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アイラブ桐生・第二部 14~16

作者: 落合順平

アイラブ桐生・第二部

(14)第1章 ただいま、放浪中



 新宿駅から京王線に乗り換えて、まもなくの笹塚という駅で降りました。

私に、都内の地理についての理解は、まったくありません。

明治神宮や、代々木公園という地名を聞いて、先日のデモ行進の時に

レイコと乗った地下鉄で、確かそんな名前があったことを漠然と思い出した程度です。



 駅に降り立つと東口へ出て、中野通りに沿って右へ曲がりました。

笹塚1丁目東という交差点があるから、そこから見える範囲の新聞店を探せ・・・

というのが、慨に上京している同級生からの指示でした。

田舎者なんかに、細かく説明したところでどうせ分からないから、あとは目で探せと言う

たいへんにぶっきらぼうな道案内です。




 先に上京している同級生の守は、歌手志望です。

中学を卒業する同時に上京をして、歌手をめざしたまま早くも5年余りが経ちました。

もらった葉書の住所は、○○新聞販売店内、と、ありました。

とりあえずそこまで来れば行き会えるからという、大雑把な話です。



 交差点に立ってみて、(田舎者は)すこぶる驚きました。

交差点から見回した範囲だけでも、4軒から5軒もの新聞販売店が見えます。

これはまったく、予想外の事態です・・・・

(後から聞いた話では、)トラック便が早朝に新聞を落としていくために、

幹線道路沿いには、必然的に、いくつもの新聞店が立ち並らぶそうです。

それにしても、密集しすぎだとは思いましたが・・・いずれにしても、

上京したての「田舎者」には、大仰天の光景です。





 ・・・・話は、今朝に戻ります。


 桐生祭りの夜に久し振りに行きあって、

思いがけなく3泊4日を過ごしたレイコとのドライブから、はやくも3ヵ月余りが経ちました。

そろそろ世間では師走を迎える時期だという時に至って、ようやくのことで、

家を出る決心を固めました。


 昔堅気すぎる親父の性格のことを考えると、

承諾をもらうことはなどはとても無理だと思い、全員に黙って出ていくつもりでしたが、

お袋だけには、それとなく伝えてしまいました。



 「おや、やっと出て行く気になったのかい。

 そうだよねぇ~、

 絵描きはやっぱり放浪の旅が定番だもの。

 旅先で苦労して絵を書かなければ、やっぱり一人前にはなれないからね。

 ああ、私は一向にかまわないから、気にしないで行っといで。」

 

(お袋は、何かを勘違いをしているようです。それはたぶん、

 裸の大将の山下清のことで・・・・俺のやりたいのは絵画ではなく、デザインです)




 お袋に言わせればマンガも油絵もデザインも、同じ道楽の範囲だと一言でかたずけます。

なにがどう違うのかを説明する方が、余計にやっかいでした。

長男が家出をするというのに、お袋は、さほどにあわてた様子も見せません。

それからの一週間が何事もなく過ぎて、やがて当日を迎えます。


 予定通りに(家出の)出発の朝を迎えました。

早い時間にお袋が私の部屋へ来て、無造作に封筒を突き出しました。



 「お父さんからもたっぷりと巻き上げてきたから、遠慮しないで持っていきなさい。

 別に、邪魔にはなるものではないからね。

 ただし、父が言うには、モノになるまでは絶対に帰ってくるなと、

 くれぐれもそう言えと、それだけは、きつく申しておりました。」



 はい、と笑いながら父の餞別を手渡してくれました。

仕事に出掛ける時のように、そのまま玄関までいつものようについてきます。


 「家出の息子をまさか表へ出てまで、見送るわけにはいかないから、

 私も、ここまでだよ。

 それからこれは、もうひとつ、これも別の人からの、

 大切な預かりものだ。」


 ほらと言いながら、もうひとつの封筒を渡してくれました。

心当たりはないけれど、と、つぶやいていると・・


 「万が一の時のためにと、あの娘が置いていきました。

 もうこうなることは、分かっていたんだねぇ、あの娘には。

 どうせうちの子は、当分の間は帰ってこないけど、

 いつでもいいから、また遠慮をしないで、遊びにおいでと言っときました。

 唐変木とうへんぼくのあんたには、もったいないほど、良く出来た娘だねぇ。

 お嫁にもらうなら、あんな娘がいいと母さんも絶対に思うけど・・・

 なかなかいないよ、今時の、気が利いて優しいおじょうさんなんか。

 ・・・・おや、これは門出だというのに余計な話だね。

 それは、何かの時には渡してくださいって、それだけ言って置いてった、

 あの娘からのお守りだと思います。

 お前がいらないっていうのなら、その辺に捨てて、お行き。」



 レイコだ・・・

悲壮感いっぱいで家を出るよりは、だいぶましかと、

レイコのお守りも受け取って、「じゃぁ」と言いながら靴をはきました。

お袋はもともと、細かいことなどは一切言わずに

「そうですね、まぁ、なんとかなるでしょう。」と笑って日々の暮らしを

きりまわしていく性格の持つ主です。

ウジウジしている息子よりも、世間の冷たい風に少しでも余計にさらしたほうが、

いい人生勉強になる、そんな風にでも考えたのだと思います。



 「あ、それから、わが家に便りはいらないよ。

 どうせあの娘には書くんだろうから、それだけで十分だ。

 そのうちに届けますって、あの娘もそう約束をしてくれたからね。」


 にっこりと笑って手を振ったお袋が、未練を持つ前に、

ピシャリと玄関を閉めてしまいました。

しかし、ここから4年にもわたって、時おり手紙は書いたものの、

一度も自宅には帰りもせずに、ひたすらに放浪の旅をつづけることになりました。

本土への復帰闘争を続けている沖縄への渡航を皮切りに、九州から京都まで、

自分の夢を探して、あてもなく歩き回るようになるのです・・・



 守は、新聞店で休息中でした。

夕刊の配達も終わり、朝刊用のチラシを受け取るために

ただ待機しているだけの状態です。

席を外すわけにいかないので、裏手にあるアパートで待っていてくれと

部屋の鍵だけを手渡されました。


 アパートの玄関には、大量の運動靴が氾濫をしていました。

その大半が配達のアルバイトをしながら大学へ通う、学生たちのものです。

教えられた部屋のかぎを開け、恐る恐る・・・・そ~と室内をのぞいてみました。

三畳で、まったくの真っ暗闇な部屋でした。



 突き当たりにある窓を開けてみたら、少しは明るくなるかと思い

たてつけの悪いガラス戸を無理やり開けてみて、さらに愕然としました。

30センチ先の目と鼻の先には、隣のアパートの壁がありました。

田舎では考えられないほど、あまりにも狭すぎる隣地との境界線です。

暗いはずだぁ・・・・




 日もとっぷりと暮れてから、やっと守が戻ってきました。

久し振りだから、祝杯をあげに行こうという話になり、身支度もそこそこに

案内をされるまま、駅裏にある飲み屋街へ繰り出しました。



 招き入れられたのは、

赤ちょうちんと縄のれんが下げられた、ごく普通の焼鳥屋です。

狭い入り口をくぐりぬけて、店に入ると、中には意外な広さが待っていました。

一列に並んだカウンターのイスをすり抜けていくと、

店の奥まったところに、三畳程度の小上がりが造られています。


 いつも通りという雰囲気で、守がそこへあがりこむと

ニキビ顔でお下げ髪の女の子が嬉しそうに、ビールを片手に飛んできました。

何か言おうとしている女の子を、守が手で制しています。



 「こいつは、俺の同級生。

 がきのころからの付き合いで、俺が歌手になるって言ったら

 本気で激励をしてくれた、唯一の男だ。

 よろしく頼むな、こいつのことも。

 まぁ、たぶん、そのうちに有名なデザイナーになる・・だろうと思われる、その卵だ。」


 と、紹介をしてくれました。


 「あんらぁまぁ~、

 あんたも田舎から出てきた、たまごなの。

 『モリちゃん』もそうなのよ。いまだに歌手の卵なの。

 ねぇ、随分と時間がかかっているんだもの、もうそろそろ”ヒョコ”になっても

 いい頃なのにね~。 あらごめん、お友達の前だというのに、

 ほんとのことを言っちゃった、あたしったら。

 駄目だなぁ・・・

 うっかり者の天然で、見るからにアホだもの。

 ごめんねモリちゃん、ごめんごめん。」



 語尾あがりのイントネーションに、

「君は、栃木の出身かい?」と、思わず聞いてしまいました。


 「あ、ばれちゃった?。

 もう東京に来て、4年にもなるというのに、いまだに、栃木のナマリが抜けないの。

 群馬の人には、一発でバレバレなの・・」


 *群馬と栃木は、北関東の隣接県です*





 守ばかりをまじまじと見つめながら、栃木娘がまた嬉しそうに笑います。

いいから適当につまみを頼むよと、守が言うと、

「じゃあ、また後で。」と、お盆とお尻を振りながら、軽快に店の

奥へと消えていきます。


 「おどろいたか。」


 「うん・・まあね・・

 もう長い付き合いになるの。」


 「3年目かな。

 理容師の住み込み修業ってことで、一人で上京してきたらしいんだが、

 どうもそこで嫌なことが出来て、飛び出してきたらしい。

 とりあえず、赤ちょうちんでアルバイトをしつつ、次の職を探しているのだが、

 そのまま、三年も経っちまったと言う次第だ。

 ・・・・そんな訳だ。」


 「うまくいっているみたいだな。」


 「うん、たまには、泊りにも来る。」


 「 ん・・・」



 あの、三畳の真っ暗な部屋にか・・といいかけたが、

先々のこともあるので、その部分の言葉は呑みこんでしまいました。

上京から五年もたてば、ある程度の環境の変化はあるだろうと予測をして

訪ねてきたものの、あまりもの想定外の事態に、正直、少々面食らいました。



 まあまァ色々あるが、久々の再会を祝してまずは乾杯ということになりました。

ビールのグラスを、勢いよく二人で持ち上げたら、

「わたしも混ぜて。」と、栃木娘が、勢いよく割り込んできます。


 いいだろう、君も大歓迎だ・・・

群馬と栃木の北関東の連合で、船出を祝っての祝杯だ。

この先も、きっとなんとかなるだろうと、思いつつ、「かんぱぁ~い」と、

三人で大きな声で唱和をしました。







アイラブ・桐生

(15)第1章 ただいま、放浪中(2)



 守は、気にせずに居候いそうろうをしていろと言ってくれたものの

栃木のお下げ髪と鉢合わせする可能性もあることを考えると、少し歯がゆくなり

結局、一息つく前に早々に仕事と居場所を探すことにしました。

さすが大都会というだけのことはあり、新聞の求人欄には、

田舎では考えられないほどの求人広告が、びっしりと載っています。




 丹念に見て行くうちに、ひとつ気になったのが

中野にある、ホームインテリャの3行文の求人広告でした。

「寮あり三食付き、高給優遇、夜間の仕事あり経験不問。」

夜間の仕事ありと言う表現が若干だけ意味不明でしたが、

経験不問と言う文字に引かれ、飯つき、寮ありもありがたいと、

さっそく応募することにしました。



 電話をかけると、

面接をしますので、すぐにでも来てくださいという話になりました。

場所は意外に近くでした。

笹塚駅の反対側の道を、5分ほど歩いたところにある住宅街の一角です。




 こんなところにあるのかしらと、半分疑いながらも、

教えられた通りの道順を辿っていくと、現れたのはやはり普通の民家です。

看板もなく、それらしい雰囲気さえもありません・・・・

とりあえず、玄関のベルを鳴らしてみると、

「は~い」と元気よく、先ほどの電話の声が聞こえました。

どうぞと案内をされてそのまま応接間へ通されました。

そこには私と同じ歳くらいの青年と、ひげのご主人らしき男の人がいて、

顔を見るなりいきなり、短刀直入の質問が飛んできました。



 「いつから来られる?

 君さえ良ければ、今夜からでも仕事に来てくれたまえ。」


 あれ?今日は面接に来ただけですが、と答えたら、




 「そういうな。

 てんてこまいで、梃子てこが今すぐ必要なんだ。

 よかったら今夜から手伝ってくれ。」


 ひげの親父が、此方の都合も聞かずにさらに言葉を重ねます。

電話では透き通った声で、感じのよい応答をしてくれた奥さんが、

見かねたように助け船を出してくれました。



 「ごめんね、ぶっきらぼうすぎる話で。

 この人ったら気が早すぎて、いつもこうなのよ。

 実は、私がこうなっちゃったもので、現場にはいけないものだから、

 急きょ、お手伝いさんを募集したところなの、

 あなたみたいに感じが良くて、お若い人がきてくれるとうちも大助かりだわ。

 それに、茨木君の良い話し相手にもなれそうだし、

 ねぇ、茨城くん。」



 そんな風に説明をして、自分のおなかを指さした後、

奥さんが、ひげ親父の背中を叩きながら、すこぶる明るく笑いこけています。




「うん、そういうことだ。じゃあ手伝ってくれたまえ。

 早速で悪いが名前だけでも教えてないか。

 どうにも、呼び方に困る。」




 あっというまに面接がおわり、

ともあれ、その夜から仕事に行くことが決まってしまいました。

仕事というのは、営業が終わったデパートで、1階から3階までの階段部分の

カーペットを張り替えるという作業でした。

踏まれて傷つき汚れたカーペットを剥がして、滑り止めをつけ直し

カーペットを新しく敷き詰めるという作業です。



 午後の9時を過ぎると、巻いたカーペットと、

接着剤のはいった作業箱と掃除用具を積みこんで、自宅を出発しました。

目的のデパートに着くと、小物の入った道具箱を担ぎあげながら

それぞれに、1階から3階に分かれて張り替え作業が始まりました。



 とりあえず、

カッターナイフを渡されて、階段の幅にカットしてくださいと言われました。

慎重に切ったつもりでしたが、実際に合わせてみると

階段には大きな隙間ができてしまいました。


 2階から「茨城」君が降りてきました。

「そういう時は、こうするの」と、

隙間のサイズに合わせて別のカーペットを切りとります。

床に両面テープを貼りつけると、その上からほつれた部分を強く擦り合わせます。

さらに、ヘラを使って両側の角を潰すように抑えこんでから、ローラーを滑らせ、

短時間のうちに、綺麗に修正してしまいました。



 「遠目で見たらわからないだろう・・こんなもんでいいんだ。

 失敗なんか気にしないで、どんどんカットして作業をしてくれ。

 失敗は成功のもとだ。

 慣れれば誰にでもできる簡単な仕事だよ。

 問題は、どうやって上手にごまかすかだけさ、

 なぁ、群馬。」



 それだけいうと茨城くんは、また持ち場の二階に戻って行きました。

なるほど、上手にごまかせばいいんだ・・少し気が楽になり、

言われた通りの作業を、ひたすら延々と繰り返すことになりました。



 半分ほど作業が終えた処で、休憩時間になりました。

ひげの社長は、夜食を運んでくるために自宅へ戻って行きました。

作業中の階段に腰をおろして、手持ち無沙汰に夜食の到着だけを待っていたら、

「おい、飲めよ」と、茨城くんがジュースを持って降りてきました。



 「ありがとう」と受け取って、ひと口飲んでから

「もう長いの、この仕事?」と聞き直したら、自慢そうに茨木君が鼻をこすりあげます。


 「もう、3年になる。

 見た通りに、あの社長も奥さんもいい人で、

 居心地が良すぎて、いつの間にか3年がたっちまったぜ。

 こう見えても、本当は、漫画家志望だ。」


 えへへと、もう一度自分の鼻をこすりあげます。

へぇ~めずらしいなぁ~漫画家志望なんてすごいねぇ、と聞き返すと



 「なぁに、そんなことくらい、

 この東京じゃ、ちっともめずらしくなんかあるもんか。

 此処は日本を代表する大都会だぜ。

 東京には、ごまんといるんだ、そういう奴が。

 みんなあこがれて上京をして、いろんな仕事で食いつなぎながら、

 漫画家として芽がでるまでの、辛い辛抱をしているんだ。

 おい群馬、お前、

 マンガには興味があるか?。」





 デザイナー志望だと答えたら

「それならまんざら畑違いでもない訳だ。じゃぁ、あとで俺の部屋に来い、

いいものを見せてやるぜ。」と誘われました。

茨城君の言う、いいものとは一体なんでしょう・・・・

そんなことを考えながら、初日のこの仕事は朝の7時になって

ようやく一段落をしました。




 朝食は、社長の自宅です。

まかないつきというのは、奥さんの手料理のことでした。

典型的な日本食の献立です。

びっくりしたのは、本格的なぬか漬けが朝の食卓に出てきたことでした。

専用のぬか床が作られていて、それが日替わりで

3食ごとに出てくるそうです。


 「俺も、こいつにだまされた。」



 ひげの社長が、漬物をつまみあげながらささやきました。



 「初めてこいつのアパートに行ったときのことだ。

 旨い手料理と一緒に、何気なくポンと出されたのがこの漬物だ。

 おふくろみたいな味だった・・・

 男は、胃袋で騙せと良く言うが、まさに俺がその通りだった。

 そのままこいつのところに住みついて、

 気が付いたら、いつのまにか、

 このありさまだ。」


 奥さんの大きくなったおなかを指さして、

ひげの社長が、愉快そうにカラカラと大きな声で笑います。



 「ずいぶんとあなたったら、省略をしたお話ですね

 そのペースでいくと、あと3分くらいで

 還暦のはなしにまでいってしまいそうです。

 騙されないで下さいね。

 本当は、この人が実家から、秘伝のぬか床を分けてもらってきたの。

 頼むから、これで俺に、旨いぬか漬けを食わせてくれと言うもんだから、

 はい、わかりました、

 そのくらいならお安いご用ですと、

 つい私も、その気になってしまいました。

 だからあたしは、いつまでたっても、

 この人と、我が家のぬか味噌の番人なのです。」


 「そんなこともあったかな~」と社長がとぼけています。




 はなしの中身から察すると

進学で上京をした奥さんを追いかけるように、

一目ぼれをしていたひげ社長が、郷里を飛び出してきたようです。

その日のうちから、大学に通っていた奥さんをとにかくしつこく求愛し続けていた

というのが、どうやら話の真相のようです。

同級生の間柄ということですが、チラリっと小耳に挟んだ、

奥さんの実家との不仲話が少し気になりました。



 身寄りのいない東京で、

どうやって子供を産んで育てていくるのだろう・・と、

所帯経験もないくせに、思わず先行きの心配をしてしまいました。


 田舎では奥さんが実家へ里帰りをして、

出産するのが常で、それ自体が習わしのようなところがあります。

子育てに関しても、近所をあげての総がかりです。

実際、私もも8つ離れた妹を背負いながらよく近所で遊びました。

それもまた田舎では、ごく当たり前の風習でした。




 話の様子では、病院で産んで退院をしたあとは、

奥さんが一人で子育てをするようです。

若い夫婦だけで、都会での孤独な子育てが始まる・・

それはそのまま、この時代を象徴する核家族のはじまりでした。



 田舎では2世代や3世代の同居が当たり前です。

長年にわたるこの世帯構成の形が、生きるための知恵を産み、相互に関わることで、

円滑に子供を育て、日々の暮らしのやり繰りしてきました。

しかし、急激に人口が膨れ上がったこの大都会では、初体験だらけの新米夫婦が

孤独の中で、手探りの子育てを始めます。



 こうした核家族の急増は、この後に保育園や、

幼稚園を大量に必要とする時代のきっかけをつくりだします。

しかしこの物語は、まだ日本の経済が急成長からバブルへと走り出す

ほんの少し前の時代です。

働く女性たちにとっての、仕事と育児の両立は、

やっと始まったばかりとも言える、これからの社会問題のひとつでした。



(16)へつづく





アイラブ・桐生

(16)第1章 怪人たち館に美女がいる




 青柳インテリャの仕事は多岐にわたります。

デパートやスーパーマーケットでの内装の取り換えや補修などから始まって、 

新築住宅や改築時のカーテンの取り付けなどはもちろんのこと、

イベント会社の応援で、徹夜で会場の設営をこなすなど

とにかくすべての分野を網羅して、さながら「便利屋」のような様相を呈しています。



 昼と夜との作業を交互に繰り返しながら

些細な修理から、体育館のようなイベント会場の設営までを飛び回ります。

もちろん、茨城くんに教えられたように、『ばれない程度』に

適度な範囲で手抜き作業を行いました・・・・



 壊れやすくしておくことも、実は大切な「技」のひとつです。

「見た目を綺麗に仕上げておいて、適度に壊れやすくしておく」ことが肝心なのです。

丈夫に造りすぎると、次の仕事に差し障りがでます。

ほどよく消耗させて、壊れやすくしてことも、作業の狙いのひとつでした。

しかしイベント会場などでは、簡易に作りすぎたために、いつ壊れるのかと、

舞台裏で、はらはらドキドキしすぎる時などもありました・・・


 仕事に慣れてくると

漫画家志望の茨城くんの部屋と、私の部屋の往復がはじまりました。

どちらも青柳インテリァの社宅代わりとして、借り上げてくれた部屋ですが、

茨城君のアパートは、現代版「ときわ荘」のような趣がありました。



 ■ときわ荘。

  かつて売れる前の漫画家たちが、集結をした伝説のアパート。

 現在でも一線で活躍している、巨匠たちが此処から沢山誕生しました。





 風呂なしの4畳半一間が10室もあり

そこには自称絵描きや、見るからに怪しい美大の学生、

将来を夢見るマンガ家志望たちで、連日ひとがあふれていました。

日暮れと共に、どこからともなく住人たち以上の人数が集まってくるのです。

必ずどこかしらの部屋で、夜を徹しての芸術談義が始まります。

初めて茨城君の部屋へ寄りこんだ晩もそうでした。

開け放たれたドアからは次々に、見るからに怪しそうな人たちが覗きにやってきます。



 「おう、新入りか、どこの部屋だ?」


 「いや、いまは満室だから部屋は空いていないはずだ。

 茨城の居候か・・」


 「専攻はなんだ、俺は多摩美で油絵を書いている。」


 「おれは、彫刻だ」



 「まてまて、こいつは俺と同じ仕事場の友人だ。

 今夜は二人で語りあう予定だから、そのあたりの話は明日にしてくれ。

 とりあえず、今日は2階のゴッホのところにでも寄ってくれ。

 ハイハイ、みなさん本日は解散、解散。」


 茨城くんは熱狂的な手塚治のファンです。

壁に書いた自作の鉄腕アトムは、大きなこぶしをまっすぐに突き出して

いまにも大空へ飛び出しそうな勢いがありました。


 「俺は断然、手塚だな。

 第一、画の勢いが違うもの、

 これからの時代は、冒険活劇かSFものだと思うけど、

 群馬のすきな作家は誰だ。」


 「永島慎二で、『フーテン』と『漫画家残酷物語』。

 あと、面白いと思うのは、つげ義春の『ねじ式』かな

 怪奇物が得意な水木しげるというのもいるが、話は面白いが、

 画自体が、すきじゃない。」


 「なんだよ・・・・全部、月刊ガロの作家だな。

 まぁ、それでも群馬の片田舎に住んでいる割には、いい感度をしているほうだ。

 つげ義春に関しては、俺も面白いと思っている。

 しかし、やっこさんは筆が遅すぎて、全まったく新作を出さないからなあ~

 俺はやっぱりなんといっても手塚だ。

 雑誌は、月刊COMが命だな。」



 「うん、手塚プロ(正式には虫プロ)はすごいね。

 今度、アトムが映画にもなるそうだね。」


 「数ある手塚作品のなかでも、アトムだけは駄目だ。

 所詮は、小学生か、そのへんのガキ向けの科学漫画にすぎん。

 俺のいち押しは、火の鳥シリーズだな。

 第一、スケールそのものが違う、こいつは超大作だ。

 神代の時代から、近未来までの

 不死鳥をテーマ―にしてるんだから、こいつは凄い。」



 やはり茨城くんは、熱狂的な手塚ファンのようです。

この後も次から次へと、手塚治の作品の話が延々と留まることなく続きました。

やがて、突然何かを思いついた茨城くんが、

「そうだ、待ってろ群馬、一人いいやつがいる。」とひょいと部屋を

飛び出していってしまいました。






※「ガロ」は、青林堂出版の月間マンガ雑誌として1964年に創刊され、

白戸三平の「カムイ伝」などで脚光をあび、

多くの新人作家たちを輩出してきた新進の漫画雑誌です。

編集者側からの介入がすくなく、多くの作家が意欲作や野心的作品をたくさん書き、

それらを取り上げてきたことで、革新的な漫画雑誌としてたかく評価されました。


 「COM」は、これに対抗して虫プロが1967年に創刊された月刊誌です。

ともに、全共闘時代の学生たちに大きな支持を得た漫画雑誌です。

なお、水木しげるがこの時代に、ゲゲゲの鬼太郎の前身にあたる、

「鬼太郎夜話」をガロで連載していました。





 「待たせたな。おい、入れよ。」


 やっと戻ってきた茨城くんが、後ろを振り返り手招きをしています。

ドアのところには、長髪の女の子がどうしたものかと、たじろいでいるのが見えました。



 「大丈夫だって。

 こいつは、ここの怪奇館の住人じゃないぜ。

 つい最近、群馬からはるばると上京してきたばかりの田舎者だ。

 ついでだから、東京の暮らし方ってやつを、この田舎者にも教えてやってくれ。

 こいつも、桐生とかいっていたから、さっちゃんとは、同郷だろう?」


 「え、桐生からですか!

 私も桐生です。どのあたりですか。!」


 同郷と聞いて警戒を緩めた女の子が、一歩二歩と部屋の中に入ってきました。

良く見ると色白で、まつ毛の長い、いやみをもたない細面の美形です 。

 


 「本町1丁目です、家は下町で天満宮の近所です。」


 「うそっ、・・・まったくの近所だわ。」


 「あなたも、天満宮の近所ですか。」


 「わたしも1丁目です。

 山の手通りのすぐ下ですが。

 天満宮の境内では、毎日遊んでいました!わあ、懐かしい!!。」


 がぜん盛り上がりそうな展開になってきました。

この突然現れた女の子は、隣のアパートに住む美術大学の学生でした。

「怪奇館」と呼ばれているこちらのアパートにも、同じ大学へ通う2人の女学生が居るそうで、

どうやらそちらの2人とは深い親交があるようです。

気配から察すると、茨城くんが恋慕しているように見えましたが、

観察をするにつけ、この二人の間にはどうやらまだまだ微妙な距離がありそな気配です。




 すぐ隣のアパートに住むとはいえ、このさっちゃんも、

茨城くんにいくら呼ばれても一人で乗り込むには、相当な勇気がいると思います。

そんな空気に気がついたのか、茨城くんが下手な弁解を始めました。



 「我が館にも、女人は3人ほどいます。

 そのうちの2人が、ここにいるさっちゃんと同じ美大の女学生です。

 しかしまぁ、私がこう言ってしまっては、

 あまりにも失礼なお話ですが、

 さっちゃん以外は、女としては存在価値は、問題外の二束三文です。

 女人として見ることさえも、実ははばかられます。

 まぁ、、これ以上、私の口からは仔細を申しあげられません。

 言うとのちのちに、いろいろと差しさわりなども出てきますので・・・・」


 その時でした。

どやどやと足音が響いてきて、あっというまに女性の一団が茨城君の部屋に現れました。

先頭の一人が腕組をしたまま、強い目線で茨城君へ挑んできました。




 「あんたねぇ、

 仔細を言うとどこかに支障が出来るわけ?

 どうせ褒めてくれないことは解っているけれど、

 さっちゃん以外は女じゃないなんて、ずいぶんと言ってくれるわね。

 また言葉巧みにさっちゃんを引きずり込んだというから、

 こうして、『女ではない』3人で、救出に来たんだけど、なんか様子が変だわね・・

 第一、さっちゃんが、安心したような顔で座っているし、

 見かけないのも一名いるし・・・

 どうなってんのさ、茨城君。」

 


 「あら、ほんとうだ・・・見かけない顔だわねぇ」


 「あらまぁ、邪魔者がいたんじゃぁ、

 さすがの茨城も、さっちゃんには手をだせないか。

 でもほんとに見かけない顔だねぇ・・あんた、何者さ?」


 入口に突っ立ったままで、3人で好き勝手な会話をしています。

すでに気遅れをしたのか、今までの勢いはどこへやら、茨城君はすでに

部屋の一番奥へ避難をしています。

どうやら、先頭で腕組をしているスレンダーな女の子が苦手なように見えました。

見た感じでも、この女の子が全体のリーダー格のような雰囲気があります。

仕方が無いので、自ら自己紹介をして名乗り出ることにしました。




 「他人の部屋で、上がってくださいというのも変ですが、

 よかったら一緒に話をしませんか。

 私は、たった今ここで行き会ったばかりのさっちゃんと、同じ桐生の出身です。

 懐かしいだろうからということで、茨城くんがわざわざ彼女を誘って

 連れて来てくれたというのが、どうやらこの場の顛末の様です。

 せっかくだから、みんなで仲良くやりましょう。

 さあ、あがって、あがって。」



 「へぇ、そういうことだったんだ・・・

 あんたも面白い事を言う児だわねぇ、気にいっちゃった!。

 じゃあ今夜は予定を変えて、ここで一杯やろうか。

 ねぇ、みんな。」



 リーダー格と思われる女の子がそう言うと、

背後に顔をそろえた二人が、同時に拒絶の声を出しました。

茨城君はリーダー格の女ばかりか、後ろの二人にも嫌われているようです。

渋い反応の二人に向かって、

「ねぇ、私も久し振りに桐生の話が聞きたいし」と、さっちゃんが口をきき、

リーダー格が、『そう言わずに』と、強い態度と視線で振り返ります。

「せっかくのお客が来ているのだから、たまには、

もてない茨城の顔もたててやろう」と言う最後のひと押しが功を奏して、

二人も、ようやく同意をします。



(へぇこの子、意外と統率力を持ってんだ・・・俗に言う姐肌ってやつかな。)

などと思う暇もなく、あっというまに予定外の宴会の準備がはじまりました。

女が4人も入り乱れて、4畳半の茨城君の部屋で

最初の大宴会がはじまりました。



 

・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/







アイラブ・桐生

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