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境界世界のブリガンテ  作者: りくつきあまね
エリス=ベェルフェール
20/36

――― 崩レル音 ―――




 ――――――神村邸の出来事から一時間前。




「ぅっ、は……吐きそう」

 額にうっすらと汗を滲ませ、喉元から虎視眈々と溢れ出そうになる内包物を押し留める様に口元を抑える凜。

 商店街の喫茶店『ソリア』で夏子と別れてから一時間。

 完全にキャリーオーバーな胃が悲鳴を上げて、その事実に凜は失念していた事後悔していた。

「夏先輩、大食いなの……っ、忘れてた」

 夏子は地元では幾つもの異名を持つが『大食い女王クイーン』の通り名でも名を馳せている。だが、普段の食生活では一般人の平均的な量でも食欲を満たせるらしく、大食い女子である事を忘れさせてしまう。

 小と大。その二つの切り替えがスムーズにできるのは何故かわからないが、それを忘れているとこういう事・・・・・になるのを改めて実感させられた。

 自宅までの帰り道、パンパンの胃を刺激しないようにゆっくりと歩を進めていた所為か、玄関先まで辿り着くのに一時間も掛かってしまった。

 誰か帰ってきていないかと玄関脇の曇りガラスに視線を奔らせるが、リビングや和室から灯りが零れている様子もなく、二階のエリス達の部屋も灯りはついてない。

「まだ誰も帰って来てないのか…………」

 人の気配を感じない、暗い家の様子に凜はスマホを取り出し時間を確認してみた。

 今の時間はーーー午後八時過ぎ。

「もうすぐ帰ってくるかもしれないし、一応晩ご飯の準備でもしておこうっかな」

 一先ず玄関の鍵を取り出そうと鞄を開こうとして―――――ガチャッ、と玄関のドアが開いた。

「へ?」

 思いも寄らなかった出来事に凜は間の抜けた声が出て、

「やっと帰ってきたか」

来た時から相も変わらずの無機質な表情で凜を見下ろすエリス。

「あ、あの……た、ただいまです」

 凜はどこか不機嫌そうなエリスの声音に呻くように帰宅の挨拶を告げ、

「一応、私もこちらでの連絡手段を有しているし、遅くなるのなら連絡が欲しかった所だな」

 と、コートの内ポケットから真新しいスマホを取り出して見せるエリス。

「ご、ごめん。その、夏先輩とちょっと寄り道してて」

「謝らなくても良い。蘭様からは特に門限はないと聞いているし、神村夏子と逢い引きをしていたのなら仕方がないとも思う」

「逢い引きって……夏先輩とはそんな関係じゃないんだけど」

「ん、そうなのか? 蘭様からは恋仲と聞いていたが…………」

「ちっ、違うよ……お祖母ちゃんが面白がって言ってるだけだから」

 祖母のからかい癖の被害者がまた一人、と鈍い頭痛にこめかみを抑える凜。

「ふむ…………」

 そんな凜の様子に腑に落ちないと眉を顰め、数瞬の思考の後に話を切り替えるエリス。

「まぁ、良い。夕食の準備はしておいた」

「えっ?」

「私が帰ってきた時には誰もいなかったからな。勝手に冷蔵庫の中の物で作らせて貰った

「ごめんね、ほんとなら僕が作らないといけなかったのに……ありがとう」

「貴方が気に病むことではない。私も居候の身としてサポートしただけだ」

 凜は申し訳なさに表情を曇らせつつ礼を言うと、素っ気なく返すエリス。

「それよりも今から出掛けてくる」

「い、今から?」

「あぁ、魔力のバランスが崩れれば調整をしなければならないからな。今、この町の魔力バランスは不安定だから不規則な時間で調整を施す為に町を回らなければならないんだ」

「魔力のバランス調整って聞いてたより大変なんだね」

「昨日同様、帰りは遅くなる。貴方は明日も学業がある身だ、夜更かしも程々に早めに休むと良い」

そう告げるとエリスは凜の脇を通り抜け、

「あ、あのっ」

「ん? なんだ?」

後を追う様にエリスを呼び止め、その声に首だけ振り返らせるエリス。

「その、何もトラブルとかは起きないと思うけど……気をつけてね」

「……気遣いはありがたいが、人間である貴方が『死神』である私の心配は不要だぞ」

 と、どこか突き放す様に言葉を返すエリス。

「ははっ、そう……なんだけどさ」

 事実。比較などできようもない超常存在である【神】の一端、その少女へ掛ける言葉ではないと頭では理解していた――――――だが、心が自然とそう感じてしまったのだ。

「『死神』でもエリスは女の子なんだし、あんまり無茶しちゃ駄目だよ」

「っ!?」

 何となしに告げた凜の言葉に驚愕――――――そして僅かに滲み出た哀愁に表情を軋ませるエリス。

「…………エリス?」

 昨日、台所で見せた弱々しい姿が脳裏に浮かび、

「…………何でもない、気にするな」

「な、何でもないって…………」

その言葉とは裏腹に動揺に揺らぐエリスに、凜が歩み寄ろうとした時だった。

「そんな風には――――――」

「――――――何故、あの人と……じ事を」

 今にも消えてしまいそうな、そんなはかなげで小さいな声が凜の足を止める。

「え?」

「…………くっ」

 戸惑いに歩を止める凜から逃げる様にエリスは高々と跳び、正面の家の屋根に着地。

 そこからは目で追えない速度で月が優しく照らす闇に消えていった。

「……………………エリス、大丈夫かな?」

と、どこか後を引く不安を呟き、スマホをブレザーの内ポケットにしまおうとして一瞬だけディスプレイに表示された時間が目に映った。

 

 ――――――午後八時五分。


 普段でれば夕食を終え、片付けを蘭に任せて授業の課題をしている時間。

「っと、あんまりのんびりしてると課題する時間が遅くなっちゃうよ」

 少し急ぎ気味に地面においた鞄をとろうとして、前屈みになった時だった。




 ―――――――――ゴポッ。




 喉の奥から消化できていない物が逆流してくる感覚に、口元をバッと押さえた

「ぅっ…………」

 喉の奥で確かに感じる不穏な力。

「こ、これは……思ったより厳しい、かも…………うぐっ」






 少しでも気を緩めば胃の中で混ざったカツカレーが「こんばんはっ!!」と喉から飛び出してきそうだった。


††††††††††††††††††††††††††


 もの柔らかな夜空の煌めきの下、人工的で端正な輝きで飾られ軒並ぶ店々。その間を緩やかに行き交う人々の姿。そして静かとも騒がしいとも言えない商店街の賑わいは平穏といって差し支えない情景。

 その情景から数メートル程高い雑居ビルの屋上で静かに佇み見下ろすエリス。

「…………今のところ異常無し、か」

 足元に広がる穏やかな人の営みにポツリと呟き、指を弾いた。

 するとエリスの正面に小さな紫電が閃き、ノートサイズほどの鮮明な映像が浮かび上がりーーーーそこに映し出されていたのは凜の通う紫苑高校だった。

 昨日、二名の人間がここから消えた――――――正確に言えば連れ去られた・・・・・・、だ。

 後悔と自責に塗れた険しい顔でエリスは深いため息を付いた。

「……【境界門ラインゲート】は開いているのに、私の法術操作を受け付けないとは」


 ――――――【境界門ラインゲート】。


 ソレはエリス達『死神』が【現世】と【神界】といった異空間を行き交う際に用いる空間転移法術だ。先日、夏子の決死告白イベントを台無しにした紺碧の門の正体である。が、使用したエリスはそんな事など露知らず、黙々自身の置かれた状況を整理していく。

 人間達が連れ去られる瞬間、空間転移特有の魔力の揺らぎを感知。現場へと急行したが揺らぎ付近にあった人間が飲み込まれ、すぐ様救出を試みたが法術操作が全く働かず、揺らぎは異聞を嘲笑う様に消えた。

「…………あの【境界門ラインゲート】に干渉するには何か特別な条件があるのか? それとも法術とは別物の力か?」

 戦闘で普段用いる【漆黒境界ノワール・ライン】や発動者の任意で取り込む【紅境界クリムゾン・ライン】の様な展開するタイプではなく、完全に別異空間に引き摺り込む形式。

「『霊現体ゲシュペンスト』や萩月の様に魔力の高い人間を取り込むならば魔力搾取が目的だろうが…………何故あんな微弱な魔力量の人間を取り込む必要がある?」

 姉や蘭に聞けば何かわかったかもしれないが【神界】に赴き不在の今、二人が帰ってくるまで自分が何とかしなければならない。

 こちらの時間で出発したのは昨日の朝で、現世に戻ると連絡を受けたのは昼。そして予定では夕食前には到着する予定だった。

 だが、姉達は今日の朝になっても帰らず、今日で丸一日を過ぎ、あと半日もすれば二日。

 現世と神界では時間の流れがかなり異なる為、多少の時間の誤差はあると思うがそれにしても遅すぎる。姉達からの最後の連絡から【神界】にも連絡が取れなくなった。それに今回の姉様の任務のことも考えれば何かあったと推測するのが妥当。

「蘭様が護衛に付いていただいているから姉様は安心だとは思うが…………問題はこちら、か」

 そう呟くのと凜の姿が脳裏に浮かぶのは同時。そしてそれを引き金に萩月家から出立間際に言われた言葉が不意に頭の中で響いた。


(――――――『死神』でもエリスは女の子なんだし、あんまり無茶しちゃ駄目だよ)


 自分を気遣う凜の言葉と控えめな笑顔。その二つがエリスの中で静かに、それでいて重く響く。

「…………人間が、『死神』の心配など」

 頭の中で響く声に私は覇気のない声でポツリと呟き、

(――――――神様でもエリスちゃんは女の子だもの、あまり無理をしちゃ駄目よ)

凜と入れ替わる様にある少女の姿が過ぎった。

「っ……………」

 その少女の姿にエリスは唇を噛みしめ、胸に溢れてくる感情に拳を握った。

「私は……」

 惨たらしく刻まれた過去キズから溢れ出る感情。その感情に五年前、『死神』としてあまりにも未熟だった自分を呪う――――何故、私は『死神』でありながら無力だったのかと。

「もう、あんな思いをするのはたくさんだからな…………」

 もう二度と見ることのできないあの少女の優しさで溢れた笑顔に、エリスは感情に肩が小さく震える。

「どんな無理でも押し通す…………そう決めた」

 自身でさえも危ういと思えるほどに脆く崩れてしまいそうな声。

 エリスは自分自身を叱咤するつもりで拳を握り、額へ放った時。


 ――――――――――――ドクンッ!!


 静寂な日常を貪り喰らう様に不気味な脈動が波打った。

「っ!? これの気配は昨日のっ!!」

 弾かれる様にエリスは背後を振り返り、脈動の発信源を索敵。背筋を這う様に奔る魔力の気配を捉える。

「くっ!! また萩月達の学舎だとっ!?」

 犯人は犯行現場に戻る。そんな言葉が人間達の小説にあったな、と脳裏で苦笑し馬鹿さ加減に唇を噛む。

 エリスは即座に魔力を身体へ循環させ、莫大な膂力で跳び――――――


 ――――――――――――ドクンッ!!


かけた所で再び不気味な脈動が音を刻んだ。

「――――――なっ!?」

 それも数え切れない・・・・・・・程に。

 嘲笑う様に波打つ脈動の不協和音。そのおぞましい演奏にエリスは数秒間、驚愕に思考が止まり――――――それの僅かな隙が致命的だった。

 鳴り止まぬ不協和音の中で消えていく多くの人間達と『霊現体ゲシュペンスト』の気配。

 そのあまりの数にエリスはハッと我に返ったが時既に遅く、荒れ狂う様に奏でられていた脈動は寸分違わず消え去り、




「…………馬鹿、な」




急転する状況にエリスは呆然と呻き――――――あとに残ったのは先程と変わらぬ穏やかな日常だけだった。

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