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境界世界のブリガンテ  作者: りくつきあまね
神村 夏子
10/36

――― 略奪ノ果テ ―――

「っぁ………………」

 全身を余す事なく嬲る激痛に、擦れた声を溢すセフィリア。

「わた、し…………」

 体の痛みにぼやける意識で、セフィリアは自分の置かれた状況を整理していく。

 ――――私、ジュマのヤツに最大威力の『第二位』を破られて、吹き飛ばされたんだ。

 その事実に現在、自分が壁に体を沈ませ磔になっている事を把握――――早く抜け出さないと、と血が足りない体を無理矢理動かし壁から抜け出した。弱り切った体はすぐ様床に両膝をつき、ついで両手をつき、四つん這いになる。

「グッ」

 その衝撃で体に奔る痛みに呻き声が漏れ、右手で胸の辺りを触り苦悶の表情を浮かべる。

 ――――右の肋骨が三本、右手首と左肩の骨もヒビくらい入ってる。左足も怪しい、かな……でもラッキーだったのは致命傷がないってところか。

 曖昧だった意識は自分の置かれた状況と体の状態を把握してやっと鮮明になる。

「クッ…………リン、ナツ……コ?」

 右半分、血で染まった視界で二人の姿を探そうと顔をあげ、鮮血で染まった視界に映ったものにセフィリアの瞳がこじ開けられる。

「やぁ、目が醒めたみたいだね。でも、残念………………少し遅かったね」

 ジュマが達成感に満ち足りた笑顔で踏みつけていたのは、

「もう終わったよ」

胸を赤一色に染め、血だまりのような赤い光の上に横たわっていたナツコ。

「ナツコッ!?」

 その光景に体の痛みを忘れ、飛び上がように立ち上がるセフィリア。

 ほんの数分前まで澄んでいた黒い瞳からは光が消え、代わりに深い悲しみが涙となって流れていた。

「凜、が…………」

「君って結構しぶといよね。こんな状態でもまだ喋れるし、僕の収束法術にも耐え……って、消えかけは対象外だったっけ」

 自分の唇に左手の人差し指を添えて、意外さに軽い笑みを溢すジュマ。

 その笑みが瞳に突き刺さると同時。体の熱が一気に沸点を振り切り、

「こ、のっ!!」

処刑人ディミオス』を脇に構え、心の中で暴れ回っていた感情を吐き捨てる。

「今すぐ殺スッ!!」

「おー、こわっ」

 ジュマは恐怖など微塵も感ていない声で呟きながら足を振り上げ、夏子をセフィリアへ蹴り飛した。

「クッ!?」

 眼前で宙に舞う夏子に咄嗟に前に飛び出し受け止める、が。

「っ、あっ!?」

 その反動で体の中で疼いていた痛みがぶり返し、体から力が抜け夏子を抱き止めたまま、またその場に膝を付いてしまう。

 セフィリアが体の悲鳴に表情を歪めていると、まるでその痛みを音に変換したように夏子の体からピキッ!! と鋭く、不気味な音が鳴った。

「な、なに?」

 不可解な音にセフィリアは視線を夏子へ移し、

「なっ!?」

夏子の有様に碧眼が大きく揺れる。

 息も絶え絶えに、生気を感じられない夏子。その体はセフィリアの体と接触した左肩から貫かれた心臓にかけて亀裂が入り、血が吹き出る代わりに赤い光の粒が血のように止めどなく流れていた。

「くっ!!」

 ――――まずいっ!! どんどん魔力が小さくなっていく。このままじゃ五分と持たずにナツコの魂が消えちゃうっ!!

 セフィリアは右手を『処刑人ディミオス』から貫かれた心臓の傷口に移し、右手止血するように抑え込み、残り少ない魔力をありったけ流し込む。

「ナツコッ!! もう少しだけ頑張って!! 今、私とリンでコイツを」

「リンって…………コレのこと?」

 ジュマの満ち足りた声。まるでその名を待っていたかのように声が跳ね、胸の奥からこみ上げてきた嫌悪感に、セフィリアの瞳が鋭く研がれる。

「このっ!! うるさ……っ!?」

 苛立ちに震えていた声は掻き消え、驚愕と消失感に打ち震える。

 セフィリアの言葉を、思考を止めたモノ。それは――――――ジュマに襟元を掴まれ、ゴミのように持ち上げられた凜。

「リ…………リン?」

 美しかった二色の瞳も、特異な色だった髪も。頭のてっぺんから靴の先まで赤一色の姿は――――――まるで血で造られた彫刻の様だった。

「…………ァ、アンタッ!! 一体リンに何したのよ!?」

 止まってた思考を全力で働かせ、絞り出した一言にセフィリアは我ながら情けなくなった。

「何って……『器』になって貰っただけだよ」

「う、『器』?」

 ジュマは凜をセフィリアに向け突き出して、

「ベェルフェール、君の単純な頭でもわかるように説明してあげるね」

得意気に話し出した。

「この町の人間、四万七千二百八人分の魔力。その魂を取り込む為のとびっきりの『器』になって貰ったんだ。今の彼は人間としての肉体を構成している物全て魔力の浸食で石化された状態で……まぁ、口で言うより見て貰った方が早いか」

 一人で納得するように頷き、凜を持ち上げていた右手を開き、

「っ!?」

凜の体は重力に逆らうことなく床に落ち、その衝撃にガラス細工同様、跡形もなく粉々に砕け散った。

 その光景にセフィリアの中でも何かが砕け、カチカチと歯を何度も噛み鳴らす。

「ぁ………ぁぁ、っあ」

「はは、壊れちゃったよ。」

 ジュマはゴミをうっかり落としたように、何の罪悪感もなく。

「っ……あぁ。ぁあああっ」

 呆気ない程、簡単に――――殺した。

「ああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

「おっと」

 凜を殺された――――その事実にセフィリアは我を失ったように叫び、ナツコを投げ捨て、ジュマに飛び掛かろうとした………が。

「じっとしててよ」

 セフィリアが夏子を投げ捨てるより速く、ジュマは細い指を弾き、

「ッァ!?」

それを合図に抱き止めていた夏子ごと、セフィリアの体を黒い影で床に縛り付ける。

 幸い、魔力を供給していた右手は傷口から手離れていなかったおかげで魔力は供給し続ける事ができた。が、怒りを通り越し、殺意に気が狂いそうになる。

「よっ、くもっ!!」

「あぁー、怖い怖い」

 殺意まみれのセフィリアとは正反対に何てことはない、二人を殺したのはただのお遊びと微笑するジュマ。

「少し落ち着きなよ? 君も『死神』だろ? 人間が一人二人殺されたくらいで取り乱さないでよ。人が死ぬのも殺されるのもボク達にとっては日常茶飯事じゃないか」

「こっのおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 縛られた手足と体を怒り任せによじっても全くピクリとも動かず、

「それに彼はまだ生きてるよ」

「なっ…………何、言ってんのよ!?アンタ」

「まぁ、生きてるっていうよりは存在してる・・・・・っていった方が正しいかな」

 ジュマの突拍子もない言葉に、セフィリアの殺意が動揺に変わる。

「アンタ…………何、言ってるのよ?」

「見ればわかるさ。ほら、砕けた彼の破片……形が変わるよ」

「な、にっ!?」

 床に散らばった凜だった結晶。その結晶が淡い黒い光を放ちながら宙に浮かび、ジュマの右手の掌の上へ収束し――――一瞬、強烈な黒の閃光が散る。

「これが新しい【彼】の姿だよ」

 そして黒の閃光が散った後、ジュマの掌の上で浮いていたのは――――大きさで言えば子供の拳程度の小さな球体。

 その球体は血のように深い紅と闇のように冷たい黒で彩られており、その二つが幾重もの不規則な螺旋を描いていた。

 まるで生き物のように複雑に蠢く螺旋模様に、冷たい嫌悪感が体を震わせた。

 異質さが姿を成したソレにセフィリアはこみ上げてくる嘔吐感を噛み殺し、重々しく呻く。

「な、何よ…………ソレ?」

「コレかい?」

 浮遊する紅と黒の球体をそっと握り、歩き出すジュマが告げる。


「コレはね、事象隷属経典――――【アポカリプス】だよ」


「事象、隷属経典……?」

 二転三転する状況に理解が追いつかず、ただジュマの言葉を繰り返すだけで精一杯だった。

「まぁ、法具と似たようなモノかな。でも、経典って言ってみたものの書物、というよりただの球になっちゃったみたいだけど……ボクも初めて創ったから上手く形にできなかったよ」

 ジュマは心が満たされたのか、次第に饒舌になり、呆然と見つめるセフィリアを置き去りにしながら話を続けた。

「準備に苦労したよ。コレを創るのには大量の人間の魂とそれを取り込める頑丈な入れ物……『器』が必要だったんだ。さっき下で言ったけど、最初から彼を殺せてたらスムーズだったんだ。でも、ちょっとしたハプニングで遠回りになっちゃった。ホントなら彼を殺して『ウロ』として従えて町中の人間の魂を空間法術で全部奪う。たったこれだけだったんだけどね」

 達成感に口元が緩むジュマ。その表情にセフィリアは背筋が凍り、

「彼を殺しそこねた所為でボクを殺しに君が来るわ。勝てもしない【殲滅斬手せんめつざんしゅ】と戦わなきゃいけなくなったり、『ウロ』を使って下準備をしたり…………ほんと大変だったよ」

恐れをかき立てるように、笑いを堪えようと左手で顔を覆うジュマ。

「どう? 【彼】から物凄い数の魔力を感じるだろ?」

 そういって突き出された【事象隷属経典アポカリプス】にセフィリアは視線を移し、同時に息を呑んだ。

「っ」

 凜だったモノから無数の魔力の波動が絡み合い、『死神』などゆうに超える莫大な力の脈動を感じる。

「普通、こんな馬鹿げた魔力を詰め込んじゃうとボク等『死神』の魂でも、耐えられずに壊れちゃんだよね――――――でも、彼は違う」

 顔を覆っていた左手を自分の胸に押し当てるジュマ。ジュマは歩を止め、その場で演説じみた言葉を並べていく。

「君も知っての通り、彼は『魔力具現化封印』って稀少な能力のおかげでどれだけ魔力を取り込んでも魂が壊れる事はないんだよ。まぁ、万が一魂が壊れても最低町の人間の魂は確保したかったからね。彼の魂の中で法術が組み上がるように三つに砕いておいたんだけど……この町でこれならにも他にも設置しておくべきだったかな」

 手間暇掛けてきた事を自慢げに示す下卑た有り様に、セフィリアは怒りに震える左手を握り込む。

「そんなモノの為にリンも、ナツコも……町の人間全員犠牲になったっていうの?」

「そんなモノって……これだから若い子は駄目なんだよ。人の話をちゃんと最後まで聞かないから……聞けば絶対に欲しくなる。彼と君と一緒に縛ってる死にかけの彼女。そしてこの二人を助けたかった君……そう、特に君達三人はね」

「アンタのいう【事象隷属経典(アポカリプス)】の何を私達が欲し」

 ――――欲しがってるって言うのよ!?

 と、口にするつもりだった。大勢の人間を犠牲にしてまで手にしたいと思わない、と。だが、心の中である言葉が引っ掛かった。

「事象、隷属?」

(聞けば絶対欲しくなる―――――――――――――――特に君達三人はね)

 さっきのジュマの言葉と引っ掛かった言葉に。

「事象隷属って……まさかっ!?」

 辿り着いた……いや、辿り着かされた答えに絶句した。

「そう。事象隷属、この言葉通り・・・・・この世界に存在する人や物、過去や未来。そういった事象として存在する全てを従える事ができるんだよ、コレは!! それもボクらの事象に関する法術みたいに膨大な魔力も魂といった儀式代価もなく、一切の制限を無視して使用者の望むままに事象を操作できるんだ!! 死人だって簡単に生き返らせる事だってできるんだよ!!」

「そんな…………そんな事って」

「正に【神】の力だよ!! ボク達は『生命』という限定的な力の上、それも事象を操作する為にはいくつもの条件を満たさなきゃいけない不完全な【神】として存在していた。でも、この【事象隷属経典アポカリプス】があればボク達『死神』を含め、この世界の全てを創造した【神】の定めた事象を!! 理を否定して新しい【神】になることも可能なんだ!!」

「…………アンタ、狂ってる」

 堅く握った左拳からは血が滲み、苦渋の表情でジュマに吐き捨てるセフィリア。

「……少しおしゃべりが過ぎたね」

 声を荒げ乱れた息を整えながら、セフィリアとナツコに視線を戻すジュマ。

「さぁ、おしゃべりの時間はおしまい。ボクは優しいからね、彼が寂しく無いように君達二人も【事象隷属経典アポカリプス】の中に取り込んであげるよ」

 獲物を定める獣のように二人に標準を定め、凜だったモノ――――――【事象隷属経典(アポカリプス)】を掲げるジュマ。

「くっ!!」

 そうはさせまいと影を破ろうとして必死に藻掻くセフィリアだったが。

「無駄だよ、その束縛法術を破ったところでもう魔力が尽きかけている君にボクはおろか空にいる『ウロ』の相手すらできないさ!!」

 勝ち誇った、いや最初から勝負にもなっていないと言いたげな顔でセフィリアの藻掻く様を嘲笑うジュマ。

「っ…………」

 凜だったモノがジュマの意志に答えるように紅と黒の閃光をまき散らしながら光を強めていく。

 悔しかった。何も言い返せない自分に。

 悔しかった。『死神』として任務を全うできない自分に。

 悔しかった。目の前のいる敵に勝てない自分に。

 だが。

「ごめんね、ナツコ」


 そんな事、どうだって良かった。


「こんな下らない事のせいで、ナツコを死なせちゃって」

 自分のすぐ脇で息も途切れ途切れに、どんどん姿が薄れていく夏子へ。

「ごめんね、リン」

 ジュマに変わり果てた姿にされた凜へ告げる。

「ナツコを生き返らせるって約束したのに、護れなくて」

 胸を焦がし、身を焼き尽くす激情を。

 それと一緒に瞳から熱いモノが溢れ視界がぼやける。

「さぁっ!! 新しい【神】が創る世界の礎になれっ!!」

 悔しさに打ちひしがれているセフィリアに容赦なく世界の無情さを突き付けるジュマ。

 その呼びかけに応える様に【事象隷属経典アポカリプス】が放つ光がセフィリアと夏子、そして世界を紅と黒の光が飲み込んでいく。

「…………っ」

 紅と黒の光に飲まれる直前。

「…………ごめん、二人とも」

 命を司る『死神』として生を受け、今まで生きてきた十六年間。その中で一番後悔した事は――――――それは人間界で初めてできた二人の友を護れなかった事。

「私……護れなかった」




 無情な世界に響くのは、無力感に沈んだセフィリアの声。




††††††††††††††††††††††††††




「…………なっ」

 意識の覚醒と共に認識したのは――――――白一色の世界。

 そしてそこには赤と青の二つ色の巨大な扉が悠然と聳え、凜はその扉の正面に座り込んでた。

「ここは…………っ?」

 無機質な世界と異様な二つの扉に、凜の思考が次第に明確になり。

「なんで扉が」

 扉へ近づこうと立ち上がろうとして。


 ―――――――――――――――ジャラッ。


 重い鉄が擦り合う音と、体を縛り付ける重い感触に視線を足下に落とす凜。

「これは……鎖?」

 四肢と首元に巻き付いた黒い鎖。

 その鎖に凜が意識を向けた瞬間。


 ――――――『コレはね、【事象隷属経典(アポカリプス)】だよ』


 白の世界全体から鼻につくジュマの声が響いた。

「っ!!」

 声が響くのと同時に白かった世界は一瞬で紅に変わり、

「な、何これっ!?」

突然、世界に映し出された光景は夏子とセフィリアが黒い影に床に縛り付けられていた姿。

 その光景に凜はカッ!! と理性と血が沸き立ち。

「二人共、すぐに助け……っ!?」

 それを至極当然と黒い鎖が阻み、立ち上がる事を許さなかった。

「くそっ!! 邪魔なんだよ、この鎖!! 早くしなきゃ二人が」

 右手首を縛る鎖を掴んで力任せに引っ張ってもびくともしない。

「早くっ!! 二人を助けに行かなきゃ」

 救援を拒むように自分を縛る鎖に怒りと焦りだけが募る凜に、

「――――――どっちの希望を選ぶの?」

何の前触れもなく掛けられた、聞き覚えのある幼い声にバッと顔を上げる凜。

「っ!?」

 すると、正面で自分を静かに見下ろしていた人影に凜の瞳が驚愕に見開かれ、

「君はどっちの希望を選ぶの?」

と、まるで機械的な音を奏でる小さな子供――――幼い頃の凜がそこにいた。

 瞳に映る自分の姿に一瞬、思考が止まり。

「な、なんで…………」

「君はどっちの希望を選ぶの?」

 動揺に固まる思考を引き戻し、嬉しさに弾んだ声が凜の感情を逆撫でする。


『さぁ、おしゃべりの時間はおしまい。ボクは優しいからね、彼が寂しく無いように君達二人も『器』の中に取り込んであげるよ』


「くっ!!」

 ――――もう時間がないっ!! 早くここから抜け出さないとっ!!

「『核』はどこっ!?」

 凜は幼い自分から視線を外し、急いで右眼で周囲を渡した。

 ――――こんな訳のわからない場所、きっとあの死神が法術を使って作り出した世界のはず。なら、僕の力で『核』がえる筈なんだ。

「どこっ!? 早く『核』を」

「この世界に『核』なんて存在しないよ」

 凜の焦りを止めようとしたのか、それとも煽ろうとしたのか。あまりにも熱のない自分の声に呆然とした表情で視線を戻す凜。

「無いって………なんで?」

「ここは君の心、精神世界の中」

「精神世界って…………」

 ――――馬鹿げてる。と、目の前の自分に叫び散らしたかった。が、唯一会話を交わす事ができる相手、この世界で頼れるものが目の前にいる自分しかいない以上そんな時間すら惜しかった。

 凜は自分へ問い掛けるという不気味な行為に堪え、願うように叫ぶ。

「ど、どうすればここから出られるの!?」

「君はどっちの希望を選ぶ?」

「なっ………………」

 まるで自分の問いを聞こえていないように無機質な声でまた問いかけを繰り返す自分に、敵意が芽生え。

「さっきから希望、希望って…………今はこんな事してる場合じゃないんだよ!! 一秒でも早く二人の所に行かなきゃいけないんだ!! はやくここから」

 出る方法をっ!! と叫ぼうとし凜だったが、その感情を否定するように幼い自分が右手で赤い扉を指差した。

「『赤』を選べば神村夏子を助けられるよ」

「なっ!?」

 淡々と回答する自分。

「でも、神村夏子を助ける代わりにセフィリア=ベェルフェールは希望の糧になる」

「何を、言って……」

「こっちの『青』の扉」

 今度は左手で青の扉を指差し、

「『青』を選べばセフィリア=ベェルフェールを助ける事ができる。でも、こっちを選べばセフィリア=ベェルフェールを助ける代わりに神村夏子は希望の糧になるよ」

と、無機質な音色で残酷な言葉を奏でる。


 ――――――――――――――希望の


 その言葉に再度、凜の思考が固まった。

 希望の糧? 意味がわからない……いや、言葉の意味はわかっている。

 糧、それはそうである為に必要な物。簡単に一言で表せば――――――代償・・

 希望の糧は代償・・。ならば、助ける事が希望を意味するなら、この場合、代償・・というのは――――


「――――まさか、どっちかを見捨てろっていうのっ!?」


凜は自分に理解させられた選択の意図に叫び、

「君はどっちの希望を選ぶ?」

録画された動画のように、凜の叫びに答えることなく選択を促す幼い凜。

 そんな馬鹿げた幼い自分の姿に頭へ昇る血が沸騰し、飛び掛かろうとするが何度目かわからない黒鎖の制止に歯を噛みしめる。

「っ…………………」

 ――――――あんまりだ。

 平凡と天才、成功と失敗。義務と自由、平和と争い。夢と現実――――世界は相反する事で均衡している。そして希望には絶望が付きものなのだ――――――と、告げられた気がした。

「君はどっちの希望を選ぶ?」

 凜は体を奔る激情に体を震わせ、顔を俯けながら憤怒を吐き捨てる。

「何が希望だよっ!? 大切な人を見捨てる事が、大切な友達を犠牲にする事が!! そんな残酷な事が希望だなんてふざけた事いうなっ!!」 

「『赤』か『青』、どっちかの扉を選ぶんだ。それで神村夏子かセフィリア=ベェルフェールの『魂』を糧に扉が開くから」

「こ、のぉっ!!」

 幼い自分の言葉に凜は黒鎖で皮膚が、肉が裂けるのも構わず、全力で飛び掛かるが鎖が伸びきったところで強制的に止まる。

「そんなの選べるわけないだろっ!!」

「なら希望を捨てる?」

「そんなの希望じゃないって言ってるだろっ!!」

 怒りに鎖が軋む音が静かに世界へ広がっていく。

「二人を助けられない希望なんていらない!! 僕はそんなのが希望なんて――――絶対に認めないっ!!」

「なら、君が望む希望って?」

「二人を助けるっ!! それ以外の事なんてあるわけ無いじゃないかっ!!」

「なら、もう一つの選択をする?」

「もう、一つ?」

 幼い凜は冷たい表情のまま腕を振り上げ、それに応えるように白の世界に『黒』の扉が二つの扉の前に突き上がり。

「なっ!?」

「君が希望っていったのは絶望への道標。君が望むのは絶望の未来」

 憤怒と驚愕が入り交じった凜へ、歩み寄る幼い凜。

「君は――――――」

 そして凜の手前一メートルの所で歩みを止め、

「抗い難い絶望を――――救いの無い絶望を選ぶ?」

静かで、熱のない、重いだけの声音で告げる。

「………絶、望?」

「君が過ごすはずだった平穏な日常、あるは筈だった光り輝く明日、幸福に満たされた未来……その全部を引き替えに絶望を選ぶ?」

 自らの幸福を捨てる選択。その選択に黒鎖がすれるように軋む。

「僕の平穏な日常なんていらない」

 ――――――それは十年前、母さんが死んだ時に奪われた。

「僕の、光り輝く明日も必要ない!」

 ――――――それは自分だけじゃない。他の皆も持っているモノだから。

「誰かを犠牲にして手に入れた幸せな未来に価値なんか無いっ!!」

 ――――――それは自分以外の誰かを犠牲にしてまで手に入れるモノじゃない。

「今ここで夏先輩を!! セフィリアを!! 二人を助けられなきゃ意味がないんだ!!」

 それは僅かな迷いも、塵程の恐れもない――――――揺るぐ事のない絶対の意志。

「これを選べば二度と希望は手に」

「いらないよっ!!」

 悲鳴を上げていた鎖は少しずつ痛みを刻み、

「逃げ出す事も」

「逃げないからっ!!」

鎖が鳴く度に痛みが深く刻まれる。

「投げ出す事も」

「投げ出さないっ!! だからっ!!」

 黒い鎖が痛みに塗れ。


『…………ごめん、二人とも』


 世界に響く悲しい音――――――セフィリアの声。


『私…………何も護れなかった』


 悲しさしか届かないその声に歯を噛み、刻まれた痛みに耐えられないと鎖がギィッ!! と悲鳴を上げ、そして。

「絶望を受け入れ」


 ――――――――もう、我慢の限界だった。


「受け入れてやるからそこをどけっ!!」

 凜の中で理性の鎖が砕けるのと同時に縛っていた鎖が砕け、

「二人を助けるのに代価が必要なら僕からいくらでも持っていけばいいっ!!」

目の前にいた幼い自分の横を走り抜ける。その際、ありったけの感情を吐き捨て。

「もう一度答えを」

 後ろから聞こえた声に凜は振り返ることなく『黒』の扉へ走り、その言葉に倉庫での蘭の一言が不意に過った。


『――――――絶望を受け入れられるか?』


 あの時、蘭へ答えられなかった答えを――――――

「代価がっ!! 犠牲が必要なら僕がなるっ!! だから」

――――――拳に込めて黒の扉に飛び込む。




「『絶望(ちから)』をよこせっ!!」




 答えも、想いも、覚悟も全て込めた拳を咆哮じみた叫びと共に扉へ叩き付け、

「選択を受理」

その声と共に純白だった世界に漆黒が刻まれた。。




††††††††††††††††††††††††††




「さぁっ!! 新しい【神】が創る世界の礎になれっ!!」

 血染めの世界に響く破壊と創世の意志。そのジュマの意志に応え【事象隷属経典アポカリプス】が紅と黒の光を放ち、

「ごめん、二人とも…………」

影と共に無力感に囚われたセフィリアと、刻々と命を失っていく夏子を飲み込もうとして。


 ―――――――――――――――ガッ!!


「な、にっ!?」

 突然、右手首を締め付けられる感触にジュマは視線を落とし、

「…………ナッ!?」

事象隷属経典(アポカリプス)】から突き破るように出てきたソレ・・に体中の血が凍りついた。

 ジュマの右手首。そこにあったのは――――――黒一色の人の手。

 ソレをそう認識した瞬間――――【事象隷属経典アポカリプス】が白色一色に染まり、黒が幾重もの曼荼羅模様を刻む。

「くぁっ!?」

 ジュマは手首を掴んでいた手を振り払うように【事象隷属経典アポカリプス】を放り投げ、

「何なんだよっ!? コレ!?」

全く想定していなかった事態に、平静を忘れ声を荒げる。

「な、何っ!?」

 ジュマ同様、セフィリアも目の前で起きた不気味な光景に動揺に表情が歪み、放り投げた【事象隷属経典アポカリプス】は白と黒の閃光に耐えられず粉々に砕け散った。

 瞬間。枷を外された荒れ狂う獣が如く、荒々しい暴風と黒白の閃光がセフィリア達を縛る影を消し飛ばし……世界そのものを蹂躙した。

「キャッ!?」

「くっ!?」

 暴風と閃光に二人は視界は完全に奪われ、その嵐の責め立てに堪えようと体に力を込めようとしたところで、気まぐれな子供の様にそれすらも唐突に終わった。

 そして体中にのしかかる重苦しい威圧感にジュマは目を開け、

「っぁ…………ぁ」

肌を裂く張り詰めた圧倒的な力の波動に言葉を失い、一変した世界に愕然とした。

 紅で満たされていた世界は無慈悲な白へ飲み込まれ、冷徹さを漆黒の曼荼羅模様で無数に刻まれていた。

「そんな、あり得ない。なっ……な、なんで【紅境界(クリムゾンライン)】がこんなっ!? なんなんだよ、これは!?」

 理解できない異質な何かに歓喜で満たされていた声は戸惑いに震え。

「空間固定法術が働いてる【紅境界クリムゾン・ライン】を破るなんて、ボクを殺さなきゃできないのに…………例え、それ以外の方法があったとしてもボク相手に気づかれずにするなんて」

 ジュマは首を捻りきるように振り乱し周囲を見渡し、街から届く轟音に視線を止める。

 肌で感じる巨大な魔力の波動、そして自らが召喚し、使役する『ウロ』達の急速な消失。唯一、自分を出し抜くが可能であろう人間――――【殲滅斬手せんめつざんしゅ】は『ウロ』と戦ってる。

「な、何よ……コレ?」

 ジュマ同様、戸惑うセフィリアの声にそちらへ視線を戻し――――――

「かっ…………」

――――――ソレに釘付けになる。

 夏子達を護るように白と黒の稲妻を迸らせ漂う、幾重もの亀裂が刻まれた【事象隷属経典アポカリプス】を砕き、貫き出たモノは――――――小さな子供の手。



 それが始まりだった。



「なっ!?」

 突き出た幼い子供の手はゆっくりと【事象隷属経典アポカリプス】を砕き、砕いた破片を取り込みながらその姿を世界に晒していく。

「………………」

 コッ、と床に発つ小さな靴音。

「そ、そんな……馬鹿な、事が」

 異質だと感じていた何か・・はジュマが渇望したモノを喰らい、全てを喰らい尽くされた後に残ったのは――――冷徹な白と黒の稲妻を纏う少年の姿。

 風にふわりと煌めく銀髪。揺るぐ事のない強靱な光を宿す銀の双眸。死人のように血の気を失った肌と堅く閉じられた唇。幼い容貌は感情を感じられない無機質さを湛え、セフィリア達『死神」と似通った白と黒の制服に身を包んだ華奢な体からは圧倒的な存在感を放っていた。

「……………………」

 無言で佇む銀髪の少年の後ろ姿。その後ろ姿にセフィリアは何度も瞬きをし、その姿に

懐疑心からではなく、確信からその名を紡ぐ。

「リン?」

 後ろ姿であり、髪の色は違えども自分の心がそうだと叫んでた。

「うん、心配掛けてごめん」

 セフィリアの確信を肯定するように小さく頷き、顔だけ振り向かせて優しさに溢れた笑みで答えた凜。

「ホントに、余計な心配掛けさせないでよ!!」

 瞳に映る凜の姿に、堪えきれず涙を溢すセフィリア。

 そして、そんなセフィリアと赤い粒子を流し続ける夏子の姿に凜の表情が引き締まる。

「ごめん、助けに来るのが遅かったみたいだ…………」

 後悔と自己嫌悪に歪んだ表情に、奥歯を噛みしめる音が軋む。

「私こそゴメン……私が付いていながら」

「大丈夫、すぐに終わらせるから」

「終わらせるって……何をだい?」

 落ち着きを取り戻した無邪気な声が、凜達の会話を遮る。

 その声に凜は無言で正面へ視線を戻し、声の主を睨み付ける。

「……………………」

 凜の双眸に写るのは、黒衣を纏った死神。

「正直【事象隷属経典アポカリプス】を破壊して出てくるなんて驚いたよ……一体何をしたんだい? 【殲滅斬手せんめつざんしゅ】の術か何かかな?」

「……………………」

「おや、だんまりかい? ちょっと寂しいんだけど」

 無言で答えた凜に対し、あくまでも飄々とするジュマ。

「まぁ、いいや……どうせ【殲滅斬手せんめつざんしゅ】の術か何かでしょ? 予定はかなり狂っちゃったけどまた造れば良いだけだからね。君達三人を殺して」

「死ぬのはお前だ」

 ジュマの言葉を切り捨て、殺意を乗せた声で言い放つ凜。

 瞬間。場の空気が一気に張り詰めて、

「死ぬのは、ボク? プッ!! アアアアハハハハハハハハハハハアハッハハハハハハッ!!」

それを嘲笑うジュマ。

「誰がボクを殺すの? 【殲滅斬手せんめつざんしゅ】は当然だとしても、今ここにいるのは死にかけの『死神』に、消えかけの『霊現体ゲシュペンスト』。それにボクらの真似事みたいな格好をした魔力のない、何の力もない無力な人間の君だけだよ? ボクを殺すっていうならまだ【事象隷属経典アポカリプス】になる前の方がマシだったのに…………死の恐怖で頭おかしくなった?」

 凜の言葉をへ自らの優位性を知らしめるように反論するジュマへ、

「同感じゃな。少々頭がおかしくなっとるようじゃの、お主」

同意と否定。二つの言葉と共に凜の隣に降り立つ人影。

「なっ!?」

 その人影にジュマの嘲笑は凍り付き、

「お祖母ちゃん」

「ランさん!?」

悠然と驚愕を響かせる凜とセフィリア。

「なっ!? どうして【殲滅斬手せんめつざんしゅ】が!? まだ『ウロ』はあんなに残ってるのに」

「本当の馬鹿なのか、お主? 人質に取られておった住民がいなくなったんじゃ、お主の所に来るのは当然じゃろう」

 そう言ってジュマを小馬鹿にした笑みを浮かべた蘭だったが、その額には汗が滲み息も上がり、疲労を色濃く見せていた。

「儂も歳じゃの、『ウロ』相手に息が上がるとは……」

 弾む息で苦笑いする蘭はジュマに一瞥し、迷うことなくセフィリアと夏子の元へとしゃがみ込んだ。

「すまんの、セフィリア。ホントならもっと早く来てやらんといけなかったんじゃが」

「いいえっ………」

 蘭の思いも寄らなかった謝意に、セフィリアは唇を噛んだ。

 蘭は自分達を護る為に一人で大群の『ウロ』と戦っていたというのに、自分は凜と夏子。二人の友達も護る事ができなかった……それも相手はたった一人だったというのに、だ。

 セフィリアは小さく首を横に振り、

「いえ、ランさんが謝る事なんてありません。全部、私の」

責任です、と自らを罰そうとして、蘭に唇の上にそっと指を当てられて言葉を遮られる。

 そしてセフィリアの後悔を優しく包み込むように微笑み、

「何、お主の所為でもありゃせんよ」

と、そっと頭を撫でる蘭。

 蘭の慈愛に満ちた笑みと、頭を撫でてくれる手の温もりに治まりていた涙がまた溢れ出しそうになり

「……お祖母ちゃん、二人をお願い」

深い後悔を瞳に宿らせた凜がジュマへと一歩前に踏み出した。

 凜の言葉に蘭はスッと立ち上がり、申し訳なさに眉を顰めた。

「凜や、『ウロ』なんじゃが」

「うん、わかってる。全部で三十七体、こっちに向かってきてる」

「だいぶ、でかいのばかり残してしもうたが…任せても良いかの?」

「大丈夫、問題ないよ」

 殺伐とした内容をただの日常会話のように交わす凜と蘭。

「も、問題ないって……リン、アンタ……魔力の気配がわかるの?」

 そんな二人に呆気にとられつつも、凜の言葉に浮かんだ疑問をぶつけるセフィリア。

 だが、セフィリアの疑問も最もだった。何故なら、今まで凜は魔力を使うどころか感じる事さえできなかったのだから。

 何の迷いも虚勢もない、ただ淡々とセフィリアの問いに答える凜。

「うん、ちゃんと感じるよ。どれくらいの強さなのかくらいまでは」

 蘭は二人を余所に夏子の胸元に手を添え、状態を把握。二人の会話に割ってはいる。

「夏子さんの状態があまり良いとは言えんなぁ…………」

「……少し時間が欲しいんだけど、お願いできる?」

「ワシを誰だと思っておる? お主の祖母じゃぞ、望みの時間を保たせてみせようて」

「三分」

 凜は振り返ることなく時間を告げ、

「了解じゃ」

それを当然のように承諾する蘭。

「ラ、ランさんっ!?」

 セフィリアはジュマに向かって歩いていく凜と蘭を交互に見て、

「大丈夫じゃ」

言いたい事はわかっている、と笑みで答える。

「……すぐ終わらせるから」

 凜は両足をやや前後に開き、両手をぶらりと下げ構えとも言えない構えを取る

「なっ!?」

 瞬間。凜から放たれる魔力の波動に、世界が大気の慟哭に震えた。

「っぁ…………」

 世界そのものを押し潰す強大で、無慈悲で、どこまでも理不尽な圧倒的すぎる魔力の奔流。

「ここじゃ狭いから、校庭に移動するよ」

 静かな呟きと共に凜の姿が掻き消え、 

「がっ!?」

ジュマの短すぎる悲鳴だけが屋上に残され、一瞬の間もなく校庭が爆ぜ、瓦礫が吹き飛ぶ轟音が鳴り響く。

「なっ!?」

 そしてをセフィリアの驚愕が場に響く頃には、凜は静かに校庭に降り立ち、

「全員、僕の『中』にいるんだもんね…………全力で戦っても大丈夫そうだ」

そっと胸に手を添え、悲しさに揺れた瞳で呟いていた。

「ぁっ…………」

  

 ――――見えなかった。


 凜が爆発的に魔力を練り上げた瞬間から、動きの初動。ジュマが吹き飛んだ軌跡に、凜が校庭の中央に飛び降りた姿…………その全てが見えなかった。

「今、何を…………」

「蹴り飛ばしただけじゃよ」

「へ?」

 驚愕と疑問を織り交ぜたセフィリアの問いに、蘭が相槌と共に答えた。

 それから蘭はセフィリアと夏子を支えるように肩を抱き、

「今、魔力を流し込んでやるからの……」

優しい声音と共に二人の体が淡い紫電に包まれ、温かくて力強い波動にセフィリアの表情が僅かに緩む。

 そんなセフィリアの様子に見計らうように告げる。

「魔力で目を集中的に強化してみるとよい、ちゃんと見えるはずじゃぞ。それと少しばかり距離があるからの耳も強化しておくと良い、あやつ等の会話もちゃんと聞こえるからの」

「は、はい」

 セフィリアは供給された蘭の魔力を自身の中で収束、肉体へと分配。その際、言われた通り、視覚と聴覚を重点的に強化。凜達の方へ視線を合わせる。

「ぐっ…………っぁ」

 すると耳に届いたのは痛みに歪んだジュマの声。

 そしてその声と共に校庭にできた瓦礫の山が吠える様に爆ぜ、顔半分を赤に染めたジュマが獣じみた眼光で凜を睨み付ける。

「こ、のっ…………」

 今の一瞬、右側頭部を蹴られた。視界は自分の血で赤く染まり、全てのものが二重三重にぶれて見える。そして蹴られた衝撃と地面との衝突で骨は折れていないものの全身至る所から悲鳴をあげ、その痛みに苛立ちが募る。

 同存在である『死神』との戦闘でも『第一級クラス・ファースト』以外に受けた事のない深手。それを訳のわからない、たかだか一人の人間に受けるなど………屈辱以外のなにものでもなかった。

「よくも人間風情がボクの体に傷をっ!!」

 体を震わせ、血を沸き立たせる程の苛立ち魔力に込め、

「ご託はいい……さっさと来い」

その凜の殺意だけが込められた言葉を引き金に、ジュマから放たれる魔力の波動が周囲の瓦礫を凜へ向かって吹き飛ばす。

 大気を裂き、空気の壁を貫く無数の巨大な弾丸とかした瓦礫。だが、凜は微動だにすることなく右腕を払い瓦礫を難なく砕き払う、が。

 砕き払った瓦礫を影に間合いを詰めたジュマが凜の胸目掛けて手刀を放つ。

「遅いよ」

 が、凜は冷淡な声音と共に左手でジュマの手刀をいなし、

「っ!?」

「フッ!!」

そのまま白と黒の稲妻を纏った右拳がジュマの鳩尾に深々と突き刺さる。

「グゴッ!?」

 一点を貫く鋭い衝撃と全身を焦がす灼熱感にも似た激痛の波。

 凜の一撃にジュマの体はくの字に曲がり、

「ハァッ!!」

折れ曲がった体を起こすように喉を鷲掴み。その状態から瞬き程度のほんの一瞬。右拳に収束される莫大な魔力の奔流。そして大気を裂く金切り音が鳴り響き、拳から吹き出す魔力の奔流が白と黒の閃光となって腹部に六度、爆音と同時に叩き付けられた。

「ゴハッ!?」

 あまりの衝撃と激痛に意識が飛びかけ、全身を容赦なく襲う虚無感に沈み掛けたジュマだったが、揺れる視界の端で自分を冷めた眼で見る凜に憤怒が再燃する。

 人よりも遙か上位存在である『死神』の自分をまるで虫けらの如く捉える銀の双眸――――いや、その眼から感じるのは殺意でありながら、敵を哀れむような悲しい光。

 まるで愚かな間違いをした子供を見るような、そんな眼差し。

 そんな同情とも侮蔑とも取れる視線に、ジュマは反撃に出ようと喉を掴む左手を振り払おうとするが、

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

抵抗する時間など一瞬もない。凜は左手でジュマを人形のように軽々と振り回し、世界を揺らす咆哮を轟かせ雑に投げつける。

 投げ捨てられたジュマの体は弾丸のように一閃を描き地面に着弾。そのまま地表、地中ごと貫き砕き、校庭中央から校門まで大地を砕き飛んでいく。


††††††††††††††††††††††††††


 幾度も響く破砕音と瞬く黒白の雷。そして人が『死神』を凌駕する光景に圧倒され、

「あ、あれが……リン?」

目の前で起きている光景に愕然とするセフィリア。

 万全な状態ではなかったとはいえ自分が苦戦を強いられていた相手を、今度は凜が数十秒足らずでボロ雑巾にしていく。それも一切の反撃を許すことなく圧倒的に、一方的にだ。

「まぁ、そうなるじゃろうな」

 そんな光景を予想通り、当たる事が当たり前。当たり前すぎて驚く必要がない、と視線を向ける蘭。

「そうなるって…………」

「言葉通り、それ以上でもそれ以下でもない。『ウロ』を空間系法術、それにさっきまで張られていた【紅境界クリムゾン・ライン】と空間固定法術。その上、町の人間全ての魂…………まっ、正確には肉体もろともじゃが。『ウロ』に取り込まれたいたお主の魔力を取り込んでおるからの。ああならん方がおかしい位じゃ」

「あ、あの……」

 セフィリアは凜から蘭に視線を戻して、

「リンの能力は……その絶対、じゃなかったですけど『魔力具現化封印』だったはずで」

「『魔力具現化封印』か……まぁ、確かに似とるがの。ただ『核』を視覚化して封印する、なんて生易しいモンじゃないぞ。それにワシは取り込んだと言ったが封印した(・・・・)とは言っておらんはずじゃが」

その言葉にハッと、今までの蘭との会話が脳裏に浮かぶ。

 凜が最初に『ウロ』を封印時も、私と法術を封印して回った時も……蘭が凜の能力について口にした時は全て。


 ――――――取り込んだ(・・・・・)。


 そう言っていた。

「た、確かにそうですけどっ!! みんなの魔力を取り込んであんなバカでかい魔力になった、っていうのはわかります!! けど、いくら魔力があんな莫大でも魔力を自在に制御できるなんて」

「このっおおおおおっ!!」

 セフィリアの思考を殴り飛ばすようにジュマの叫び声が耳に突き刺さり、

「アイツ、まだっ!?」

ボロ雑巾といっても物足りない程に痛々しい姿のジュマを視界に捉える。

 視覚を強化しているおかげか屋上から校門までおよそ五〇〇メートルの距離でもハッキリ見える。

 額は深々と裂け、唇は勿論、その両端からも血が伝い、顔中血みどろ。四肢はまだ問題なく動かせるようだが、身に纏っていた制服は至る所が裂けており、破けた箇所からのぞく肌は赤く染まり、所々焼け焦げていた。

「来いっ!!」

 見るからに満身創痍状態でも怒りが痛覚を押さえ込んでいるのか、左手を空に掲げ苛立ちを吐き捨てるジュマ。

 そしてジュマの呼びかけに答えるように頭上には、空間をねじ曲げる幾つもの赤い渦が出現。

 渦は次第に巨大化し、互いに取り込み合い巨大な一つの渦に。

「これはっ!?」

「フム、転送法術じゃな。この気配……『ウロ』か」

 蘭の呟きを合図に赤い渦の奥から『虚』の大群が出現。その数は凜が言っていた数と丁度当てはまる。

「こんなたくさんの『ウロ』を一度になんてっ」

 自分でも分の悪い状況。だが、

『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ』

『ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ』

『ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ』

不意に転送された『ウロ』達が一斉に咆哮を上げ、互いに体をぶつけ合い――――――喰らった・・・・

「なっ!?」

「手段を選んではおられん、ということか……じゃが無駄じゃろうな

 あまりにも唐突で凄惨な光景にセフィリアは目を見開き、それとは反対に憐れみが宿る蘭の双眸。

 互いに互いの体を裂き、千切り、噛み砕き、咀嚼する光景。血のように飛び散る魔力の残光がおぞましい光景をより歪で禍々しいモノへ仕立てていく。

「もう君の魂なんていらないっ!!」

 三十七もいた『ウロ』はたった一体のなり、その体躯は校舎ほどの巨人へと変貌した。

「『ウロ』に喰われてボクの前から消えろおおおおおおおおおおっ!!」

 憤怒、屈辱、嫌悪と様々な陰険な感情にまみれたジュマの叫び。

 黒光りする巨躯、一つ目の『ウロ』は主同様にけたたましい咆哮をあげ、

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

豪腕を振り上げ凜へ襲い掛かる。

 だが、凜は迫る『ウロ』やジュマの叫びにも冷淡な表情を崩すことなく、静かに右手を握る。

 静かに握られた右手からは黒と白の煌めきが瞬き、

「…………ごめん」

と、凜が誰へともなく呟き、黒と白の雷光が歪な軌跡を宙に刻む。

『ヴォアッ!?』

 瞬間、凜は『ウロ』の懐へと潜り込み、心臓目掛け小さな拳が雷閃を撒き散らしながら突き刺さる。

 拳が突き刺さった先にあるのは『ウロ』の心臓――――銀の両眼に映る『核』。

『ヴォッ………』

 自身の存在を成す中枢を砕かれた『ウロ』は断末魔の悲鳴を上げることなく、馬鹿げた巨大な体躯は一瞬で赤の亀裂を刻まれ、砕け散った。

「なっ…………っ」

 砕け散った『ウロ』の欠片は一つ残らず凜の体に沈み、黒白の世界全体に静かで無慈悲な脈動を刻み、凜の膨大な魔力が更に膨れ上がる。

「魔力が膨れ上がってっ!?」

「見たじゃろ、アレが凜の能力じゃ」

「能力じゃ、って言われても全然わかりませんよ!! なんですか、アレ!? 法術は具現化封印するわ!! 『ウロ』の魂は取り込むわ!! ジュマの【紅境界クリムゾン・ライン】は見た事のない空間術で塗り替えるわ!! アイツ、いくつ能力持ってるんですか!?」

 自分の認識に不可解な疑問点、そして目の前に広がる未知なる黒白の世界。それら全てが頭の中で入り乱れ、答えが出ない苛立ちに思わず叫ぶセフィリア。

「一つじゃよ」

「へっ?」

「凜の能力は一つじゃよ。まぁ、手段としては二つじゃろうが、お主が言ったみたいに複数でも複雑でもない…………至極、単純なんじゃ。単純でどこまでも馬鹿げた能力」

 認めたくないモノを認めなければいけない、そんな理不尽なものを見る蘭にセフィリアの苛立ちはすぐ様塵と化し、自分自身への殺意を押し殺す蘭の姿に思わず息を呑んだ。

 そして蘭は自身への死刑宣告とばかりに苦渋を滲ませ告げる。


「名を――――――【略奪者ブリガンテ】という」


 セフィリアは先程聞いた【事象隷属経典アポカリプス】同様、初めて聞く能力名に自然と凜へと視線が移る。

「ブリ、ガンテ……?」

 蘭は凜から視線を外すことなく、ただ淡々とソレについて告げた。


 ――――――【略奪者ブリガンテ】。


 名が示す通り略奪を主とする能力であり、その略奪対象は肉体、魔力、魂、存在、世界、事象とありとあらゆる定義に確立されている、いないに関わらず――――【神】を含めた万象全て。

 その『在り方』を強制的に視認――――――『核』を具現化。その具現化した『核』に触れる、もしくは破壊する事で魔力へと変換し、自身の力として取り込む能力。

「そして今、広がっている白と黒の世界は【略奪者ブリガンテ】の発動を示す固有境界であり、直接境界に触れたモノ全てから魔力を強制的に搾取変換する……まぁ、安直じゃが【略奪境界ブリガンテ・ライン】とでも呼べば良いかの」

「そんな馬鹿げた力、今まで一度も聞いた事もない…………」

「まぁ、そうじゃろうな。この能力に関しては力の内容だけに無用な争いや混乱を招かぬようにと、お主の上司達が伏せておったからのぅ」

「……でも、ランさんは最初から知ってたんですね? 凜の力の事」

「……あぁ、知っておった」

 苛立ちに似た感情の灯るセフィリアの瞳に、罪悪感に唇を噛み、僅かだが遅れて答える蘭。

「なんで、今まで黙ってたんですか?」

 セフィリアにはそんなつもりは毛頭ないのに、口から出てくるのは尋問じみた言葉だけ。

「できるなら目覚めて欲しくは無かったからの。そうならぬよう封印を施して貰っておったし、何か事が起きてもこうなる前に儂が何とかするつもりだったんじゃが…………まぁ、落ち度じゃのぅ」

 後悔、自責、罪悪と暗い罪過の感情に沈む蘭。

 そんな負の感情に塗れた蘭の姿に、今度はセフィリアが唇を噛みしめる。

「っ」

 罪悪感なんてものじゃない。触れて欲しくない傷を、見られたくない罪を抉り、まさぐっているような、どうしようもない自分に吐き気がする。だが、それでも知っておかなければいけないとも思った。

 それが凜と夏子、二人をジュマの下らない欲望から護れなかった自分の責任だと。

「封印して貰っていた、といってましたけど……じゃあ、今までの凜の力は?」

「その片鱗、じゃろうな。今まで霊体はえておった様じゃし……あれだけの力、完全に押さえ込むのは無理のようじゃ。まぁ、今までギリギリ押さえ込んでいたモノが、お主の力に充てられて溢れてしもうたのじゃろう」

「わっ、私!?」

「お主が凜の傷を治したのが引き金、じゃろうな。『死神』という高位存在の魔力に当てられて、寝ていた獣が起きた…………と言ったら良いかの。それを皮切りに『ウロ』やセフィリアの強大な魔力を取り込み、立て続けに法術を取り込んで、いつ目覚めてもおかしくない状態じゃったからな」 

「……でも、今まで封印できていたなら、緩んだ封印を再構築すれば」

「一応、儂も万が一に備えて封印術式を指南してもろうて習得してはおるが……恐らく、儂の力でも数日程度しか抑えられんじゃろうな」

「なっ!? ランさんでも完全に封印できないんですかっ!?」

「今の凜にもう一度、完全な封印術を施せるとしたら……儂の知る限り一人しかおらん」

 そこまで言って不意に蘭の声が小さくなり、

「その人って――――」

 ――――誰なんですか? と言いかけ凜に向ける視線の罪悪を更に色濃くした蘭の瞳に、咄嗟に口を閉ざしたセフィリアだったが、遅かった。

「――――十年前に死んだ凜の母親じゃよ」

「ッ!?」

 セフィリアは言い様のない罪悪感と驚愕に目を見開き、

「ベルチェ=ハイデントゥーム。それが凜の母の名でな。あやつも『死神』と深い親好があっての。儂同様『死神』からの依頼を受け、助力していたんじゃ……一部では危険視されておったがの」

ソレとは正反対に女性の姿を思い起こすように目を細める蘭。

「一部では危険視されてたって……どうしてです? ランさんと同じで『死神』に協力していて、その上ランさん以上の能力者なら多少は警戒するかもしれませんけど、ランさん程の人に術式を教えられる人なら危険視どころか、ランさんと同じく英雄視されてもおかしくない筈なのに……」

「簡単じゃよ。ベルチェも【略奪者ブリガンテ】の発現者だったからじゃ」

「っ!? 凜のお母さんも同じ能力だったんですかっ!?」

「そうじゃ。さっき話した『死神』側の秘匿もあったが、ベルチェ本人もその力を嫌って使用を避けておったからの。ごく一部の神々の間だけで話をつけ、能力が知れ渡る事はなかった。それに何より能力発現の条件――――代価があまりにも酷じゃったからの」

「代価、ですか?」

「そうじゃ。あれだけ馬鹿げた力、何の代価もなく扱えるほど現実というのは甘くはできておらん…………」

 そこで一度言葉を切り、自分が口にした言葉を確認するように、凜へ視線を戻す蘭。

 そして紫の双眸に映る孫の姿に言葉を引きづり出される。

「凜の力の代価。それは――――――」

「……………えっ?」

 一瞬。何かの聞き間違いだと思い、問い返そうとしたが。


「なんでだよっ!?」

 

 欺瞞と傲慢に塗れたジュマの叫びが、それを遮った。

「何っ!?」

 まるで泣いているような声音にセフィリアと蘭がそちらに振り向き、

「そろそろ時間じゃな」

その声音を容赦なく切り捨てる蘭の言葉が静かに、無情に響いた 。


††††††††††††††††††††††††††


「なんでだ!? なんでこんな事になったんだ!?」

 ジュマは納得できないと苛立ちに頭を掻きむしり、凜を射殺すように睨み付け、狂ったように叫び続ける。

「ボクは何を間違った!? ただ一人の人間を殺して!! 人間達の魂を奪って!! ただそれだけでボクは全てを手に入れられるはずだったのに!! なんでだよっ!?」

 自身の望みを砕かれた焦燥感に荒れ狂うジュマに、凜は疑問に研がれた鋭い眼差しをぶつけていた。

 ――――コイツは何も失っていないのに、なんでこんなにも悲しい顔をするんだろう?

「君が、君が黙って死んでいれば!! 君さえ!! 君さえボクの邪魔をしなければっ!!」

 ――――夏先輩を殺して。

「ボクは!! ボクがっ!! ボクこそがっ!!」

 ――――セフィリアを傷つけて。

「この世界全ての頂点にっ!! 世界の支配者にっ!!」

 ――――町の人達、皆を犠牲にしてまで叶えたかった事は。

「新しい世界の【神】になれるはずだったのにっ!!」

 ――――ただの我が儘なのに。

「下らないね、君の願いは」

 願いを失った事への嘲笑も、切望が消えた事への同情も、叫き散らす姿への憐れみすらもない、ただ音としての言葉。

 あまりにも感情とかけ離れた無機質な凜の言葉に、

「下らない、だって……?」

理解が及ばない、と狂い声を怒声に変えるジュマ。

「ふざけるなっ!! 【神】になる事の何が下らないって言うんだよ!?」

 血塗れの表情は怒りで歪み、傷だらけの体は痛みを忘れたように地を蹴り砕き飛ばし、

それと同時に魔力を収束。ジュマの影が無数の黒剣となり、凜へ飛ぶ。

「下らないよ」

 殺意に研ぎ澄まされた黒剣の弾幕。その手前にえる『核』を右手で払い、

「神様になったらどうだっていうんだよ?」

「なっ!?」

ジュマの憤怒は黒剣諸共砕け散り、剣の破片は抗う事なく凜の中に沈んでいく。

「お前が言った、世界を何でも思い通りにできるってさ」

「こ、このっ!?」

 凜は右手を降ろし、ゆらりと死神へ歩き出す。

「僕にはただの、子供の我が儘にしか聞こえない」

「くっ、来るな!!」

 ジュマは怒りとは違う感情に上擦った声で左手を払い、凜の行く手を黒い灼熱の炎が壁となり阻む。

「来るなっ!!」

 が、凜は臆することなく歩みを進め、今度は炎の壁を散らすように左手を払う。

「あっあぁ…………あぁあ」

 すると炎の壁は脆い飴細工のように砕け、

「そんな、自分勝手な願いを下らないって言って何が悪い?」

凜の歩みに合わせ、体へと消えていく。

 黒炎を全て取り込み終わり、それに合わせ【略奪境界ブリガンテ・ライン】が脈動するのと同時に凜の魔力が一瞬で跳ね上がる。

「お前の下らない我が儘を押しつけるなよっ!!」

 殺意を根源に生み出された白と黒の稲妻が凜の体を駆け巡り、大地を蹂躙し粉々に吹き飛ばす。

「ああああああっアアアアアアアアアッアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」

 吹き飛んだ瓦礫を回避……いや、むしろ恐怖から逃げるように空へ飛ぶジュマ。

「来るなっ!! 来るな来るナッ!! 来ルナ来ルナクルナッ!!」

 遙か上空から届く、初めて恐怖に染まり、錯乱に木霊するジュマの声。

 その悲鳴を上げるの当時に左手を振り上げ、

「クルナアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

魔力の全てを左手に収束。掌には一本の巨大な漆黒の槍。

「ジュマ=フーリスッ!!」

 抑えきれない激情を咆哮に代え、大地を砕き跳ぶ凜。

「お前の子供じみた我が儘はっ!!」

 その速度に世界が慟哭を響かせ、

「アアアアアアアアあぁぁぁぁぁあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁアアアアアアアアアアアッ!!」

迫る恐怖を貫こうと、凜へ漆黒の槍を音速を超える速度で撃ち出すジュマ。

 撃ち出された音速を超える槍は大気を幾重も貫くが、矛先は凜を捉える事はなく。

「お前の身勝手な願いはっ!!」

交差の瞬間。槍事、『核』を左手で粉砕。

「お前の下らない幻想はっ!!」

 粉砕した槍の残骸を踏み台にジュマへ一直線に跳び込み、純然たる殺意を右手に込め、白と黒の轟雷が天に瞬く。

「お前の絶望はっ!!」

 眼を焦がす程の瞬きの中、ジュマの碧眼に映るのは拳を振り下ろす凜の姿。

「お前が背負えっ!!」

 轟雷纏う拳は容赦なくジュマの心臓を貫き――――――魂の『核』を貫き砕いた。

「がっ!? あぁ、・・・・・・・・ぁあ」

 体を貫く痛みと、魂を砕かれた虚無感にジュマの瞳からは光が消え、

「しっ……く、…いよ」

哀願に沈む断末魔を残し、肉体は青い光の粒子となって溶け込むように凜の中に沈んでいく。

 重力に従い青の粒子を引き連れるように、荒れ果てた校庭に着地する凜。

 凜は白と黒の歪な世界を見上げ、



 ―――――――――――――――死にたくないよ。



「…………何だよ、それ」

消える間際に残したジュマの言葉に言い様のない感情が沸き上がり、それを否定し、握りつぶすように右手を強く握りしめる。

「…………きっかり三分じゃの」

 空を見上げていた凜に安堵を滲ませた声を掛ける蘭。凜はその声に振り返り、その先で夏子とセフィリアを抱き抱えた蘭が静かに微笑み佇んでいた。

 蘭は二人を静かに地面に降ろし、凜は事を終えたとか細く希薄な笑みを浮かべた。

「ごめん、少し待たせちゃった」

「…………いや、気にせんで良い。良く我慢したのぅ(・・・・・・)

 そんな儚げで弱々しい笑顔に、凜の心根を悟った蘭はそっと頭を優しく撫でる。

 その言葉にこみ上げてくる感情を吐き出したくなった凜だったが、セフィリアに抱き抱えられている夏子の姿にキュッと唇を噛み、震えそうになる声を気力でねじ伏せる。

「っぁ……僕の事は大丈夫。それよりも夏先輩とセフィリアを」

 慈愛に満ちた温もりを拒絶するように蘭の手をそっと払い、座り込んでいたセフィリア達の正面へとしゃがみ込む凜。

「ごめん、セフィリア。少し待たせちゃった」

「ううん、私は平気よ。ランさんが供給してくれた魔力で大分楽になったから……」

 セフィリアは擦り傷だらけの顔で微笑み、まだ余力があると胸を張る。が、華奢な体のあちこちに傷があり、微かに震えていて――――まぁ、我慢しているのがバレバレだった。

「私よりもナツコが…………」

 セフィリアは体の輪郭がぼやけ始めている夏子に視線を降ろし、

「私とランさんで魔力を供給し続けてるんだけど……」

表情を曇らせ、躊躇うように唇を閉ざす。が、

「不味いことに夏子さんの魂が消えかかっておるんじゃ」

セフィリアの代わりに蘭が隠しても無駄、と言葉を繋げる。

 凜もそれを最初から理解していてか驚く事はなく、夏子の痛みや苦しみを共有するように表情を強張らせた。

「…………うん、えてるからわかるよ」

 セフィリアに抱えらている夏子の姿。外から変化もそうだが、何より内側にえているモノの方が酷かった。

「夏先輩の魂の『核』…………粉々になってる」

 肉体のない霊体とはいえ、存在の中核である『核』を貫かれた夏子。生身の体であれば即死ものだが、生前から心臓を貫かれる事によくよく縁があるようで――――嫌な縁だ、と凜の表情が軋む。

 自分の腕の中でどんどん希薄になっていく夏子に、無力感から声を震わせるセフィリア。

「この状態じゃ『事象回帰』をしても、時間回帰の最中に魂が消えちゃって…………生き返らせてあげられない」

 美しく澄んだ碧眼は自責と哀愁に歪み、今にも涙がこぼれてしまいそうだった。

「ごめん、リン…………生き返らせるって言っておいて、結局」

「大丈夫だよ、セフィリア」

 セフィリアの悲しみを包み込むように、無力感を溶かすように。凜は優しさと包容力に満ち溢れた笑みを浮かべ、こぼれ落ちそうだった滴を人差し指で掬い取った。

「リ、リン?」

 凜の言葉の意味がわからず、一瞬呆気にとられたセフィリアだったが、すぐ様驚きと戸惑いに声を荒げる。

「大丈夫って…………このままじゃナツコが消えちゃうのよ!! 大丈夫なわけ無いじゃない!!」

 セフィリアは夏子の体を慈しむようにギュッと抱き寄せて、

「こんなっ!! せっかくリンが頑張ってアイツを倒しても、ナツコが生き返れなきゃ何の意味も無いじゃない!! それでっ!! それでもっ、リンは平気なの!?」

「大丈夫だよ、セフィリア。夏先輩は絶対に死なせないよ。僕が…………助けるから」

そんなセフィリアの姿に、凜の声音が重さを帯びた。

 その静かで重い声音に蘭のは凜の心を察したように隣へ歩み寄り、

「……凜よ、今ならまだ」

「うん、わかってる」

凜も蘭の思いを組み取り、皆までいわせず静かに答えた。

「でも、もう決めたから」

「そう、か……ならば何も言うまい」

「ごめんね、お祖母ちゃん。それにセフィリアも…………後の事はお願い」

 凜は夏子を見据えたまま蘭へ頼みを告げ、蘭もそれに無言で頷き。

「後の事は、って…………リン、アンタ何するつもりなの?」

 諦めとは明らかに違う、覚悟を滲ませた二人の様子に胸がざわめく。

「夏先輩を助けるんだ…………それに僕が取り込んじゃった町の皆も解放してあげないといけないしさ」

「た、助けるって…………それに取り込んだ人達を解放するって」

 どういう事よ? と問い掛けようとして、明確な答えを避けるように凜が言葉を乗せる。

「大丈夫。夏先輩もちゃんと生き返らせれるし、取り込んじゃった町の皆もちゃんと助けられるから」

「だ、だからリンは一体何をするつもりなの?」

「あっ、でもここの担当だったって『死神』の人は助けて上げられないかな。僕が取り込んだ『ウロ』の中にも魔力の欠片も残ってないみたいだし」

 作り物の笑顔で一方的に話を進める凜。それに対して嫌な予感が急激に膨れ上がる感覚に、セフィリアは不安を噛み殺すように歯を食いしばり。

「一先ず僕の所為で巻き込まれた人達は」

「何をするつもりなのかって聞いてんのよっ!!」

 場に滲んだ重い空気も、凜の薄っぺらい作り笑いも全て殴り飛ばす怒声をあげる。

「お願いだから、答えてよ…………」

「…………………」

 セフィリアの叫びに凜の顔からは張り付けていた作り笑いが消え、残るのは覚悟に染まる銀の眼光。

「僕の魂を破壊して、皆を解放するんだ。そうすれば皆を助けられるし、夏先輩も壊れた僕の魂の魔力を使えば『事象回帰』を乗り越えられるんじゃないかな?」

「なっ!?」

「その後の事は全部お婆ちゃんとセフィリアに丸投げしちゃう事になるんだけど…………これ以外に皆を助ける方法が思いつかなくてさ」

 まるで他人事のように事後処理を口にする凜に、セフィリアは動揺に顔を強張らせる。

「ア、アンタ……自分が言ってる事わかってる?」

「うん」

「魂を、破壊したら……死ぬのよ?」

 その上、破壊した魂を儀式対価に差し出せば夏子の様に『未練』に縛られ『霊現体ゲシュペンスト』になることもなく、自我を失った『悪霊』になることもなく――――言葉通り、魂そのものが消えて無くなる。

「もう元の生活にも戻れないし、ランさんやアンタのお父さんとだってもう会えなくなるのよ?」

「うん」

「それこそ今ここでナツコを助けても、アンタとナツコはもう二度と会えないのよっ!? それでもっ!?」

「うん。今ここで夏先輩を助けられなきゃ結局同じだし、それにさ」

 問い詰める様な口調とは裏腹に懇願するように揺らぐセフィリアの瞳。そして懇願に揺れる瞳を正面から真っ直ぐ受け止め、自分が選んだ事なのだと真摯な眼差しで返す凜。

 至上の存在とも言える【神】の一角である少女が、一人の人間の少年に請う光景はとても不可解で、歪で――――どこまでも悲しくて。

「約束したから――――夏先輩を絶対に生き返らせるって」

「そん、な…………」

 ――――それは一瞬だった。セフィリアが凜の答えに呆然とした僅かな隙。その僅かな隙に蘭がセフィリアの首筋に手を滑り込ませ、雷が瞬く。

「なっぁっ!?」

 瞬間、驚きと雷撃の衝撃に目を見開くセフィリア。

 雷撃のショックでセフィリアの体から力が抜け、

「あ、ぁ………だ、ぁ」

「すまんのぅ…………祖母として間違っていると思うが、凜のしたいようにさせてやってほしいんじゃ」

と、倒れそうになるセフィリアを支える蘭。

「ごめんね、セフィリア。少し痺れさせただけだから安心して」

 セフィリアと入れ替わりで夏子の肩に手を回して、膝裏にそっと手を通して抱き上げる凜。そして夏子の体を刺激しないようゆっくりと立ち上がる。

「っ…………ぁ、ぅぁ」

 セフィリアは雷撃に痙攣しているにも関わらず、背を向け離れていく凜を止めようと必死に何かを喋ろうとする。

 が、

「最後に一つだけ…………お願いしておこうかな」

 セフィリアの願いを阻むように、凜の足下から吹き上がる白と黒の稲妻。

 吹き上がった稲妻は凜と夏子を飲み込むようにその雷光を強め、雷光と共鳴するように轟く轟音の中。セフィリアの瞳に映ったのはすぐそこにある自らの死に怯える事もなく、二度と戻る事のない日常への哀愁もない――――とびっきりの笑顔を浮かべる凜。

「夏先輩が生き返ったら伝えて…………」

 大気を裂き、耳を劈く雷鳴の中で微かに聞こえる声にセフィリアの視界が涙で歪み。


「屋上でした約束、護れなくてすみません…………って」


 その言葉を引き金に世界は目映い光に満たさる直前、凜の記憶に焼き付いたものは。

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!」

 声にならない絶叫を上げる泣き顔のセフィリアと。






 ――――――パキィッ!!






 自分の魂を砕く、嫌な感触だけだった。









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