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これから


 普段と同じ時間に部屋を出て、リーリ様のところへ向かう。



 ・・・朝早く、自分の部屋で目覚めてすぐに、身体に残された痕跡を認めることになった。さらに、いつもの仕事の前に洗濯すべき寝具カバーの類――静止を振り切って、あの場で新しいものに交換した――が部屋の隅に積まれているのが目に入っても、それでも、昨夜のことは、夢だったような気がする。



 リーリ様の部屋の扉をノックすると、かわいらしい返事が聞こえた。今日はすでに起床されているようだ。

 それどころか、もう一人で着替えをすませていらした。こういうところは本当に手のかからない方なのだが、それが逆に少しさみしい気もする。


「カロル、ねえ、どちらの色がいい?」

「まあ、これは・・・」


 私が感嘆の声をあげると、お嬢様が少し誇らしげな顔をした。小さな手が指し示しているのは、シンプルな二着のドレス。一着は淡い空色、もう一着は深い青と緑の中間のような色。どちらもそれぞれ子どもの頃に見た宝石の色を思わせる色合いで、上質の生地が使われているのが分かった。


「どちらも素敵な色ですね。ただ、お嬢様にはだいぶ大きいようですし、それに・・・」


 残念ながらどちらの服も、独特の肌の色を暗く見せてしまうし、お嬢様には地味すぎる。もちろん、地味だろうが顔色が悪く見えようが、好きなものを着ていただくのが一番だが。


「やあね、カロルったら。これ、あなたのよ。今日はアウィスお兄様とお出かけするんでしょう?」

「アウィス様と私が? どちらへでしょうか」

「もう。まだとぼけているの? 昨日の晩、お兄様から聞いたわ。つまり、約束をきちんと守るのなら、お世話係はやめるけど、わたしのお姉様になるということでしょう? それを知っていたら、一人で川に行ったりしなかったのに」

「お姉様? もちろん、お嬢様がお嫌なら、世話係はお暇をいただきますが、でも」

「わたしやっぱり、そういう約束は守るのが正しい道だと思うわ。この前、自分で判断するようにって言っていたわよね」


 お嬢様が単に「お兄様」と呼ぶのは、領主様の方だ。いったいそのお兄様から、どんな話を聞いたというのだろう。

 そのとき扉がノックされて、当の領主様が入って来た。


「お兄様。淑女の部屋の扉は、お返事を待ってから開けるものよ」

「ああ、ごめん。つい、気がせいてしまって。ところでカロル、その衣装は気に入った? アウィスが君の実家に注文しておいたものだよ。ここでは織物のことでカロルにかなう者はいないけれど、好みの型や女性のサイズのあれこれは、得意分野だから私も助言したよ」


 その得意分野は確かに一つの特技ではあるのだろうが、領主様の発言には、いくつか気になる点があった。


「私の、実家?」

「そう・・・カロルには謝らなければならないね。君たちの一家の不遇には、先代の領主、つまり私の父も無関係ではなかったから」

「先代の領主様? それは、どういうことでしょうか」

「うん、何のことか分からないだろうね。どこから話したらいいかな・・・先代はね、当時、急速に財をなして無視できない勢力になっていた一部の豪商から、財力の援助を受けていた。援助といっても高い利息がつくんだけどね」


 領主様の口元にはいつもの穏やかな微笑が浮かんでいたが、普段のような気安さは感じられず、私は息を詰めるようにしてそのことばを聞いていた。


「特に有力な豪商に、いってみれば人質として里子に出されたのがアウィスだ。資金繰りがうまくいかない貴族の間では、よくある話だった」


 それがウィルなんだろう・・・私の顔を見て領主様が頷く。


「アウィスの預け先の一族は、品物を国外に流して不正な利益を得ていたんだ。カロルのお父さんは、それを知って懐柔されるどころか、不正を訴えようとして逆に制裁にあってしまった。

 だから、細かい経緯までは知らなかったとしても、先代は君の家を罠にはめた側に加担したことになる。私の代になってすぐ、何があったかをあらかた把握したアウィスは君の行方を探したらしい。同時に直轄領地になっていた君の屋敷に、昔の主だった使用人を集めて、規模をやや縮小した形で織物商の事業を復活させている」


 そんなことあり得ない、信じられない、と否定する気持ちの一方で、昔の家の人たちの顔が次々と目に浮かんだ。

 父の眼鏡にかなった使用人は生真面目な頑固者ぞろいで、あの事件で汚名をきせられ、別の仕事先を見つけて世渡りしていくのは、難しいだろうという気がしていた。

 だから彼らの処遇は、わたしのもっとも大きな心のわだかまりの一つになっていた。


「そんなこと・・・」

「うん、驚くだろう? 私だってあんなに熱心なアウィスを見て、驚いたもの。ただ、彼は自信家のように見えて肝心なところで気弱だから、探し出した君がここへ来る直前に、旅立ってしまったんだ」


 乱暴なノックの音に続いて、アウィス様が入って来た。領主様は気にとめる様子もない。


「まあ、いろいろ不安になったんだろうが、北方から戻ってきて、いつカロルに本当のことを言うのかとわくわくしながら見ていれば、随分もたついていたよね。いっそ私が横からかすめ取ろうかと思ったもの」


 仏頂面のウィル――アウィス様が、領主様をさえぎるように私の目の前に立った。それから一つ息を吐くと、慎重に口を開いた。


「カロル。パルマたちが、君に会いたがっているんだ。会いに行ってみないか」

「パルマたちに?」


 パルマ・・・私も、会いたい。でも、本当にいいのだろうか。彼女たちにとってみれば、私こそが不幸の根源ではないのか。

 会わないでいた方が、お互いに傷つかずに済むのではないだろうか。


「何でも先回りして悪い方に考えておけば、たしかに落胆せずにすむ。だが、それだけでは、何も始まらないだろう? 望まない結果になるとしたって、まずはできることから始めてみなくては」


 私の顔を覗き込むようにしていたアウィス様は、そう言ってふわりと微笑んだ。


「そういうことを俺は昔、隣に住んでいた女の子から教わった」

「・・・」

「ねえ、カロル。行って来なさいよ。でも、ちゃんと戻ってきてね。ああ、それから、ドレスはあっちだと顔が平べったく見えるだろうから、こっちの色がいいと思うわ」


 お嬢様が深い色合いのドレスの方を指さした。


「ええ、私もそちらがいいと思います」


 私は笑って同意して、それから三人に向かって、深く頭を下げた。他にどんな方法で感謝の気持ちを表したらよいか、分からなかったから――実際には、この胸にあふれる感情を、単純に感謝の気持ちと呼んでよいのかどうかすら、分かるような余裕はなかったが。




 ***




 こんなに近いところにあったとは思わなかった。


 軽い食事を済ませてから、アウィス様と馬車に乗った。そして昼過ぎには、窓の外の景色がどこか見覚えのあるものになっていた。

 やがて、このあたりだ、と確信する頃には、胸の奥の痛みと緊張がピークに達していた。私の手を握っていてくれるアウィス様の顔も、少し緊張しているように見えた。


 目的の場所の、少し手前で馬車から降りた。

 ウィルのお屋敷があったあたりには、記憶とは違う建物があった。持ち主も変わっているらしい。

 私の家があった場所も、昔のままではなかった。改築されたのだろうか、屋敷自体は小さくなっていて、その分、庭が広くとられているようだった。


 それでも、顔をなぜる空気の重みや匂いは、確かに覚えのあるものだった。

 木の陰や低木の茂みの向こうは、幼い私を知る何かがこちらをうかがう気配に満ちていた。



 屋敷の方にゆっくりと近付いていくと、小さな歓声があがった。十人ほどの老若男女が次々と庭の方に出てくる。


「カロルお嬢様!」


 最初に駆けだしてきたのは、パルマだった。昔の柔らかい輪郭の顔立ちからは甘さがそげて、いかにも有能そうな女性の姿がそこにあった。


「お嬢様・・・お会いしたかった。お元気だと聞いてはいましたが、どんなにか辛かったでしょう」

「そんな、辛かったなんて。あなたの方こそ。パルマ・・・本当にごめんなさい」


 謝る私を見て焦ったようなパルマの顔は、途端に昔の面影が色濃くなった。


「いいえ、いいえ。私は、好きな仕事をさせていただいて、数年前に伴侶も得ました。彼もこちらで働いておりますが、今は仕入れのために地方に行っております。それから、お嬢様にぜひ挨拶したいという者が・・・」


 そう言って一人の少年を手招きした。まだ十二、三歳であろうその少年は、背筋をまっすぐに伸ばし、上気した顔をあげて、私の方を見た。


「お会いできて嬉しいです。僕はこちらで見習いをさせていただいております。まだまだ人に聞く父の仕事ぶりには追いつけそうにありませんが、だから余計に、心から、父や、先代のご主人様のことを、誇りに思っています」


 一気に言ってから、顔をほころばせた。この少年は――あの事件で亡くなった彼の愛息に違いない。


「ありがとう。本当にありがとうございます。私も、あなたがここにいてくれて、あなたに会えて、本当に嬉しいです」


 ばかみたいに繰り返しながら少年の手をとると、彼は赤くなって後ずさった。


 父の正義を否定すれば、彼の誇りも否定することになる――本当は私も、信念を貫いた父を誇りたかった。

 一方で、父の信念のためにたくさんの人の境遇が変わり、人の命までが犠牲になったのは、動かしようのない事実だった。そして父は、私を罪悪感の中に逃して、自分だけ勝手に母の待つ場所へ昇ってしまった。

 父に対する非難は、普段は意識の奥底に沈んでいるだけで、薄れることは無かった。


 そして、この相反する気持ちは、他の吐きだされなかった汚い感情と一緒になって、私の中に黒い淀みとなって積もっていた。


「カロルお嬢様。領主様のお屋敷の方にばかりこもっていないで、これからも時々こちらを監督しに来てくださいね。お嬢様はこと織物や生地に関しては、かなりの目利きだと聞いておりますよ。なんといっても、この邸の主人は、お嬢様なんですから。ほら、あちらにも、あなたを待っているものがありますよ」


 パルマが微笑んで示した方向には、たくさんの小さな白い花が、ひっそりと息づくように咲いていた。




 淀んで積もった感情も、ここ数日のできごとも、そんなにすぐに消化できるはずはない。今まで生きてきた時間と同じだけの時間をかけても、それができるかどうかは分からない。


 でも、生意気な女の子がお隣の男の子に教えたという方法を、今度は自分で試してみなくては。

 私一人が立ちどまっているうちに、みんな、先に進んでいたのだから。


 自分で自分にかけてしまっていた呪いを、ほどいていくこと――それがまず最初に、すべきことだろう。



 ずらり並んでいた人たちは、私たちに賑やかに声をかけながら、屋敷の中に戻って行った。



 彼と二人、屋敷の中に入る前に、一面にミュケの花が植えられた場所に立ち寄った。

 咲き乱れた白く小さな花がさざ波のように揺れて、変わらない、清冽な香りが立ちのぼる。


「一本、いただくよ」


 そう言って、幼馴染がミュケの花を丁寧にたおった。

 私もそれにならって、白い花の一本に手を伸ばす。


 彼が、その花を私の髪にさした。

 私も彼に同じことをしようとしたが、とめられて、手の中の花を奪われた。


「ばかカロル。君の方が忘れっぽいみたいだから、こうしとけ」


 もう一本の花も、先ほどの花と同じ場所にさしてくれた。


「いつになったら、君に追いつけるかと思ってた」


 視線は髪にさした花に残したまま、何気ないふうにそんなことを言われて、本当に驚いた。手の届かないところに行ってしまったのは、彼の方なのに。


 やはり兄弟ともども、若干、変わっているのではなかろうか。


「変なやつ・・・っていうのは、ウィルみたいな人のことを言うのでしょう?」


 昔の記憶を掘り起こしながら、聞いてみた。


「・・・? そう言えばあのとき、カロルは "あんなこと" がいっぱいできるって言ってたな」

「何を?」


 お互いの記憶は、都合の悪い部分はかみあわないようだった。

 それでも、この小さな花の約束が、私たちを再び向き合わせてくれたことにかわりはない。



 髪にかざったのは、一歩を踏み出すための、新しい約束のしるし。



 彼が手を差し出してくれている。

 慈雨のように、思いが愛しさに満たされる。


 差し出された手をとり、ミュケの花のかおりをまとって、私は、懐かしい人たちが待つ屋敷に向かって歩きだした。




 おわり



 ありがとうございましたっ

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