現在(4)
広間に入るとき、廊下に出るとき、庭に降りるとき、いつもその姿を探すようになっていた。そこにいないことを確認するために。
姿が見つからなければ、安堵はする。それでも、何か、あるべきものが欠けているように思えてしまう。
「へろぱっ」
「最近おとなしいね」
「お嬢様がですか?」
「いや、カロルがだよ。アウィスが帰って来た頃からかな」
「・・・一介の使用人にまでお気づかいいただいて、恐縮です」
「お気づかい、ねえ。博愛主義は楽だけど、つまらないな」
ウエストにまきついた腕がほどかれて、領主様がゆっくりと私の正面にまわりこんだ。
「もう、やめてしまおうか。博愛主義も、立派な領主様も」
ほんの一瞬、挑戦的と形容できるような色が領主様の眼の上を通り過ぎて、すぐにそれは霧散した。不自然なほどのすばやさで。
「大切なものはね。大切なものは、手が届くうちに掴まえておかないと、いけないよ」
「・・・。領主様には、そういうご経験が・・・」
多分、この方はそういう経験をくぐりぬけて来たのだろう。手が届くうちに何物かを掴まえておくことができなかったような経験を。
それも含めた過去の色々なことが、この方を霞のように覆う優しさのもとになっているのだと、なんとなく腑に落ちるものがあった。
でも、今の私にとって、大切なものってなんだろう。
大切なもの。そんなものは、みんな昔においてきてしまった。
「ああ、そういえば、仕立て屋が来ているよ。カロルと話したいそうだ。リーリはこれから家庭教師にやっつけられる予定だから、一人で応対しておいてくれるかな」
「かしこまりました」
「あれ、髪にほこりがついてる」
ほこりを取ってくださるつもりか、領主様が私の髪に手を伸ばした。それから私の肩越しに視線を投げると、ふっと唇の端を持ち上げた。
つられてそちらを見やると、くるりとこちらに背を向ける人の姿があった。
高い背丈、少し前かがみの背中、優しい色の髪。
気持ちを持っていかれそうになる、その後ろ姿に。
どんなに頭から追い出そうと思っていても、目の端に入り込むだけでその存在に気付いていしまう。
いつだって、そこにだけ光があたっているように、彼だけがまわりの風景から浮き立つように見えてしまう。
廊下を横に入ったアウィス様の姿が見えなくなるまで目で追って、ふと気が付くと、領主様も姿を消していた。