魔オー様とセー女様
「召喚! 我らが魔王陛下にふさわしき者よ、現れよ!」
中央の床に大きく刻まれた魔方陣。それを取り囲むのは魔王城に勤める者たちだ。
朗々と読み上げられる文言に応え、陣が光を放つ。
期待にどよめく周囲を尻目に、光はどんどん強さを増す。
一際眩く輝き、光が収束した先にはひとりの少女が座り込んでいた。
春の日差しのような温かな金の髪。状況を理解できないのか、ぱちぱちと瞬きが繰り返される瞳は丸く大きく、蒼穹を切り取ったかのよう。ぷっくりとした唇はさくらんぼのようで、頰は健康的なバラ色に色づいている。身にまとった白いワンピースが愛らしい。
まごうことなき美少女が、そこにいた。
「それで? そなたはどうしてそんなに落ち着いておるのじゃ」
召喚された美少女はすぐさま魔王の元に連れていかれた。胴上げされるように担がれ、荷物のごとく運ばれる間も少女は無言だった。
自分の置かれた立場を理解しているのかいないのか。単に混乱していただけかもしれないが、悲鳴が上がらないことに魔族たちは歓喜した。
大きな机と書棚。机の上には紙の山。おそらく執務室だろう。
机の前に置かれた応接セットの、座り心地のよいソファに下された少女は、豪胆にも茶菓子に手を伸ばしていた。
彼女をここまで運んできた魔族が用意してくれたものだ。
さっさと場を整えると、後は若いお二人で、とでも言いたげな温かい(生ぬるい)笑みを浮かべてさっさと退室してしまった。
「いやぁ、アタシはなんだかんだ考えるなら、とりあえず行動してみる質なんですよ」
敵意も何もない感じでしたしねぇ、と続けて、手にした茶菓子を口内に放り込んだ。
人の国では見たことのない鮮やかな紫色だったが、さっくりとした食感はクッキーに間違いない。
さわやかな甘さに、ついつい手が伸びる。
「イヤだねぇ、何ですかい、その顔。まさか女を見たことがない、なんて言いませんでしょう?」
さくさくとクッキーを消費する少女を、呆然とした顔で魔王が見つめていた。
その顔を見つめ返す。
月のない夜を糸にしたらこうなるだろう、というほど真っ黒でサラサラで艶のある髪。側頭部からは、くるりと巻いた角が突き出ている。驚きで丸くなっている瞳は、日暮の空のような緋色。
肌は白いのに、唇だけがいやに赤い。しかし卑しさは一切感じさせず、その唇でうっそりと微笑まれたら、それだけですべてを投げ打てるほど蠱惑的な笑みとなるだろう。
一言でまとめるならば妖艶。まさしく魔性の美貌だ。
それが今はなんとも人間らしい驚きで染められており、笑いをかみ殺すのに苦労する。
「なんか言ってくれませんかねぇ、アタシはここに攫われて来てるんですよ? アンタが主人だって言うなら、ちゃんとしてくれないと困っちまう」
「……そなた、聖女であろう?」
「おや、わかるもんなんですね。さすがは魔王様だ」
聖女と呼びかけられてもなんら動じない。ひょうひょうとした態度を崩さぬまま、菓子の山だけを崩していく。
ティーポットから好きにお代わりを注いでいる聖女は、すでに二杯目のカップを空にしていた。
「ああ、この口調ですかい? なんだ、それが気になるってんなら、さっさとそう言ってくれれば良かったんですよ」
「気になる、といえば気になるのじゃ。あまりに見た目に合っておらんからの」
聖女は正統派の美少女。黙って微笑んでいれば、人形と信じてしまいそうな愛らしさを備えている。にもかかわらず、朱唇から飛び出したのは下町のような気安いしゃべり。
確かに眼前で会話しているのに、視覚情報と聴覚情報が合致しない。
「そういう反応は妥当だねえ。でもね、合ってないって言われても、これがアタシなんだ」
クッキーがなくなれば次は焼き菓子へ。鮮やかな赤色をしたマフィンに大口をあけてかぶりつくと、豊かなはちみつの風味が広がった。
「それに、口調で言うんなら、アンタだって似たようなもんじゃないか」
魔王が黙り込んだ。痛いところを突かれたらしい。万人を魅了する毒のような顔貌に似合わない、どこぞの公主のような口調。
「……気に障ったのなら、謝ろう。すまんかったの」
「いぃえ。アタシこそ、当てこすっちまって悪かったね」
素直に謝罪されたことに内心驚きながら、最後に残ったプリンの皿を持ち上げる。その動きだけで、ふるふると揺れる柔らかさ。食べる前からおいしいことがよくわかる。ちなみに、色は食欲を減退させる青。
常人なら口に入れるのに躊躇する真っ青なプリンだが、聖女はものともしなかった。たっぷりとスプーンにのせて、口内に迎え入れる。濃厚なカスタードの甘みに頬が溶け落ちそうだ。
「のう、聖女。そなた、なぜここに呼ばれたのか、わかっておるのか?」
至福の表情で甘味を満喫した聖女に、魔王が問いかけた。すべての菓子を平らげた聖女を怒るでも嗜めるでもなく、興味深そうに見つめている。
「いんや、わかってませんよ」
あっさりとそう答えた聖女に、白皙の美貌が呆れの色に染まった。
なぜ呼ばれたのかもわからないまま菓子をむさぼり食ったとは、魔王も恐れ入る肝の据わりようだ。
「アタシを運んできた魔族たちが喜んでたのはわかってたからねぇ。そう危険もないかと思ったんだよ」
「こなたへの生贄かもしれんというに。のんきじゃな」
「『花嫁! 花嫁!』って叫んでたしね、大丈夫かな、と」
「わかっておるではないか! 人の悪い聖女じゃ」
「え? 本気だって言うのかい?」
心底からの驚愕を面に貼り付けた聖女にひるむ。魔王とて、自身の花嫁探しを部下に丸投げしていたわけではない。そもそも乗り気でなかったのを、部下たちが勝手に盛り上がったのだ。
魔族領では様々な種族が生活している。どんな種族の美人にも首を縦に振らなかった魔王に、部下たちがしびれを切らした。その結果執り行われたのが花嫁召喚の儀式である。
本来は使い魔などを呼び出す魔法なのだが、そこはそれ。魔王城に勤め、魔王に仕える魔族領きってのエリートたちは、珍しく一致団結した。使い魔を呼び出す魔方陣を書き換え、魔王と最も相性が良い花嫁(種族不問)を呼び出す魔方陣を生み出したのである。
「……そなたがすぐにでも人の国に帰りたいというなら、止めはせぬ。勝手に呼びつけたのはこちらゆえ」
花嫁には毛ほどの興味もなかったはずが、人形のように美しい聖女にすっかり心引かれてしまっている。叶うなら側で愛でたいが、無理強いして嫌われるのも嫌だ。
いくら魔族、魔王といえど、人間のイメージほど無情でも無慈悲でもないのだ。
「もしよければ、なんですが。しばらくおいてもらえませんかね」
「! うむ、かまわぬ。そなたが満足するまでここにおればよい。すぐに部屋を用意させよう」
聖女の思いもかけない申し出に、すぐさま魔王は部下を呼びつけた。細面に神経質そうな銀縁めがねをかけた青年がやってくる。
「こなたの側近じゃ。何かあれば、こやつに言うがよい」
「どうも。陛下の花嫁にあらせられる聖女様におかれましては、ご機嫌うるわしゅう」
慇懃無礼な態度で腰を折られた。言葉の端々から冷たい雰囲気が漂う。
すべての魔族に歓迎されているわけではないのか、とわずかに落胆を覚える。めざとく気づいた魔王が、側近の頭に手刀を落とした。
「ひひん!!」
「気にするでない、聖女。こやつは単にそなたの神力に警戒しておるだけよ」
したたかに頭頂部を打たれた側近は両手で頭を押さえ、声にならない声でうめいている。先ほどまでの冷たい空気は微塵も残っていない。
「あー、よろしくお願いします」
対応に困った聖女は、とりあえず挨拶したのだった。
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人の国と魔族領は世界を半分ずつ支配している。ときに人の国から勇者がやってきたり、魔族が人の国で悪さを働いたりと、両者の小競り合いは創世の時代から続いているらしい。
人の国で暮らす大半の者がそうであるように、聖女も魔族とは恐ろしいものだと思っていた。
それも今は昔。現在、凝り固まった偏見と色眼鏡は、真実を覆い隠すのだと身をもって体験している。
「のう、聖女。こなたと散歩に行かんかえ?」
「魔王様。散歩かい、いいですねぇ」
すっかり魔王城に馴染んだ聖女を、魔王が庭へと誘った。
厚い雲が天に垂れ込め、年中湿気の多い魔王城の庭には色とりどりの花はない。代わりといっては何だが、庭の一角にキノコの群生地があった。
「これは?」
「こなたの好物じゃ」
じめっとした庭の、さらにじめじめっとした場所には、色鮮やかなキノコが競うように育っていた。
カサの大きいの小さいの、背が高いの低いの、水玉模様にしましま模様、真っ赤に真っ青、真っ白白。
見るからに毒としか思えないキノコたちだ。
「これ、アタシが食べても?」
「いや、これはやめておいた方がいいのじゃ。こなたのために育つキノコは毒性が強い」
「毒があんですか……。いや、見るからにそうなんですけど」
魔族領の食べ物は原色が多いため、これらのキノコも食べられるかと思ったが、魔王が言うならやめておくべきだろう。
「して、そなたは何が好きじゃ?」
「え?」
「好物じゃ、そたなが好んで食すのは何かの。こなたに教えてくりゃれ」
食用可の判断基準について考えていたら、魔王の言葉を聞き逃した。生返事で聞き返すと、愛らしい口調でお願いされた。まじまじと魔王の顔を見つめてしまう。
何度見ても凄艶だ。
漆黒のマントをまとう広い背中。その大部分を覆う夜色の髪を、気まぐれな風がさらう。一筋も絡まることなく、ぱっと闇を散らせて再び背面へと帰る髪の美しさは、輝く金髪の聖女であっても嫉妬するほどだ。
「魔王様って、王って感じじゃないですよね」
「急にどうしたのじゃ」
好物を問うたら立場を否定された。魔王の心中は複雑だ。
「魔王ってのはもっと暴力的で恐いもんだと思ってたんですよ。これはアタシだけじゃありませんよ、だいたいのひとがそう思ってるんだ。だってのに、いざ会ってみると全然そんなんじゃない」
「聖女は、こなたがもっと恐いほうがよかったのかえ?」
ひたり、と緋色の目で見据えられると背筋に震えが走った。何度も言うが、魔王は美しい。聖女の花顔より、魔王の美貌に人々は畏怖するだろう。
爛爛とした眼に写る自分が、急に取るに足りない存在になったような気がした。心許なさを覚えながらも、聖女は首を横にふる。
「いぃえ、そんなことは思いませんよ。ただ、魔『王』らしくないな、と思いましてね」
小さく息を吐き、自分を鼓舞する。呑まれてはいけない。
「なんで、『魔オー様』って呼んでもいいですかね?」
虚を突かれたのか、三度瞬きをした魔王は震えだした。どうしたのかと身構える間にも震えは大きくなる。
「ふふふ、はははは! 魔オーか、よいの、それはよい!」
からからと抱腹絶倒する魔王は、聖女の提案した呼称を気に入ったようだ。呼吸ができなくなりそうなほど大笑いしている。
「くふふ、くふ……。ならば聖女、こなたはそなたを『セー女』と呼ぶことにするのじゃ」
「セー女……」
「だってそなた、聖女らしくないのだもの」
呆然とした声を漏らした聖女に、魔王は笑いの合間に答えてやる。
「して、セー女よ。そなたの好物はなんじゃ?」
「アタシはイチゴが好きですよ……」
笑いすぎて涙をにじませ、いまだ笑いの気配を残したままの魔王に、脱力した聖女がやっと好物を告げた。
「イチゴか、それならばこの城にもあったはずじゃ。茶の時間にしよう」
おいで、と手を差し出される。生白いのに二回りは大きな手。見上げれば優しい笑みで促された。
するりと自分の手を滑り込ませると、痛くないように、でも離れられない強さで握られる。そっと見上げた魔王の横顔は、いつもより血色がよく見えた。
二人並んでティーテーブルを囲む。優雅なお茶の時間、ではあるのだが、いかんせん並べられているものがおかしい。
花卉のあしらわれた茶器。これはいい。
ルビーのように輝き、艶を放つ大ぶりのイチゴ。お茶菓子とは言えないが、これもまあいいだろう。
問題は――、
「なんでキノコなんです?」
大皿に盛られた多彩なキノコたち。先ほど庭で見たキノコたちが、さっと焼かれた状態で食べられるのを待っている。
「こなたの好物じゃからの。嫌か?」
「いえ、いいんですけどね」
嫌かと問われれば、否と返す。人の好みにとやかく言うつもりはない。ただ茶会の席では見ない代物だったから、驚いただけだ。
聖女に許可され、魔王は嬉しそうにキノコを口に運んでいる。彩り豊かなキノコを租借するたび、魔王の機嫌が上昇していくのがわかる。
「魔オー様、それ、毒なんですよね?」
「うむ。じゃが、魔族領での毒はすべて魔力と言い換えられる」
「どういうことですか?」
「魔族領は人の国よりも魔力が濃い。人の国の植物は、天敵に食べられぬよう毒を持つのであろう? 魔族領では魔力に負けぬよう魔力を蓄える。それが毒となるのじゃ」
「へぇぇ。初耳ですね」
「そうであろう、そうであろう。魔力の濃い食べ物は人の身には毒となる。じゃが、魔力の強い者にはその限りではない」
肉厚のカサにフォークを突き刺し、魔王は嬉しそうだ。焼きキノコがおいしいことは聖女も知っている。さっと焼いて塩で食べるのが何よりもおいしい。
きっと魔オーには、塩の代わりに魔力が適度なスパイスになっているのだ。
「魔力の強い者は毒を口にしても問題ないのじゃ。こなたは魔王ゆえな、これらのキノコもおいしく食せる」
「なら、人の国の毒物も平気なんですかね?」
「それは違うのじゃ」
好奇心から出た質問だったが、魔王は重々しく首をふった。
「人の国の毒物は魔力由来ではない。ゆえに、こなたの身には正真正銘の毒となる」
魔王は人の国から目の敵にされている存在だ。人の国で魔族が悪さをするのは、魔王が命じてやらせていると思われているからだ。
弱点を明かしたのは心の証明に他ならない。仮に聖女が人の国へ帰り、この弱点を伝えたとしても、魔王は後悔しない。
強さこそが正義である魔族にとって、脆い部分を教えるのはそれだけ信頼しているということだ。そしてそれ以上に、『背後から刺されても構わないほど愛している』という求愛になる。
魔族の求愛を聖女が知っているとは思えないが、魔王は弱点を明け渡してもいいと思えるほど、彼女の存在を気に入っていた。
一目惚れ、というやつだ。最初は容姿に惹かれた。魔王城下では滅多にお目にかかることのできない、太陽の髪と青空の瞳。可憐な外見にそぐわぬ口調も、剛胆なところも好ましい。
なるほど、部下たちの作り上げた召喚魔法はたいそうなできだ、と感心してしまう。
「毒なんですか。じゃあ、人の国の食べ物を食べるときは、アタシが確認してあげますよ」
魔オー様が毒に中らないように、と続けて、聖女は大粒のイチゴに口を付けた。赤い果実に歯を立てれば、甘さと絶妙な酸っぱさが洪水となって舌をおそう。
ニマニマと顔が崩れるのを我慢できない。
「おいっしい!! 人の国でも、こんなにおいしいイチゴは食べたことありませんよ! 本当においしい、ありがとうございます!」
人形のごとき顔が満面の笑みを形作ると、大輪の花が開いたようだ。陰気さの漂う魔王城とは思えぬほど空気が華やぐ。
「そんなに喜んでもらえて、こなたも嬉しい。それはエルフたちが栽培したイチゴなのじゃ。人の国に卸したいから確認してほしいと言われておった」
「人の国に? そんな大事なもん、アタシが食べて良かったんですかいね?」
「かまわんよ、こなたはもう確認しておる。それに、好きな者に食べてもらうのが一番じゃ。そうであろう?」
唇に付着した果肉を自然な仕草でぬぐわれる。そのままぬぐった親指が紅唇に食まれるのを見て、あまりの艶麗さにのぼせるかと思った。
気障な行動も魔王が行うと嫌みにならない。そして魔王にそんな行動をされて、聖女はときめいてしまっている。
仕方がない。聖女は面食いなのだから。
魔族が本当に恐ろしい存在なのか確かめようと思ったのがひとつ、魔王の美しさに魅せられたのがひとつ。二つの理由で魔族領に残ることを決めた。後者の比重がやや重いのは、聖女も年頃の娘だったということで。
歓迎されている雰囲気から、襲われることはないだろうと踏んで、魔族のことを知ろうとした。
その結果、魔族の長たる魔王に落ちそうになっている。落ちることが嫌なわけではないのだが、軽いと思われるのも癪だ。そんな複雑な乙女心から、聖女はまだ魔王のことは好きではない。
ただこんなのんびりした、ときにどきどきする時間を魔王と過ごせるのは悪くない。
「魔王陛下、ご報告があります!」
桃色の空気を吹き飛ばしたのは、一匹のカラスだった。上空から一直線に急降下してきたカラスは、テーブルの上に降り立つと人の声で話し始めた。使い魔である。
「どうしたのじゃ」
「人の国より勇者来襲! 聖女を返せと今にも大門で暴れそうな勢いです!」
「勇者が!?」
ひっくり返った声で聖女が叫んだ。まさか勇者が来るとは思わなかった。
人の国が信仰する唯一神に最も愛された戦士。それが勇者だ。当然戦闘力はすさまじい。(ちなみに聖女はけっこうな人数が存在している。神様は可愛い女の子が好きだというのは暗黙の了解だ)
「のう、セー女」
思いがけず大事になったことに動揺する聖女に、魔王が静かに声をかけた。
「残りますよ! アタシはまだ魔族領にいたいんだ」
魔王が何か言う前に即答する。意思表示はしっかりとしておかねば、不要な誤解を招くことがある。予防は大切だ。
「そうか、残ってくれるかえ。ではセー女、そなた、聖女らしく振る舞うことはできるかの」
にやり、と肩書きにふさわしい笑みを浮かべた魔王の瞳が、いたずらっ子のようにきらめいた。
「勇者様!!」
人の国と魔族領の境、両地を分かつ大門の前に、清涼な声が響いた。武器を構え、大門を押し破ろうとしていた勇者と、彼に従う騎士たちは一斉に動きを止めた。
「聖女か、助けに来たぞ!」
声を張り上げた勇者に応えるように、大門の上に人影が現れた。
夜をまとった長身の男と、その腕に抱えられるようにして立っている春の日差しの少女。魔王と聖女だ。
「勇者様、どうか武器をお納めください!」
魔王に支えられた状態で聖女が訴える。大門の上は足場が悪く、万一にも聖女が落ちないよう魔王が腰を抱いているに過ぎないのだが、端から見ればどう見えるか。
決まっている。悪の魔王にさらわれ、勇者の身を案じて自身を投げ打つ尊き聖女だ。
勇者にもそう思えたのだろう、武器を握る手に力がこもった。
「魔王! おまえ、恥ずかしいとは思わないのか!! 何も知らない少女を拐かし、あまつさえ盾にするなんて! 卑怯だぞ!!!!」
盾にはしていない、むしろ守っている。しかし余所から見ればそう見えるのも事実だ。
「お待ちください、勇者様! 私はさらわれたわけではございません。自分の意思でここに来たのです」
召喚魔法で強制的に呼び出されはしたが、魔族領に残ったのは聖女の意思だ。聖女の本音だったのだが、勇者には脅された哀れな少女の悲痛な叫びに聞こえたらしい。
「魅了でもかけたか、このゲス野郎! 聖女にそんなことを言わせるなんて!!」
激高して武器に手をかけた勇者に、傍観していた魔王が初めて口を開いた。
「待て、勇者よ」
「誰が!」
「私は魔王様をお慕いしているのです!」
剣を抜き放とうとした勇者は、その言葉に動きを止めた。勇者を止めようとしていた魔王も同じくである。
「勇者様、よくお聞きくださいませ。私は聖女、傷を治し、病を癒す治癒の聖女でございます。私に魅了は効きません。魔王であっても、です。私は自らの意思でここに参りました。だれに強制されたわけでもありません。私は魔王様と一緒になるため、ここにいるのです。どうか勇者様、この聖女の願い、お聞き届けくださいませ!」
「な、そ、そんな……! いや、聖女よ、それは嘘だ! 魔王にだまされているに決まって――!?」
「ああ、聖女よ、余の妃! 余もおまえのことを愛している!」
勇者の否定は魔王の愛の言葉に遮られた。腕の中の聖女を感極まったように抱きしめる魔王は、本当に嬉しそうに見えた。
「聞いたか、勇者。余が聖女をさらったのではない、聖女が余を選んでくれたのだ。貴様は邪魔者にすぎん」
キシキシと大気が悲鳴をあげる。収束する膨大な魔力に世界が軋みを上げる。
魔力が向かう先はただ一点。魔族からは歴代最強と称され、人からは史上最恐と畏れられる、今代魔族領長、夜色の魔王の下だ。
剣に触れている手が小さく震えているのを自覚して、勇者は内心舌打ちした。実際はあまりのプレッシャーに口内が乾いて、舌が張り付いてしまっている。
気圧されてもけっしてあきらめることはしない。全身の力を集め、剣を抜こうと力を込めた瞬間、
「魔王様、何をなさっているのですか!」
スパン、と小気味よい音とともに圧力が霧散した。どっとあふれ出した冷や汗もそのままに大門を振り仰ぐと、聖女が魔王の両角をつかんで顔を寄せていた。
至近距離での見つめ合いは、今しもキスに発展しそうだ。
勇者の視線に気づいたのか、聖女がこちらを見た。その瞳の力強さに、ようやっと勇者は自分の間違いを感じ取った。
聖女は魅了か、それに類する方法で魔王に操られているのだと思い込んでいたが、外部からねじ曲げられた意思の持ち主はこんな目をしないだろう。
こんな、苛烈とも言える激しい優しさを持った目を。
「勇者様、今のでわかりましたね? 魔王様は、その気になれば一瞬であなた方を消してしまえるのです。それをしないのは、魔王様が人と敵対するのを好まれないから。本当は優しい方なのです。誤解している人が多すぎるだけ。私は人と魔族の架け橋として、両者をつなぐ聖女になりたいのです」
聖女を連れ戻すことはできない。魔王への愛と、人への慈悲。二つを兼ね備えた聖女はきっと彼女だけだ。
長く敵対してきた魔族と人の講和など想像もしていなかった。だが、自分で想像できる範囲だけで動いていては、きっと世界は広がらない。拓かれる世界で、自分もまた拓く人間になりたい。
「あなたの願い、確かに聞き届けた! 人と魔族をつなぐ、などということが本当にできるとは、今はまだ思えない。だけど、あなたの想いは確かに伝わった」
叫び返すと、聖女が微笑んでくれた。それを見た魔王の顔が不機嫌にゆがむ。嫉妬しているようだ。
なんだか笑えてしまう。惚れた女が他の男に微笑んだことにヤキモチを焼くなんて、なんて人らしいのだろう。
帰ろうかときびすを返しかけたとき、魔王に呼ばれた。悋気の炎で殺されるのかと身構えつつ顔を向けると、冷たい美貌が勇者を見下ろしていた。
「人の国に伝えてくれ。そちらが余たちを受け入れるというなら、余の責任でもって、人の国で悪さを働く魔族を処理しよう。魔族領でとれる豊富な魔力資源と、人の作るうつくしいものを交換できるなら幸いである、と」
一度言葉を句切り、魔王が息を吸い込んだ。
「そして、聖女は余が守る、と。聖女は余の命、余の宝だ。いかな魔族からも守り通し、悪意を退けよう」
「……。ああ、確かに。勇者の名に誓って、伝えよう」
しっかりとうなずいた勇者に、ほんのわずか、魔王が微笑んだ気がした。しかし気のせいだったのかもしれない。なぜなら、すぐに二人は風に巻かれるように消えてしまったので。
「うし、やるか!」
人の国で勇者の地位はそこそこ高い。その地位を存分に活用してやるのも悪くない。
「ま、まずはこいつらを運ばないとな」
苦笑した先には腰を抜かしたり失神したりと、魔王の圧力に耐えられなかった面々だ。
比較的元気のある者を促して、勇者は帰り支度を始めるのだった。
「魔オー様、何考えてるんですかねぇ、いったい!」
ソファに隣り合って座る聖女はご立腹だ。魔王が勇者たちを脅したのがよほど気に入らなかったようだ。
「魔法は発動しておらぬ。大丈夫であろう」
「大丈夫じゃないんですよ! あれでまた魔オー様、どころか魔族が恐い、なんて噂がたったら……」
「うまくいったから良いではないかの」
魔王は端から人を傷つけるつもりはなかった。ただ頻繁に侵攻を企てられても困るため、少し脅しつけようとしたのだが、聖女はそれに対する怒りが冷めやらない。
白い頬を紅潮させて魔王を責め立てる姿はとても可愛かった。
「のう、セー女? こなたのことを好いてくれておるというのは、本当かえ?」
そっと魔王が身を寄せると、言葉に詰まった。怒りでごまかしていたが、ごまかしきれるものではない。勇者を止めるため、恙なく魔族領に残るためとはいえ、言ってしまった。
「嘘ではないですよ。ただ、本当でもない」
「煮え切らんの」
聖女の返事に魔王が眉目を寄せる。
「魔オー様のこと、嫌いじゃないんですよ。でも、花嫁になるほど好きかというと、そうとも言い切れない」
「なるほどのう。つまり、脈はある、ということじゃな」
聖女の返事に目を細め、魔王はにんまりと笑った。弧を描く唇は、最初見たとき同様、赤く妖しく美しい。
「魔オー様は魔オー様のままでいてくださいよ」
聖女がぽつりとつぶやく。魔力を解放した魔王は恐ろしかった。あの瞬間だけは、噂の通りだと思ってしまった。
「ふふ、こなたが魔王であることは変わらぬよ。セー女も、セー女のままでいてくりゃれ」
魔王も思ったことがある。凛と勇者を諭す聖女は、まさしく神の寵児だった。
魔族は何かを信仰することがない。力こそが正義である魔族には、自分より強い者、絶対的な強者として魔王をあがめる程度が関の山だ。
その絶対的な強者として、魔王は歴代最高と言われるほどの力を持つ。魔王としては、勇者含め全員の戦意を挫くつもりで魔力を使った。それに立ち向かった勇者には密かに感心していたのだ。聖女にほほえみかけられたことで殺意に上塗りされたが。
「アタシも聖女であることは変わりませんよ」
今はまだ、好きではない。だが、好きになるのは時間の問題だ。そして、どうせなら祝福されたい。祝福されて幸せになりたい。そのためには、人と魔族の歩み寄りが必要不可欠だろう。
今後を想う聖女は、今はただ魔王の胸に頭を預け、守られる幸福を甘受するのだった。




