セルリアという女
セルリアの無くした手鏡を探しに、二人で入った森の中。
ラビスはいつも以上に慎重に警戒を高めつつ足を進めて、爆発の爪痕残る場所を目指す。
セルリアも黙ってラビスの背を追うように歩くこと15分程。今朝に目にした穴の元へ着く。
「足元、気を付けてくださいね。」
「見えている。」
すっかり辺りは暗くなり始め、霧も視界を遮り出している。
ラビスはランプの灯りを頼りに見ても一歩先は定かではないというのに、セルリアは本当に全て見えているのだろう。
危なげもなく、足取り軽く辺りを歩いて見て回る。
それにはラビスが呆気にとられてしまった。
「目がいいんですね……。」
ラビスは驚きと共に関心してセルリアに呟いたが、特に返事はなかった。
「あ、そっちは危ないです!崖ですよ!」
「落ちない。」
平然と崖の縁まで寄り、200mはある渓谷の谷間を見下ろすセルリア。
ラビスが再び言葉を失っていると、環境音が微かに耳につく。小さく殺された草を踏む音、ゆっくりだが確実にこちらに近付き、音に混ざって獣の唸る声がする。
「セルリアさん……、崖気を付けてください……!」
ラビスは崖とセルリアを背にして、拳銃を手にして警戒する。それはどうやら一匹のものでもない。
全てを撃ち抜かなくてはセルリアも居る。
野犬への恐怖だけでなく、守れるかどうかの不安も重なったラビスの手はじっとりと汗ばみ、ピストルを握る手が震えてさえくる。
とてつもなく長く感じる緊迫した空気の中で睨み合いの間を挟み、ガサッと草が強く鳴り。ついに飛びかかってくる前兆だとラビスが引き金を意識する。
だが、飛びかかるように飛んだはずの野犬二匹の姿こそ現わになったが、思いの外低いジャンプと詰める程ではない距離に着地。
より構えを低く、唸り声を大きくして野犬達の方が酷く警戒している。
「え……?」
様子のおかしい野犬達にラビスが疑問をもった瞬間。
一歩の靴の音がすると、野犬がビクッと身を縮めながら翻し、キャンと高い鳴き声を上げる。
野犬達は一目散に逃げて行ってしまった。
「えっ、あれ……?」
ラビスは呆気に取られながらも一緒にいたセルリアを見れば、一歩を踏み出した状態で何故か目を閉じている。
再び長い睫毛と共に瞼が開くその瞬間を、なんとなく見てしまっていた。
「……鏡はなさそうだ。」
「へ……、あ、鏡……。そう、ですね……。」
野犬達に怯えた素振りもなく変わらない表情、更には鏡の話をする程の余裕を感じるセルリアに、ラビスの中では不思議な人だという認識がどんどん強くなっていた。
結局収穫はなく道を戻って、家へと帰る。
「セルリアさん。遅くなりましたが、お風呂お先にどうぞ。」
母屋の脇に増築されており風呂場は別である。
「お風呂?」
「え、えぇ。お風呂です。
……え?」
ラビスは何の疑問なのか思い当たりはするものの、まさかの選択肢を消そうとするが。他にとれる意味がない。
「あの、お風呂……わかり、ますよね?」
「いいえ。」
淡々とされた回答に、ラビスは頭を悩ませた。
なんと言っても相手は異性。
かといって土で汚れたままは、あんまりだろうとも思う。
「い、いいですか?タオル巻きましたよね?」
「えぇ。」
結局他に頼れる人もおらず、バスタオルを体に巻かせ、髪や背中を洗う事は手伝うことに。
風呂を知らないというわりに、長い黒髪は艶がありしなやか。
土がついてなければ、真っ白な滑らかそうな肌であることが不思議でならなかった。
「お湯かけますよ、」
「どうして」
「えっと、濡らして洗います……。」
見た目はラビスとそう変わらないだろう大人の女性であるにも関わらず、まるで無知な子供のよう。
食事も食べ方を知らなかったのではないか?と思えてならない。
また一つ、また一つと疑問が増えて行く。
一体どんな生活をしていたのだろうと。
笑いもしないどころか、変わらない表情。声色も、動作も同じ。
帰る場所はあるようだが、親も、帰り方も知らない。
何かを企んでるような素振りはなく、行き場のない女性を放る訳にもいかない。
ラビスはどうしていいかわからないが、とにかくまずは今も無知な子供のように泡を眺めているセルリアに、日常だけは教えなくては自分も気が気じゃないと思うのだった。
「セルリアさん、今日は僕の布団使ってください。あまり綺麗じゃなくて申し訳ないですが……、そうしたら明日、必要なものを揃えに行きましょう。」
「えぇ。」
幸いコミュニケーションは成り立つ。
ラビスは残っていた家事をして、風呂に入って。
祈りに行ける状態ではないが1日を終える。
ラビスの服を借りたセルリアが布団に横になったのを見て安心して、硬い床で眠りについた。
「ん……、」
固い床で寝たせいか、ラビスは何度か目を覚ましてしまいながら朝に起き。
ふとセルリアの存在を思い出して見れば、布団に横になったままだが、セルリアの目は眠気の余韻もなく開いていた。
「あ、おはようございます。早いですね。」
声をかけたことで一時はこちらに視線を向けたが何も言わないまま、視線を天井へと戻し、布団を起き上がる。
「今、朝ごはん作りますね。」
ラビスは起き上がり、もらった野菜を調理して手早く作り上げる。
「簡単なものしかできないのですが、どうぞ。」
野菜を煮込んだポトフのようなスープをテーブルで向かい合って食べる。
表情はない、言葉もない。
しかし一人の時間の方が長くなってしまったラビスにとって、そこに人がいて料理を口に運んでくれる姿に安心した。
「ごちそうさまでした。」
「ごちそうさまでした。」
食事は覚えたのだろう。
ラビスと共に手を合わせて挨拶をして、食事を終えて片付ける。
「セルリアさん。洗濯、一緒に来てもらっていいですか?女性の着物を洗うのも申し訳ないので……。
そしたら、そのまま村へ行きましょう。」
「えぇ。」
バスタオルや着たものなどを持って山を下り、村と渓谷の分かれ道で渓谷へと寄り道する。
川沿いを借りて手で布地を擦り合わせて洗濯する。
洗濯機は存在はしているのだが、一人暮らしならば大して量も出ない。
ラビスは自らの手で洗う事が日課であった。
「そんなに強い力はいりません、布と布を擦り合わせて……、そうです。綺麗になるでしょう?」
セルリアも共にラビスの動きを真似つつ洗った後は、日は差し込むが人目には着きにくい岩場の影、木と木の間に紐が渡してあり、衣類やタオルを吊り下げる。
山から降りて来るラビスには寄り道で済む為、そこを借りている。
セルリアも同じ動作をして終えると、そのまま目先の村へと向かう。
「食べることやお風呂も知らないとなると、きっと記憶をなくしているんですよね。
とりあえず、衣服は女性にお願いしましょう。」
ラビスは考えた末に、やはり衝撃などで記憶をなくしてしまったのではないかと思いながら村へと向かった。




