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境界世界のブリガンテ  作者: りくつきあまね
エリス=ベェルフェール
18/36

――― 浸るは日常の欠片 ―――

 時間は午前八時二十分。あと十分ほどで朝のホームルームが始まる時間だ。

 教室内は朝礼前のちょっとした雑談で溢れ、生徒達が思い思いに過ごしていた。

「…………」

 そんな中、凜は以前と変わらず最後列、窓際の席で無言で空を見上げていた。


 ――――――結局、昨日は日を跨いでも蘭とセフィリアは帰ってこなかった。


 任務に出たエリスの事もあり念の為、日付が変わってから三時間程待ってみたものの誰も帰ってくる気配はなく、僅かな不安を胸に抱きながら床に着いた。

 三時間程の睡眠ではさすがに体が睡眠不足を訴え、瞼が重いのも仕方ない。

「…………ハァ」

 凜は小さく溜息をつき、自由気ままに青空に浮かぶ雲を恨めしげに眺める。

 ただ『幽霊』がえるだけの状態になってしまったが、一応何か町に変わった様子がないかコンタクトを外し登校してみたが……『幽霊』がえるだけで何も変わらず、何事もなく学校に着いた。

 いつも一緒に登校してる夏子には「あれ? 今日はコンタクト忘れたの?」と聞かれたが「寝坊したので付けてこなかった」と言って誤魔化した。まぁ、学校に着いたらすぐにトイレに駆け込み、いつも通り付けたので他の人間には見られてない。

「……………………」

 窓の外から教室に視線を戻して、級友達が和気藹々としている日常風景を眺める凜。

 左眼に映るのはごく普通の、ごくごく平和な日常。

「……………………」

 その光景に平穏な生活に帰ってきたのだと実感し、


 ――――――死にたくないよ。


「…………っ!?」

その度に頭の中で絶望と渇望に練り上げられた歪な声がそれを引き留める。


 ――――――殺した。


 頭の中で静かに、それでいて明確に突きつけられる感情。その感情に凜は逃げるように目を閉じ、机に蹲るように体を丸めた。


 ――――――お前が。


 頭の中で声がジュマへ告げた自身の言葉が、ジュマの絶望に蝕まれた表情が、思い出したくもないあの瞬間、あの時の光景と手に残る感触が鮮烈に甦る。


 ――――――お前が殺した!!


 皮膚や肉を貫き、骨を砕いて――――――魂を破壊する醜悪な感触。

 そして魂を砕いた時の手応えはまるで――――――。

「っ!?」

 その感触に喉の奥からこみ上げてくるものに思わず口を押さえた。

「っ…………」

 頭の中に響く声と右手に浮かんだ嫌な感触が、凜へ告げる。


 ――――――平穏な日常に帰るなんて許さない。


 頭の中を埋め尽くして、体中に広がる怨嗟の声。

 その声に凜は丸めていた体を、怯える子供の様に縮こませ――――――。


「――――――はいはいっ!! 皆さん席について下さーいっ!!」


 教室の前側の戸口が勢い良く開くのと同時、間延びした男の声にハッと我に返った。

 男の声に頭の中で響いていたソレ・・は蜘蛛の子が散るようにサッと消え、縮ませた体がピッと伸びた。

「…………あ、あれ?」

 うるさいくらいに響いていた声が消えて、左眼に映る日常に僕は首を傾げた。

 凜の左眼に映ったのは白のYシャツに黒のスラックス姿の小太りの男性。

 その男の人の姿にを凜を含め、それに他の生徒達も示し合わせたように首を傾げた。

「浪岡先生じゃない…………な、なんで?」

 と、疑問と驚きを混ぜた声を漏らす凜。

 普段であれば佐枝が睡眠不足全開の顔で姿を見せ、気怠げに点呼を採るのが慣れ親しんだ光景なのだが――――――今日は他の教師が入ってきた。

 その男は凜達のクラスの副担任で、佐枝が職員室で雑務をしている時と自身の短刀科目の時にのみ教室に顔を出すだけの影が薄い教師だ。が、他の級友達も不思議そうな顔を師ながら席に着き、生徒達の気を引き締めるようにスピーカーから朝の予鈴が鳴り響く。

 その始業の鐘が鳴り終えると、副担任は凜達の疑問に答える様に告げる。

「えぇ、本日ですが浪岡先生は欠席です」

 その一言に治まりかけていた驚きが教室内に再び響き、

「へぇ、珍しい」

「さっちゃん、風邪でも引いたのか?」

「風邪じゃないんじゃない? 去年なんて四十度も熱あっても来てたし」

「あの日で辛い、とか?」

信頼する担任の思いがけない休みに、思い思いの事を口にする生徒達。

「はいはい、静かに!!」

 そんなざわめきムードを一括する副担任の声に一斉に口を噤み、

「浪岡先生は風邪でお休みです。変な噂を立てないように……体調が芳しくないとの事で、大事を取って今日から三日間ほど学校をお休みします」

「へぇ、さっちゃんが風邪で休むなんて珍しい」

「よっぽど辛いのかな?」

「だろうな、じゃなきゃ休まないだろうし」

 と、妙な感心で副担から隠れるように言葉を交わす生徒ら。

「それと箕島さんも体調不良の為、同じくお休みです。箕島さんも二、三日お休みになるので副学級委員長はしばらくお仕事を代わりに頑張って貰いますので、よろしくお願いします」

 と、トップの不在となれば当然の如く二番手にしわ寄せが来るのは通り。その事実に前少し離れた前の席から「マジかよぉ…………」と、不満の声が上がるが、副担任はそれを気にもとめずに脇に抱えていたクラス名簿を開いた。

「はい、では先に出席を取ります」

 どこか事務的な副担とのやりとりにしっくりこない生徒達。

 凜はそんな様子を「まぁ、皆がそんな顔をするものわからなくもないけど…………」と、小さく苦笑いを溢す。

 事実、自分も僅かばかりの違和感のようなモノを憶えている。

 自分の記憶の中では一年の頃からお世話になっいる佐枝は週末の休校日と出張以外では休みを取ってまで休んだ事などない。足を骨折した時でさえ学校を休まなかった。それこそ風邪で四〇度の熱があっても生徒達にうつさないようにガスマスクをし、手には医者が手術で使う特殊なゴム手袋をしてまで学校に来るような人物だ。

 もう一人の箕島も…………良くは覚えてないが、多分そんなに学校を休むような生徒ではなかったと思う。

「ほんとに珍しい……今日は雨でも降るのかな?」

 そう呟いた後で窓の外に広がる青空を眺めながら、我ながら不謹慎だなと自分の戒める凜。

 それから副担任に名前を呼ばれるまでの間、安穏とした時間の隅で流れる雲を眺めていた。




††††††††††††††††††††††††††




 五月中旬に差し掛かった気温は意外に蒸し暑く、多くの生徒達がブレザーを脱ぎYシャツ一枚。

 それでもまだ肌にまとわりつく暑さを逃がそうと学校一の美少女と名高い彼女――――――神村夏子は長い髪をアップで纏め、隣で弁当を持った幼馴染みに困惑と欺瞞の視線を向ける。

「あかり、ほんっとに変な事話さないでよ?」

「はいはい、わかってますって」

 夏子よりも短い普段通りのポニーテールを不満げに揺らし、

「もう、そんなに心配しなくても大丈夫だってば。夏子が困るような事は聞かないからさ、安心してっば」

言い終わるなりウキウキ笑顔を見せる幼馴染みに、手の小指の爪程も信頼性を感じられない夏子。

 あかりの言動に不安だけが募り、肩を落とし溜息をついた。

 今は午前の授業を終え、学校生活のオアシスと言われる昼休み。

 いつもなら凜と二人でのんびりお弁当を食べる、夏子にとって最重要時間帯……なのだが。

「あぁ、もう。そんなに恨めしそうに睨まないでよぉ」

 夏子のずしりと重い視線に気まずそうな笑顔で取り繕うあかり。

「二人っきりの甘い一時を邪魔して悪いとは思ってるけどさ……一応、幼馴染みの私としては夏子が好きになった萩月くんを一度は見定めておきたいわけでですね」

「見定めるって……」

「いつ何時萩月くんが夏子をその毒牙にかけ、って!?」

 気まずい笑顔が演技と思わせる程饒舌になるあかりへセフィリア顔負けのエグいチョップを脳天にお見舞いする夏子。

「…………あかり」

 自分でも戸惑う程の重低音の唸り声であかりを一睨みする夏子。

「はい、スミマセン」

 あかりも夏子が放つ感情がわかったのか、片言で間を開けずに謝った。

「もぅ……ほんとにやめてよね、そういう話は苦手なんだから」

「はーい」

 夏子は溜息混じりに諭し、つまらなさそうに生返事するあかり。

 そんなあかりを横目で眺めながら、心の中でもう一度盛大な溜息をつく夏子。


 ――――――凜、あかりを連れて行ったら驚くだろなぁ。


 十中八九驚く事間違いなしの凜の姿を想像し、夏子はつい数分前に起きた教室でのあかりとのやりとりに気持ちがどんどん重くなるのを感じた。


††††††††††††††††††††††††††


「な・つ・こっ!!」

「な、何? あかり」

 これから凜との昼食の為に屋上へ行こうと教室を出たばかり夏子を、悪戯っ子笑顔で呼び止めるあかり。

「ねぇ、夏子ぉ」

 甘えた声と一緒に子猫みたいに体をすり寄せてくるあかりに、

「な、何? そんな甘えた声出して……」

幼馴染み歴十七年の直感が教えてくれた――――あかりは何か企んでいる。

「な、何か用?」

 その直感に夏子はいつでも逃げられるようにと弁当包みを抱きしめ、

「今日は一緒にご飯食べ」

「ごめんっ!!」

と、あかりの言葉を最後まで聞かずに走り出そうとした。

 が、それを予期していたのか即座に後ろから腰元へ腕を絡め、逃げ出す夏子を抱き止めるあかり。

「ご飯、一緒に食べようよぉ」

「ちょっ!? あ、あかり!!」

 耳元でくすぐるように呟くあかり。

 妙な艶めかしさに驚きつつも夏子は周囲からの奇異と生暖かい視線に、慌ててあかりの腕を解こうとする、が。

「つぅーーーーっ!?」

「ホホホッ、無駄ですの事よ。夏子さん」

 得意げな高笑いを上げるあかり。

 同じ女子とはいえ帰宅部とバレー部の差か、夏子はあかりの腕をほどく事が出来ず、慌てる夏子へ楽しげに企みを明かす。

「勿論、萩月くんと一緒に屋上で」

「なっ!?」

 当たって欲しくない予感がドストライクで決まり、

「凜と一緒に、って……あかり、何が目的?」

無駄な足掻きと知りつつも勝ち誇った笑顔のあかりを睨む夏子。

「夏子ったら、そんなに警戒しなくても大丈夫だよぉ」

 大丈夫、そんな言葉が嘘と明確にわかる笑顔であかりはサラッと、楽しげに言った。




「ちょっと萩月くんを鑑定するだけだから!!」


††††††††††††††††††††††††††


 あの時のあかりの笑顔を思い出して軽い頭痛に眉を顰める夏子。

 軽くもクセの強い頭痛に苛まれている間にいつの間にか階段を上り、目の前には屋上の出入口のドアが。

「ではでは夏子さん、愛しの萩月くんとのご対面を!!」

 あかりが小憎たらしい笑顔で夏子の背中を押し、ドアを開けるように催促する。

「い、いつかあかりにも同じ事してやるんだから」

「はいはい、夏子はそんな事出来ないってわかってますから」

 ――――――しない・・・、じゃなくて出来ない・・・・

 せめてもの抵抗は難なく返され返されたあかりの言葉。その言葉の意味が自分の事を理解してくれているという嬉しさがこみ上げて来たが、今の状況だと悔しさに即変換される。

 夏子はそれ以上の反撃は効果なし、と悔しさに下唇を噛み屋上のドアを開いた。

 すると空気の動きにつられて、そよ風が二人を出迎え、

「とっ」

「っと、少し風強いわね」

夏子とあかりは風になびくスカートを軽く押さえながら屋上に足を踏み入れた。

 生徒が誤って落ちないようにと設置された小高いフェンスに囲まれた屋上は、毎日の掃除のおかげでベンチまで綺麗に管理されてる。

「えっと、凜はっと……」

 屋上にいくつも設置されたベンチには凜の姿はなく、ふと凜は一人で屋上の更に上。頭上にある手狭なスペースで昼食を取る事もあるのを思い出した所で。

「あ、夏先輩」

「り、凜っ!?」

 右脇に設置されていた上へと昇る梯子の前でいつもないはずのベンチがに腰掛け、出入口の段差で出来た日陰で弁当を膝にのせ涼んでいる凜を捉えた。

「き、今日はここにいたんだ」

「はい。今日は少し暑くなったので、日陰の方がいいかなって」

 凜は驚く夏子に小さく微笑んで、言葉通り少し暑いのか普段しっかり締めているネクタイを少し緩め、Yシャツ姿で見上げ――――――。

「あれ? 今日はお友達と一緒なんですね」

 夏子とあかり。見慣れぬ組み合わせに、意外そうに目を丸くする凜。

 その凜の様子はどこか素っ気ない感じで、もっと驚くと思っていた恋する乙女である夏子としてはもう少し残念かつ悔しそうに驚いて欲しかった所。

 凜にとっては自分との二人きりの時間はさほど特別じゃないのかも、と夏子が落ち込み掛けた時。

「えっと…………こちらの先輩は?」

 あかりの様子を横目で窺う凜。

 夏子は凜の問いに気持ちを切り替えるよう小さく咳払いをし、

「凜は初めてだったよね。この子は同じクラスの子で幼馴染みの」

「小野あかりだよ。初めましてだね、萩月くん」

夏子の紹介に合わせるように一歩前に出て凜へ右手を差し出すあかり。

「初めまして、萩月凜です」

 凜もサッと立ち上がり笑顔で名乗りながら短く握手を交わし、夏子を間に挟むように離れた。

「今日は小野先輩とお昼ですか? もし、そうなら僕は邪魔にならないように上に」

 凜は夏子達にベンチを譲るように梯子へ向かおうとして、

「あっ、ちょっと待った!!」

それを物凄い勢いであかりが凜の肩をつかんで止めた。

「えっ? あ、あの?」

 凜は突然のあかりの行動に驚き、

「そ、そのさっき教室で……今日は私と凜、それにあかりの三人でお昼にしようって話になってね」

「そ、そうなんですか?」

「そうなんですよ、萩月君」


呆気にとられる凜に人懐っこい笑みで答えるあかり。

「まぁ、そう言う事。だからほら、皆で座って食べようよ」

「じ、じゃあ僕もう一台ベンチ持ってきますね」

「う、うん。お願い」

 凜は少し離れた場所にあったベンチを引き摺り運んで、

「僕はこっちのベンチに座るので、夏先輩と小野先輩はそっちのベンチにどうぞ」

「うん」

「はいはーいっ!!」

夏子とあかりは先程まで凜が座っていたベンチに腰を下ろした。

 凜は別のベンチを向かい合わせに置き、二人の正面になるように位置を調節し座る。

 三人座ったところでそれぞれ弁当の包みを解き、出てきたのは色違いの二段弁当。

 色で言えば夏子が赤、あかりが黄色、凜が緑色と信号機のような配色。

 それからタイミングを合わせた様に、一斉に弁当の蓋を開いた。

「ではでは、いっただっきまーす!!」

「頂きます」

「いただきます」

 あかり、夏子、凜の順で感謝を込めつつ箸を持った。

 夏子のメニューは至ってシンプル。メインの唐揚げに鰹節を添えたほうれん草のおひたし、サケの塩焼きと一番得意なだし巻き卵の四品に彩りでプチトマトを二つ添えた一段目。二段目は特に手の込んだ事はせずご飯を適量詰め込んだど定番のメニューだ。あまり手の込んだメニューではないが冷凍食品が入っていない辺り、日々の家事への努力が伺える。

 あかりは麻婆豆腐にコロッケ、ナポリタンに鯖の味噌煮にと多国籍メニューで、二段目は夏子同様と適量の白米。見た感じは手作りだが、あかり曰く半分は冷凍食品に頼っているらしい。

 最後に凜のメニューだが、

「へぇ、萩月君のお弁当も手が込んでるねぇ」

と感心に声を弾ませるあかりに心なしか苦笑いで答える凜。

「い、いえ…コレは昨日の残り物を詰めただけの手抜きですから」

 あかりの言葉と凜の苦笑いに夏子は凜の弁当に視線を移し、一段目にはメインの鶏肉を照り焼きにしたものと小松菜と油揚げの煮びたし。それ以外にはカボチャの煮物に味噌焼きしたお豆腐が入っていて、二段目には椎茸とエリンギ、舞茸のキノコの炊き込みご飯がぎっしり詰め込まれていた。

 和食中心のメニューに「相変わらず凄いなぁ……」と悔しいながらも感心して凜へ視線を戻す夏子。

「凜、だし巻き卵一口上げるからご飯一口貰って良い?」

 習慣――――いや、もはや日常の一部となった弁当の食べ合いっこを提案し、

「あ、はい。良いですよ」

と、どこか嬉しそうに笑顔で夏子へ弁当を差し出す凜。

「あっ、私も私もっ!!」

 あかりも出遅れまいとおかず交換に参加し、

「じゃあ、私は照り焼きをば」

「どうぞ」

早速と言わんばかりに凜の弁当に箸を伸ばし、笑顔で弁当を差し出す凜。

 あかりは鶏の照り焼きを一切れ箸で摘み、そのままパクリ。

「うーーーーっ!! 美味しいね、コレ!!」

 口に広がる甘く香ばしい風味と美味しさに足をばたつかせ、満面の笑みで声を上げる。

「下味はだし汁と醤油、それに塩こしょうを少々。それに隠し味でショウガが少し」

「へぇ、だからちょっと引き締まったような味になるんだ」

「甘めの方が好きならみりんを混ぜると自然な甘みがましますよ」

 凜は照り焼きの作り方を解説しながらご飯を一口。

「いやぁ、コレなら良い旦那さんになれるね!!」

 ご満悦のあかりは何かねちっこい笑顔で夏子の肩を叩き、

「夏子もこういう旦那さんを貰ったら幸せだよね?」

「っ…………そ、そうだねぇ」

 思わず声を荒げそうになるが、ここで慌てたらあかりの思うつぼ。小憎たらしいあかりの笑顔を冷静に耐え、返答する夏子。

 そこからあかりが余裕綽々で追い込みを掛け、

「萩月君も夏子みたいな奥さんが貰えたら幸せだよね?」

「ちょっ!?」

何の脈絡もない、どストレートな一撃をねじ込んでいく。

「夏先輩が奥さん、ですか?」

 凜も突然の話題に驚きつつ、再確認するようにあかりの言葉を復唱した。

「うん、夏子が萩月君の奥さん」

「あ、あかり!!」

 夏子は面白半分といったあかりの言葉に体の奥から熱くなり、もし今すぐに自分の顔を鏡で確認したら茹で蛸になっている確信がある。

「夏先輩が奥さんだったら間違いなく幸せだと思いますよ」

 そこへ止めを刺す様に凜が照れくさそうにはにかみ、夏子の心臓を鷲づかみする。

「っ!?」

「ほほぅっ!!」

 あかりは凜の言葉に満足そうに口元をつり上げつつも、その瞳には物事を推し量るような感情も見えた。

「夏先輩は綺麗だし、頭も良いし、性格も良いし、家事だって完璧だし」

 普段、誰かに誉められるのも苦手な夏子は凜の褒め殺しに首から上が瞬間沸騰し、

「そんな夏先輩が奥さんなのに幸せじゃないなんていうのは我が儘だと思うんですよね」

終いには体中から幸福と羞恥の汗がドッと滲んだ。

 凜の言葉にのぼせている夏子を横目でニタニタ見ながら、最後のもう一押しと問い掛けるあかり。

「じゃあさ、本当に奥さんになって貰ったらいいじゃん」

「っ!?」

 のぼせ上がった血が羞恥に沸点を超えながら頭の中を乱回転し、

「ははっ、それは無理ですよ」

照れと気まずさに苦笑いを浮かべる凜に、一瞬で熱が奪われた。

「な…………」

 あかりも想外の何ものでもない答えに目を大きく見開く。

「あっ、と……ず、随分ハッキリいうね。あれだけ誉めておいて無理って……夏子のどこに不満があるのかなぁ?」

 驚きの奥から怒りのような感情が瞳に宿り、大きく開けた目を針みたいに細くして凜を睨むあかり。

「あぁ、違います。夏先輩に不満があるとか、悪いところがあるとかそう言う事じゃなくて……」

 あかりの鋭い視線と妙な凄味のある声に、凜は弁当をベンチに置いて小さな両手を大きく振って否定した。

 それから凜はあかりから真っ白に燃え尽きている夏子へ視線を移し、一瞬迷うようなそぶりを見せ小さな唇で言葉を紡いだ。

「その、夏先輩には好きな人がいるので僕は問題外っていうか……だから、僕の奥さんは無理なんですよ。ねっ、夏先輩?」

 申し訳なさそうな表情で夏子に同意を求める凜。あかりはその言葉に先程以上の驚愕に目を丸くし、夏子を見やる。

 燃え尽きていた夏子は凜の言葉とあかりの視線にハッと正気に戻り、

「はははっ…………そう、なんだよねぇ」

ぎこちないながらも笑顔で誤魔化す。

「そ、そう言う事なので……夏先輩は僕の奥さんにはなれないというか、他に奥さんになってあげたい人がいるわけでして」

歯切れの悪い夏子の同意に凜はホッと胸を撫で下ろし、変な言葉遣いであかりの様子を窺う。

「………………」

 あかりは無言で幼馴染みをジッと見詰め、

「お、小野先輩?」

「そっかぁ、夏子にもちゃんと好きな人いたんだねぇ」

凜の不安げな声に落胆と驚き一杯の苦笑いで答えた。

 あかりは場の空気を変えるようにおかずのナポリタンを一口口に運んで、

「ちぇっ、しばらくこのネタで夏子と萩月君を弄ろうと思ったのになぁ」

「い、弄るって……」

悪戯をして失敗した子供みたいに拗ねるあかり。

「いやぁ、萩月君て転校してきてからすぐに夏子と仲良くなったからさぁ……話聞いたら昔からの知り合いだって言うからこれは何かあるなって思ってたのに……あぁ、がっかり」

 大げさすぎるくらいに大きな溜息をつくあかり。

 今度は麻婆豆腐に箸を伸ばし、

「でもさ、萩月君。夏子に好きな人いなかったら本当に奥さんになってもらいたかった?」

――――――もしも、の答えをもう一度問う。

 その問いに凜はカボチャの煮物を口に入れかけたところで箸を止め、

「同じですよ」

煮物を弁当に戻し、静かな声で、それでいてハッキリとした口調で告げる。

「もし、夏先輩に好きな人がいなくても……僕の奥さんって言うのは無理があると思います」

 気まずさに眉を寄せて、小さく笑う凜。

「…………なんで?」

 一瞬、凜の笑顔に言葉が出てこなかったあかり。だが、答えの理由を知りたいという欲求に声を絞り出した。

「勿論、さっき言ったみたいに夏先輩みたいな人が奥さんだったら幸せだと思うんです。でも、僕には夏先輩は勿体ない……っていうのが一番近いのかな」

「勿体ない?」

「はい。夏先輩は美人で、優しくて、暖かくて」

「っ…………」

 夏子は何の打算も感じられない凜の真摯な言葉一つ一つが凄く嬉しかった。だが、

「ごくごく平凡で、どこに出もいるような人間の僕には勿体ない…………すごく素敵な人だと思います」

何の躊躇いもなく言い切った凜の屈託のない笑顔が…………どうしようもなく寂しかった。

「だから、夏先輩が奥さんっていうのは…………」

 最後に照れ笑いで言葉を切ると恥ずかしさがこみ上げてきたのか、ぷにっとした頬を僅かに上気させ。

「で、でも…………夏子が好きなのは」

 照れ隠しにカボチャの煮物を頬張る凜に、あかりが食い下がろうとして――――――屋上隅に設置されたスピーカーから尻上がりに響く電子音がそれを遮った。


『――――――生徒の呼び出しをします』


 電子音に続いて気の抜けたような男の声が響き、

「あれ? この声……」

と、あかりからスピーカーへと振り返る凜。


『――――――二年三組の生徒は全員、至急第二会議室に集合してください。繰り返します。二年三組の生徒はこの放送が終了次第速やかに第二会議室に集合してください』

 そこまで言ってスピーカーからの声は途切れ、今度は尻すぼみに電子音が響いてブツッ!! と雑に回線が切れた。

「す、すみません」

 それと同時に凜は食べかけの弁当を手早く片付け、

「呼び出されたので、僕はこれで」

包んだ弁当片手にベンチを片付けようとする凜にあかりが立ち上がって。

「いいよ、ベンチくらい。私達が片付けておくから」

「あ、すみません……じゃあ、あとお願いしますね」

 申し訳なさに眉を寄せた凜はそう言って夏子達に小さく会釈し、屋上を後にした。

「………………」

「………………」

 二人は凜が屋上を後にしてから暫く無言で閉じた出入口のドアを見詰め、

「………………」

「…………ごめん」

不意に低くて重い声で謝罪するあかり。

「ど、どうしたの? いきなり謝ったりなんかして」

「ちょっと……じゃないか、すんごい余計な事しちゃったなと思ってさ」

 普段見る事の少ないあかりの後悔と罪悪感に沈んだ表情。

「夏子に嫌な思いさせちゃった」

「嫌な思いって…………あぁ」

 夏子は一瞬、あかりの言葉の意味を理解できず、僅かな間をおいて気がついた。

「いいよ、別に。私と凜はいつもあんな感じだから」

 数分前のやりとりを思い出しながら、申し訳なさに顔を曇らせるあかりに苦笑いで言った。

「いつもあんな感じって…………」

「凜はね、いつも誰かの事を最優先に考えてて自分の事は後回しなの」

 夏子は握っていた箸を置き、青空を見上げた。

「後回しっていうのはちょっと違うかも。さっきみたいに恋愛の話とかが一番わかりやすいんだけど、凜は自分には当てはまらないって思ってる……っていうのが近い表現かな」「自分は当てはまらない……?」

 あかりは夏子の言葉に首を傾げて、

「そっ、凜は私達とは違う所で日常を見てるから」

「違うところでって……?」

余計に意理解できないと深い皺を眉間に寄せる。

 夏子は青空からあかりへ顔の向きを正し、あかりと……凜を知っていた・・・・・・・あかりと話した事をもう一度繰り返す。

「私もちゃんとわかってるわけじゃないんだけどね……私達って『今』を見てると思うの」

 今、自分が生きてる時間。家族、友達、学校、何でも良い。

「楽しい事や辛い事、幸せな事が目の前にあればそれにしか意識が向いていなくて、自分の世界しか見てないって言うのかな」

「自分の世界、か」

 あかりは幼馴染みの言葉を噛み砕くように相槌を打ち、

「でも凜はね、『今』も見てるんだけど…………凜が見ている『今』には自分が入ってないんだと思うの」

漠然としか感じられない感覚を、上手く言葉にできないもどかしさに心がざわめく夏子。

「さっきみたいに『自分には勿体ない』とか『自分には必要ない』とか……自分から楽しい事とか嬉しい事を避けて、辛い事とか悲しい事ばかりを見ようとしてる。自分以外の誰かが悲しい想いをしないように、辛い想いをしないように、って……」

「他人の『今』を見てるってこと?」

 あかりは夏子のもどかしさを共感する様に言い回しに合わせ、

「それもちょっと違うと思うな」

「違う、か…………」

「もし、私の見方が当たってるなら凜が見てる『今』って……他の『何か』。その延長線上でしかない、って言えばいいのかな?」

 自分で思って口に出した言葉に、何を言いたいのか、何を言ってるのかわからなくなってきて。

「『何か』の延長線か…………なんか難しすぎて頭痛くなってきた」

 あかりもウンウンと唸り、今にも頭から煙が出そうな感じだった。

「まぁ、今回の萩月君調査はここで終了かな。あまり一気に深く掘り下げると人生についての哲学に目覚めちゃいそうだし」

「あははっ、哲学って大げさよ」

 ガラにもない事をいうあかりに自然と笑みがこぼれて、

「さて、次回の萩月君調査はいつ頃にしようかなぁ?」

「ちょっ!? 次回って、またするつもりなの!?」

不意打ちも不意打ち。ポロッと溢したあかりの一言に下がっていた心体温が急激に高まる。

「当然、勿論、確定なんですよね、これが」

「これが、じゃなくて!!」

 昼休みがスタートしてからまだ三十分も経たない内に夏子の心を苛んでいた緊張と五分にも満たない時間での圧倒的な恥ずかしさ。

 そして凜の可愛くて仕方がない笑顔と――――――あの言葉が強烈なフラッシュバックとして脳裏に甦る。




 ―――――夏先輩が奥さんだったら間違いなく幸せだと思いますよ。




 瞬間。心の温度計の破壊音と共に体中が茹でられてるみたいに熱くなる夏子。

「さてさて、次はどんなシチュで二人を弄りながら萩月君を調査しようかな?」

 お茶目さをアピールしているつもりなのか「テヘッ!!」と、舌を出してわざとらしい笑顔で場を濁そうとするあかり。

 夏子はそんな小憎たらしくも憎めない幼馴染みの両肩を掴んで、涙目で叫んだ。

「お願いだからもうやめてーーーーーーーーーーっ!!」






 その懇願の叫びがあかりの耳に届く事はあっても、叶う事はなかったのはまた別な話。


誤字脱字ありましたらご指摘下さいますようお願いいたします。


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