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都会の吊り橋  作者: kaguya
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雲客に会いしこと

個別に上げていたものをまとめました。




ぐわん!とバスが大きく揺れた次の瞬間。


見上げるとそこには王子の顔がありました。


なんということでしょう。

ああ神よ。

やはり見ていてくださったのですね。

地獄の一丁目から出発の冥府へバスの中で、まさか王子思わぬに会えるなんて!


失礼致しました皆様。

取り乱してしまいましたわ。状況をご説明させていただきましょう。


まだ朝早い通勤バスの中でのことです。

手荒な運転手が作り出した直角カーブの遠心力に、手摺だけを頼りに直立で爆睡していた私は見事に手を滑らせてひっくり返りました。

いいえ、正確にはひっくり返りかけたと申せましょう。

何故なら先ほど申し上げました通り、そこに王子が現れたのです。


手すりから手を滑らせ見事なまでに後ろにひっくり返り、私自身、スローモーションに感じた視界の中で、

「もうだめだこれは見事にひっくり返って後ろのちょっと高くなった座席に頭ぶつけるコースだ明日から恥ずかしくてバス乗れないわ」

と諦めた時、がっしりと身体を支えられ、あっという間に引き寄せられました。


はっと見上げるとその人は私をしっかり抱込み自分の掴んでいた手すりを私に握らせてから、背景に花(薔薇ではなく白い牡丹か芍薬などをご想像ください)が咲いているのではないかというような微笑みを残して去って行ったのです。


周囲の友人にそんなのは夢よ!と言われてもおかしくないような、全国の乙女垂涎のこの展開。


ああ!やはり神はお見捨てにならなかった!


なんと有難いこと!ああ神よ、感謝します。


今日のことは胸に秘めずに友人たちに話してまわった末、お墓にまで大切に、大切にもってゆきます。

こんなおいしい展開が人生にそう何度もあるわけはありませんもの。

なんて素敵!毎朝会う人だとすると少々恥ずかしいれど、嫌なことがあっても二週間はこの妄想で乗り切れそうです。




東京と言えども朝方は冷え込みます。

羽田空港を目の前に臨む島に通勤するために白いダウンコートを買ったのは大正解でした。中に着るものも厚着しなくてよいし、軽い。

何しろまだ日も上っていないのですから。

顔中を覆う近年流行りの立体マスクの中で盛大に溜息をつきながら寒さのあまり小走りで駅に向かうのが毎朝の日課。

タクシーの派出所にちらりとたまに見えるドライバーさんたちには最初のころぎょっとされたもの。

「暗闇のなかから白い固まりが走ってくりゃ、吃驚するさ」と。


誰も見ていない。


ということにして化粧もせず、寒さ対策と電車の中で居眠りをしてよだれが垂れてもばれないようにマスクをし、適当な格好でも全部隠れて暖かいと言う理由でロングのダウンコートを着込んでいたのですが、吃驚させてしまうとは露ほども思っていなかった私は非常に申し訳なく思いました。


「ごめんなさい。驚かせようとは思っていなかったのです。明日からは黒いコートに代えます。」

と私が詫びるとおじ様達は首をふり

「いやいやでも暗いうちは白い方が安全だよ。ライトに光るからね。君みたいな子は黒じゃうっかりひいちまう」

と笑われ、会社の方々にも同じことを真顔で言われ、私のコートは白に定着することと相成りました。

何故かダウンコートとなると私は黒や茶、カーキなどが似合わないし。


しかも近頃ではドライバーのおじ様がたは私が通る時間がいつもより遅れるのを見掛けると、ついでだからと駅までただで乗せてくださったりするのでとても助かります。

今年のバレンタインは大忙しになりそうです。


通勤の約二時間ほぼ眠りながら過ごすのが日常ですが、正確にいえば乗り換えの移動中すら正体が怪しいと言うのが本当のところ。


今日もいつもどおり、あまり楽しいとは言い難い一日が始まるのです。

悪鬼魔窟のまさに伏魔殿の会社に、時間の正確性においては我が国が世界に誇る交通機関は着実に私を運んでいきます。


事故などで遅れられるとそれはそれで嫌なのですが、…乙女心は複雑なのです。


壁に耳あり障子に目あり。

会社では誰かが必ず自分をみているのです。

私をだれも見ていないのは一日の内で家とこの時間だけとばかりに、いぎたないと言われても仕方ないほど惰眠を貧り、このまま、ずーっと寝ていたいと思うような白いふわふわの靄の中でとろとろとした眠気に包まれていると、地獄の一丁目につきました。


ここからは気合。伸びをして降りるのが最近の私の流行りです。

ここからさらにぎゅうぎゅうのバスに乗り継ぐのですから。



梅の香はするけれど未だに姿が見られない日々が続いています。出勤早く帰りは遅く。


ある朝、私はどうしても電車から降りることが出来ませんでした。


脳裏を過ぎるのはお局様達の顔ばかり。

定時より前でも、何時もの私の出勤時間に私が居なければ嫌な顔をするでしょう。

風邪で休んでも同じですし、休めば何かしらにつけて文句をつけるべく仕込みがあります。

それでもなお、私の足は動きませんでした。

次の日は吐き気で起きられません。

三日目にはさすがにまずいと起き上がり、ふと、王子の顔が浮かびました。


私がいないことに彼は何か思ってくれたでしょうか。


あの日以来度々彼にはお世話になっていますが何故か会話は一切なしです。


お礼申し上げなくてはと思いつつも顔を上げ彼の微笑みを目の当たりにすると恥ずかしくて声がでず、寝起きのままの顔を引き攣らせながら笑うのが精一杯なのです。


しかし彼は頓着する様子も見せず痴漢らしき人が寄ればさりげなく追い払って下さっている気がしますし、揺れそうになればいつの間にか手を掴んでいて(下さっている気がしますし)、手摺りも私が捕まり易いところを確保して(下さっているような気がします)。


友人には、何故、「先日はありがとうございました。御礼をさせていただきたいので宜しければお茶でも如何ですか?」の一言が言えないの!とか、同じところで降りて会社を突き止めなさい!とか様々言われておりますが、華々を背景に背負って微笑む彼にそんなこと出来るわけはないのです。



彼が来なくなって一週間経ちます。

辞めてしまったのか時間が違うのか、淋しくてなりません。

会社に行くのがさらにつらい今日この頃。痴漢もまた近寄ってきますし。

今日もきっと電車から降りられないのでしょう。


気付くと地獄の一丁目でした。

ああ着いてしまったと思いつつも身体は急いでドアに向かいます。

しかしやはり降りられません。

足をだそうとすると胃にせまる物があります。

気分転換に会社用にした紅梅色のコートでしたがあまり効果はなかったようです。

はっと前をみると年配の男性が無理矢理飛び込み乗車してきたところでした。

避ける間もなく私はぶつかられ後ろによろけました。


よろけた次の瞬間、私の目の前には、当然のように私を抱き抱える王子の姿が―



吃驚する私にいつもの微笑みを浮かべながら彼の人の唇は初めて言葉を紡ぎました。


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