カイの不遇
アメリカからの帰国便。フライト中も、視界には絶え間なくウィンドウがポップアップしていた。
『メッセージ 北斗星が「機内食はちゃんと食べたか?」「寝冷えするなよ」「アメリカの男には気をつけろ」と父親気取りで連投しています』
「ハァ、少しは休ませてくれよ、北斗様」
200年の付き合いだが、最近のこの神様は過保護がすぎる。俺はため息をつきながら、ようやく日本の我が家のドアを開けた。
「ただいま……」
だが、そこで俺を待っていたのは、家族の笑顔ではなく――銀髪のイケメン、世界4位のカイ・ステアリングだった。
「やあ、おかえり」
「っ!?」
反射的に、俺の右手が虚空を掴む。
星屑の粒子が収束し、漆黒の鎌『星裁』がその姿を現した。殺気がリビングに充満する。
「落ち着けよ。彰に話があって来ただけだ。彼はまだ『塔』から出てきていないようだけどね」
カイが肩をすくめたその時、背後からガチャリと音がした。
「ただいまー。あれ、お兄ちゃん? 昨日行
って、もう帰ってきたの?」
海が、不思議そうに俺を見ている。
そうだ。200年もの地獄を這いずり回ったのは俺と北斗星だけで、現実ではたったの1日。
「あぁ。これでも結構頑張ったんだよ」
俺は苦笑いして鎌を消した。
海は次に、リビングでくつろぐカイをじっと見つめる。
「ねえお兄ちゃん、そちらのおじさんは誰?」
「おじさん?」
カイの完璧な笑顔がピキリと固まる。
「失礼なガキだね。私はまだ32歳だ。おじさんと呼ばれる筋合いはないよ」
「えー、でも30代ならおじさんだよ。ねえ?」
海の無邪気な一撃に、カイはかつてないほどのダメージを受けているようだ。
『メッセージ:北斗星が「海、もっと言え! よくやった!」と爆笑しながらエールを送っています(海には見えていない)』
「悪いなカイさん。帰るならさっさと帰ってくれ。ここは一般人の家だ」
追い出そうとした俺に、カイは懐から札束の束――厚い封筒を取り出し、テーブルに置いた。
「いや、しばらくここに住ませてもらうよ。宿泊代だ」
その瞬間、海の目がキラリと光った。
「お兄ちゃん! このおじさん、いい人だよ! これで新しいゲーム機買えるもん!」
「金に負けるなよ、海」
俺の200年の苦労が、札束一つに負けた瞬間だった。
「ただいまー。あ? なんだよ、このじいさんは?」
ドアを開けるなり、次男の優がリビングにいるカイを指差して顔をしかめた。
海に続いて、優までもが。
「じいさん?」
カイの額に青筋が浮かぶ。
「いいかい、君たち。私はまだ32歳だ。世界で最も美しいハンターにも選ばれたことがあるんだがこの兄弟、揃いも揃って口が悪すぎないか?」
『メッセージ 北斗星がスタンディングオベーションをしています!』
『メッセージ 北斗星が謎の重低音(BGM)を流し始めました!』
北斗星のテンションが、ついにリミッターを越えたらしい。
視界のウィンドウが激しく点滅し、リズムに合わせた文字が踊り出す。
『メッセージ 北斗星のラップバトル開始(Yo!)
「見た目は派手だが、中身はおっさん!(Yeah!) 30過ぎたら、もはやじいさん!(Say Ho!)」』
「え、お兄ちゃん、なんか聞こえる?」
海がリズムに合わせて首を振り始めた。覚醒者じゃないはずなのに、北斗星のノリが魂に直接響いているのか。
「見た目は派手だがー、中身はおっさん~♪」
「30過ぎたら~、もはやじいさんー!♪」
優までキレキレのダンスで加勢し始めた。
世界4位、ハリウッド俳優、最強の魔術師……そんなカイ・ステアリングの肩書きが、一般家庭のリビングで粉々に砕け散っていく。
「あっ、頭が……頭が痛い……」
カイは震える手で、テーブルに置いてあった友の「頭痛薬」をひったくると、水も飲まずに流し込んだ。
「大丈夫か、俺。あんな恐ろしいゲートをいくつも潜り抜けてきたこの俺が、なんでこんなガキどものラップに殺されかけてるんだ……?」
白目を剥きかけるカイを横目に、俺は遠い目をして北斗星のウィンドウを閉じた。
「ただいま。ん、誰だその男は?」
買い物袋を下げて帰ってきたのは、わが家の家事全般を仕切る「友」だった。リビングで魂が抜けたようになっているカイを一瞥し、友は迷わず予備のエプロンを投げつけた。
「ちょうどいい。人手が足りなくて困ってたんだ。お前それ着て手伝え」
「えっ? いや、私は料理なんて……」
「居候するんだろ? だったら働け。ほら、玉ねぎとキュウリのスライスだ」
世界4位の魔術師が、友の放つ「主夫の威圧感」に押され、震える手でエプロンを締めた。今夜の献立は、チョレギサラダに餃子、そしてうどんだ。
俺はソファで海と優とゲームをしながら、その光景を眺めていた。
「大変だな、カイさん」
「お兄ちゃん、よそ見してると負けるよ! ほらっ!」
「ああっ、優! ずるいぞ!」
「勝者は俺! 今日のデザートは俺のものだー!」
優がコントローラーを掲げて勝ち名乗りを上げる。海は「もう一回!」と悔しそうに地団駄を踏んでいる。修行中の地獄に比べれば、こんな負けすらも愛おしい。
やがて、カイが涙目で(玉ねぎのせいだと言い張っていたが)完成させた料理が並び、男ばかりの夕食が始まった。
「美味しい! このチョレギ、じいさんが作ったの?」
「……じいさんと言うな。精一杯、均等にスライスしたんだ」
カイが疲れ切った顔で自分のデザートに手を伸ばそうとした、その時。
海が、カイが目を離した隙を狙ってスッとスプーンを伸ばした。
「海。こら、それはカイさんのだろ」
友の鋭い指摘が飛ぶ。友は料理も作るが、しつけにも厳しい。
「ちぇー、ケチおじさん……」
叱られて口を尖らせた海が、俺の腕の中に飛び込んできた。
「お兄ちゃん、慰めて~! お腹空いて死んじゃうー!」
「はいはい、俺のを半分やるから。よしよし」
『メッセージ 北斗星が私も食べたい……と恨めしそうにエプロン姿のカイを睨んでいます』
騒がしい弟たちの声、友の冷静な突っ込み、そして場違いな最強ハンターの溜息。
200年、たった一人で戦い抜いた先に、この場所があって本当に良かった。
「……まったく。本当に幸せだ、俺は」
翌朝
リビングには、絶望と怒りが入り混じったような重苦しい空気が漂っていた。
日本のエース、彰が『塔』の16階攻略に失敗し、ボロボロの状態で帰宅したからだ。
「最悪だ。あと一歩だったっていうのに……」
彰が苛立ちながらリビングへ足を踏み入れる。だが、そこで彼が目にしたのは、あろうことか自分のベッドを勝手に使い、優雅に二度寝を満喫している銀髪の男だった。
「は? なんでここにカイ・ステアリングがいるんだ?」
世界ランク4位。かつてのライバルであり、今は鼻持ちならない「お高い男」。
攻略失敗のストレスに、プライベートな空間を侵された怒りが加わり、彰の理性がプチリと切れた。
彼は手近にあった淹れたての紅茶(しかも熱々)を手に取ると、迷うことなく、眠っているカイの股間めがけてぶちまけた。
「……っ!? 熱っ!! な、なんだ、攻撃か!?」
飛び起きたカイは、濡れた股間を押さえて狼狽する。そこへ、たまたま目を覚ました末っ子の海がリビングにやってきた。
「あ……お兄ちゃんお帰り。あれ? そのおじさん、お漏らししたの?」
彰が冷徹な声で追い打ちをかける。
「ああ。世界4位ともなると、寝ながらお漏らしするのも一流らしいぞ、海」
『メッセージ:北斗星が腹を抱えてのた打ち回っています!
「ギャハハ! まじかよ! 世界の色男がお漏らし(笑)! 歴史的瞬間だな! 録画機能はないのか!?」』
「違う! これは彰が……!」
必死に弁解するカイだったが、運悪く(あるいは運良く)そこに長男の友が現れた。
「朝っぱらから、何を騒いでるんだ」
友の背後に立ち上る、静かな、だが逃れられない「怒り」のオーラ。
数分後、リビングには正座をさせられた彰と海、そして頭に巨大なたんこぶを作った二人の姿があった。
「彰。いくら苛ついてるからって、客人に熱い紅茶をかけるのはどういう教育だ。海も、面白がって囃し立てるな」
「……だって、悪いのはこいつだぞ」
彰が不満げにカイを指さす。完全に八つ当たりだが、ブラコンの彼は弟たちの空間に他人がいるのが許せないらしい。
「そうだよ! こいつがここにいるのが悪いんだもん!」
海も彰にぴったりと寄り添い、一緒にカイを睨みつける。この二人は、海または彰を愛するあまり、他の男に対しては異常に排他的になるブラコンなのだ。
「君たち、さっきから私の扱いがひどすぎないか?」
股間を拭きながら、世界4位のハンターは本気で泣きそうな顔で、友から渡された雑巾を受け取った。
俺はそれを見ながら、昨日届いたばかりの新しい「神の腕」をそっと隠した。
(……攻略失敗した彰に、俺が200年修行して爆上がりしたなんて、今はとても言えないな……)
「海ぃぃ! 寂しかったぞ、お前の兄貴が帰ってきたぞ!」
正座の罰が解けた瞬間、次男の彰が猛烈な勢いで末っ子の海に飛びついた。
たった三日の不在。それなのに、まるで一生分の再会を惜しむかのように、彰は海の頬や額に連続でキスを浴びせ始める。
「んもう、彰兄ちゃんやめてよ~! くすぐったいってば!」
海は嫌がっているふりをしつつも、嬉しそうに声を上げて笑っている。
その様子を横で見ていた世界4位のカイは、雑巾を持ったまま呆然と立ち尽くしていた。
「ねえ、俊宇。君たちは……本当に血の繋がった兄弟なのかい?」
俺は呆れ顔で首を振った。
「いや、俺は同居人だよ。まあ、自分じゃ家族だと思ってるけどな」
「同居人……? それでこの距離感なのか」
カイが戦慄するのも無理はない。だが、俺にとってこの家は、血の繋がりなんて関係ないほど、魂に深く刻まれた帰るべき場所なんだ。
その時、三男の優が無表情のままスマホを構え、シャッターを連発した。
カシャッ、カシャカシャッ!
「優……お前、止めるどころか撮影してるのか?」
「記録だ。彰兄が塔で理性を失わなかった証拠でもあるし、何より後で交渉のネタになる。俊宇、お前も一枚いるか?」
「いらないよ、お前も大概だな」
その時、キッチンから鋭い声が飛んできた。
「お前ら! 朝飯だって言ってるだろ、いつまで遊んでるんだ!」
長男の友だ。
お玉を構えたその威圧感に、彰も優も一瞬で背筋を伸ばした。
「友兄、ごめん……」
「カイさんも、突っ立ってないで皿を並べて。はい、動いた動いた!」
『メッセージ 北斗星が「いいね! 友のリーダーシップ、嫌いじゃないぞ!(笑)」とノリノリで友の肩(見えない)を叩いています、それにパパに甘えていいんだぞ』
だから前はパパじゃないって
「あぁ、もう! 暑暑苦しいんだよ、お前ら!」
俺は北斗星のメッセージを無視して、海を独占しようとする彰を引き剥がしにかかった。
200年の修行で得た「神の腕」の力。それを、まさか「血の繋がらない兄を引き剥がす」ために使うことになるとは。
「離せ俊宇! 血は繋がってなくても、俺と海の愛を邪魔するな!」
「いいから座れ! 友兄に怒られるだろ!」
カイはそんな俺たちの喧嘩を見ながら、またテーブルの頭痛薬を手に取っていた。




