから応援が到着するまで」

「結菜、さんは?」

「っ…………」

「結菜さんを、助けないとっ!?」

 エリスはジュリアの答えを待たず体を抱き上げる手を払い、結菜を助けに戻ろうとして。

「駄目よっ!! エリスッ!!」

 すぐ様、ジュリアに抱き止められた。

「は、放してっ!! はやく結菜さんを助けないとっ!!」

 エリスは力づくでジュリアの腕を払おうとするが、痛覚が正常に働き、また激痛の波に力を奪われる。

「駄目よっ!! そんな体で行っても今度は貴女が」

「関係、ないっ!! 結菜さん、をっ!! 助けなきゃっ!!」

「無茶言わないで、エリスッ!! 貴女だってすぐに怪我の治療をしないといけないのよ!!」

「そんなの、いらないっ!! 結菜、さんを……っ!?」

 エリスとジュリア。二人が平行線の問答を繰り返していると、

【ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!】

【ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!】

【ヴォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!】

二人の後方。その上空で何十体という『ウロ』が咆哮を次々とあげていく。

「なっ!?」

「何っ!?」

 二人の驚愕へ答える様に咆哮をあげていた『ウロ』達は一斉に一カ所へと群がり、

「や、………やめ、ろ」

ウロ』達の集まる先には毒針に貫かれ、口から赤い魔力の残滓を吐き出す結菜がいた。

 その光景に何度も習い、学んだ『ウロ』の特性――――魔力の高い魂を奪い、喰らうという残虐な答えが鮮明に奔った。

 そして脳裏から、体全身に奔る悪寒にエリスは体の痛みなど忘れ、狂ったように叫ぶ。

「やめろっ!! やめてくれええええええっ!! 駄目だ駄目だ駄目だっ!! やめろおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 だが、至上の欲求。本能とも言える存在理由に従う獣に言葉も想いも通ずるはずがなく。

「放せえええええええっ!! はなせっ、放せよっ!!」

 エリスはなけなしの力でジュリアの腕を殴りつけ、戒めを解こうとしてもその腕は解かれる事もなく。

「今ならまだ間に合うっ!! まだ救えるっ!! まだっ、まだっ!!」

「っ…………………クッ」

「放せっ!! 放せ放せ放せぇっ放セエエエエエェェェェェッ!!」

 ジュリアの腕を殴りつけた拳からは血が流れ、視界はどうしようもない自分の無力さにぼけ、心が怒りに狂いかけた時だった。




 ―――――――――エリスちゃん。




 ドス黒い感情を優しく宥めるように、頭の中に響く結菜の声。

「ッ!?」

 その声にジュリアを殴る拳を止め、バッと顔をあげるエリス。

 その先でエリス瞳に映ったのは今にも自分の魂を喰らおうと迫る『ウロ』の大群を前にできたばかりの妹を安心させる為に恐怖など微塵もなく、ただ愛おしさを込めた笑顔を浮かべる結菜。

 エリスだけに向けられた笑顔で、結菜は優しさに満ちた願いを紡ぐ。




 ―――――――――私の分まで生きて、ね。




 温かさと、優しさ。そしてほんの一欠片の寂しさに綻ぶ唇がそう形作り――――――次の瞬間。それは理不尽で、不条理で、暴虐の獣に食い散らかされた。

「あっ…………」

 鮮血のかわりに飛び散るのは赤い魔力の粒子。

「あぁっ、あ……っぁあ………………ぁっ」

 引き裂かれ、捻り切られ、噛み砕かれ、宙に舞う小さな四肢。

「…………あぁぁぁっ、ああ、あっ………っ」

 四肢を奪われた細く柔らかな胴は肉片のかわりに赤い塊が飛び散り、

「あっ、あぁ………………ああぁあああ、あっ、ぁっ……」

艶やかだった黒髪は赤に染まり、澄んだ栗色の瞳は光を失い…………優しく、温かく、眩しかった笑顔は――――――




 ―――――――――バクンッ!!




ただ欲求を満たす獣に噛み砕かれた。

「あっ、あぁっああっ………あぁ」

 熱を感じる事はなくとも温もりを感じた手――――――護りたかった。


 優しさに満ち、家族の幸福を見守り続けた瞳――――――見届けさせてあげたかった。


 希望を信じ、最後の願いを想い続けた笑顔――――――叶えてあげたかった。

「あ…………………っ、あぁっ!!」

 飛び散り待っていた結菜の四肢、魔力片は群がる『ウロ』達に貪り喰われ――――――跡形もなく消えた。

【――――――ヴォルッ!?】

 そして結菜を、『死神』の魔力を喰らった『ウロ』が悲鳴のような声を漏らし、




 ――――――――――――ドクンッ!!




無機質でありながら肉体、魂そのもの押し潰す冷徹な脈動が世界を満たす。

 その脈動を引き金に音もなく地表が大きく波を打ち、

「っ!? こ、これは――――――」

瞬間――――――轟音と共に世界が紅の光に飲まれ、幾重の波紋と共に爆ぜる。

「くっ!? 耐えきれるかっ!?」

 ジュリアは焦燥に声を荒げながら家屋の屋根へと着地。エリスを背に迫る膨大な魔力の爆発、嵐の中で祈るように【空絶】を展開。

「ぁ……っああっ、ぁ………あぁっ」

 血染めの世界。その終焉ともいえる荒々しい紅の嵐、爆音と崩壊の轟音の中でハッキリと聞こえた。


 ――――――結菜。


 声など出せるはずがない世界で、現状を理解できるはずがない状況でありながら耳を抉りたくなる程明確に。

 エリスは歯車を軋ませる壊れかけの人形の様に背後を振り返り、わずか十数メートル先に視えた人影は――――――結菜の両親。

「あぁ、ぁ……ぁっ、あ………あぁっ!!」

 エリスは壊れかけの心で結菜の希望を、願いを護ろうと必死に手を伸ばし――――――暴虐の嵐が飲み込み壊した。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァツ――――――――――――――――――――」






 そしてこれが愛した家族の幸せを願った人の少女の想いが、その少女の願いを護りたいと願った『死神』の少女の願いが―――――――エリスの中で結菜が壊れた瞬間だった。

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