二人での生活
セルリアを受け入れたことで土台を作ることに慌ただしかったラビスだが、翌日には日常のサイクルへ戻ることとなる。
「いってきます。」
毎日の恒例。
家を出る前に家族の写真の前に座り、手を合わせて一礼するラビス。
「……いってきます」
セルリアも真似るように続いてラビスの後方へ座って、同じ動作で挨拶する。
ラビスはセルリアに振り返り微笑んだ。
「おはようございます。」
「おー、来たな。待ってたぞ!」
セルリアが初回であるからこそ、普段より30分早く農家へと到着。
畑の主が返事をしつつ2枚扉の広い玄関から室内へと招かれる。左手には食事処という調理設備の広さからダイニングテーブルが目の前に広がり、右手には長いソファー席。
一階は手伝いの人々の為にある規模で使われている。
ダイニングテーブルの一席の側で既に立っていた、おしとやかでぽっちゃりとした中年の女を目標に、アギアスも歩み寄って顔見せをする。
「セルリアさん、改めて。俺は畑主のアギアス。そんでこっちは、俺の家内のシンシアだ。」
「事情は聞きました。お手伝いよろしくお願いしますね、セルリアさん。」
体格もよい肉体派で、明るく元気な様子の畑主がアギアス。
共にいて微笑む、穏やかでおっとりとした雰囲気を纏う女がシンシア。
どちらも50代半ばである。
この村の農業部類で食を支える柱の一つとして、代々繋いでいる家柄。
手伝いも集う為に食堂を兼ねた家の一階も広く、畑と調理場での筆頭を夫婦が担っている。
「記憶も無いんじゃ大変だよな。基本からの方がいいだろう。調理場でシンシアに教えてもらってくれ。」
「えぇ。」
ひとまず調理側に入ることとなり、調理に関する基本を覚えることから始まるようだ。
セルリアも了解の返事を返す。
「よろしくお願いします、シンシアさん。」
「こちらこそ。今日もよろしくね、ラビス。」
ラビスもシンシアに一礼してセルリアを頼み、現状の情報交換をしてから、シンシアとセルリアは早速下見に調理台へ入る。
「じゃあまず野菜から覚えましょうか。」
自らの畑でとれた数々の野菜だけで十数種類。肉や魚、乳製品なども仕入れ、材料は豊富かつ山積みのように置かれていた。
物を紹介して、次にキッチンの道具、調味料なども教えていると、賄いの昼飯を作る手伝いに女性も集まって来た。
ここに来る女性の多くは、旦那が畑での手伝いをしている妻達。または花嫁修業も兼ねて手伝いに来る娘たちである。
おおよそ揃った事を確認すると、セルリアを紹介しつつ状態を説明する。
「わからないことが人より多いみたいなの。皆さん教えてあげてくださいね。
さ、下準備を始めましょう。よろしくお願いします!」
シンシアが集まった人々をまとめて、数揃えた器具を貸し出し割り振る。
皮を剥き、身を切る音が無数に重なって部屋を満たす。
セルリアはシンシアの手元を見つつ説明されながら、共に人参の皮を剥くが……なかなかうまくいかないようだ。
プツリプツリと切れる皮に無表情で挑んでいるが、ふと人参を持つ手の指に力がかかったと思えば。
バキャッ、という音が立ち、握ってた箇所がボロボロと落ちる。
「……え、」
「脆い……。」
セルリアは砕けた人参の汁で濡れた手を握って開いてと軽く動かし、残った下部を拾い直して、皮に包丁の刃先を入れて練習する。
目撃したシンシアは、乱切りより小さい小石まで砕けた人参の欠片が散らばった調理台と、セルリアとを見比べてしまう。
「あ、えっと……じゃあ、切ってもらおうかな。」
気をとりなおしてと、次の工程である刻みに移ることに。
人参を千切りまでにするのだが、見たままセルリアは動かず。シンシアが一部を完成形にしてみせる。
「この動作を繰り返して、一本をこの形にしてね。」
「えぇ。」
切り方を見ていたセルリアも作業に移れば、切る速度ならシンシアを上回るのではないかと思うほどにスムーズに繰り返していく。
長さも太さもほぼ均等に千切りされた。
「すごい、上手ね!」
「切るのは出来る。」
切るという包丁捌きはむしろスムーズ。
しかし輪郭に沿って皮を剥く事は、包丁と支える手を動かし、削がなければならない。そうした曲線的な扱いは不慣れなようだ。
「じゃあ、キャベツ。これは皮がないし、そのまま刻んでくれる?」
「えぇ。」
キャベツの千切りも、あっという間に追加の2玉を捌く。それを見たシンシアは皮剥きに専念して、セルリアに切ることを任せ。
大量の下準備が済んだ食材が揃った。
それからが本格的な調理の開始だが、鍋は限りがあるために、ひとまずセルリアは見学。
炒め、茹で、蒸すなど、調理方法の違いや。野菜ごとの時間差。塩や砂糖などの調味料を入れていく過程を見ながら、シンシアが説明を入れる。
「調味料、食べても?」
セルリアはそのものの味が気になったようで、シンシアに申し出る。
「え、あ、味を知るのに?でも、刺激強いものもあるわよ?」
「問題ない。」
セルリアはまず塩から、スプーンの先を使って少量取り、口の中へ入れて刺激を確かめる。それが例え辛いものでも、表情は微動だにしなかった。
「だ、大丈夫?
はい。味見かねてスープで口直しして?」
シンシアは気をきかせて、昼食に出すスープを少量よそってセルリアに差し出す。
セルリアが受け取り、スプーンで飲む。
「調味料の味じゃない……。」
「そう。本来の野菜の味よ。感じやすいように、家は調味料は薄めなの。」
味をつけるというよりは、調味料で野菜の旨味を引き立てる為とシンシアは考えているようだ。
寸胴鍋で作られたスープ、その横には煮物など、コンロの前に並んで調理してしばらく。
「おーい。とりあえず10人よろしくな!」
アギアスが調理場に顔だけ出して告げ、それを合図に温め直したり、即席の炒めをしながら、昼飯を作り上げては運んでいく。
「だいたい2グループに分かれて来て、半分はまだ畑。それで先に来た人達の休憩が終わると、畑に残ってた人達と入れ替わるの。」
食事をしている間も手が止まらないよう二手に分けて、声をかけてくれれば作るべき個数もすぐわかる。
ある程度人数を把握しているとは言え、飛び入りや急用のキャンセルが出ることもある為だ。
「ラビスはアギアスの居ない間、息子と一緒に代わりになってくれてるから、だいたい後に来るわ。後で顔出すだろうし、持って行ってあげるといいわ。」
セルリアが初めてだろう手を加えた料理だ。せっかくなら自分で運んで行くといいと微笑んだ。
「お疲れ様です。8人分、お願いします。」
しばらくは前者の休憩もあり、随時食器も片付けていると、ラビスが顔を出して人数を告げる。
「セルリアさん。初仕事はどう?」
シンシアと共に調理台からは下がったところに立っているセルリアを見かけ、感想を尋ねる。
「皮を剥く経験はなかった。」
「ふふ、そうね。でも、刻むのはすごく早かったの。私でも負けてしまうくらい。きっとすぐ上手になるわ。」
とにかく皮剥きが印象的だったようだ。淡々と口にしたセルリアに、シンシアは笑いながらもラビスへと働きを話す。
「そうですか。家でも一緒に練習しましょう。僕も家事歴は長くても、全然皆さんに及ばないんです。」
「あら、嬉しいわぁ!」
そのまま調理場にいる主婦達も交えて談笑し、農作業組の休憩が終わった後でようやく彼女達が休憩となり、つかの間世間話に花が咲く。
朝から家事を始め、1日をフルに活動する主婦もまた一種の職業と言える労働量である。
「でもセルリアさん。ラビスくんだって、真面目な子だけど男の子でしょう?二人きりで大丈夫?」
「男だと何か問題でも?」
中身を聞き返すものの、それ以上はふわふわとした笑みを浮かべ、言葉は続いて来なかった。




